頂門の一針
日本は世界の光
━━━━━━━加瀬 英明 (この記事は二回目の掲載)
アメリカの民主党大統領候補レースで、バラク・オバマ上院議員がヒラ リー・クリントン夫人に差をつけて、民主党の大統領候補の地位を獲得 した。オバマ議員が善戦したことは、じつに喜ばしい。といっても、私はオバマ議員が11月の大統領選挙で、大統領として当選してほしいと考えているわけではない。
共和党の大統領候補は、ジョン・マケイン議員に決まっている。オバマ 氏は一年生上院議員でしかなく、まったくの未知数だ。私は外交・安全 保障問題に通じていて、日本を重視しているマケイン氏が、ホワイトハ ウス入りすることを願っている。
アメリカで景気が後退し、ブッシュ大統領の人気が翳っていることから、どの世論調査でも、11月の大統領選挙へ向けて民主党が優位に立っている。だが、オバマ氏が民主党候補となったこと自体はアメリカで黒人に対する差別が大きく弱まっていることを示すものだが、アメリカにとって最初の黒人の大統領候補であって、白人のあいだで黒人に対する嫌悪感や、警戒心がいまだに強いことから、予想することが難しい。
アメリカでは、今日でも白人と黒人のあいだに際立った格差がある。
1世帯当たりの平均所得を較べると、黒人は白人の63%しかない。教育 水準も大きく劣る。17歳の黒人少年の学力は、13歳の白人少年の水準に しか達しない。
黒人は営利会社の経営者の5%しか、占めていない。20歳から34歳の黒 人成年男性のうち、100人に11人が刑務所で暮している。白人の7倍の比 率だ。黒人の少年の69%が未婚の母親から、生まれている。
私がアメリカで学んだ1950年代後半では、黒人は多くの州で法的に差別 されていた。とくに南部では学校、電車、バス、待合室、便所、食堂、プールなどが、白人と黒人に区別されていた。私は東部の一流校で学ん だが、クラスに黒人はいなかった。
今日ではブッシュ・父政権でコーリン・パウエル大将が軍人の頂点をき わめ、現政権でコンドリーサ・ライス女史が国務長官となり、オバマ氏 が民主党の大統領候補レースでトップに立っているが、隔世の感がある。新任の在日米軍司令官も黒人である。
アメリカでは若い世代のあいだで、黒人に対する差別意識が薄れるよう になっている。白人と黒人のあいだの結婚件数は1970年と比較すると、 7倍に増えている。
私は留学中にブリタニカ大百科事典の第2次大戦後の版の「人種」の項 目に、「多くの科学的調査によれば、黒人(ネグロ)は感情が不安定で、 自己を抑制する力がない」と書かれていたのを憶えている。
先住民のインデアンを「知能が低い」ときめつけていた。日本が4年近 くにわたって戦い、アメリカを懲らしめたのが効いたせいか、日本人に は触れていなかった。今日、アメリカで黒人が白人に混って活躍できるようになったのは、日本が先の大戦を大きな犠牲を払って戦ったためである。そのために、数世紀にわたって白人の苛酷な支配のもとで呻吟していたアジアの諸民族が、解放された。植民地解放の高波がアフリカも洗うようになり、アフリカの諸民族がつぎつぎと独立を獲得していった。
アメリカは黒人を長い間に亘って法的に差別してきたが、黒人を抑えつ けることができず、1960年代に入ると黒人の公民権の要求を受け容れる ことを強いられた。もし、日本が先の大戦を戦うことがなかったら、今日でも白人がアジア・アフリカを同じように支配し、アメリカにおいて黒人に対する差別が続いていたにちがいない。
第2次大戦が終わるまでは、黒人はメージャー・リーグの野球選手にな れなかった。プロゴルフ界でタイガー・ウッズが活躍しているが、黒人 がゴルフコースでプレイすることは考えられなかった。テニスも同じこ とだった。
アメリカで黒人が白人と並んで活躍できるようになったことは、日本の 力によるものである。日本として大いに誇るべきことである。日本国民は明治に開国してから、2つの大きな夢をいだいてきた。1つは西洋の列強によって強いられた、屈辱的な一連の不平等条約を改正することであり、もう1つは人種平等の世界を創りだすことだった。幕末に海外を旅した先人たちは、アジア・アフリカで住民が西洋人によって、家畜のように使役されているのを見て、憤った。
