西 村 眞 悟時事通信・宮崎正弘の国際ニュース・早読み | 日本のお姉さん

西 村 眞 悟時事通信・宮崎正弘の国際ニュース・早読み

クラスター爆弾禁止条約
                 No.348 平成20年 6月 2日(月)
                         西 村 眞 悟

クラスター爆弾を全面的に禁止する条約が採決された。
5月31日の報道によると、我が国は当初難色を示していたが、福田首相の政治判断で条約案への同意を決めたという。その数日前に、東京の中野サンプラザで開かれた講演会で、クラスター爆弾の廃止についてどう思うかとの質問を受けた。私は、明確に全面禁止条約に署名すべきではないと答えた。とは言え、首相の「政治判断」で署名されたので、報道機関の解説とは別に、以下私の観点からコメントしておきたい。

まず第一に思い至ったのは、クラスター爆弾禁止条約推進の国際的動きと、国内の署名に至るプロセスとも、九年前の対人地雷禁止条約締結の時とよく似ているということである。まず国際的な動きの共通点は、第一に、両条約共に子供などの非戦闘員の被害を防ごうとする人道的観点から有志国と国際的NGOにより推進されていることである。国際的な第二の共通点は、我が国周辺諸国、つまり、アメリカ、中国、ロシア等は共に両条約に参加していないことである。
 
また、国内的な共通点は、首相の「政治判断」によって署名された、という点である。しかも、その判断をした首相であるが、共に百歩譲って奇妙な発言(譲らなければアホな発言)をしている。アホとは言い過ぎであれば、唖然とするほど国防を牧歌的に考えすぎている、といえる。まず、対人地雷禁止条約に関する故橋本総理と記者との会話。地雷を海岸線に敷設しなければ敵が簡単に上陸してくるのではないか、と記者から尋ねられて、橋本総理は次のように答える。「君、日本の海岸には海水浴客がいるんだよ、地雷など敷設できなじゃないか」。(たぶん、敵の全面に水着を着た女性がいっぱい遊んでいる湘南海岸が頭をよぎったのであろう。今は亡き愛すべき橋本さんの顔が目に浮かぶ)次に、クラスター爆弾に関する福田総理の発言であるが、子爆弾を見せられて、「これが、ひらひら空から落ちてくるの?」。
(この発言についてはあんぐり口を開けるだけでコメント不能。これが最高指揮官の発言なのであるから、自衛隊の士気を維持できるのであろうかと心配である)これら総理の発言から伺えるのは、二人とも、我が国「国防」の基本的戦略戦術の観点から、対人地雷保有の意義、クラスター爆弾保有の意義を得心した上で、敢えて廃棄の「政治判断」をしたのではないであろう、ということである。言うまでもなく、総理大臣は国防の最高責任者であるのだが。

次に、国際社会の中で「人道」を掲げてイニシアティブをとる動きについて、対人地雷禁止条約(オタワ・プロセス)の際の背景を次の通り指摘しておきたい。似たり寄ったりだから、クラスター爆弾廃止条約(オスロ・プロセス)の背景分析の参考になると思う。まず、旧ユーゴスラビアに展開したカナダのPKO部隊が現地の女性に対して集団暴行を加えるという不祥事を起こす。カナダ政府は直ちに部隊を本国に召還して解散する。その後、此の不祥事によって失墜した国際的評価を挽回するために、カナダ政府はカンボジアなどで子供の被害が続いている対人地雷の全面禁止条約の旗を掲げる。これが「人道的な」オタワ・プロセスの始まりである。此の時、カンボジアなどに埋設された地雷による子供たちの被害が世界中の同情を集め、英国皇太子妃のダイアナさんなども盛んに地雷除去に取り組んでいることが報道されていた。(もっとも、地雷よりも交通事故によって死傷する子供の数の方が圧倒的に多いのであるが自動車廃止条約の動きはなかった
 
ところで、此の対人地雷禁止条約では、地雷の除去義務は地雷を敷設した国にではなく、地雷が敷設されている国にある。そこで、現在もっとも多くの地雷が敷設されている地域は何処かと探すと、それはエジプトの西方エルアラメイン地域で、敷設した国はイギリスであった。ここは、第二次世界大戦におけるドイツ軍とイギリス軍の激戦地であり、ここにイギリスは数千万発の地雷を敷設したまま現在に至るも放置しているのである。これは、カンボジアとは文字通り桁違いの多くの地雷である。ここで地雷の事故が起こらないのは、危険すぎて人が住めないからである。この意味では、人が住めるから時々事故が起こるカンボジアの方が牧歌的といえる。そして、イギリスは、この条約に署名することによって、敷設した膨大な地雷除去の義務から解放されたのである。

