中国には意味のあった訪日・チベット対話(大前 研一) | 日本のお姉さん

中国には意味のあった訪日・チベット対話(大前 研一)

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▼中国には意味のあった訪日・チベット対話(大前 研一)
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中国の胡錦濤国家主席が今年(2008年)5月6日に訪日したことは記憶にも新しいところだろう。滞在期間は5日間。決して長いとは言えない時間の中で、彼はかなりの仕事をした。
コメ輸出全面解禁で合意。
早稲田大学での講演。
松下電器本社訪問。
京都の寺社仏閣の観光‥‥。

早稲田大学では、胡錦濤氏の対チベット政策に異議を唱える学生たちがデモを行ったという報道もあった。しかし、総じて彼の訪日は一定の成果を上げたとみていいだろう。わたしは、胡錦濤氏の発言や行為に「日中関係の戦後に終止符を打ち、真の戦略的互恵関係を構築したい」という意欲を感じた。その背景には、中国で加速度的に広がる貧富の差や、世界的に非難を集める環境問題を解決するには、日本の協力が不可欠という事情があるのだろう。
ここで思い出すのは、1998年の江沢民氏の訪日である。これは中国の国家主席としては初となる訪日であり、その意味では記念すべきものであった。しかし江沢民氏が歴史問題に固執しすぎた感もあって、少々後味の悪い印象が残った。実際、その後の日中関係をみると、彼の認識は歴史問題から発展しなかったことが分かる。戦前・戦中の日本が中国に対して行なった蛮行に対して江沢民氏が複雑な感情を持っていたことは、わたしとて十分に理解する。しかし政治家は「その先」を考えるのが仕事だ。つまり江沢民氏の政治は歴史問題を振り返ることだけにとどまり、その次にするべきことを彼はついに見つけることができなかったのだ。そこが彼の限界だったのだろう。その点、今回の胡錦涛氏の訪日は「よかった」「好感触」という印象が一般的だと思う。彼もおおむね満足して帰国したのではないだろうか。ここで「おおむね」と言うのには理由がある。胡錦涛氏には一つ、言い足りないことがあったはずだからだ。それは、天皇訪中の要請である。

天皇訪中は胡錦涛氏の悲願
では、なぜ胡錦涛氏は天皇訪中を実現させたかったのか。これは、今回の彼の訪日の目的の一つであった「歴史問題に終止符を打つ」ためだろう。天皇陛下を中国が「ウェルカム」と言って迎え、天皇が中国国民に対して一言述べる。それを契機に日中関係は、新しい未来への一歩を踏み出すと考えていたのではないか――。わたしはそのように想像している。これは1980年代の中国の国家主席であった胡耀邦氏の影響とみるべきだ。彼は中国の近代化に大きな功績があった人だが、例の文化大革命の時に失脚してしまう。その後、あまたの権力闘争を経て再び党中央部に返り咲くのは周知の通りだ。その胡耀邦氏が持っていた一つの願いが天皇訪中だったのである。ちなみに胡耀邦氏が天皇訪中を実現しようと働いていたとき、日本との交渉担当官が若き日の胡錦涛氏だった。だから、彼にとって天皇訪中は特別な思いを持っているのだろう。今回の訪日では、機会さえあればそこまで言いたかったに違いない。
実際、今回の訪日では胡錦涛氏は天皇陛下とも会っている。もしその場で「陛下、是非訪中を」という話になったら、どうだったろうか。恐らくは陛下も「前向きに検討させていただきます」と返答したのではないか。あるいはご自身ではそういう発言はせず、「政府の担当者に前向きに検討させます」という言い方をしたかもしれないが。今回、胡錦涛氏は天皇訪中を要求しなかった。しかし最近の中国と日本のムードを見ていると、次回の訪日、あるいは日本側からの訪中の際には、このテーマが議題に上るかもしれない。

日本にとっては疑問でも中国には成果があった訪日
もっとも今回の訪日がすべての面で友好的だったわけではない。特に、小泉元総理の靖国神社参拝については、胡錦涛氏は今も「冷や水を掛けられた」という認識でいるはずだ。「参拝をやめてほしい」と要求しているにもかかわらず、小泉氏は参拝を強行してしまったのだから、中国の責任者としては立つ瀬がないというものだ。中国といえば面子にこだわるお国柄だ。彼はいまでもそのことにこだわっている。だからこそ小泉氏は、胡錦涛国家主席を招いた朝食会には出席しなかった。福田首相やそのほかの人だったら別にかまわないだろうが、小泉氏だけは特別だろう。このように、しこりのようなものは所々に残る胡錦涛氏の訪日ではある。しかし彼自身、今回の訪日でそのしこりを何とかしようという気持ちはさほど強くなかっただろうと思う。むしろ、まもなく開催される北京オリンピックを成功させることやチベット問題の動向のほうが彼にとってはよほど悩ましいテーマだろう。