明治時代から先の大戦に敗れるまで、日本語のなかで「白魔」という言 葉が日常的に使われていたのに、白人が態度を改めたために死語になっ ている。日本はアジア・アフリカの諸民族を解放するために、先の大戦に参戦したのではなかった。しかし、戦端が開かれると、日本の多くの青年たちが人種平等の理想の世界を実現するために生命を捧げた。
昭和天皇は敗戦の翌年に、側近者につぎのように述懐された。「第1次世界大戦後の講和会議において、わが国代表によりて主張せられたる人種平等に関する日本国民の叫びは、列国の容るるところとならず、黄白の差別観は世界の各地に残存し、かのカリフォルニア州日本人移民排斥のごとき、またオーストラリアの白豪主義のごときは、日本国民をして憤慨せしむるに充分なものであった」
ベルサイユ会議において国際連盟憲章が起草されたが、日本全権団が人 種平等の原則を盛り込むことを強く主張したのにもかかわらず、アメリ カ、ヨーロッパ諸国によって拒まれたことを指している。アメリカはフィリピンを植民地としていただけでなく、国内で人種差別を行っていた。人種差別が人類の歴史を通じて、長いあいだにわたって行われてきたが、日本が先の大戦を戦ったために、人種差別のない理想世界が招き寄せられたのだった。 (2008.6)
━━━━━━━━━━━━━━━
日本を永久に武装解除せよ(2)
━━━━━━━━━━━━━━━平井 修一
このテーマに読者の関心を引かねばならない。そのために私的な経験を 交ぜる。米国の準州、グアム政府から依頼されて「グアム島観光の25年史」を編纂した。そのためにはあれこれ歴史を調べるのだが、グアム図書館(アガニア市)で日本人女性ふたりが殺された事件を2日間調べていたら、けげんに思っただろう、図書館の女性から「あなたはご遺族ですか?」と聞かれた。
「NO。BUT、この事件は日本人のグアム島旅行に関し大きな影響が あったので歴史を検証しているのです」と答えたら納得していた。私どもは歴史、つまり我が家、我が国家の来し方をしっかり見ないと背骨が崩壊する。歴史を学ぶことは大変重要である。知的好奇心をもっている方は多分興味を持ってこの記事を読んでくれるだろうと祈るばかりだ。
閑話休題。最後の知識人の一人、福田恆存氏の「滅びゆく日本」から引 用する。(小生のような無名の人は有名人の本を読んで「彼はこう語っ ていた」と引用することが読者への説得力になるのである。引用が多い ことは勘弁してくれ)
<日本国の、いや、それ以上に、日本民族の連帯感を希薄にする様な危 険な事態がどこから生じたか、なによりもその事に深く想いを潜めるべ きではないでしょうか。
その原因はなにか。ひと口に言えば、それは私たち日本人が敗戦によっ て私たち自身の歴史、伝統を自ら否定し、意識的にそれとの断絶を図っ たことにあります。
国家や民族ばかりでなく、個人の場合でも同じですが、一人の人間を他 の人間と区別し得るもの、つまり、その人をその人たらしめているもの、それはその人の過去以外の何物でもありません・・・
自分が何者であったか、どういう生き方をし、誰と付き合っていたか、 そういう過去の記憶を喪失した人間は、同時に未来をも失うのでありま す。過去を失えば、現在をも含めて今後どうして生きて行ったら良いか、何をなすべきか、その方途も根拠も全く失ってしまうのです。
人が未来に向かって行動を起こす出発点はその人の過去であって、現在 そのものでは決してない。なぜなら、現在とは過去の集積そのものだか らです>過去が間違いであろうと、その間違いなしに今日の自己はない。戦後の日本はそれを他人事(ひとごと)のように否定し、新しい日本を作ればよい、それができると思い込んだ。
<すべてそこに病根があるのです。過去の歴史や伝統的な生き方を否定 した以上、日本人が国家、あるいは民族としての連帯感、共同体意識を 失ってしまったのは当然の話で、その事に気付かぬ限り、日本は滅びる と言っても、それは必ずしも私の脅迫的激語とは申せますまい>
