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宮崎正弘の国際ニュース・早読み ・ 軍事情報

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成20年(2008年)6月6日(金曜日)弐
通巻第2213号 

 綿陽は中国の核戦力のメッカだった。
  つぎに唐家山湖の決壊で、中国核戦力の中枢が壊滅するか?
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1975年8月、河南省維河にかかる板橋ダムが決壊した。台風によって水位が溢れ出し、下流のダム58ヶ所がたちまちにして倒壊、被害は下流全域におよび、およそ20万人が生命をうしなった。板橋ダムは50年代の大躍進時代に造られた、粗製濫造ダムだった。

2008年5月12日に四川省を襲ったマグニチュード8の地震は、軍施設だけの被害が670億元(香港『経済日報』、5月29日付け)。「四川省は中国の軍事戦略上、もっとも重要な拠点である」(ウィリー・ラム、『チャイナ・ブリーフ』、ジェイムズタウン財団発行、6月4日号)都江堰から文川、北川、安県、綿陽、広元にかけて四カ所の重要な核兵器研究所と、核兵器製造工場が山の洞窟などに造られ、綿陽は人口50万のうち、20万人が核施設関連に雇用されているという。地震発生後、ただちに軍が動いた。被災地の救済ではなかった。核施設防御に向かったのだ。

累計14万前後の人民解放軍が動員されたが、SARSのときや08年2月の大雪災害のときの動員と比べても、はるかに巨大な動員、台湾の『自由時報』によれば、台湾向けの予備兵力さえ、南京軍管区から動員されたという。北川県唐家山のせき止めダム(地震胡)の決壊は、いまや時間の問題。綿陽市民は高台に25万人が避難している。
核兵器製造のメッカ、綿陽が水没すれば、中国の核施設は壊滅的打撃を受けるだろう。(注 維河の「維」はさんずい、「文川」の「文」にもさんずい)
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こんにちは。エンリケ航海王子です。

先日「クラスター弾(*)廃止にむけたオスロプロセスの条約案への日本政府が承認意向をしめしている」との話がでていました。
(*)「それぞれが20キログラムを超えない爆発性子弾を散布または放出するよう設計された通常弾で、それらの爆発性子弾が含まれるもの」
主に航空機や地対地ロケット弾などに搭載される。この爆弾は、通常の空対地爆弾とほぼ同サイズのケースの中に、小型爆弾や地雷で構成される数個から数百個の子弾を搭載する。このケースが母機から投下された後に空中で破裂することで子弾を散布し、多数の小規模な爆発を引き起こすなどして広範囲の目標に損害を与える。主に人的被害やあまり強固ではない施設、兵器への広範囲の被害を狙うものである。

同じ250kg爆弾x1発でもクラスター爆弾であれば在来爆弾の数倍の面積を制圧できる。逆に言えば同じ面積を制圧するのに投下せねばならない250kg爆弾の個数は従来の数分の1ですみ、爆撃作戦に必要な航空機の数も、在来爆弾を使った場合の数分の1で済む。
(Wikipedia)

軍事力の整備は相手があっての「つねに相対的なもの」で、ひとりよがりでは成立しません。ですから、国家の軍事力整備に関わる人間は「脳内花園」「脳内硬直」いずれも不可です。

兵器についても、根底事情がまったく異なる欧州諸国とわが国は、異なる対処をしてしかるべきです。ご存知のとおり、わが国周辺には核弾頭つき弾道ミサイルの照準をわが都市に合わせている国が少なくとも二つあります。大量破壊兵器の脅威に現在わが国はさらされているのです。

それに対抗するための貴重な通常兵器持ち駒のひとつ「クラスター弾」を手離すことが何を意味するか。フェアさなど微塵もなく、これまで幾度も煮え湯を飲まされてきた将棋の相手に「世界の流れなので、これからこちらは角と飛車を捨てます」といっているのと同じです。

以下紹介のブログで佐藤正久さんも書いておられますが、
「こちらが武器を捨てたら相手も武器を捨てる」などという夢物語はこの世に存在しません。すでに核戦争の脅威が完全に去った欧州の意識を、わが国が「人道的」という甘っちょろい言葉を通じ、「バスに乗り遅れるな」という悪しき習慣に流され、そのまま受け入れたり鵜呑みにする姿勢は危険です。欧州とわが国では、周辺環境も文化も歴史もまったく異なります。それにしても、いやしくも国家の帷幕に関わる資格を与えられたエリートがこんな話にうかうか乗るなんて・・・。言葉は悪いですが、馬鹿じゃないでしょうか?

