派遣労働という名の現代の奴隷制度について(江草乗の言いたい放題)
▼派遣労働という名の現代の奴隷制度について(江草乗の言いたい放題)
秋葉原の無差別殺人事件を犯した加藤智大容疑者は「日研総業」という人材派遣会社から派遣されて関東自動車というトヨタの系列の下請け会社で働いていた。オレはこの「日研総業」という会社についてネットで検索を掛けてみた。そして、恐るべきその実態を知ったのである。以下、オレがネットで知り得た情報を元に書いてみる。
2005年5月1日の「赤旗」には、現代「たこ部屋」物語と題したこのような記事があった。
過酷労働 動けず休んだ青年の寮に「てめえ」と…
現代「たこ部屋」物語
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青年を使い捨てにする請負労働が広がっています。「給料がよくて、楽な仕事がある」といって、労働者を送り込み、徹底的にこき使う、たこ部屋といわれる実態をリポートしました。 (酒井慎太郎)
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正社員をめざしたものの、結局は請負以外に仕事がなかった岐阜県の男性(35)。会社が借り上げていた富山県黒部市のアパートの一室に住み込み、市内のYKK工場で働き始めました。アパートの住所も教えられず、昼休みと午前、午後の十分間の休憩以外は立ちずくめの作業でした。
十一日目の朝、体が動かず「とても仕事につけない」と欠勤を申し出ました。「てめえー、ここは学校じゃない。社会なんじゃ。何考えとるんや」。営業担当者がどなり込んできました。男性は「こんな使われ方は耐えられない」と翌朝、退職を伝えました。実際に働いたのは十日間でした。振り込まれた給料は、たった三万―四万円でした。欠勤のペナルティーで日給九千円が六千円にダウン。その日給で就業日から計算されました。そこから昼四百円の弁当代十日分、二週間分の寮費と自転車、テレビ、ふとん、洗濯機のリース料が引かれます。「給料というより、小遣いです。何のために働きに行ったのだろう。あぜんとしました」男性が働いていたのは、人材派遣・業務請負の最大手、日研総業(本社・東京都大田区)でした。百四十を超す事業所で新規の請負・派遣労働者を月に四千人採用し、約九百社の取引先企業に送り込みます。二〇〇四年三月期の売上高は八百八十二億円にのぼります。
正規雇用の道を断たれ、若者の多くが請負・派遣で過酷な労働を強いられています。「正規雇用の拡大を」―青年の痛切な叫びです。
寮の住所も教えられず、日研総業が「寮」と称して、男性を押し込んだアパートの生活は異常そのものでした。黒部市での二週間、男性は自分が寝起きする「寮」の住所すら知りませんでした。「そのことは、いいから」と住所を教えない営業担当者。食材などを送ってくれる親が書いた送り先の住所は、請負採用した富山市の事業所でした。この男性以外、寮で手紙や荷物を受け取る人もなく、住所などいりませんでした。記者が「寮」にたどりつけたのは、買い物をした近所のスーパーや窓越しに見えていた保育園など、男性のわずかな記憶をたどったものでした。六世帯が入る二階建てアパート。その前には、入居者用とみられる自転車が。「日研三十三号」「日研四十六号」と書いたステッカーが後輪の泥よけに張ってあります。
六畳二間の二LDK。初めは個室でした。「毎日、仕事から帰ってくると知らない人がいました。一人ずつ増えていき、四人でぎゅう詰めの満杯になりました」 年齢は二十五歳から四十代後半。みんな数日の小旅行に出かけるような大きめのスポーツバッグが荷物でした。自炊道具などの段ボール四箱を運び込むと、営業担当者はいいました。「荷物、多いんじゃないの」「寮」から自転車で約十分の職場は、YKKの工場。アルミサッシの加工ラインで、木目調フィルムをカッターで切り張るなどの作業でした。 数日前、別のラインで同じような作業に就いていた四十代の正社員が心筋梗塞(こうそく)で倒れました。
黒部市に赴いた当時、男性には、親の仕送りから自立する“社会復帰”への願いがありました。高校卒業後の長時間労働から、二十一歳で、うつ病を発症。完治を待たずに再就職しますが、三十歳のとき、約三カ月の住み込みの請負労働で病気を悪化させ、治療入院などで二年ほど仕事から離れていました。社会復帰の願いもむなしく、相談に訪れたハローワークでは、男性の病気や職歴の多さを理由に紹介を断られました。「まともに取り合ってもらえませんでした。追い詰められていました。請負の世界しか、受け入れてくれるところはありませんでした」と男性。地元に戻った男性はいま、生活保護を受けて暮らしています。急成長を続ける請負・派遣業界。その陰には、正規採用の門を拒まれた多くの若者たちの過酷な労働があります。「正社員で働ける道は閉ざされてきています。働こう、仕事を探そうと思っても希望がない。企業はまず、正規雇用を考えてほしい」
