「勝ち組」とか「負け組」とか...。 (大日本セキュリティ)
ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼「勝ち組」とか「負け組」とか...。 (大日本セキュリティ)
秋葉原通り魔事件の犯人が「俺は負け組だ」とか何とか言っていたそうで....。
sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080610/crm0806101124011-n1.htm
秋葉原通り魔事件の犯人が「俺は負け組だ」とか何とか言っていたそうで....。
sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080610/crm0806101124011-n1.htm
・【秋葉原通り魔事件】 加藤容疑者 劣等感募らせ犯行か
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そもそも、「勝ち組」とか、「負け組」とかって言い出したのはこの人・落合 信彦なんだそうです。★「大差」の時代―落合信彦選集〈9〉 (小学館文庫) (文庫) 内容:●1~2%のアッパー・クラス、●5~20%のミドル・クラス、●50~60%のボーダー・クラス、●30~40%のボトム・クラス──10年後、日本社会は否応なくこんな階級に分かれていくと、国際ジャーナリスト・落合信彦は喝破する。小泉内閣の「聖域なき構造改革」もまた、痛みを伴う。リストラ旋風が吹き荒れ、倒産件数が急増する一方で、スクラップ・アンド・ビルドの中から新たな産業、経営者が勃興する。「大差」の時代の到来だ。あなたはぶっちぎり階級か、ぶらさがり階級か──いま、階級社会化に向け「激烈な人間淘汰」が始まっている!
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今後の世の中は、大差がつくという事で、結果として両極端な階層ができるって感じで....。「負け組」よりは「勝ち組」の方が良いに決まってますが、自分自身に「負け組」ってレッテルを貼ってしまうとなんだか底なしにテンションが下がりそうな気がしますね。まぁ。かく言う私も、彼の基準で行けば、高校どころか生まれたときから「負け組」になってしまう気がしますが....。
「勝ち組」とか「負け組」ってのは、格差社会の発想から出ているわけですが、日本は中川秀直氏の言うような海外からの移民を受け入れるかどうかも絡んでくるわけです。格差社会になっている所に、海外移民が入ってくると、アメリカのようにプアホワイト(白人貧民層)が出てきて、それがアングリーホワイトマン(怒れる白人層)になって、移民排斥運動に繋がったりするんでしょうね。
個人的には人口が減って年金等の社会システムが成り立たなくなるから、移民を入れるというのは、対症療法であって、根本治療じゃないような気がします。たぶん、日本人貧民層と移民貧民層ができるだけです。日本人と在日のヤクザどころか、ウエスト・サイドストーリーみたいな世界になってくるんでしょうね。
人口減少で貧乏になるのならそれはそれで仕方がないと思いますよ。個人的には。ウエスト・サイドストーリーになるよりは安心です。ただ、将来的には日本が生物学的な多民族国家になるのは仕方が無いとも思います。飛行機が出来、インターネットが普及し世界が狭くなっているんですから....。しかし、中川氏が言うような一千万人の移民って話になると、日本語も満足にできない、日本の文化も愛さない人達も受け入れるというレベルになりそうですね。そんな事なら、「日本国」の看板を下ろして、アメリカの日本州か、中国の日本省になった方がよっぽどわかり易いです。金髪だろうが、肌の色が黒かろうが関係ないのです。どうせなら、日本で痛痒を感じない日本語のレベルを持ち、何より日本をリスペクトできる人を受け入れるべきです。日本人と外見的な差は無いのに、日本を憎み、それでいて居座っている人達によって、戦後、どれだけ日本は不利益を受けてきたか思い知っていますよね。
まぁ。移民一千万人とか言っている政治家が朝鮮系なんだから、そういう事をあんまり考えていないんでしょうね。
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▼秋葉原無差別殺傷事件(訳わからん、このシャバは)