「どうせ国民のだれもクラスター弾のことなど知らないから。後は野となれ山となれ」という投げやりな姿勢で交渉したとしか思えないですね。それ以前に、クラスター弾の意味をよく知らないまま交渉の席に出ていたのではないでしょうか?かなうなら、今後のこの種の交渉には国防の何たるかを知る制服出身者を充ててください。自衛隊にクラスター弾があることを知らなかった政治家の不勉強振りにも呆れるばかりです。国家存立という観点から、政府はこのはなしを絶対に受け入れてはなりません。私は、森本敏さん、佐藤正久さんのご意見に同感です。
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【正論】拓殖大学大学院教授・森本敏 
「クラスター禁止条約」参加に反対
≪基本的な国家防衛兵器≫
わが国にはどうして、こうも似非(えせ)平和主義者が多いのか。戦争に負けたからと言っても、その負の遺産を持ち続けることはいい加減におしまいにすべきである。平和を口にしておけば平和が達成できるという幻想は現実の国際政治では成り立たない。むしろこうした態度こそ国家と国民にとって裏切り行為であることは、国家が危機に遭遇すればはっきりする。それを理解しないか、理解しない振りをしているのは真の平和主義者ではない。この好例がクラスター弾禁止条約参加である。この条約にわが国は参加すべきではない。政府が署名しても国会はこれを批准すべきでない。わが国は各国が防衛予算を増加させている中で、例外的に予算削減傾向にある。その予算を有効に活用し国家の防衛を行うため自衛隊が保有しているクラスター弾は基本的に防御兵器である。1発に多数の子弾をいれたクラスター弾は相手が着上陸した場合に、面を制圧してこれを防ぐに有効な兵器である。その抑止効果は大きく、これを多数の人員と他の兵器で代替するのは容易でない。このクラスター弾は確かに不発弾が1割くらいでるという欠陥をもっている。しかし、わが国で使用する場合、その地域から国民保護法によって一般の人は避難しており、使用後は自衛隊が十分に不発弾処理する計画であり、こうした処理が不十分な東欧・中東・湾岸における民間人被害の例を引き合いに出すことは適当でない。当然のこととして、わが国にはこれを敵地に使用することもない。 

≪欧州諸国と異なる事情≫
言うまでもなくわが国は海岸線が長く、自衛隊員も限られた人員しかない。この兵器は本土防衛だけでなく離島防衛にも有効である。フォークランド紛争ではイギリスがこれを使用して作戦を有利に導いた例もある。わが国にどこから侵略があるのかという議論をする人がいるが、クラスター弾を保有している中国、韓国、北朝鮮、ロシア、米国は禁止条約に参加もせず、条約を議論する会合にさえ出ていない。これらの国には侵略の脅威があり、わが国に侵略がないと考えるのは現実世界を理解しない空想主義である。こういう人に国家の防衛や安全保障を語る資格はない。欧州諸国でこの条約に参加する国が多いが、例えば、東欧諸国など禁止条約に参加しない地域においてクラスター弾を使用すれば問題はなく、NATO(北大西洋条約機構)の軍事作戦に大きな支障はない。NATOは冷戦後に参加国の領域を守るのではなく、領域外に多国籍軍を編成・派遣して作戦を行うことによって欧州の安全を維持する任務に従事している。アジアのように自国周辺に脅威や危険がある地域の安全保障を欧州と同じ論理で論じられない。しかも、今回はかつての対人地雷禁止条約において活躍したNGO(非政府組織)が猛烈な禁止条約採決運動を行っているのに各国政権が迎合しているに過ぎない。ドイツなどはクラスター弾の定義から技術的に高度なものを例外扱いにすべく提案したが、この例外扱いになる爆弾を製造しているのはドイツであり、クラスター弾が禁止された後のドイツ製兵器の売り込みが理由である。

≪米軍の輸送・訓練に障害≫
このようにクラスター弾の定義には異論があり、自己破壊機能や誘導装置機能がなく信頼性・正確性のないものだけが禁止条約の対象となっている。こういう欧州の実態を知りながらアジアの戦略環境もわきまえず、国家の防衛や安全保障手段を損なうような禁止条約に対し、超党派議員がクラスター爆弾禁止議連など編成して反対運動を行っているのは笑止千万である。兵器が非人道的であるのは当たり前である。クラスター弾や対人地雷は一挙に人間の生命を奪わないから非人道的だという論理があるが、それでは一挙に生命を奪う兵器が人道的なのか。一般人が被害にあうから非人道的だというのも納得がいかない。多くは兵器の管理が極めて不十分な国の例を挙げて非戦闘員の被害を説明しているが自衛隊をもっと信用したらどうか。この条約参加により保有兵器を廃棄するにも経費がかかるし、わが国を守るため活動する在日米軍の作戦活動にも大きな支障がでる。少なくとも米軍が日本国内で行う輸送や訓練に障害がでることは避けられず、日米同盟関係に重大な問題を提起する。いずれにしても兵器はこれを自国の防衛のためにいかに抑止に活用し、管理し、国民の生命を救うかという観点から装備しているのであって、かかる兵器を禁止することが人道的だというのは非武装中立論者のすることである。(もりもと さとし)