産経新聞ワシントン駐在編集特別委員・論説委員の古森義久氏が日本国 憲法誕生の経緯について、四半世紀前のインタビューをブログに再録し ている。気にはなっていたのだが、改めて読んでみたら大変興味深く、 多くの方に知ってほしいので、小生が特に関心を寄せた部分を転載させ ていただく。
<日本の憲法はアメリカ人によって起草されました。その中心人物のチ ャールズ・ケーディス氏(アメリカ占領軍司令部GHQの民政局次長・ 大佐)に数時間もインタビューしたことがあります。日本の憲法、とく に第9条がいかに特異な思惑や環境の下で、いかにあっさりと作られて しまったかを、なまなましく聞いたものでした。インタビューは1981年4 月でした。・・・
●ケーディス 昭和21(1946)年1月、マッカーサー元帥は、われわれ占 領軍司令部GHQが日本の憲法の草案をつくる権限があるのかどうかを 尋ねてきました。(連合国)極東委員会がわれわれに対し、やるべき仕事をやっていないと批判していたからです。私は極東委員会に対し、いまは日本の選挙など緊急にやらねばならないことがたくさんあるから、憲法についてはもう少し待てないか、と言ったわけです。マッカーサー元帥がわれわれに憲法づくりの権限があるかどうかを質したのに対して、私はラウエルとハッシーの応援を得て、メモランダム(覚書)を作りました。
覚書の草案を私が書いて、(上司の)ホイットニー将軍の了承とサイン を得て、マッカーサー元帥に提出したわけですが、その覚書の中で、私 たちは日本の憲法づくりをわれわれがもしやろうと欲すれば、その権限 はあるのだ、という結論を出したのです。
しかしまだその時点までは、日本側が憲法起草をすべきだというのが、 マッカーサー元帥の考えでした。それに対しわれわれGHQがやるべき だ、というのが明らかに極東委員会の考えだったのです。
私はさらに、極東委員会こそそれをやるべきだ、と議論していたわけで す。ところがそこで毎日新聞の例の記事が出た。その結果、松本氏(憲法担当国務大臣)がA案とB案をGHQに示したが、それにより日本側からは満足できるような憲法改正草案は得られないことを、われわれは思い知らされたのです。極東委員会か、GHQのいずれかがやらねばならないことを認識させられたのです>(つづく)
━━━━━━━━━━━
需給逼迫で募るコメ高騰
━━━━━━━━━━━小尾 拓也
「コメが足りない」とあるコメの卸売業者は困惑しきりだ。コメの在庫 量は、例年の初夏と比べて1~2割も少ない状態が続く。農協や同業他社 に何度問い合わせても、「そんなに融通するコメがない」と断られて終 わりだ。そんな状況にも拘わらず、スーパーの仕入れ担当者からは「早く届けてくれ」と矢の催促が来る。まさに八方塞がりなのである。
現在、全国でコメの品薄感が強まっている。コメの消費量は減少の一途 を辿っているが、その一方で供給量は変わらずに増え続けており、2007 年度の収穫量は約870万トンと、前年度と比べて約16万トンも増加した。 まさに「コメがダブついている」のだ。
それにも拘わらず、ここに来て何故「コメ不足」なのか。その要因の1つは、小麦価格の高騰により、供給過剰で価格が割安となっているコメの人気が再燃しているためだ。
「店頭でのブランド米の売れ行きは年初比1~2割増えている。冷凍食品 の値上げが続くなか、コメ需要アップは大きな追い風」とホクホク顔で 語るのは、都内杉並区のスーパー関係者。
直近では、麦の替わりに「米粉」を使ったパンやうどんなども市場に出 回り始めた。とはいえ、コメの1人当たり消費量は今年3月に前年同月比+0・6%とマイナスからプラスに転じたばかり。冒頭の卸売業者が感じる品薄感は「いささか大げさ過ぎる」と言える。しかし、実のところそれは大げさな話ではない。コメが不足している最大の要因は、政府が大量の「備蓄米」を積み増していることにある。
06年度と比べて10%を超える価格下落に歯止めをかけるため、政府は昨 秋、「米緊急対策」を発動。国内の余剰米34万トン(07年度の収穫量の1 割以上)を市場から買い取った。