【筆者記】
『いくつかのサラ金の返済期日が迫り、焦って殺人をやった。』この短絡的な殺人を何のわだかまりもなく、まったく面識のない飲食店の従業員鈴木康幸さん(当時42歳)の財布を奪い、文化包丁で刺し殺したパチンコ店員の竹村諒(24)。このガキは鈴木さんが大声を出したことでカッとなって殺したと言う。このガキの凶悪な犯行によって何の関係もない鈴木康幸さんの人生が昨年の12月2日午前2時、一瞬のうちに終わってしまいました。むごい話です。こんな簡単に人を殺せるものなのか。まったくの関係のない人を金がほしいからと文化包丁で一突きだ。
そして今回、歩行者天国の中、トラックを運転し遊びに来ていた二人の青年を撥ね殺し、五人の人を刺し殺した加藤智大(25)。まさに残忍な無差別殺傷事件である。この事件でなにの罪もない尊い命が奪われました。亡くなられ皆さんに心よりお悔やみ申し上げたいと思います。本当に無念、残念です。大切な、大切な命をまるで虫を殺すかのように殺傷した、鬼畜野郎、加藤智大。
短大卒業後、仕事を転々とし、挫折の中で自暴自棄となり、自分の作業服が見当たらないと腹をたて、別人の作業服をめちゃくちゃにした挙句に、無断で帰ったという。家庭や周りからも中学時代は勉強が出来るとちやほやされ、全てが自分中心に回っていたものがトップクラスの進学校入学からは上には上がいるということが理解できず、成績は下位に低迷、その現実を素直に受け入れることも出来ずに高校を出てから8年は負けっ放しの人生だとふてくさり、自分のだらしなさを棚に挙げ、全てを社会や他人の責任になすりつけた加藤智大。
自分本位、身勝手、そして最後には誰にも相手にされず、マンションで閉じこもり、自暴自棄の人生がスタートしたのだ。仕事において何をやっても人とうまくいかず、ひねくれ、自ら孤立感を深めていったことがよくわかります。自分本位で自分の身勝手さを人の責任になすりつけ、社会が悪いと決め付ける。挙句に自分が自ら作り上げた不本意な現在の境遇に至った責任を両親にまで責任を転嫁し、親に無理やり勉強させられていたから完璧だったと自慢し、中学生になった頃には親の力が足りなくなって、捨てられたと言うから、もうめちゃくちゃな話です。学校は勉強するために行くものです。勉強をしたくなければ行く必要がない。働けばいいんです。それを無理やりとは、親は勉強をしろと言うのが当たり前の話だ。そして甲斐性もないくせに「彼女がいない それが全ての元凶」だと言い放つ始末だ。信じられないことにそれを自分の容姿が不細工だからと言って自分のひねくれた性格から逃げる卑怯な殺人犯です。言っては何だがシャバの男が不細工ならば誰も女性と付き合いは出来ない。
そして、自分で決め付けた負け組根性を挽回するかのように何を勘違いしたのか、今回の蛮行に至ったと言っていい。事実、このガキは呆れたことに「事件を起こしたら、みんな『まさかあいつが』って言うんだろ」と宣言までしています。ここまでくれば完全な計画犯ですよ。そして今の自分のやりきれない思いの鬱憤を晴らすためには「やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」とキチガイじみた宣言をしているのである。案の定、今朝のワイドショーはこの事件で持ちきりだ。つまり結果としてワイドショーはこの男の罠にまんまとはまってしまったのである。
私は幼い時から命を大切にする、そして他人に責任を押し付けない、つまり自己責任と言う教育がされていないからだと思う。小さな目標かも知れないが自分が出来る範囲内で目標を立てその目標に向かって一生懸命努力すると言う教育がされていない。そして社会がと言うよりメディアが勝手に決めた勝ち組、負け組と言う線引きで勝手に負け組と決め付けてしまう。そして決め付け的な線引き影響でまだ人生が始まったばかりの若者がちょっとしたことで負けたと勘違いし、思い通りに行かなければ全て社会が悪いとひねくれ、孤立するというパターンがあまりにも多い。私はブログで何度も道徳教育の大切さを訴えてきました。人間とは他の人と接することで自分の実力がわかり、挫折を繰り返しながらも、一生懸命がんばることでその壁を乗り越えようと努力し成長していくものです。そして自分の失敗を他人の責任にしない。全て自己責任であるということが教えられていない。