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この記事からわかることは、日研総業というこの派遣会社がかなり劣悪な環境のアパートに派遣労働者を住ませ、給与の中からさまざまな名目でのピンハネを行い、実際に手元にはわずかしか残らないような搾取を行っていたということが伝わってくるのである。このように搾取の対象となる派遣社員のような非正規雇用の従業員は年々増加しているのだ。
2001年からの5年間で大企業は正社員を271万人減らす一方で、非正規雇用の授業員は280万人増加している。その結果大幅な人件費の削減に成功した。5年間で総人件費は8兆円減少し、大企業の経常利益は10兆円増加しているのだ。利益の増加の8割はただ単に人件費を削っただけなのである。なぜ景気が悪くなったのか。なぜ若者に車が売れなくなったのか。もうはっきりしてるじゃないか。大企業は人件費などを切りつめすぎたのだ。その結果、本来所得として分配され、消費に回るようなお金が企業の側にため込まれ、結果として景気を悪くしたということなのだ。
ワーキングプアと呼ばれる人たちは、将来の希望を見いだせないまま働き続けている。いくら働いても収入は増えず、結婚して家族を養うだけの蓄えを得ることもできずに年齢を重ねていく。病気になったりして収入が途絶えれば、最後はホームレスや生活保護が待っているのである。このような状況を打破する方法は一つしかない。それはこの「派遣会社」という存在を非合法にしてしまうことだ。企業は直接雇用(正社員、期間工、アルバイト・パート、嘱託社員)以外の雇用形態を取ってはいけないこととし、グッドウィルやフルキャストがやってるような人材派遣業そのものを禁じてしまうのである。そうすれば給与の中間搾取(いわゆるピンハネ)もなくなるわけで、少しでも現在、派遣社員として働く方々の生活を向上させることができるはずだ。小林多喜二の小説「蟹工船・党生活者 (新潮文庫)」が今よく売れているという。ワーキングプアの若者たちはそこで描かれる搾取される労働者たちの姿を自分たち重ね合わせているのかも知れない。
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▼中国人「服役中に日本国籍」一考(博士の独り言)http://specialnotes.blog77.fc2.com/
中国人が服役中に日本国籍 大阪地検、再審で不法在留の無罪論告
中国人窃盗グループの一員として窃盗や入管難民法違反(不法在留)などの罪で有罪が確定し、収監された元被告の男性(27)=大阪府=が服役中に日本国籍を取得し、大阪地検が再審を請求していたことが分かった。11日、再審初公判が大阪地裁(杉田宗久裁判長)で開かれ、検察側は不法在留については無罪を論告。窃盗などの罪で改めて懲役4年5月を求刑、即日結審した。判決は18日に言い渡されるが、すでに同じ罪で服役したため収監はされない。産経新聞 6月11日付記事より参照のため抜粋引用/写真は中川秀直氏(読者提供)
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服役中に「日本国籍」取得
服役中に「日本国籍」を取得。それにより、「不法残留」(入管難民法違反)の罪が成立せず、残余に問われる「罪」は、『窃盗などの罪で改めて懲役4年5月を求刑』(表題)となった、との事例である。 事の次第については、表題記事に云く、『起訴状などによると、男性は中国福建省で生まれ、平成12年5月に日本に入国。15年、窃盗などの容疑で逮捕された。大阪地検は窃盗、入管難民法違反などの罪で起訴し、大阪地裁は16年4月に懲役4年6月(求刑・懲役7年)の実刑を言い渡し、確定した』と。男性が「日本国籍」を取得する以前に受けた実刑判決について記している。 しかし、『男性が服役中の15年9月、戦前に中国に渡った男性の祖母が日本人だと家裁に申し立て、認められた。祖母の息子である男性の父親も日本人と認定され、男性は昨年3月、親族による手続きで日本国籍を取得した』との展開となった。不思議、不可解にも映る事例である。小稿では、この事例を端緒に、中川秀直氏らが提唱する移民増加策にも触れる。
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何故、最初から申告しなかったのか?