そのため、主食用の備蓄米は今や100万トンにまで積み上がり、コメの流 通量が一気に減った。そこへ小麦価格の高騰によるコメ需要の底上げが 重なり、需給がタイト化しているのだ。
この備蓄米、実は「政局」に大きく左右される傾向がある。長らく続い た供給過剰で疲弊し切った全国の農家の懐事情は、まさに「火の車」。
昨年はそんな農家からの「怒涛の突き上げ」が農水省を悩ませた。
言うまでもなく、農家は自民党の「大票田」だ。そこで、「昨年の参議 院選挙で大敗した後、農家との選挙協力体制を磐石にするため、コメ価 格を安定させようと買い上げが行なわれた」(コメ市場に詳しいアナリ スト)と見られている。
問題は、需給逼迫に対していまだ抜本的な対策が行なわれていないこと だ。これまで毎月行なわれていた備蓄米の売り出しはストップしたまま。政府はここに来て6月から緊急放出を行なうことを発表したものの、「それだけで需給が改善するのか」という不安は根強い。
長期的に見ればダブついているとはいえ、しばらくこのような品薄状態 が続けば、今後コメの需給が一時的に大きく悪化する可能性もある。
すでにその兆候は出始めており、コシヒカリが年初と比べて一時3~4割 も上昇した地域さえあるほどだ。卸売業者がコストアップに耐えられず、小売店に価格転嫁を始めれば、消費者の懐が直撃されるのは明らかだ。
それどころか、関係者の間では「最悪のシナリオ」さえ囁かれている。「政局に左右され易いコメの価格が本格的に高騰するのは、福田内閣が 解散総選挙に追い込まれるとき。
それまでにある程度備蓄米が放出されても、いざ選挙となれば再び買い 上げが始まるのではないか」(卸売業者)。
むろん「他愛もない憶測」と言ってしまえばそれまでだが、裏を返せば こんな話がまことしやかに囁かれるほど、市場の危機感は強まっている。
食糧不足に喘ぐ海外に目を転じれば、すでに「米騒動」は日常茶飯事で ある。長らく国家に守られてきた日本のコメも、もはや例外ではない。
備蓄米のコントロールといった一過性の対応だけでなく、食糧供給シス テムの抜本的な改革が求められている。
━━━━━━━加瀬 英明 (この記事は二回目の掲載)
アメリカの民主党大統領候補レースで、バラク・オバマ上院議員がヒラ リー・クリントン夫人に差をつけて、民主党の大統領候補の地位を獲得 した。オバマ議員が善戦したことは、じつに喜ばしい。といっても、私はオバマ議員が11月の大統領選挙で、大統領として当選してほしいと考えているわけではない。
共和党の大統領候補は、ジョン・マケイン議員に決まっている。オバマ 氏は一年生上院議員でしかなく、まったくの未知数だ。私は外交・安全 保障問題に通じていて、日本を重視しているマケイン氏が、ホワイトハ ウス入りすることを願っている。
アメリカで景気が後退し、ブッシュ大統領の人気が翳っていることから、どの世論調査でも、11月の大統領選挙へ向けて民主党が優位に立っている。だが、オバマ氏が民主党候補となったこと自体はアメリカで黒人に対する差別が大きく弱まっていることを示すものだが、アメリカにとって最初の黒人の大統領候補であって、白人のあいだで黒人に対する嫌悪感や、警戒心がいまだに強いことから、予想することが難しい。
アメリカでは、今日でも白人と黒人のあいだに際立った格差がある。
1世帯当たりの平均所得を較べると、黒人は白人の63%しかない。教育 水準も大きく劣る。17歳の黒人少年の学力は、13歳の白人少年の水準に しか達しない。
黒人は営利会社の経営者の5%しか、占めていない。20歳から34歳の黒 人成年男性のうち、100人に11人が刑務所で暮している。白人の7倍の比 率だ。黒人の少年の69%が未婚の母親から、生まれている。
私がアメリカで学んだ1950年代後半では、黒人は多くの州で法的に差別 されていた。とくに南部では学校、電車、バス、待合室、便所、食堂、プールなどが、白人と黒人に区別されていた。私は東部の一流校で学ん だが、クラスに黒人はいなかった。
今日ではブッシュ・父政権でコーリン・パウエル大将が軍人の頂点をき わめ、現政権でコンドリーサ・ライス女史が国務長官となり、オバマ氏 が民主党の大統領候補レースでトップに立っているが、隔世の感がある。新任の在日米軍司令官も黒人である。