某ブログ管理者の中で今回の事件要因を小泉政権の規制緩和に責任転化する不届き者がいるということだ。冗談ではない。こんなことを言う奴に限って責任を社会、他人に擦り付けるんですよ。自分も省を辞めたのは小泉政権との敗北そして結果として負け組ってか。人に責任を擦り付けるな!そんな人間こそ自分の胸に手を当てて考えてみろ。自分の間違いに気づくはすだ。生意気なことを言うが自分を磨けよ、磨かなければ絶対に光らない。
今はどんなに人から負け犬と言われようが、一生懸命努力している人間が多くいることを私は知っています。家族のため、そしていつも気遣ってくれる友人のためにがんばっている若者が多くいます。みんなが助け合って生きているんです。しかしその若者たちは誰一人と社会の責任にはしない。そんなことをわかって小泉政権の責任にするのであればそのブログの管理者は本当の意味で負け犬だ。小泉政権の規制緩和などの責任と言うならば今の雇用条件の中で真剣にがんばっている若者に大変失礼だ。多くの若者がいろいろな人と接することで自分の実力を再認識し、自分を見つめなおすことで再チャレンジし、頑張っています。私の知人の中に会社の経営に行き詰まり、自己破産をした大学の後輩がいます。今、彼は立ち直り金沢市で小さな店をやっています。10年が過ぎても彼の口から出る言葉は債権者の方や家族に迷惑をかけたという言葉ばかりです。彼の息子は家庭の事情で高校にも行けず、中学校を卒業してすぐに働きに出たのです。その長男が昨年一級建築士の試験に合格しました。その息子のお祝いに行ったとき息子は私たちに「両親のおかげで」と涙を流しながら挨拶をしたんです。家族でお互いに励ましあい、今まで努力してきたことが報いられたのです。嬉しいことに、息子の夢は現在、間借りしている一軒家から両親と一緒に住む家を建てることだそうだ。頑張れば出来るんです。ましてや、小さな幸せでもいいではないか。貧乏でもいい、心の通った明るい家庭を築いたものが、言うなれば勝ちだ。マスコミの言う勝ち組だ。金を儲けることだけが能ではない。心の幸せを儲けることが大切だ。少なくても私はそう思う。
『人のお世話にならぬよう。人のお世話をするように。そして報いを求めぬよう』と少年時代から心がけてこれを実行するのであります。』これは今の東京の原型を作った後藤新平氏が言った言葉です。お互いに助け合い、お世話をし、思いやりを持てる共同社会が今こそ必要です。その基礎になるものが家庭だと思います。自暴自棄、やけっぱちにならず。社会に対しての責任転嫁、自分のだらしなさを全て他人の責任にして自分を正当化することなかれだ。
読売新聞によれば加藤容疑者は警視庁の調べに「人生に疲れた。生活に疲れた。秋葉原に何度か来たことがあり、人がたくさんいることを知っていた。2、3日前に犯行を決意した」と供述しているという。まだ生まれて25年しか経っていないシャバの知らない男が簡単に結論を出し人生に疲れたと言って、まったく何の関係もない尊い命を奪った事件、どこかの評論家ではないが、決して派遣社員と言う不満原因だけで無差別に殺傷したとする考えに持っていくべきではない。派遣社員でも一生懸命頑張っている人間の方が多いと言うことだけは言っておきたい。
事件の経過を携帯で実況中継していた加藤智大、まさに確信犯である。したがって、この事件は他人の命を犠牲にしてまでも、ひねくれた自分を正当化しようとした大量殺人事件である。
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そもそも、「勝ち組」とか、「負け組」とかって言い出したのはこの人・落合 信彦なんだそうです。★「大差」の時代―落合信彦選集〈9〉 (小学館文庫) (文庫) 内容:●1~2%のアッパー・クラス、●5~20%のミドル・クラス、●50~60%のボーダー・クラス、●30~40%のボトム・クラス──10年後、日本社会は否応なくこんな階級に分かれていくと、国際ジャーナリスト・落合信彦は喝破する。小泉内閣の「聖域なき構造改革」もまた、痛みを伴う。リストラ旋風が吹き荒れ、倒産件数が急増する一方で、スクラップ・アンド・ビルドの中から新たな産業、経営者が勃興する。「大差」の時代の到来だ。あなたはぶっちぎり階級か、ぶらさがり階級か──いま、階級社会化に向け「激烈な人間淘汰」が始まっている!