国籍認定のプロセス。その検証には慎重を要する調査と、認証には多角的な視点を要するであろう。上述の「認定」もまた確実な調査にもとづくものであったのか、どうか。そのプロセスの詳細も知りたいところだ。 また、それ以前の基本的な疑問がある。この男性は、何故、「逮捕」後におよんで、自身は日本人である、との「家裁申し立て」を行ったのか。入国(平成12年)から約3年間は決して短い期間ではない。このケースでは、実に「3年間」も、と謂うべき歳月とも解釈できる。何故、自身の「日本国籍」を主張できなかったのか。逮捕までの、この「時間差」をどう説明するのだろうか、等の疑問である。 被告となった人物が、いわゆる、弁護人などのアドバイスによって、供述を変え、あるいは、自ら新たな申し立てを行うケースは少なくないと聞く。この男性のケースにも、その「影」を垣間見る思いがする。そう読み取るのは筆者だけであろうか。また、男性の祖母が「日本人」であり、その『祖母の息子である男性の父親も日本人と認定され』(表題)とあるが、この「認定」もまた、どのような確認方法にもとづくものなのか。仮に、男性側が提出した書類にもとづく「認定」に終わるものであった、とすれば、検証のやり直しが必要なのではないか。「中国」とは、証明書類の「作成」にも手慣れた偽造大国であるからだ。
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時系列的な不可解
また、男性は「27歳」。それに対して、『戦前に中国に渡った男性の祖母』と、『祖母の息子である男性の父親』の年齢との時系列的な兼ね合いはどうなのか。男性は「若過ぎる」ということはないのか。不自然ではないのか、と。杞憂であればよいのだが、不審にも映る点が残る。さらに、上記の「国籍変更」は重要な事項であるにもかかわらず、『同年9月、刑務所から大阪地検に届いた男性の仮釈放通知で国籍が日本に変わっていることに同地検係官が気付いた』とは。 門外漢の筆者にとっては、これもまた不可解に映る事項である。いわば、「釈放通知」を手にするまで、当該地裁の検係官が知りおよばなかった、ということになる。その時間的な系譜に問題は無かったのか。仮に、問題が有ったとすれば、どのような点なのか。今後、こうした「日本国籍」途中取得は、さまざまな角度からあり得る「事項」ではないか。それゆえ、個人の杞憂であればよいのだが、以上の視点から事実を掘り下げる、行間を読む。その重要性について、ふと感じる午後である。
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「1000万人移民受け入れ」提言と日本の尊厳
先稿では、中川秀直氏が会長を務める「外国人材交流促進議員連盟」が、日本の人口減少への対策として、今後50年間で、総人口の約1割に当たる1000万人程度の移民受け入れを柱とした提案をまとめ、首相に提出する、との動きに関する論考を報告した。それに際し、多くの読者から有意なコメントを頂戴し、感謝する。その中に、ごく単純な計算でも、「1000万人」を「50年」で割れば、1年間で「20万人」の移民を受け入れることになる、との指摘もいただいた。「20万人」とひと口に云えども、しかし、殊に「人」に関する案件としては、膨大な「数」だ。 ゆえに、国籍取得について、先の報道では、『入国後10年以上としている永住許可を「7年」に緩和するよう求めたほか、年齢や素行など様々な要件を課している帰化制度も、「原則として入国後10年」で日本国籍を取得できるように改めるべきだとした』(記事)とする、「クオリティの低減」ともとれる素案の粗雑さに加え、手続きには一層の「事務化」「簡略化」の傾向が加速され、言葉は悪いが、「日本国籍」の大安売り。それを促すかの「提言」に映る次第である。
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「無策」「無能」の証明
とりわけ特定国には、こちらが半歩譲っただけでも、それを「当然のこと」として、さらに、50歩、100歩と踏み込んで来る特性がある。国籍容易化は、たとえ、政治の「親切心」から出たものであったとしても、おそらく、年限の短縮だけでは済まなくなる。上記の1つの事例にも、そのあらぬ可能性が見え隠れしているように筆者には映る。一般に、書類偽造をも厭わず、誰でも「親族」になり得る等、のそうした特性を増長するだけではないのか。