アメリカでは若い世代のあいだで、黒人に対する差別意識が薄れるよう になっている。白人と黒人のあいだの結婚件数は1970年と比較すると、 7倍に増えている。
私は留学中にブリタニカ大百科事典の第2次大戦後の版の「人種」の項 目に、「多くの科学的調査によれば、黒人(ネグロ)は感情が不安定で、 自己を抑制する力がない」と書かれていたのを憶えている。
先住民のインデアンを「知能が低い」ときめつけていた。日本が4年近 くにわたって戦い、アメリカを懲らしめたのが効いたせいか、日本人に は触れていなかった。今日、アメリカで黒人が白人に混って活躍できるようになったのは、日本が先の大戦を大きな犠牲を払って戦ったためである。そのために、数世紀にわたって白人の苛酷な支配のもとで呻吟していたアジアの諸民族が、解放された。植民地解放の高波がアフリカも洗うようになり、アフリカの諸民族がつぎつぎと独立を獲得していった。
アメリカは黒人を長い間に亘って法的に差別してきたが、黒人を抑えつ けることができず、1960年代に入ると黒人の公民権の要求を受け容れる ことを強いられた。もし、日本が先の大戦を戦うことがなかったら、今日でも白人がアジア・アフリカを同じように支配し、アメリカにおいて黒人に対する差別が続いていたにちがいない。
第2次大戦が終わるまでは、黒人はメージャー・リーグの野球選手にな れなかった。プロゴルフ界でタイガー・ウッズが活躍しているが、黒人 がゴルフコースでプレイすることは考えられなかった。テニスも同じこ とだった。
アメリカで黒人が白人と並んで活躍できるようになったことは、日本の 力によるものである。日本として大いに誇るべきことである。日本国民は明治に開国してから、2つの大きな夢をいだいてきた。1つは西洋の列強によって強いられた、屈辱的な一連の不平等条約を改正することであり、もう1つは人種平等の世界を創りだすことだった。幕末に海外を旅した先人たちは、アジア・アフリカで住民が西洋人によって、家畜のように使役されているのを見て、憤った。
明治時代から先の大戦に敗れるまで、日本語のなかで「白魔」という言 葉が日常的に使われていたのに、白人が態度を改めたために死語になっ ている。日本はアジア・アフリカの諸民族を解放するために、先の大戦に参戦したのではなかった。しかし、戦端が開かれると、日本の多くの青年たちが人種平等の理想の世界を実現するために生命を捧げた。
昭和天皇は敗戦の翌年に、側近者につぎのように述懐された。「第1次世界大戦後の講和会議において、わが国代表によりて主張せられたる人種平等に関する日本国民の叫びは、列国の容るるところとならず、黄白の差別観は世界の各地に残存し、かのカリフォルニア州日本人移民排斥のごとき、またオーストラリアの白豪主義のごときは、日本国民をして憤慨せしむるに充分なものであった」
ベルサイユ会議において国際連盟憲章が起草されたが、日本全権団が人 種平等の原則を盛り込むことを強く主張したのにもかかわらず、アメリ カ、ヨーロッパ諸国によって拒まれたことを指している。アメリカはフィリピンを植民地としていただけでなく、国内で人種差別を行っていた。人種差別が人類の歴史を通じて、長いあいだにわたって行われてきたが、日本が先の大戦を戦ったために、人種差別のない理想世界が招き寄せられたのだった。 (2008.6)
━━━━━━━━━━━━━━━
日本を永久に武装解除せよ(2)
━━━━━━━━━━━━━━━平井 修一
このテーマに読者の関心を引かねばならない。そのために私的な経験を 交ぜる。米国の準州、グアム政府から依頼されて「グアム島観光の25年史」を編纂した。そのためにはあれこれ歴史を調べるのだが、グアム図書館(アガニア市)で日本人女性ふたりが殺された事件を2日間調べていたら、けげんに思っただろう、図書館の女性から「あなたはご遺族ですか?」と聞かれた。
「NO。BUT、この事件は日本人のグアム島旅行に関し大きな影響が あったので歴史を検証しているのです」と答えたら納得していた。私どもは歴史、つまり我が家、我が国家の来し方をしっかり見ないと背骨が崩壊する。歴史を学ぶことは大変重要である。知的好奇心をもっている方は多分興味を持ってこの記事を読んでくれるだろうと祈るばかりだ。
