20代、デイトレーダーは無職か? (清谷信一) | 日本のお姉さん

20代、デイトレーダーは無職か? (清谷信一)

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▼20代、デイトレーダーは無職か? (清谷信一
昨日、テレビ東京の「久米宏・経済スペシャル“新ニッポン人”現わる!」かつて、メディアで「20代、無職のデイトレーダー」紹介されたBNF氏が出演していました。現在の資産は約210億だそうです。サブプライムの暴落にも関わらず、資産を増やしているのですから大したものです。一昨年から昨年あたりはメディアは「無職」と紹介することが多かったようですが、最近は「無職」と紹介されることはあまりないようです。また彼が初めて話題になったころは「何もしないで株の売り買いで儲けるのはケシカラン」という非難の声もありました。無職である、とかケシカランというのは的はずれな批判だと思います。トレーダーとしてあれだけの金を稼いでいるのですから「無職」じゃありません。そもそもぼくらような自由業の商売は名刺を作ってオレはプロだと宣言すればその時点でプロです。仕事があるかどうかは別な話ですが。役者やミュージシャン、モデルなどで本業で喰っているのはごく僅かです。彼らの方はアマチュアでしょうか。あるいは第三種兼業農家などは「プロの農家」といえるでしょうか。金を稼いでいるというレベルで立派なプロです。ならば一部上場の金融機関に勤めてトレーダーをやるのは立派なのでしょうか。企業の内部にいるトレーダーで彼ほど稼いでいる人間はどれだけいるでしょうか。少なくない彼ら「プロフェショナル」は先のサブライムで大損し顧客から預かった金をすったのがいっぱいいます。こういう「プロ」の方がエライのでしょうか。

どうも彼を「無職」と呼ぶのは会社に入っているのが職業人という偏見もあったように思います。因みに彼は4億円ほどのマンションをキャッシュで買ったそうですが、それは「無職」で「定収入」がないからローンが組めなかったかららしいです。ぼくの知り合いでも年収が1千万越えていてもローンが組めなかったりクレジットカードが作れなかったという話は良く聞きます。この国では組織の外で自分の才覚で金を稼ぐ人間が冷遇されているような気がします。しかも彼はタネ銭は自分で働いて貯め、それを元手に増やしていったわけです。親が金持ちで有り余る金があったわけじゃない。自分の力で金を増やしていったわけです。

 ぼくはこういう生き方も肯定される社会であるべきと思います。
普通の殆どのサラリーマンは今の時代会社がいつ無くなるかわからない、いつ首になるかわからないわけです。 高度成長期はどんなバカでも大学を出ていれば課長ぐらいにはなれたわけですが、今日日昇進もそうできるもんでもない。定年まで給料が上がり続けた幸せな時代は帰ってこないわけわけです。公務員を除いて。もっともその公務員ももうじきいまのような生活は出来なくなるでしょうが。となると、利殖で稼ぐか独立か、転職しかないわけです。いずれもある意味博打です。会社勤めは嫌だ、人と接触するのは苦手だという人だって一山当てられるというチャンスがあることを、彼は如実に体現しているわけです。

 額に汗せずに稼ぐのは、という批判はナンセンスです。
銀行や郵便局の窓口では額に汗して投信を売っていますが、大抵こういうのは買った方が儲からないわけです。金融機関ががっぽり手数料を取ります。それを引いた上で良好なパフォーマンスを残すのは至難の業です。こういう他人様のポケットにテェ突っ込むような商売は立派なのでしょうか。製造業にしても藤原正彦教授の大好きな一部上場の大企業が談合して税金を私しているわけです。保険の勧誘や保険金の支払いでインチキしている保険会社もあるわけです。
彼は人を騙すわけでも、迷惑をかけるわけでも、人に頼るわけでもなく、自分の力で財をなしたわけですから非難されるいわれはありません。むしろアルバイトで人様に「市場経済」はケシカラン」と説教されておいて、ご自分は印税制という市場経済でしっかり儲けている公務員の大学教授などの方が余程けしからんとあたしゃ思います。ただ彼の場合デイトレードが中毒の様相を呈しているようです。何が自分にとって幸せか、あるいは次に何をやるかで悩んでいるのかも知れません。もっとも故・藤田田氏にしろ、孫正義氏にしろ、金儲け自体が生き甲斐みたいなところがありますから他人が心配することではないでしょう。

