メルマガ孫子塾通信 | 日本のお姉さん

メルマガ孫子塾通信

◆◇ メルマガ孫子塾通信 ◇◆ 2008.6.9(№3)
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<タイトル>『常に中心点を明らかにし、中心・骨組みで考える習慣の確立』
(1)中心とは
中心とは、ここでは的(まと)の意で、「問題となっている、最も大事な箇所」のことを言います。上記の項目は、脳力開発でいう「基礎習慣づくり」の中でもさらにその核心部分となるものの一つとして重要視されております。

因みに脳力開発では、この基礎習慣づくり(狭義の脳力開発)を土台として「ことの全体や本質をつかむ」、「今後の方向づけを確立する」などのいわゆる問題解決の基本ステップを踏むことを「情勢判断」と称しております。

この両者は言わば、基礎部と応用部の一体不可分の関係にあり、まさに車の両輪的な構造を成すものであります。兵法的に言えば、この「情勢判断」は例えば『軍を処(お)き、敵を相(み)る。』<第九篇 行軍>の類であります
が、もとよりその根底には適切な将の(狭義の)脳力開発があることは論を俟ちません。


言い換えれば、平素、『中心点を明らかにし、中心・骨組みで考える習慣の確立』という訓練が積まれているがゆえに、ことに臨み適切に、例えば『軍を処(お)き、敵を相(み)る。』ことが可能となるのであります。

つまり、適切に臨機応変・状況即応するためにはいわゆるマニュアルだけが分っているだけでは不十分なのであり、平素から『中心点を明らかにし、中心・骨組みで考える習慣の確立』を必要とするのであります。而(しか)して、その対象は(自分がその気になって周囲を見渡せば)至るところ、無制限にその「学びの場」を見出すことができるのです。ここでは次の例によってそのことを考えて見たいと思います。


(2)具体例
新聞報道によれば、彼の東国原英夫(そのまんま東)知事で一躍有名になった宮崎県の知名度について「北海道から長崎までの23の小学校」の児童を対象に調査したところ、「正答率は46%、全国最下位」とありました。この種の発表ですぐに飛び出すのが、マスコミを中心として展開される実にヒステリックな「正答率=最下位=良くない」の極めて短絡的な発想であり、だから学力たる正答率を上げるべし、の大合唱であります。

これを『常に中心点を明らかにし、中心・骨組みで考える』という観点から見れば問題は次の二つに集約されます。

一つは、マスコミや社会の風潮が余りにもスポーツ的な「奇妙な発想」に毒され過ぎているという点です。そのゆえに我々は、そもそもスポーツとは、勝敗に拘泥し、記録に重点をおくものであり、かつ、その本質はあくまでも娯楽やレジャーの類と同類であるという認識を持つことが肝要であります。

その意味では、いかに死生観・人生観を確立するか、いかにリーダーとして程度の高い人間形成、人間づくりを構築するかを目的とするいわゆる「武道・武術」とは似て非なるものであります。一説に、GHQによる日本占領政策の一環に日本民族の精神弱体化計画なるものがあり、日本古来の武道を禁止し、代わりにスポーツとセックス文化を奨励することが配慮されたと伝えられております。そのゆえか否か、今日の日本では(セックス文化のことは言わずもがな)スポーツ文化が実に花盛りであり、マスコミを通じて昼夜の区別もなくその手の情報が飛び交い氾濫しております。そのゆえに娯楽やレジャーの問題とはおよそ異なる子供の学力に関する教育分野においても上記のごとくスポーツ的な発想がごく自然のこととして蔓延(まんえん)しているということであります。

次に問題なのは、人生を生きる上においての真の意味での「頭の良さ」もしくは「頭の使い方」とは何かという極めて初歩的な考え方の意義であります。従来のいわゆる学校教育という意味では、「どれだけ知識をたくさん正確に再現できたか」という基準によって点数がつけられます。つまりは、先生の教えた通りに多くの知識を暗記した生徒が「頭が良い」ということが常識であります。例えば、入試において難関とされる学校に合格すれば、一般的に「あの子は頭が良い」と評価されるがごとしであります。ともあれ、意味もなく地理を強制的に暗記させられる児童の空しさも然(さ)ることながら、この類のものは、自分で地図を見て調べる習慣を確立させることこそ最も効果的な方法と言わざるを得ません。

脳力開発ではこれを「自分で主体的にやる姿勢」と言います。人間の脳力は、自分で主体的に考え行動することによって向上する仕組みになっております。その意味では、単に暗記しただけの知識は(学校の成績としては評価されても)まだ実際に使える知識にはなっていないということです。言い換えれば、単なる知識押し込みのパターンは、極めて高度な能力を秘める人間の脳を、単にテープレコーダー並みにしか使いこなしていない、と言わざるを得ないのであります。

地図は例えば辞書や大工道具のごとく、言わば一つの道具であります。そのゆえに、この場合は、「宮崎県はどこ」のごとくテストの正答率を挙げることではなく、地図という道具をいかに使いこなすか、なぜそれを使うことが賢明なのかを教えることであり、結果として、その道具を使い自分で主体的に調べさせる習慣を確立させることになります。

逆に言えば、地図を使えば適切に問題が解決されるのに、その本質を外れて使いこなすべき道具の「内容そのもの」を暗記させるようなことは人間の頭の使い方としては極めて不適切なやり方ということになります。その意味では、いかに日本の地理に興味を持たせるか、いかに好奇心を喚起させるか、地図の使い方をいかに学ばせるかの方法論をどのように構築するかが、実は、この問題の真の中心点である、ということになります。

そのような意味において、本例の『「宮崎はどこだ」の正答率46%、全国最下位』のデータが活用されるのは適当でありますが、単にスポーツ的な短絡思考により、暗記式による知識詰め込みタイプの動機付けとして活用されるということはまさに本末転倒の思考法と言わざるを得ません。
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このメルマガは、孫子に代表される兵法を(日々の小事から大事に至る)日用の学としてとらえ、時事問題などをテーマに兵法的思考とは何かを論ずるとともに、その日常的活用に際しての実践的方法を提示するものです。
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