今回の訪日で重要な点は、各論ではともかく総論ではプラスだったことだ。例えば胡錦涛国家主席の動向は中国のテレビ放送を意識していた。前述の早稲田大学で行われた講演も中国に同時放送されていた。そこで話されていたことは中国の一般国民が聞いていた日本のイメージとはずいぶん違っていた。これまでないがしろにされていた日本のODAの役割なども正当に評価されていたといえる。そういう全体的な視点から判断するに、胡錦涛国家主席側から見れば今回の訪日は中国国民に日本を正面からとらえさせる、という点において成功したと言っていい。ただしそれはあくまでも中国側から見た場合であって、日本側から見たら、今回の訪日の成果はクエスチョンマークだ。中国側が発掘を始めている東シナ海の油田の問題も何も決着していない。農薬が混入していたギョーザ事件も、依然として原因は不明のままである。それでも胡錦涛氏は、今回の訪日で重要な一歩を踏み出した。日本との付き合い方に自信もつけただろう。最終的には、自分が政権を持っているうちに、天皇訪中を実現させようとするだろう。

見落としてはいけないコメ問題
ところで、今回の訪日で話し合われたことのうち、見逃してはいけないのがコメの問題だ。日本のコメを中国に輸出することが提案されたのである。これは一見、奇妙なことに映るかもしれない。工業大国である中国は同時に農業大国でもあるし、世界最大のコメ生産国だ。どうしてもコメが必要ならタイから輸入したほうがコストも安くつくはずだからだ。一体、中国の意図はどこにあるのか。まずアジアの中でも近年、日本のコメの評価が高まってきたことがある。下の図で分かるように、日本産のコメは、台湾では2005年から輸入量が上昇している。香港でも最近急上昇した。中国はようやく日本のコメの輸入を始めたところだ。その日本のコメの中国への輸出を積極的に支援しようという話になったのである。ところが、そこに注意しなくてはいけない落とし穴がある。国際関係は互恵的でなくてはいけないことだ。つまり両者にとってメリットがあることが求められるのだ。それは具体的にはどういうことを意味するか。つまり、日本がコメを中国に輸出すれば、いずれは中国のコメも日本に輸入することを求められるということだ。

既に中国は日本のコメを研究している。中国の東北3省、特に遼寧省ではあきたこまちを試育している。コシヒカリは日照時間が足りなくてうまくいかなかったが、あきたこまちは生育に成功している。今回の合意を盾に日本に輸出したいと要求してきたらどうなるかを想像してほしい。中国産あきたこまちは、日本産の何分の一というコストで作られ(試算ベースでは10分の1くらい)、安い価格で市場に出回るだろう。日本のコメが中国にどんどん輸出できるようになってよかったと喜んでいる場合ではない。いずれは「中国にも日本向けのコメがあるのだが、輸入してくれ」と求められ、「ああ、待ってくれ」とあわてふためく局面が来るのではないか。もともと、中国が先に始めていた東シナ海の油田開発に割って入っていったのは日本である。「お前がやるならおれもやる」という論理を持ち出した手前、コメ問題で相互性を持ち出されたら「日本の特殊事情を理解しろ」とは言いにくいだろう。中国がそういう理屈を持ち出すのかどうかは分からない。しかし、遼寧省で日本向けのコメの研究をしていることは、わたしが直接担当者から聞いた話なので(その水田を直接見たわけではないが)かなり信憑性が高いとわたしは見ている。
チベットとの直接対話に込められた意味
最後にチベット問題についても触れておこう。去る5月4日、中国政府とチベット亡命政府の間で直接対話が行われた。そして今後も両者の間で、適当な時期に再び接触し、協議を続けることで合意した。普通に聞けば、これはいいことだと思うだろう。だが、一筋縄でいかないのが中国のチベット問題なのである。
中国政府とダライ・ラマの特使が話し合いの場を持つのは今回が初めてではない。これまでも何度も会っている。ではなぜこれまで決着してこなかったのか。それは両者の見解に大きな違いがあるからである。そもそもダライ・ラマは自治を求めてはいるものの、チベット自治州の独立を要求してはいない。より広い自治権を求めているだけである。これに対して中国は「自治権の拡充は構わない」と言っているように聞こえるが、実はそう簡単な話ではない。ダライ・ラマの求める自治権とは、宗教の自由だけではないのだ。チベット族の人たちの自治を求めているのだ。これが何を意味するのか。