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今後の世の中は、大差がつくという事で、結果として両極端な階層ができるって感じで....。「負け組」よりは「勝ち組」の方が良いに決まってますが、自分自身に「負け組」ってレッテルを貼ってしまうとなんだか底なしにテンションが下がりそうな気がしますね。まぁ。かく言う私も、彼の基準で行けば、高校どころか生まれたときから「負け組」になってしまう気がしますが....。
「勝ち組」とか「負け組」ってのは、格差社会の発想から出ているわけですが、日本は中川秀直氏の言うような海外からの移民を受け入れるかどうかも絡んでくるわけです。格差社会になっている所に、海外移民が入ってくると、アメリカのようにプアホワイト(白人貧民層)が出てきて、それがアングリーホワイトマン(怒れる白人層)になって、移民排斥運動に繋がったりするんでしょうね。
個人的には人口が減って年金等の社会システムが成り立たなくなるから、移民を入れるというのは、対症療法であって、根本治療じゃないような気がします。たぶん、日本人貧民層と移民貧民層ができるだけです。日本人と在日のヤクザどころか、ウエスト・サイドストーリーみたいな世界になってくるんでしょうね。
人口減少で貧乏になるのならそれはそれで仕方がないと思いますよ。個人的には。ウエスト・サイドストーリーになるよりは安心です。ただ、将来的には日本が生物学的な多民族国家になるのは仕方が無いとも思います。飛行機が出来、インターネットが普及し世界が狭くなっているんですから....。しかし、中川氏が言うような一千万人の移民って話になると、日本語も満足にできない、日本の文化も愛さない人達も受け入れるというレベルになりそうですね。そんな事なら、「日本国」の看板を下ろして、アメリカの日本州か、中国の日本省になった方がよっぽどわかり易いです。金髪だろうが、肌の色が黒かろうが関係ないのです。どうせなら、日本で痛痒を感じない日本語のレベルを持ち、何より日本をリスペクトできる人を受け入れるべきです。日本人と外見的な差は無いのに、日本を憎み、それでいて居座っている人達によって、戦後、どれだけ日本は不利益を受けてきたか思い知っていますよね。
まぁ。移民一千万人とか言っている政治家が朝鮮系なんだから、そういう事をあんまり考えていないんでしょうね。
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▼秋葉原無差別殺傷事件(訳わからん、このシャバは)
【筆者記】
『いくつかのサラ金の返済期日が迫り、焦って殺人をやった。』この短絡的な殺人を何のわだかまりもなく、まったく面識のない飲食店の従業員鈴木康幸さん(当時42歳)の財布を奪い、文化包丁で刺し殺したパチンコ店員の竹村諒(24)。このガキは鈴木さんが大声を出したことでカッとなって殺したと言う。このガキの凶悪な犯行によって何の関係もない鈴木康幸さんの人生が昨年の12月2日午前2時、一瞬のうちに終わってしまいました。むごい話です。こんな簡単に人を殺せるものなのか。まったくの関係のない人を金がほしいからと文化包丁で一突きだ。
そして今回、歩行者天国の中、トラックを運転し遊びに来ていた二人の青年を撥ね殺し、五人の人を刺し殺した加藤智大(25)。まさに残忍な無差別殺傷事件である。この事件でなにの罪もない尊い命が奪われました。亡くなられ皆さんに心よりお悔やみ申し上げたいと思います。本当に無念、残念です。大切な、大切な命をまるで虫を殺すかのように殺傷した、鬼畜野郎、加藤智大。
短大卒業後、仕事を転々とし、挫折の中で自暴自棄となり、自分の作業服が見当たらないと腹をたて、別人の作業服をめちゃくちゃにした挙句に、無断で帰ったという。家庭や周りからも中学時代は勉強が出来るとちやほやされ、全てが自分中心に回っていたものがトップクラスの進学校入学からは上には上がいるということが理解できず、成績は下位に低迷、その現実を素直に受け入れることも出来ずに高校を出てから8年は負けっ放しの人生だとふてくさり、自分のだらしなさを棚に挙げ、全てを社会や他人の責任になすりつけた加藤智大。