かくなる提言をなす政治家諸氏は、今一度、日本の尊厳を再確認するべきではないのか。日本人の場合は、旅券「1つ」あれば、地上の大部分の国を訪れることが出来る。これは、日本人に対する信用の証である。例外的な事件はあり、それが大きく報じられることがあるが、それはまた、事件が希少である証左でもある。特定三国からの渡航者のように、事件や犯罪が頻発、多発すれば、「またか」とあえて報じられなくなる側面がある。特定国からの旅券、渡航に制限を設ける国が多いのも、特定国の信用の低さを示す証左と謂える。 その一方で、特定国では「日本」の偽造旅券が高く売買されている、等は頻度高く耳にする事件である。これらの実情を鑑みれば、同提言は、この日本の尊厳、信用をむしろ地に貶めることに通じる。また、同提言に奔走する一部の政治家諸氏の「無策」「無能」の証明に他ならない。
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■ 主な関連記事:
・拙速「1千万人の移民受け入れ
・移民「1000万人受け入れ」提言
・不要「移民庁」一考
・留学生[三十万人計画」の未来
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【筆者記】
現今の闇政治、闇法案の徘徊や特定国に対する弱腰に、もう我慢ならない。そうしたメッセージをよくいただくようになった。だが、筆者は楽観はしていないが、日本の将来を悲観してはいない。たとえば、治療、手当を施す前に、先ずは「膿を出す」必要がある。現在は、いわば、その段階にあり、と観る1人である。時に、近隣有志と日本の将来について語り合えればと思う。カレーライスを食べながら。ご要望により、後ほど、美味しいカレーの作り方を闘魂編に掲載させていただく。短稿にて。
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秋葉原の無差別殺人事件を犯した加藤智大容疑者は「日研総業」という人材派遣会社から派遣されて関東自動車というトヨタの系列の下請け会社で働いていた。オレはこの「日研総業」という会社についてネットで検索を掛けてみた。そして、恐るべきその実態を知ったのである。以下、オレがネットで知り得た情報を元に書いてみる。
2005年5月1日の「赤旗」には、現代「たこ部屋」物語と題したこのような記事があった。
過酷労働 動けず休んだ青年の寮に「てめえ」と…
現代「たこ部屋」物語
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青年を使い捨てにする請負労働が広がっています。「給料がよくて、楽な仕事がある」といって、労働者を送り込み、徹底的にこき使う、たこ部屋といわれる実態をリポートしました。 (酒井慎太郎)
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正社員をめざしたものの、結局は請負以外に仕事がなかった岐阜県の男性(35)。会社が借り上げていた富山県黒部市のアパートの一室に住み込み、市内のYKK工場で働き始めました。アパートの住所も教えられず、昼休みと午前、午後の十分間の休憩以外は立ちずくめの作業でした。
十一日目の朝、体が動かず「とても仕事につけない」と欠勤を申し出ました。「てめえー、ここは学校じゃない。社会なんじゃ。何考えとるんや」。営業担当者がどなり込んできました。男性は「こんな使われ方は耐えられない」と翌朝、退職を伝えました。実際に働いたのは十日間でした。振り込まれた給料は、たった三万―四万円でした。欠勤のペナルティーで日給九千円が六千円にダウン。その日給で就業日から計算されました。そこから昼四百円の弁当代十日分、二週間分の寮費と自転車、テレビ、ふとん、洗濯機のリース料が引かれます。「給料というより、小遣いです。何のために働きに行ったのだろう。あぜんとしました」男性が働いていたのは、人材派遣・業務請負の最大手、日研総業(本社・東京都大田区)でした。百四十を超す事業所で新規の請負・派遣労働者を月に四千人採用し、約九百社の取引先企業に送り込みます。二〇〇四年三月期の売上高は八百八十二億円にのぼります。
正規雇用の道を断たれ、若者の多くが請負・派遣で過酷な労働を強いられています。「正規雇用の拡大を」―青年の痛切な叫びです。