チベット自治州の独立が要求なら、話は簡単だ。独立させるか、させないかを決断するだけの話である。しかし、チベット族の人たちの自治となると、次元がまったく違ってくる。もともとチベット仏教を信じる人たちは、チベット自治州以外のかなり広い範囲に住んでいる。暴動はチベット自治州が中心だが、それ以外の地域でもチベット人による暴動は起こっている。そしてダライ・ラマは、彼らチベット自治州以外に住んでいる人たち全員に自治をくれと要求しているのだ。つまり、彼らが求めている自治とは、チベット自治州の自治ではない。チベット族の自治である。チベット自治州では、もはやチベット族よりも漢族の方が人口は多くなってしまった。まさか彼らに「チベットからいなくなってくれ」と言うわけにもいかない。そんなチベット自治州に自治が認められても、ダライ・ラマにとっては何の意味もない。すると、中国の広い範囲にわたって、霜降り肉のように点在している「チベット族の人たち」に自治をというと、具体的にはどうすればいいのか、想像がつかない。特に各省は「え、何をすれば彼らの自治を認めることになるの?」と混乱するだろう。例えば学校教育を例に考えてみよう。チベット族の自治を認めれば、授業では宗教について教えることになる。そうなればカリキュラムもチベット族の分は、他と異なるものが使われるだろう。おそらくカリキュラム以外でも、さまざまな点でチベット族は州政府と対立することになる。このような対立は、学校教育に限らず、生活のいたるところで頻出するはずだ。チベットに関してはここから先に何が起こるかわたしにも分からないが、この問題についてはダライ・ラマが望んでいるかたちでの自治は物理的にやりようがない。とはいえ、これまでのように中国が略奪したチベットを「自分たちの土地だった」という言い分も通用するはずもない。

ダライ・ラマ後継者選びの時を待つ中国政府
また、ダライ・ラマの後継者の問題もある。ご存知の人も多いと思うが、ダライ・ラマは世襲制ではない。また協議制でもない。チベット仏教では指導者ダライ・ラマが没すると、その魂はどこかに住む少年の体に入るとしている。そして、後継者となる少年の特徴が示され、僧侶たちはその条件にかなう少年を捜し出し、次のダライ・ラマに据えるのだ。日本の皇室やタイの王室などは、前の王様の血を受けつぐ子供が後継者になるのが一般的だが、ダライ・ラマは血のつながりのない子どもが、ほぼ一方的に後継者に選ばれるわけだ(それは人権侵害ではないのか、という疑問はここではおく)。ところが中国政府はダライ・ラマの後継者を自分たちで決めようとしている。実際に中国政府の承認なしに決めてはいけないという法律を中国は通している。
「政府が勝手に宗教の指導者を決めていいのか」と疑問に思うだろうが、この点について中国には“前科”がある。チベット仏教にはほかにもパンチェン・ラマという指導者がいる。その後継者もダライ・ラマ同様、没後に特徴の合う少年を捜し出すことになる。しかし現在のパンチェン・ラマは中国政府が連れてきた人間なのだ。というのも、そこに一つの事件があったのだ。前のパンチェン・ラマが没した後、僧侶たちは一人の少年を捜し出し、次のパンチェン・ラマとして据えた。ところが中国政府は彼を拉致して、どこかに連れて行ってしまい、いまでも彼とその父親は行方不明のままだ。代わりに中国政府は別の少年を連れてきて、パンチェン・ラマの座に据えてしまった。それが現在のパンチェン・ラマ11世なのである。だから、このまま年月が過ぎ、現在のダライ・ラマ(73)が没したときには、中国政府は自分たちの都合のいいように後継者を選ぶことも可能だ。そうなれば、中国がチベット仏教を完全にコントロールできる時代が来る。だから、ダライ・ラマが没するのを待つほうが、チベットに対してへんな妥協をするよりいい。

時間はダライ・ラマ側に味方していない
その観点で見れば、中国政府よりもダライ・ラマの方が焦っているに違いない。欧米世界ではノーベル平和賞も受け、英語も適度にできるダライ・ラマは人気があるが、政治力、組織力、長期ビジョンが優れているとはお世辞にも言えない。当然、最重要課題である後継問題ではジリジリ外堀を埋められ、自分のできることは限られている。今、6000人の人々と一緒に暮らしているダラムサラ(インド ヒマーチャル・プラデーシュ州にある町)など、中国政府の影響を受けないところに暮らす20万人未満のチベット人の中から後継者を捜す、と発言しているが、650万人のチベット人がそれで納得するとは思えない。また海外に逃避しているチベット人の一部は先鋭化し、テロリスト予備軍となっている。このままダライ・ラマが入寂してしまえば混乱が今よりも広がるに違いない。チベット族がテロリスト化してしまえば欧米諸国といえども「テロとの戦い」を実行する中国側につかざるを得ない。つまり時間はダライ・ラマ側に味方していないのだ。
中国政府は、へんな暴動が起こらず、国際的に非難を受けず、北京オリンピックがうまくいけば当面はそれでいいのだ。そのためにはリップサービスもいくらでもするだろう。そして心の中で「いつか、ダライ・ラマがいなくなったらおれたちの勝ちだ」と考えているのだ。複雑に入り組んだチベット問題は、一見、解決不能に見えるのだが、中国政府にとっては「時間が経って、ダライ・ラマがいなくなってしまえば解決する問題」なのである。むしろ、今回、(何の新規提案も持ち込まずに昔からの要求を繰り返したに過ぎない)ダライ・ラマの特使と中国政府が話し合いの場を持ったことは、国際世論から見れば批判が沈静化することになり、中国側にとっては極めて有意義な対談になったといえるのだ。