自分本位、身勝手、そして最後には誰にも相手にされず、マンションで閉じこもり、自暴自棄の人生がスタートしたのだ。仕事において何をやっても人とうまくいかず、ひねくれ、自ら孤立感を深めていったことがよくわかります。自分本位で自分の身勝手さを人の責任になすりつけ、社会が悪いと決め付ける。挙句に自分が自ら作り上げた不本意な現在の境遇に至った責任を両親にまで責任を転嫁し、親に無理やり勉強させられていたから完璧だったと自慢し、中学生になった頃には親の力が足りなくなって、捨てられたと言うから、もうめちゃくちゃな話です。学校は勉強するために行くものです。勉強をしたくなければ行く必要がない。働けばいいんです。それを無理やりとは、親は勉強をしろと言うのが当たり前の話だ。そして甲斐性もないくせに「彼女がいない それが全ての元凶」だと言い放つ始末だ。信じられないことにそれを自分の容姿が不細工だからと言って自分のひねくれた性格から逃げる卑怯な殺人犯です。言っては何だがシャバの男が不細工ならば誰も女性と付き合いは出来ない。
そして、自分で決め付けた負け組根性を挽回するかのように何を勘違いしたのか、今回の蛮行に至ったと言っていい。事実、このガキは呆れたことに「事件を起こしたら、みんな『まさかあいつが』って言うんだろ」と宣言までしています。ここまでくれば完全な計画犯ですよ。そして今の自分のやりきれない思いの鬱憤を晴らすためには「やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」とキチガイじみた宣言をしているのである。案の定、今朝のワイドショーはこの事件で持ちきりだ。つまり結果としてワイドショーはこの男の罠にまんまとはまってしまったのである。
私は幼い時から命を大切にする、そして他人に責任を押し付けない、つまり自己責任と言う教育がされていないからだと思う。小さな目標かも知れないが自分が出来る範囲内で目標を立てその目標に向かって一生懸命努力すると言う教育がされていない。そして社会がと言うよりメディアが勝手に決めた勝ち組、負け組と言う線引きで勝手に負け組と決め付けてしまう。そして決め付け的な線引き影響でまだ人生が始まったばかりの若者がちょっとしたことで負けたと勘違いし、思い通りに行かなければ全て社会が悪いとひねくれ、孤立するというパターンがあまりにも多い。私はブログで何度も道徳教育の大切さを訴えてきました。人間とは他の人と接することで自分の実力がわかり、挫折を繰り返しながらも、一生懸命がんばることでその壁を乗り越えようと努力し成長していくものです。そして自分の失敗を他人の責任にしない。全て自己責任であるということが教えられていない。
某ブログ管理者の中で今回の事件要因を小泉政権の規制緩和に責任転化する不届き者がいるということだ。冗談ではない。こんなことを言う奴に限って責任を社会、他人に擦り付けるんですよ。自分も省を辞めたのは小泉政権との敗北そして結果として負け組ってか。人に責任を擦り付けるな!そんな人間こそ自分の胸に手を当てて考えてみろ。自分の間違いに気づくはすだ。生意気なことを言うが自分を磨けよ、磨かなければ絶対に光らない。
今はどんなに人から負け犬と言われようが、一生懸命努力している人間が多くいることを私は知っています。家族のため、そしていつも気遣ってくれる友人のためにがんばっている若者が多くいます。みんなが助け合って生きているんです。しかしその若者たちは誰一人と社会の責任にはしない。そんなことをわかって小泉政権の責任にするのであればそのブログの管理者は本当の意味で負け犬だ。小泉政権の規制緩和などの責任と言うならば今の雇用条件の中で真剣にがんばっている若者に大変失礼だ。多くの若者がいろいろな人と接することで自分の実力を再認識し、自分を見つめなおすことで再チャレンジし、頑張っています。私の知人の中に会社の経営に行き詰まり、自己破産をした大学の後輩がいます。今、彼は立ち直り金沢市で小さな店をやっています。10年が過ぎても彼の口から出る言葉は債権者の方や家族に迷惑をかけたという言葉ばかりです。彼の息子は家庭の事情で高校にも行けず、中学校を卒業してすぐに働きに出たのです。その長男が昨年一級建築士の試験に合格しました。その息子のお祝いに行ったとき息子は私たちに「両親のおかげで」と涙を流しながら挨拶をしたんです。家族でお互いに励ましあい、今まで努力してきたことが報いられたのです。嬉しいことに、息子の夢は現在、間借りしている一軒家から両親と一緒に住む家を建てることだそうだ。頑張れば出来るんです。ましてや、小さな幸せでもいいではないか。貧乏でもいい、心の通った明るい家庭を築いたものが、言うなれば勝ちだ。マスコミの言う勝ち組だ。金を儲けることだけが能ではない。心の幸せを儲けることが大切だ。少なくても私はそう思う。