閑話休題。最後の知識人の一人、福田恆存氏の「滅びゆく日本」から引 用する。(小生のような無名の人は有名人の本を読んで「彼はこう語っ ていた」と引用することが読者への説得力になるのである。引用が多い ことは勘弁してくれ)
<日本国の、いや、それ以上に、日本民族の連帯感を希薄にする様な危 険な事態がどこから生じたか、なによりもその事に深く想いを潜めるべ きではないでしょうか。
その原因はなにか。ひと口に言えば、それは私たち日本人が敗戦によっ て私たち自身の歴史、伝統を自ら否定し、意識的にそれとの断絶を図っ たことにあります。
国家や民族ばかりでなく、個人の場合でも同じですが、一人の人間を他 の人間と区別し得るもの、つまり、その人をその人たらしめているもの、それはその人の過去以外の何物でもありません・・・
自分が何者であったか、どういう生き方をし、誰と付き合っていたか、 そういう過去の記憶を喪失した人間は、同時に未来をも失うのでありま す。過去を失えば、現在をも含めて今後どうして生きて行ったら良いか、何をなすべきか、その方途も根拠も全く失ってしまうのです。
人が未来に向かって行動を起こす出発点はその人の過去であって、現在 そのものでは決してない。なぜなら、現在とは過去の集積そのものだか らです>過去が間違いであろうと、その間違いなしに今日の自己はない。戦後の日本はそれを他人事(ひとごと)のように否定し、新しい日本を作ればよい、それができると思い込んだ。
<すべてそこに病根があるのです。過去の歴史や伝統的な生き方を否定 した以上、日本人が国家、あるいは民族としての連帯感、共同体意識を 失ってしまったのは当然の話で、その事に気付かぬ限り、日本は滅びる と言っても、それは必ずしも私の脅迫的激語とは申せますまい>
産経新聞ワシントン駐在編集特別委員・論説委員の古森義久氏が日本国 憲法誕生の経緯について、四半世紀前のインタビューをブログに再録し ている。気にはなっていたのだが、改めて読んでみたら大変興味深く、 多くの方に知ってほしいので、小生が特に関心を寄せた部分を転載させ ていただく。
<日本の憲法はアメリカ人によって起草されました。その中心人物のチ ャールズ・ケーディス氏(アメリカ占領軍司令部GHQの民政局次長・ 大佐)に数時間もインタビューしたことがあります。日本の憲法、とく に第9条がいかに特異な思惑や環境の下で、いかにあっさりと作られて しまったかを、なまなましく聞いたものでした。インタビューは1981年4 月でした。・・・
●ケーディス 昭和21(1946)年1月、マッカーサー元帥は、われわれ占 領軍司令部GHQが日本の憲法の草案をつくる権限があるのかどうかを 尋ねてきました。(連合国)極東委員会がわれわれに対し、やるべき仕事をやっていないと批判していたからです。私は極東委員会に対し、いまは日本の選挙など緊急にやらねばならないことがたくさんあるから、憲法についてはもう少し待てないか、と言ったわけです。マッカーサー元帥がわれわれに憲法づくりの権限があるかどうかを質したのに対して、私はラウエルとハッシーの応援を得て、メモランダム(覚書)を作りました。
覚書の草案を私が書いて、(上司の)ホイットニー将軍の了承とサイン を得て、マッカーサー元帥に提出したわけですが、その覚書の中で、私 たちは日本の憲法づくりをわれわれがもしやろうと欲すれば、その権限 はあるのだ、という結論を出したのです。
しかしまだその時点までは、日本側が憲法起草をすべきだというのが、 マッカーサー元帥の考えでした。それに対しわれわれGHQがやるべき だ、というのが明らかに極東委員会の考えだったのです。
私はさらに、極東委員会こそそれをやるべきだ、と議論していたわけで す。ところがそこで毎日新聞の例の記事が出た。その結果、松本氏(憲法担当国務大臣)がA案とB案をGHQに示したが、それにより日本側からは満足できるような憲法改正草案は得られないことを、われわれは思い知らされたのです。極東委員会か、GHQのいずれかがやらねばならないことを認識させられたのです>(つづく)