寮の住所も教えられず、日研総業が「寮」と称して、男性を押し込んだアパートの生活は異常そのものでした。黒部市での二週間、男性は自分が寝起きする「寮」の住所すら知りませんでした。「そのことは、いいから」と住所を教えない営業担当者。食材などを送ってくれる親が書いた送り先の住所は、請負採用した富山市の事業所でした。この男性以外、寮で手紙や荷物を受け取る人もなく、住所などいりませんでした。記者が「寮」にたどりつけたのは、買い物をした近所のスーパーや窓越しに見えていた保育園など、男性のわずかな記憶をたどったものでした。六世帯が入る二階建てアパート。その前には、入居者用とみられる自転車が。「日研三十三号」「日研四十六号」と書いたステッカーが後輪の泥よけに張ってあります。
六畳二間の二LDK。初めは個室でした。「毎日、仕事から帰ってくると知らない人がいました。一人ずつ増えていき、四人でぎゅう詰めの満杯になりました」 年齢は二十五歳から四十代後半。みんな数日の小旅行に出かけるような大きめのスポーツバッグが荷物でした。自炊道具などの段ボール四箱を運び込むと、営業担当者はいいました。「荷物、多いんじゃないの」「寮」から自転車で約十分の職場は、YKKの工場。アルミサッシの加工ラインで、木目調フィルムをカッターで切り張るなどの作業でした。 数日前、別のラインで同じような作業に就いていた四十代の正社員が心筋梗塞(こうそく)で倒れました。
黒部市に赴いた当時、男性には、親の仕送りから自立する“社会復帰”への願いがありました。高校卒業後の長時間労働から、二十一歳で、うつ病を発症。完治を待たずに再就職しますが、三十歳のとき、約三カ月の住み込みの請負労働で病気を悪化させ、治療入院などで二年ほど仕事から離れていました。社会復帰の願いもむなしく、相談に訪れたハローワークでは、男性の病気や職歴の多さを理由に紹介を断られました。「まともに取り合ってもらえませんでした。追い詰められていました。請負の世界しか、受け入れてくれるところはありませんでした」と男性。地元に戻った男性はいま、生活保護を受けて暮らしています。急成長を続ける請負・派遣業界。その陰には、正規採用の門を拒まれた多くの若者たちの過酷な労働があります。「正社員で働ける道は閉ざされてきています。働こう、仕事を探そうと思っても希望がない。企業はまず、正規雇用を考えてほしい」
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この記事からわかることは、日研総業というこの派遣会社がかなり劣悪な環境のアパートに派遣労働者を住ませ、給与の中からさまざまな名目でのピンハネを行い、実際に手元にはわずかしか残らないような搾取を行っていたということが伝わってくるのである。このように搾取の対象となる派遣社員のような非正規雇用の従業員は年々増加しているのだ。
2001年からの5年間で大企業は正社員を271万人減らす一方で、非正規雇用の授業員は280万人増加している。その結果大幅な人件費の削減に成功した。5年間で総人件費は8兆円減少し、大企業の経常利益は10兆円増加しているのだ。利益の増加の8割はただ単に人件費を削っただけなのである。なぜ景気が悪くなったのか。なぜ若者に車が売れなくなったのか。もうはっきりしてるじゃないか。大企業は人件費などを切りつめすぎたのだ。その結果、本来所得として分配され、消費に回るようなお金が企業の側にため込まれ、結果として景気を悪くしたということなのだ。
ワーキングプアと呼ばれる人たちは、将来の希望を見いだせないまま働き続けている。いくら働いても収入は増えず、結婚して家族を養うだけの蓄えを得ることもできずに年齢を重ねていく。病気になったりして収入が途絶えれば、最後はホームレスや生活保護が待っているのである。このような状況を打破する方法は一つしかない。それはこの「派遣会社」という存在を非合法にしてしまうことだ。企業は直接雇用(正社員、期間工、アルバイト・パート、嘱託社員)以外の雇用形態を取ってはいけないこととし、グッドウィルやフルキャストがやってるような人材派遣業そのものを禁じてしまうのである。そうすれば給与の中間搾取(いわゆるピンハネ)もなくなるわけで、少しでも現在、派遣社員として働く方々の生活を向上させることができるはずだ。小林多喜二の小説「蟹工船・党生活者 (新潮文庫)」が今よく売れているという。ワーキングプアの若者たちはそこで描かれる搾取される労働者たちの姿を自分たち重ね合わせているのかも知れない。