『人のお世話にならぬよう。人のお世話をするように。そして報いを求めぬよう』と少年時代から心がけてこれを実行するのであります。』これは今の東京の原型を作った後藤新平氏が言った言葉です。お互いに助け合い、お世話をし、思いやりを持てる共同社会が今こそ必要です。その基礎になるものが家庭だと思います。自暴自棄、やけっぱちにならず。社会に対しての責任転嫁、自分のだらしなさを全て他人の責任にして自分を正当化することなかれだ。
読売新聞によれば加藤容疑者は警視庁の調べに「人生に疲れた。生活に疲れた。秋葉原に何度か来たことがあり、人がたくさんいることを知っていた。2、3日前に犯行を決意した」と供述しているという。まだ生まれて25年しか経っていないシャバの知らない男が簡単に結論を出し人生に疲れたと言って、まったく何の関係もない尊い命を奪った事件、どこかの評論家ではないが、決して派遣社員と言う不満原因だけで無差別に殺傷したとする考えに持っていくべきではない。派遣社員でも一生懸命頑張っている人間の方が多いと言うことだけは言っておきたい。
事件の経過を携帯で実況中継していた加藤智大、まさに確信犯である。したがって、この事件は他人の命を犠牲にしてまでも、ひねくれた自分を正当化しようとした大量殺人事件である。
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ようちゃんの意見。↓
★全く視野狭窄症なのでしょう。 地球上では明日の食べ物すら無い、飢えた人々。僅かの飲料水すら口に出来ない人々が大勢、飢餓線上に居る。そして祖父母達の中には、この戦後の日本へ 引揚者として幼子の手を引きやっと中国人、ソ連兵、朝鮮人の追いはぎ、強姦の手を逃れて裸で日本へたどり着いた、500万人を超える人々が60年前には大多数だったのが日本の戦後だそうです。 貧しいのも、不自由なのも当たり前。「馬鹿と挟みは使い用」と言われて、工夫して、間に合わせるのが当然だった時代を育った 祖父母達の時代の継承が、途切れてるのが不幸の始まりでしょう。 何世代も同居してる家族と言うのは。個人の自由とか、プライバシーとか言う洒落たモノとは無縁ですが、 話の内容は豊富になる。いろいろな人々の暮らしが自然と、 幼少時代から耳に入る事は、 小さい自分の見知ってる人間集団とは違う、未知な遭遇が、視野を無意識に広げていた事に、気がつきます。読書や目上の人や、老人から日常的に、会話を持つと持たないとは、大きく差がつきます。自分の殻、自分の手触り範囲での知識は、難問解決が出来ない。足を使い遠出して、耳目を使い、感じて考えて、自分で判断出来る事が大事ですが、孤独と言う自己幻想に酔ってる人が多いのも、安易に食べ物だけは手に入る、生活のように思う。
料理1つとして自分でした事が無い、コンビニ生活では、身近の人ともコミュニケーションが取れないでしょうねー。買い物にも四季があるし、多くの人の手が入って、店頭に並ぶ。自分で一人では生きて行くことが出来ない性格だったんだと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★全く視野狭窄症なのでしょう。 地球上では明日の食べ物すら無い、飢えた人々。僅かの飲料水すら口に出来ない人々が大勢、飢餓線上に居る。そして祖父母達の中には、この戦後の日本へ 引揚者として幼子の手を引きやっと中国人、ソ連兵、朝鮮人の追いはぎ、強姦の手を逃れて裸で日本へたどり着いた、500万人を超える人々が60年前には大多数だったのが日本の戦後だそうです。 貧しいのも、不自由なのも当たり前。「馬鹿と挟みは使い用」と言われて、工夫して、間に合わせるのが当然だった時代を育った 祖父母達の時代の継承が、途切れてるのが不幸の始まりでしょう。 何世代も同居してる家族と言うのは。個人の自由とか、プライバシーとか言う洒落たモノとは無縁ですが、 話の内容は豊富になる。いろいろな人々の暮らしが自然と、 幼少時代から耳に入る事は、 小さい自分の見知ってる人間集団とは違う、未知な遭遇が、視野を無意識に広げていた事に、気がつきます。読書や目上の人や、老人から日常的に、会話を持つと持たないとは、大きく差がつきます。自分の殻、自分の手触り範囲での知識は、難問解決が出来ない。足を使い遠出して、耳目を使い、感じて考えて、自分で判断出来る事が大事ですが、孤独と言う自己幻想に酔ってる人が多いのも、安易に食べ物だけは手に入る、生活のように思う。