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需給逼迫で募るコメ高騰
━━━━━━━━━━━小尾 拓也
「コメが足りない」とあるコメの卸売業者は困惑しきりだ。コメの在庫 量は、例年の初夏と比べて1~2割も少ない状態が続く。農協や同業他社 に何度問い合わせても、「そんなに融通するコメがない」と断られて終 わりだ。そんな状況にも拘わらず、スーパーの仕入れ担当者からは「早く届けてくれ」と矢の催促が来る。まさに八方塞がりなのである。
現在、全国でコメの品薄感が強まっている。コメの消費量は減少の一途 を辿っているが、その一方で供給量は変わらずに増え続けており、2007 年度の収穫量は約870万トンと、前年度と比べて約16万トンも増加した。 まさに「コメがダブついている」のだ。
それにも拘わらず、ここに来て何故「コメ不足」なのか。その要因の1つは、小麦価格の高騰により、供給過剰で価格が割安となっているコメの人気が再燃しているためだ。
「店頭でのブランド米の売れ行きは年初比1~2割増えている。冷凍食品 の値上げが続くなか、コメ需要アップは大きな追い風」とホクホク顔で 語るのは、都内杉並区のスーパー関係者。
直近では、麦の替わりに「米粉」を使ったパンやうどんなども市場に出 回り始めた。とはいえ、コメの1人当たり消費量は今年3月に前年同月比+0・6%とマイナスからプラスに転じたばかり。冒頭の卸売業者が感じる品薄感は「いささか大げさ過ぎる」と言える。しかし、実のところそれは大げさな話ではない。コメが不足している最大の要因は、政府が大量の「備蓄米」を積み増していることにある。
06年度と比べて10%を超える価格下落に歯止めをかけるため、政府は昨 秋、「米緊急対策」を発動。国内の余剰米34万トン(07年度の収穫量の1 割以上)を市場から買い取った。
そのため、主食用の備蓄米は今や100万トンにまで積み上がり、コメの流 通量が一気に減った。そこへ小麦価格の高騰によるコメ需要の底上げが 重なり、需給がタイト化しているのだ。
この備蓄米、実は「政局」に大きく左右される傾向がある。長らく続い た供給過剰で疲弊し切った全国の農家の懐事情は、まさに「火の車」。
昨年はそんな農家からの「怒涛の突き上げ」が農水省を悩ませた。
言うまでもなく、農家は自民党の「大票田」だ。そこで、「昨年の参議 院選挙で大敗した後、農家との選挙協力体制を磐石にするため、コメ価 格を安定させようと買い上げが行なわれた」(コメ市場に詳しいアナリ スト)と見られている。
問題は、需給逼迫に対していまだ抜本的な対策が行なわれていないこと だ。これまで毎月行なわれていた備蓄米の売り出しはストップしたまま。政府はここに来て6月から緊急放出を行なうことを発表したものの、「それだけで需給が改善するのか」という不安は根強い。
長期的に見ればダブついているとはいえ、しばらくこのような品薄状態 が続けば、今後コメの需給が一時的に大きく悪化する可能性もある。
すでにその兆候は出始めており、コシヒカリが年初と比べて一時3~4割 も上昇した地域さえあるほどだ。卸売業者がコストアップに耐えられず、小売店に価格転嫁を始めれば、消費者の懐が直撃されるのは明らかだ。
それどころか、関係者の間では「最悪のシナリオ」さえ囁かれている。「政局に左右され易いコメの価格が本格的に高騰するのは、福田内閣が 解散総選挙に追い込まれるとき。
それまでにある程度備蓄米が放出されても、いざ選挙となれば再び買い 上げが始まるのではないか」(卸売業者)。
むろん「他愛もない憶測」と言ってしまえばそれまでだが、裏を返せば こんな話がまことしやかに囁かれるほど、市場の危機感は強まっている。
食糧不足に喘ぐ海外に目を転じれば、すでに「米騒動」は日常茶飯事で ある。長らく国家に守られてきた日本のコメも、もはや例外ではない。
備蓄米のコントロールといった一過性の対応だけでなく、食糧供給シス テムの抜本的な改革が求められている。