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▼中国人「服役中に日本国籍」一考(博士の独り言)http://
中国人が服役中に日本国籍 大阪地検、再審で不法在留の無罪論告
中国人窃盗グループの一員として窃盗や入管難民法違反(不法在留)などの罪で有罪が確定し、収監された元被告の男性(27)=大阪府=が服役中に日本国籍を取得し、大阪地検が再審を請求していたことが分かった。11日、再審初公判が大阪地裁(杉田宗久裁判長)で開かれ、検察側は不法在留については無罪を論告。窃盗などの罪で改めて懲役4年5月を求刑、即日結審した。判決は18日に言い渡されるが、すでに同じ罪で服役したため収監はされない。産経新聞 6月11日付記事より参照のため抜粋引用/写真は中川秀直氏(読者提供)
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服役中に「日本国籍」取得
服役中に「日本国籍」を取得。それにより、「不法残留」(入管難民法違反)の罪が成立せず、残余に問われる「罪」は、『窃盗などの罪で改めて懲役4年5月を求刑』(表題)となった、との事例である。 事の次第については、表題記事に云く、『起訴状などによると、男性は中国福建省で生まれ、平成12年5月に日本に入国。15年、窃盗などの容疑で逮捕された。大阪地検は窃盗、入管難民法違反などの罪で起訴し、大阪地裁は16年4月に懲役4年6月(求刑・懲役7年)の実刑を言い渡し、確定した』と。男性が「日本国籍」を取得する以前に受けた実刑判決について記している。 しかし、『男性が服役中の15年9月、戦前に中国に渡った男性の祖母が日本人だと家裁に申し立て、認められた。祖母の息子である男性の父親も日本人と認定され、男性は昨年3月、親族による手続きで日本国籍を取得した』との展開となった。不思議、不可解にも映る事例である。小稿では、この事例を端緒に、中川秀直氏らが提唱する移民増加策にも触れる。
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何故、最初から申告しなかったのか?
国籍認定のプロセス。その検証には慎重を要する調査と、認証には多角的な視点を要するであろう。上述の「認定」もまた確実な調査にもとづくものであったのか、どうか。そのプロセスの詳細も知りたいところだ。 また、それ以前の基本的な疑問がある。この男性は、何故、「逮捕」後におよんで、自身は日本人である、との「家裁申し立て」を行ったのか。入国(平成12年)から約3年間は決して短い期間ではない。このケースでは、実に「3年間」も、と謂うべき歳月とも解釈できる。何故、自身の「日本国籍」を主張できなかったのか。逮捕までの、この「時間差」をどう説明するのだろうか、等の疑問である。 被告となった人物が、いわゆる、弁護人などのアドバイスによって、供述を変え、あるいは、自ら新たな申し立てを行うケースは少なくないと聞く。この男性のケースにも、その「影」を垣間見る思いがする。そう読み取るのは筆者だけであろうか。また、男性の祖母が「日本人」であり、その『祖母の息子である男性の父親も日本人と認定され』(表題)とあるが、この「認定」もまた、どのような確認方法にもとづくものなのか。仮に、男性側が提出した書類にもとづく「認定」に終わるものであった、とすれば、検証のやり直しが必要なのではないか。「中国」とは、証明書類の「作成」にも手慣れた偽造大国であるからだ。
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時系列的な不可解
また、男性は「27歳」。それに対して、『戦前に中国に渡った男性の祖母』と、『祖母の息子である男性の父親』の年齢との時系列的な兼ね合いはどうなのか。男性は「若過ぎる」ということはないのか。不自然ではないのか、と。杞憂であればよいのだが、不審にも映る点が残る。さらに、上記の「国籍変更」は重要な事項であるにもかかわらず、『同年9月、刑務所から大阪地検に届いた男性の仮釈放通知で国籍が日本に変わっていることに同地検係官が気付いた』とは。 門外漢の筆者にとっては、これもまた不可解に映る事項である。いわば、「釈放通知」を手にするまで、当該地裁の検係官が知りおよばなかった、ということになる。その時間的な系譜に問題は無かったのか。仮に、問題が有ったとすれば、どのような点なのか。今後、こうした「日本国籍」途中取得は、さまざまな角度からあり得る「事項」ではないか。それゆえ、個人の杞憂であればよいのだが、以上の視点から事実を掘り下げる、行間を読む。その重要性について、ふと感じる午後である。