確かに、戦闘が終わり平和が訪れてから埋設された地雷(主にカンボジア)やクラスター爆弾(主に旧ユーゴ)によって、子供や民間人が死傷することを防がねばならない。これを防ぐために一番手っ取り早い方法は、その兵器を無くすことである。交通事故を無くすには、世界中で自動車を全面廃棄すればよいのと同じである。しかしながら、この人道主義の理想に従うだけでは、国防は成り立たない。国防不能となれば、そもそも人道主義が成り立たない。「国防は最大の福祉である」からだ。
 
クラスター爆弾が無くなっても当面、国防上の脅威を感じない北欧やイギリス、フランスそしてイタリアなどの諸国とは我が国の位置が違う。既に述べたように、我が国の周辺国はすべてクラスター爆弾も対人地雷も保有し続けているのである。ついでに言うなら、生物化学兵器も造り続けている。従って、現在の時点において、我が国だけが地雷に続いてクラスター爆弾も放棄して、どうして国防が成り立つのであろうか。また、我が国国防の柱は、日米同盟による日米両軍の共同対処であるが、果たして対人地雷もクラスター爆弾も無い日本軍(自衛隊)との共同戦闘行動をアメリカ軍が行うであろうか。地雷やクラスターがあれば出なくてもよい死傷者がアメリカ軍兵士にでれば、その時点で日米共同対処の体勢は崩壊するであろう。つまり、日米同盟解消である。何故なら、亡くなったアメリカ軍兵士の母親や家族を擁するアメリカの世論が、日本のために自分たちの子供が戦うことを拒否するからである。

さて、九年前に発効した対人地雷禁止条約の国会における承認に関しては、衆議院では西村眞悟、参議院では故田村秀昭議員の合計二名が反対した。あとは、全会一致の承認であった。この度のクラスター爆弾禁止条約の国会承認に関する私の態度は決まっているが、自民・民主という各党はどうするのであろうか。こういう、国防という問題で、内部の議論を押さえ込んで今回も地雷の時のように「全会一致」の賛成なら、この思考停止の政治体制自体が既に我が国の危機であり、我が国危うしである。国家再興の為に、政界再編が不可欠である。 (了)
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成20年(2008年)6月3日(火曜日) 
通巻第2208号 (6月2日発行)

 中国人経営者、若手幹部の間で、静かなブームは『徳川家康』
  日本版『三国志演義』や『資治通鑑』として謀略を最優先の視点で
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過日、長沙空港から広州へ飛んだ。
飛行場の書店を冷やかすと、例によって中国人に人気の頂点はビルゲーツ自伝、ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロスの御三家。
ともかく、凄まじい人気である。 ついで香港最大財閥・李嘉誠の評伝、伝記のたぐいが幾種類も並んでいる。要するに金持ちへの単純な憧れと自分の夢を重ねているのだが、金持ちになることが中国人の素朴な夢であるとすれば、拝金主義も行く着くところまでいって、やがて陥没するだろう。

 ふと別のコーナーへ目を移した。
「ん?」ベストセラーの書棚に山岡荘八の大河小説『徳川家康』が並んでいるではないか。書店から出ると、たまたま幹部社員らしき中国人ビジネスマンが、その『徳川家康』中国語版を小脇にかかえて通り過ぎていった。不思議な感慨に捕らわれた。どうして徳川家康が、中国人に受ける?(あんな人生、おそらく理解出来ないだろうに?)

五月下旬、ようやく仕事に一段落ついて、中国語のメディアをあちこち、ネットサーフィンしていたら、「多維新聞網」の意見開陳欄(5月26日付け)に、徳川家康に関しての投書がたくさん集まっているのを見つけた。ざっと読んで先の静かな徳川家康ブームが本物なんだと得心できた。

或る中国人読者曰く。「徳川家康は徳川王朝の初代君主である。日本の戦国時代にあって群雄をたいらげ、360年にわたる長期政権の礎をつくった。徳川政権は大和精神の堡塁を維持したが、1867年に欧米列強の巨砲の前に崩れ去り、天皇政治が復活し、明治維新の時は日本人の怨嗟の対象となった。また中国の知識人にとっては辛亥革命前、「清朝を斃すことが出来る」という考え方を抱くに至った。(中略)徳川の生き方は謀略とはかりごとに満ちており、一方で全国統一という理想を失わず、中国で比較すれば『三国志演義』『資治通鑑』に匹敵するだろう。」

ここまで読んで、なるほど中国的解釈というのは、この程度のものかと感心する。浅薄な西側歴史家と同様に、徳川を「王朝」と勘違いしていることや、徳川政権が360年続いたという事実誤認(実際は260年余)は置くとしても、徳川王朝が天皇政治と「交替した」かのような、中国同様の易姓革命の史観でとらえている。
最大の誤謬であろう。

