朝日はつくづく屑だ (反日勢力を斬る) | 日本のお姉さん

朝日はつくづく屑だ (反日勢力を斬る)

ようちゃん、おすすめ記事。↓

▼ 朝日はつくづく屑だ (反日勢力を斬る)
●捏造朝日の根性は治らない

MIXI(ミクシイ)仲間のるるーさんの記事を転載させて頂きます。今朝も日本テレビで局の関係者が犯人逮捕の一部始終を間近で見ていた様子を写真とともに語っていました。警官が恐怖感に襲われながら犯人に立ち向かった様子はほんとうにリアルでした。秋葉原駐在所勤務のこのお巡りさんにとっては大変な経験だったと思います。毎日、親切に道を教えてあげたり、落し物を預かったりしていたお巡りさんが凶悪な通り魔殺人犯と単身で対峙する羽目になった。
手が震えて時には警防を落とし、拳銃も素早く抜けなかった。一時は追い詰めたが、犯人は警官の制止を振り切って、さらに近くに居た2人にもナイフで襲っている。しかし、この警官を誰も責める事は出来ない。ナイフを振り回す殺人鬼に警棒1本でよく立ち向かったと思います。最後の最後まで拳銃を抜けなかった状況を作ったのは平和を愛する市民です。手が震えて素早く拳銃を抜けなかったと目撃者は語っているが、安全装置をはずすのに手間がかかったのかもしれません。拳銃を盗まれたり暴発させたりすれば平和市民の批判が高まり、ますます警官をいじけさせます。この平和な秋葉原の街に勤務していた心優しい警官が突発した緊急事態で殺人犯に対して素早く効率的に対処できなかったと批判することできません。なぜなら、それは今の日本の姿だからです。日本を仮想敵国として核ミサイルの照準を合わせている隣国たちに、警棒一本で立ち向かうようなものです。警棒1本で立ち向かえという9条の会もあります。
いや、いまYou Tubeを見ていたら「たとえ死んでも殺さない」と辛淑玉が言ってました。前置きが長くなりました。

・るるーさんのヤフブロはこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/ruru1515jp

・朝日新聞はつくづく屑だ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=513035&media_id=4

・読売 「警察官が拳銃を構えると、加藤容疑者は観念したように路上にナイフを捨てて・・・」
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080608-2810266/news/20080608-OYT1T00403.htm

・産経 「警察官が拳銃を抜いて「おとなしくしろ」と叫ぶと倒れ込むように座り込み・・・」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080608/crm0806081724019-n1.htm

・毎日 「警察官が拳銃を取り出すと、男はナイフを路上に置いた。」
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080609k0000m040013000c.html

・朝日 「男がナイフを下に落とした。すると警察官は拳銃を抜き、男に向けた。」
http://s04.megalodon.jp/2008-0608-1802-09/www.asahi.com/national/update/0608/TKY200806080127.html

朝日だけナイフと拳銃の順番が逆ではないか。 デスクの確信的印象操作記事なのか、もしくは単なるアホ記者なのか。 既に朝日の該当記事のリンクは見当たらない。が、しかし魚拓でしっかり残っている。是非その証拠の記事を一番下のリンクから読んで欲しい。 ジャーナリストの資質という部分でも、非常に劣っていて恥ずかしい朝日の所為だ。
***********************************************
▼【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式(何かごにょごにょ言ってます)
http://d.hatena.ne.jp/boiledema/20080610