◎ デイトレーダーは無職じゃないだろう-誤発注のジェイコム株、27歳「無職」男性が20億円の利益
 
http://tb.bblog.biglobe.ne.jp/ap/tb/4c7167ed49
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▼「女の時代」は消費の先喰いだった? (清谷信一)
ぼくが大学生の頃、「女子大生ブーム」があり、そのあと「女子高生ブーム」があり、男女雇用均等法ができ、「HANAKO(OL)ブーム」が起こり、バブル時代にへと突入しました。このころ盛んにいわれたのがこれからは「女の時代」だということでした。女性誌が非常に元気な時代だったわけです。雑誌はこぞって20代、30代の女性を持ち上げました。男女のどちらかに非があるという議論になると必ず男が悪者でした。しかもメッシー君、アッシー君という言葉に代表されるように恋愛の「売り手」は女性側でした。女は蝶よ花よと扱われて当たり前、という空気がありました。クルマを持っていない男とはデートしない。エッチはシティホテルじゃないと嫌とか、クリスマスにはティファニーのリングぐらいもらって当たり前、てなものでした。また「自分探し」のためのOL留学なんぞも持てはやされました。また「女の自立」もブームでした。結婚で自分の安売りはしない、生活水準が下がるような結婚はしないというのが当たり前、という雰囲気でした。そんなわけで随分と「当時の若い女性」はメディアに持ち上げれらたわけです。で、勘違いした女性が大量生産されたわけです。今の自分は本当の自分ではない、自分が幸せでないのは世間が悪いのだ、というわけです。ところが真面目にコツコツ勉強するとか、本当の意味での地味な自己研鑽とか貯蓄とか利殖とかを行ってこなかったわけです。利殖とかいうとメディアと不動産屋に煽られて一人暮らし用のマンションをローン組んで買わされたりとかです(無論バブルがはじけて価格はがた落ちですが)。

雑誌の狙いは何だったのか。
女性をおだてて消費をさせることでした。
冬はスキーに行くのが当たり前(しかもウェアも板も毎年買い換えるのが当たり前)、連休は海外旅行にいくのが当たり前。つまり女の自尊心と競争心を煽って消費を煽っておったわけです。まあ、風俗勤めのお姐さんが、まともな金銭感覚を失ってホスト遊びに狂うようなもんです。で、ふと気づくと「大人の女」ではなく「オバサン」になっていたと。ふと気づくと大した蓄えもなく、子供を産む機会も逸しつつある。愕然として結婚願望に目覚めるも、高望みを「当たり前」と思っているので相手に求めるものばかりだから結婚もできない。
 
エッセイストの木村和久氏によるとババァになってもバブル当時の娘時代の価値が自分にあると思いこんでいる「不良債権女」ということになります。
今にして思うと、バブル時代=女の時代の気前のいい消費は、実は需要の先喰いだったのではないかと思います。いまになって将来の不安も増え、消費を謳歌するどころではないでしょう。昨今の個人消費の低迷はそのあおりではないかと思っております。やはり人間分相応に暮らすのが一番であります。

今の40前後の女性は一度当時の女性誌なんぞを読み返して見ると面白いと思います。如何に自分たちがメディアにいいように踊らされて財布のヒモを緩めて無駄金をばらまいていたか気がつくでしょう。 現在の20代の女の子、特に就職氷河期を体験した子達にいわせるとバブル世代の女性は世の中を舐めているといいます。今の若い女性は遙かに厳しい環境で育っていますからもっと堅実だし、結婚願望も強いから身の丈にあった消費をするでしょうし、出産率も増えるのではないでしょうか。そんなわけでぼくは日本の未来に関しては比較的楽観的です。
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