麻生太郎の「泣くまで待とうホトトギス」戦略を読み解く。「泣かせて見せよう」はサミット後か?(じじ | 日本のお姉さん

麻生太郎の「泣くまで待とうホトトギス」戦略を読み解く。「泣かせて見せよう」はサミット後か?(じじ

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▼麻生太郎の「泣くまで待とうホトトギス」戦略を読み解く。「泣かせて見せよう」はサミット後か?(じじ放談)
次期総裁・総理候補として注目度ナンバーワンの麻生太郎関連記事が、雑誌や週刊誌で掲載されることが多くなった。好意的なものもあるが、足を引っ張ろうとする記事もある。雑誌や週刊誌が「麻生太郎」を記事にする理由は「売上げを伸ばそう」という魂胆が見え見えであるから嫌らしい感じがしないでもない。「人気度ナンバーワン」ともなれば欲張ることはできない。良かれ悪しかれ「知名度が広がる」ことは悪い事ではない。国会議員は何百人もいるが、雑誌や週刊誌で取り上げてもらえる者は数えるほどしかいない。国会議員たるもの誰でも「世間の注目を集めたい」と思っているだろうが相手にしてもらえない。だから嫉妬心に狂って「麻生太郎の上げ足をとろうか」という不心得者がいても不思議ではない。

6月3日付け日本経済新聞「寸言」欄は、麻生太郎が都内での講演会で話した内容の一部を掲載した。
<今、経済政策を語ると「いよいよ麻生が福田打倒へ」と書かれるので最近は語っていない。着々と勉強し、いざとなったときにやれるよう考えている。>

(この寸言を解釈してみたい。)
第1。「経済政策を語ると、いよいよ麻生が福田打倒へ」と書かれるという意味を読み解く。麻生太郎は自らの経済政策を正直に語れば、即「福田康夫を批判することになる」と認識していることを告白している。福田康夫の経済政策は分かりにくいが、あえていえば「弱者保護」の社会民主主義のように見える。だから、民主党案を丸のみするのに抵抗を感じていないのではないか。福田康夫は「高福祉・高負担」の大きな政府を狙っているのではないかという感じもする。国民大衆から見ると、「福田康夫の経済政策は見えにくい。その場しのぎで政治をやっているのではないか?」という疑問もわく。福田康夫が財務省を中心とする霞が関の官僚機構に依存していることは、日銀総裁・副総裁人事でも明らかになった。小泉・安倍の「官から民へ」「官僚機構の肥大化を防ぎ、権限を縮小する」という路線を骨抜きにしつつあることは誰でも気がついている。財政諮問会議は有名無実の会議になった。すべてが「振り出し」に戻った。

麻生太郎はおそらく「慣例踏襲」と「省あって国なし」の縄張りと既得権擁護の官僚政治に依存していては日本の再生はないと考えているのではないか。それが「道州制導入」を掲げる理由ではなかろうか。という訳で、麻生太郎と福田康夫の経済政策は「矛盾し対立する関係」なのだ。自己の意見を正直に披瀝すると「福田康夫批判」にならざるをえない。


第2.麻生太郎はなぜ「福田内閣打倒」に動かないのか? 福田康夫の政治は「国を危うくする」と感じているに違いない麻生太郎は、なぜ「泣くまで待とうホトトギス」戦略をとっているのか?以下、その背景を読み解く。

その1.洞爺湖サミットを控えているから、総理を支えざるをえないのか?
G8の首脳並びに中国・インド・ブラジル・南アフリカ・韓国・オーストラリア、インドネシア・メキシコ等の首脳を招請して行われる洞爺湖サミットは、我が国の一大イベントである。ここで福田康夫が失態を演じると「日本の国益を損なう」から、スムースな運営が期待される。議員内閣制国家において、与党の有力議員ほか多数から批判され窮地に陥っている総理がサミットの議長役を担った場合、参加国首脳はシラケルはずだ。国内問題さえも処理できない総理が、サミットで指導力を発揮できるはずはない。という訳で、麻生太郎としても「私情」を抑えて我慢するしかないという心境ではあるまいか。「阿呆でも亭主は亭主」というから、花を持たせるほか仕方がないのだ。サミットが終われば「外聞を気にしなくても済む」から、いつでも離婚を申し出ることができる。合意できない場合は、調停離婚でも裁判離婚でも、方法はいくらでもある。夜逃げという手段もある。