■(陳 胡痒のコメント)
こりゃ「蟹工船」がベストセラーになるわけだ。特に重要なポイントはココだ。

それからもう一点、ここ数年盛り上がってきた派遣労働をめぐる運動について、非常に悔しい点がある。関東自動車は最初に述べた通り、派遣労働をすべて切ろうとしている。親会社のトヨタそのものがそういう意向である。派遣労働をやめてしまうことで、派遣問題そのものが無きものになってしまう。無論、国内需要が減ってしまったのも原因だが、コストがかかって組合とかが絡んでウルセー派遣使うなら、海外に移転してしまった方がいいと思われてしまったかもしれない。派遣はなくなるが、日本の雇用そのものが空洞化し、国外に移転する。派遣がなくなった代わりに、失業者が増えてしまう。プレカリアート運動を密かに応援していた私としては「お前らが余計なこと騒ぐから」と後々言われないか心配でもある。
***********
歴史の必然としてのグローバリズムの中で、官僚や政治家や国民が善意で良かれとおもって行った規制は、かえってその逆の結果を生み出すことが多い。なぜなら、資本は規制の多い国から少ない国に、人件費の高い国から安い国に、税金の高い国から安い国に容易に移動するからだ。
グローバリズムをユダヤの陰謀とかいうのは全く的を得ていない。水が高いところから低いところに流れるのもユダヤの陰謀というに等しい。
何回も書くが、今の日本の国家としての危機は、日本がもはや農耕民族の民族国家ではなくなったことが原因だ。サラリーマンが主体になった今の日本人に、国家感を求めること自体が無意味なのである。農民は必然的に土地に結びついているから、郷土やその延長線上の国家に対して愛着を持つ。しかし、辞令一枚で転勤するサラリーマンに愛社精神の延長線上で愛国心を持てというのは無理な話だ。だって、その所属している企業は国家を越えた活動範囲を持っているのだから。
外国では違うじゃないか、という反論に対しては、こう答えよう。外国も同じである。カナダ人がアメリカに移住したり、オーストラリア人がニュージーランドに移住したり、旧大英帝国の流れを汲む英語圏の諸国ではこんなことは別に珍しいことでもなんでもないし、EU圏では民族国家の枠組み事態が溶解しつつあるではないか。うちでよく記事を紹介させていただいている苺畑よりというブログの管理人のカカシさんはアメリカ在住の保守派の共和党支持者だが、前のブログでの書き込みに「ヒラリー政権になったら税金が増えそうなので、そうなったらカナダにでも移住する」と書かれていたものだ。これが移民国家の「国民性」というものである。グローバリズムの歴史を辿ると、冷戦終了で東西の壁がなくなって、中共でさえ私有財産制を取り入れ、資本主義VS共産主義という対立はなくなった。そのような経済状況で、今まで資本主義システムに組み入れられていなかった安価な労働力が西側の経済システムに統合されたのである。そしてIT化が経営効率の最適化を推進した。今や冷戦時代の昔と違って企業には国境はない。
冷戦時代までなら、国家と企業の活動範囲はおおむね一致しており、利害関係にも重なる部分が多かったから、サラリーマンも企業の延長線上に皇室の存在を意識することもできたのである。しかし、今の資本も、得意先も、株主も、なにより従業員も多国籍化したトヨタなんかの社員にそれを求めるのは無理だ。我は学生時代にガチの右翼的言動をしていた親戚の子が、某メーカーに勤務してアメリカに転勤して帰ってきて会ったらすっかり外国人移民をもっと受け入れるべきだとか、日本はアメリカに比べて遅れているとか、女性天皇を認めないのはおかしいとか言うようになったのを見てああなるほどと思ったものである。この秋葉原事件でいえる事は、これは誰の責任にできるものではないし、グローバリズムのせいにしたところで、そのグローバリズムが誰かの仕掛けたものではない以上、空気相手に喧嘩をするようなものだ、ということだ。派遣を叩くとトヨタが派遣を解消し失業者が増える。これが悲しいかな真実だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
▼【ショートストーリー】片腕の乞食(大紀元日本6月11日)
【大紀元日本6月11日】腕が片方しかない乞食が、修道院にやってきて物乞いをしていた。それを見た修道僧は、門のところに積んであるレンガの山を指差して、「あれを裏門の所に運んでくれないか」と言った。乞食は憤慨した。「何だって!?俺は、片手しかないんだ。どうやって俺が運べるんだ!食い物も金も恵んでくれないんだったら、それでもいいさ。ただ、俺をからかうのはよしてくれ」。修道僧は、片手でレンガを持ち上げると、「片手でも十分できますよ。」と言った。乞食は、仕方なく片手でレンガを持ち上げ、一つずつ裏門のところへ運んだ。全部運び終わるまでに4時間かかった。修道僧は、そのお礼として、お金を渡した。乞食は嬉しくなり、「どうも有難うございます」と述べると、僧は、「私にお礼を言う必要はありません。自分の努力の結果、このお金を得たのですよ」と述べた。

乞食は、僧の言葉を胸に刻み、再度感謝の言葉を述べて、その場を去った。

ある日、別の乞食が修道院を訪れて、物乞いをした。僧は、裏門に積んであるレンガを指差して、それを前門へ運ぶよう依頼した。その乞食は身体的に何の障害もなかったが、僧に頼まれたことに憤慨し、その場を立ち去った。僧の弟子たちは、不思議に思って聞いた。「前回、片腕の乞食が来た時はレンガを裏門へ積んで欲しいといい、今回は前門へ運んでほしいとおっしゃいました。先生は、レンガをどこで使いたいのですか?」僧は、「レンガをどこへ積もうが、そんなことはどうでもよい。それよりも、乞食がそれを自分で運ぶことに、大きな意味があるのだ。」と述べた。

数年後、堂々とした風采の男性が修道院を訪れた。彼は、片腕がなかった。数年前、片手でレンガを運んだあの乞食だった。彼は、その後彼の能力範囲でできる仕事をみつけ、一生懸命働き、気付いたら大金持ちになっていた。一方、健康な身体の持ち主で、レンガを運ぶことを拒否した乞食は、いまだに物乞いをする生活だった。

人を助けるには、心を助けてあげるのが一番だ。食物やお金を与えれば彼は満足するかもしれないが、それも一時的なことだ。真にその人の心が目覚めるように救済してあげるのが一番効果的なのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー

ようちゃんの意見。↓
★ただばら撒きで貰えるヘリコプター・マネーと言う援助金より、 ケインズ政策というか失業者対策での自助努力の手段の提供が良いのを示してる。