料理1つとして自分でした事が無い、コンビニ生活では、身近の人ともコミュニケーションが取れないでしょうねー。買い物にも四季があるし、多くの人の手が入って、店頭に並ぶ。自分で一人では生きて行くことが出来ない性格だったんだと思います。
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日本のお姉さんの意見。↓
人間は自分が負け組みだとか、負け犬だとか
思った瞬間にそうなるのだと思うよ。
どんなに自分の周りが悲惨な状況でも命がある間は、
負けていないんだと思うよ。頑張って最後まで生きるのが
人間のあるべき姿だよ。飛行機事故や大きな事故でも
たまに助かる人がいる。添乗員の言うことを聞かないで
自分の心の自然な声に従ってダッシュして逃げた人が
生き残れるんだって。韓国の地下鉄でも、電車の中が
火事になったのに、そのままアナウンスに従って
おとなしく座っていた人は全員死んだ。
危険を察知したら、窓ガラスを割ってでも、車両から脱出
しないといけないのだと思うのです。とっさに動いて
生き残る人が偉いのだと思う。でも、自分の命を捨てて
他人を生かす人は、自主的に多くの人の命を助けのだから
もっと偉いかな。
どんな人生でも、よりよい生き方を求めて努力している人は
偉いんだと思います。お金持ちの子供でも、努力している
はずです。まったく努力しないで自分の状況に絶望しきって
いる人は、自分の心に負けています。派遣社員で職が
なくなっても、また別の仕事を探せばいいのです。
もっといい仕事がみつかるかもしれないし、もっと嫌な
仕事でも食べていけるならヨシとしないと、どんどん
心が暗くなります。毎日、少しでも努力しているなら、立派に
生きているのだから自信を持っていいと思う。ホームレスに
なっても、自殺しないで生きているなら、それだけで偉いと
思います。ホームレスになると、誰かが助けてくれないと
就職するにも、住所や保証人が必要なので、なかなか
ホームレスから抜け出せませんが、今は行政も助けてくれ
ようとしていますし、東京都は、ネット難民と呼ばれる
日雇いの派遣会社に入ってしまった若者を助けようと
取り組んでいます。それに、家庭に事情があっても
恥を忍んで親や親戚を頼れば、なんとか就職できるはずだし、
ネット難民を助けるNPO団体もあるのだから、活用できる
はず。市役所に助言を求めることもできるのではないか。
生活保護を受けることができるかもしれない。できれば
高校生の時に、親友を作っておくといいのではないかと思う。
最悪の場合に仕事がみつかるまで、住所だけでも借りる
ことができるかもしれない。友達もいないのなら、ちゃんと
聖書をそのまま信じているキリスト教会に助言を求めると
いう手もある。自殺したり、他人を殺す前に、いくらでも
生きのびる方法を探すことができるのではないか。
たとえ、レストランの残飯をあさらねば生きていけないような
状態になっても、努力を続けていたらなんとかなる場合がある。
マドンナも最初はゴミ箱の残飯をあさっていたそうです。
今は、日本人の家政婦さんに、毎日、日本食を作ってもらって
食べている。小さなことにも神さまに感謝して生きていれば、
神さまも生きる知恵と力をくださるよ。神さまに知恵を、
求めれば与えられると聖書に書いてある。神さまに何かを
求めて祈る場合は、まず、自分の今までの罪を赦してください
と祈ってからにしてください。罪を赦すことができるのは
神さまだけです。神さまは正しい方なので、罪は裁かれます。
でも、罪の無い神さまのひとり子が、人間となって、この世に
来てくださり、十字架の上で罪の罰を受けて死に、三日目に
よみがえってくださったので、罪の罰は神さまの側からは
終わっています。それを信じれば神さまに罪を赦していただけ
るのです。人生に絶望して自殺したり、無差別に他人を殺す
前にするべき事は、神さまに助けを求めることです。
神さまのお恵みと愛で罪が赦されたら、後は好きなように
神さまに祈ってください。できれば聖書をそのまま伝える
正統派のキリスト教会に行ってください。古本屋で聖書を
買って読んでください。お金がなければ教会でギデオン社の
タダの新約聖書も多分もらえます。(聖書には生きる知恵が
たくさん書いてあります。神さまに具体的に祈れば具体的な
助けもいただけます。)