その2.柿は熟していない。
数か月前の麻生派のパーティーの来賓挨拶で、古賀誠(古賀派会長)だったか、「青い柿を食っても渋いだけで、とても食えない」といったとの報道があった。「急ぐな」とタシナメタのであろう。総裁選挙に3度も挑戦して、やる気まんまん」の麻生太郎に水をかけ、熱を冷まそうという配慮であったのかもしれぬ。福田康夫の外堀はほぼ埋まった。だが、サミットという内堀が残っている。大阪城を攻めるには内堀を埋め、その後、「柿が熟して落ちる」まで待つべきであろう。下手に動けば、党内の「反麻生勢力を結集させる」から逆効果になる。「急いては事をし損じる」という。大魚を釣り上げるためには、手元に引き寄せ網に入れる寸前が一番難しい。今一歩で「大魚を逃す」ことは珍しくない。という訳で、麻生太郎が「隠忍自重」「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」待機の姿勢を堅持しているのは正解だ。

第3.麻生太郎が「着々と勉強し、いざとなったときにやれるよう考えている」という言葉を読み解く。
「常に旗を掲げていないと忘れ去られる」というのは事実である。昨今は時間の流れが早いから、さまざまな出来事が忘却の彼方に飛んでいく。あかかも新幹線に乗って外の風景を見ているようなものだ。景色はどんどん変わる。1週間前の出来事が数か月前のように感じる。大衆も、押し寄せる膨大な情報の波をかぶりアップアップであるから、いつまでも記憶に留めておくことができない。日々、新たな顔を見せていなければ注目されなくなる。宮崎県の東国原知事や大阪府の橋本知事が苦心する点だろう。大衆は「忘れっぽい」のだ。今どき「昔の名前で出ています」は流行らない。

麻生太郎は「天下分け目」の衆議院選挙で自民党が勝利するため、残された唯一のカードなのだ。だから、麻生内閣の政権構想が「選挙向けに粉飾される」のは止むをえない。ただ、国家・国民の明日の指針を提示して、国民大衆が「希望と変革」を予感できる政策を提示すべきであろう。「麻生だったらやってくれる」と感じさせる政策を提示すべきだ。その意味で、麻生太郎の勉強は、自らの政治信念を集大成しただけでは足りない。何よりも、国民大衆を感動させる「着色」がなされていなければならぬ。

マンガ道の達人である麻生太郎であるから、その程度の演出はお手のモノであろう。筆者も若い頃、喫茶店でマンガを愛読したことがあった。黒鉄某の「赤べえ」を愛読したことを思い出す。作者が読者を「ハメル」パターンは相当定型化しているのだが、その意表をつく発想が面白い。作者も読者の心理をあれこれ推察しながら工夫したに違いない。そして、作品が出来上がると「これでよし」とニンマリしたはずだ。読者は黒鉄某のヒネッタ構想に「なるほど面白い」と納得するという図式だ。次回も読んでみようということになる。マンガの面白さは、年齢相応に楽しめるということだろう。子供時代はストーリーを楽しんだ。青年期以降は「作者ーマンガー読者」の関係を読むのが面白かった。マンガや小説を愛読する者は、おそらく自分を相対化できるのではあるまいか。あるいは小泉純一郎のように演劇を愛する者も、さらに映画を愛する者も、自分の中に第2の自分、第3の自分を持てるようになるのではあるまいか。つまり「多重人格的」資質を持つのではあるまいか。
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(まとめ)
麻生太郎の「寸言」を見ると、油断せず「泣くまで待とうホトトギス」の構えであるように見える。今のところ、特別の問題はない。今後の推移を見守りたい。
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▼福田「大盤振る舞い外交」 その大金は我らの血税だぞ! (青皮の手帖)
食糧サミットに参加している福田総理が、世界的な食糧価格高騰を懸念して、「大盤振る舞い」ともいえる大金をバラ撒く約束をした。これを受けて、世界各国の担当パートは大喝采なのだが…。
 
チョット待て! その大金は我等の血税から拠出されるんだろ? 今やカツカツでやっている庶民にとっては「泣きっ面にハチ」である。ガソリン価格が高騰し、暫定税率も復活し、公共料金までもが値上げ傾向にある。どこまで善良なる庶民を搾れば気が済むんだ!
 
血税からカネを出すよりも先に、福田総理は私財をなげうって国庫に償うべきではなかろうか。首相だけではない。与野党全議員、助成金をもらっている政党やその職員たちも私財をなげうってから、国民にお伺いを立てるべきだろ。まったく腹が立つ。日本の内閣総理大臣が、世界的なプロ市民活動に邁進するなんてのは悪夢以外の何ものでもない。何しろ、首相自らが売国運動に加担しているのだ。こんな内閣倒れちまえ!
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