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日本は世界の光

■「加瀬英明のコラム」メールマガジン
題 名 : 日本は世界の光

 アメリカの民主党大統領候補レースで、バラク・オバマ上院議員がヒラリー・クリントン夫人に差をつけて、民主党の大統領候補の地位を獲得しようとしている。
 オバマ議員が善戦していることは、じつに喜ばしい。といっても、私はオバマ議員が十一月の大統領選挙で、大統領として当選してほしいと考えているわけではない。

 共和党の大統領候補は、ジョン・マケイン議員に決まっている。オバマ氏は一年生上院議員でしかなく、まったくの未知数だ。私は外交・安全保障問題に通じており、日本を重視しているマケイン氏が、ホワイトハウス入りすることを願っている。

 アメリカで景気が後退し、ブッシュ大統領の人気が翳っていることから、どの世論調査でも、十一月の大統領選挙へ向けて民主党が優位に立っている。だが、オバマ氏が民主党候補となったら、そのこと自体がアメリカで黒人に対する差別が大きく弱まっていることを示すものだが、アメリカにとって最初の黒人の大統領候補であって、白人のあいだで黒人に対する嫌悪感や、警戒心がいまだに強いことから、蓋をあけてみなければ予想することが難しい。

 アメリカでは、今日でも白人と黒人のあいだに際立った格差がある。
 一世帯当たりの平均所得を較べると、黒人は白人の六十三%でしかない。教育水準も大きく劣る。十七歳の黒人少年の学力は、十三歳の白人少年の水準にしか達しない。
 
 黒人は営利会社の経営者の五%しか、占めていない。二十歳から三十四歳の黒人成年男性のうち、百人に十一人が刑務所で暮している。白人の七倍の比率だ。黒人の少年の六十九%が未婚の母親から、生まれている。

 私がアメリカで学んだ一九五〇年代後半では、黒人は多くの州で法的に差別されていた。とくに南部では学校、電車、バス、待合室、便所、食堂、プールなどが、白人と黒人に区別されていた。私は東部の一流校で学んだが、クラスに黒人はいなかった。

 今日ではブッシュ・父政権でコーリン・パウエル大将が軍人の頂点をきわめ、現政権でコンドリーサ・ライス女史が国務長官となり、オバマ氏が民主党の大統領候補レースでトップに立っているが、隔世の感がある。新任の在日米軍司令官も黒人である。

 アメリカでは若い世代のあいだで、黒人に対する差別意識が薄れるようになっている。白人と黒人のあいだの結婚件数は一九七〇年と比較すると、七倍に増えている。
 私は留学中にブリタニカ大百科事典の第二次大戦後の版の「人種」の項目に、「多くの科学的調査によれば、黒人(ネグロ)は感情が不安定で、自己を抑制する力がない」と書かれていたのを憶えている。先住民のインデアンを「知能が低い」ときめつけていた。日本が四年近くにわたって戦い、アメリカを懲らしめたのが効いたせいか、日本人には触れていなかった。

 今日、アメリカで黒人が白人に混って活躍できるようになったのは、日本が先の大戦を大きな犠牲を払って戦ったためである。
そのために、数世紀にわたって白人の苛酷な支配のもとで呻吟していたアジアの諸民族が、解放された。植民地解放の高波がアフリカも洗うようになり、アフリカの諸民族がつぎつぎと独立を獲得していった。

 アメリカは黒人を長いあいだにわたって法的に差別してきたが、黒人を抑えつけることができず、一九六〇年代に入ると黒人の公民権の要求を受け容れることを強いられた。

 もし、日本が先の大戦を戦うことがなかったら、今日でも白人がアジア・アフリカを同じように支配し、アメリカにおいて黒人に対する差別が続いていたにちがいない。

 第二次大戦が終わるまでは、黒人はメジャー・リーグの野球選手になれなかった。プロゴルフ界でタイガー・ウッズが活躍しているが、黒人がゴルフコースでプレイすることは考えられなかった。テニスも同じことだった。

 アメリカで黒人が白人と並んで活躍できるようになったことは、日本の力によるものである。日本として大いに誇るべきことである。

 日本国民は明治に開国してから、二つの大きな夢をいだいてきた。一つは西洋の列強によって強いられた、屈辱的な一連の不平等条約を改正することであり、もう一つは人種平等の世界を創りだすことだった。

 幕末に海外を旅した先人たちは、アジア・アフリカで住民が西洋人によって、家畜のように使役されているのを見て、憤った。明治時代から先の大戦に敗れるまで、日本語のなかで「白魔」という言葉が日常的に使われていたのに、白人が態度を改めたために死語になってしまっている。

 日本はアジア・アフリカの諸民族を解放するために、先の大戦に参戦したのではなかった。しかし、戦端が開かれると、日本の多くの青年たちが人種平等の理想の世界を実現するために生命を捧げた。
昭和天皇は敗戦の翌年に、側近者につぎのように述懐された。

 「第一次世界大戦後の講和会議において、わが国代表によりて主張せられたる人種平等に関する日本国民の叫びは、列国の容るるところとならず、黄白の差別観は世界の各地に残存し、かのカリフォルニア州日本人移民排斥のごとき、またオーストラリアの白豪主義のごときは、日本国民をして憤慨せしむるに充分なものであった」

 ベルサイユ会議において国際連盟憲章が起草されたが、日本全権団が人種平等の原則を盛り込むことを強く主張したのにもかかわらず、アメリカ、ヨーロッパ諸国によって拒まれたことを指している。アメリカはフィリピンを植民地としていただけでなく、国内で人種差別を行っていた。

 人種差別が人類の歴史を通じて、長いあいだにわたって行われてきたが、日本が先の大戦を戦ったために、人種差別のない理想世界が招き寄せられたのだった。
            (2008.6)
加瀬英明事務所
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