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「1000万人移民受け入れ」提言と日本の尊厳
先稿では、中川秀直氏が会長を務める「外国人材交流促進議員連盟」が、日本の人口減少への対策として、今後50年間で、総人口の約1割に当たる1000万人程度の移民受け入れを柱とした提案をまとめ、首相に提出する、との動きに関する論考を報告した。それに際し、多くの読者から有意なコメントを頂戴し、感謝する。その中に、ごく単純な計算でも、「1000万人」を「50年」で割れば、1年間で「20万人」の移民を受け入れることになる、との指摘もいただいた。「20万人」とひと口に云えども、しかし、殊に「人」に関する案件としては、膨大な「数」だ。 ゆえに、国籍取得について、先の報道では、『入国後10年以上としている永住許可を「7年」に緩和するよう求めたほか、年齢や素行など様々な要件を課している帰化制度も、「原則として入国後10年」で日本国籍を取得できるように改めるべきだとした』(記事)とする、「クオリティの低減」ともとれる素案の粗雑さに加え、手続きには一層の「事務化」「簡略化」の傾向が加速され、言葉は悪いが、「日本国籍」の大安売り。それを促すかの「提言」に映る次第である。
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「無策」「無能」の証明
とりわけ特定国には、こちらが半歩譲っただけでも、それを「当然のこと」として、さらに、50歩、100歩と踏み込んで来る特性がある。国籍容易化は、たとえ、政治の「親切心」から出たものであったとしても、おそらく、年限の短縮だけでは済まなくなる。上記の1つの事例にも、そのあらぬ可能性が見え隠れしているように筆者には映る。一般に、書類偽造をも厭わず、誰でも「親族」になり得る等、のそうした特性を増長するだけではないのか。
かくなる提言をなす政治家諸氏は、今一度、日本の尊厳を再確認するべきではないのか。日本人の場合は、旅券「1つ」あれば、地上の大部分の国を訪れることが出来る。これは、日本人に対する信用の証である。例外的な事件はあり、それが大きく報じられることがあるが、それはまた、事件が希少である証左でもある。特定三国からの渡航者のように、事件や犯罪が頻発、多発すれば、「またか」とあえて報じられなくなる側面がある。特定国からの旅券、渡航に制限を設ける国が多いのも、特定国の信用の低さを示す証左と謂える。 その一方で、特定国では「日本」の偽造旅券が高く売買されている、等は頻度高く耳にする事件である。これらの実情を鑑みれば、同提言は、この日本の尊厳、信用をむしろ地に貶めることに通じる。また、同提言に奔走する一部の政治家諸氏の「無策」「無能」の証明に他ならない。
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■ 主な関連記事:
・拙速「1千万人の移民受け入れ
・移民「1000万人受け入れ」提言
・不要「移民庁」一考
・留学生[三十万人計画」の未来
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【筆者記】
現今の闇政治、闇法案の徘徊や特定国に対する弱腰に、もう我慢ならない。そうしたメッセージをよくいただくようになった。だが、筆者は楽観はしていないが、日本の将来を悲観してはいない。たとえば、治療、手当を施す前に、先ずは「膿を出す」必要がある。現在は、いわば、その段階にあり、と観る1人である。時に、近隣有志と日本の将来について語り合えればと思う。カレーライスを食べながら。ご要望により、後ほど、美味しいカレーの作り方を闘魂編に掲載させていただく。短稿にて。
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