そして、こうも言う。「徳川家康は百戦百勝という孫子の概念を理解して、戦争でも謀略を先に仕掛け、戦略的思考から、あらゆる忍耐に耐えた。忍耐は屈辱でもなければ怯懦でもない。たとえ奴隷の如く、屈辱に耐えてでも、その先の勝利を確信していたからだ。主君・織田信長が、家康の長男に切腹を命じたときですら、家康は反乱を起こさずに耐えた。天下をとるという悲壮な決意が、忍耐を生ませたのである」。

孫子のくに、謀略史観が主流のくにである故に、こういう解釈が出てくるのも当然だろう。小生、この箇所まで読んで、はたと手を打った。おそらく中国語訳は、山岡荘八の原作にある情緒や人間味の描写を離れ、そういう中国的味付けで、再構成しているのではないか。(なにしろ中国語訳にまともな作品はすくないから)。

ともあれ徳川家康が中国人ビジネスマンに読まれている現実は驚きでしかない。
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(読者の声1)李登輝氏と陳水扁氏の不仲、確執の原因はどっちもどっちということだったようです。李登輝氏は2000年に総統となった陳水扁氏に大きな期待をかけ、「あれをしなさい、これもできる」とアドバイスしたのに対して「あなたが総統のころ出来なかったことを私にやりなさいと言われても」ということのようです。政治家としての器量は比べるまでもありませんが、なにせただ一人偉大な指導者がいるだけでは、一国の国運は儘ならず、そのかじ取りは巧くゆかないようです。このことに接して思い浮かびますのは日本の明治維新政府内の権力闘争です。御維新の後、新政府は西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、岩倉具視、三条実美、大隈重信、板垣退助、副島種臣、江藤新平、前原一誠らが入れ替わり参議となり、集団指導体制が敷かれました。そしてその中心軸は薩摩の大久保利通と長州の木戸孝允でした。二人は薩長勢力の対立を背景に、幾度も離反し、木戸は政府から下野もしますが、互いに対手の度量を深く認め合い、無私の心で真に日本の将来を思っていることを双方理解し合っていました。その二人は、秩禄処分、地租改正、征韓論や征台論など士族や国民の憤懣を煽って政権奪取を謀る勢力が立ち現れ蠢き出し、国運が危うくなるような場面では、何度も仲直りをして一体となってそれらに衝たり国難を乗り越えました。すでに(陳水扁政権下野で)手遅れですが、村松剛の『醒めた炎 木戸孝允』あたりを日本語を解する李登輝氏にはお読み頂き、陳水扁には教えてあげたかったところです。(有楽生)

(宮崎正弘のコメント)その昔、村松剛先生と台湾へご一緒したことがあります。蒋介石の第二子といわれた「蒋偉国」氏と会いました。戦略学会理事長とかの肩書きで、台湾の防空体制や、戦闘機の配置など、村松先生お得意の意見交換が出来ると意気込んで言ったのですが、中華という哲学の由来について滔々と述べられ、時間切れ。李総統の武士道解釈はキリスト教的普遍的価値観の倫理が基本で、明治維新の志士たちの武士道とはおおいに懸隔があります。

♪(読者の声2)貴台の「フロムの「自由からの逃亡」をもじって言えば、「死からの逃亡」である。それが戦後日本を徹底的に駄目にした原因のひとつではないのか。命よりも大切な価値があるという精神の忘却、或いは精神の腐敗が、こんにちの日本の政治をこれほど貧しくしたのではないのか。」肺腑を抉り、内心忸怩たるものを覚えます。(SJ生)

(宮崎正弘のコメント)ヘミングウェイの『殺人者』という短編を思い出しました。自分を殺しにやってくる殺し屋が明らかなのに、何もしないで壁を見ている。凄絶な絶望!
 
♪(読者の声3)最近新聞を読んでいると途轍もなく可笑しな議論と私には思えるにもかかわらず、全く反論を見かけないことが二つあります。私は頭がおかしいのでしょうかご教授ください。
まず防衛省の制服組と内局職員の人事交流に関して、所謂「軍人」が内局にはいることへの内局職員の抵抗感や、幕僚長が局長以下として移動することへの「軍人」の反発が報道されています。しかしその何百倍も有用で緊急性を要し、しかも実現性が高いのは、内局職員の自衛隊体験入隊ですが、この点が閑却されています。体験入隊といっても一週間とか一ヶ月ではなく、内局の新入職員は最初の一年間必須とし、課長職以上の職位に付く場合は一年間の入隊経験を前提資格とするのです。それが嫌なら防衛省など辞めて他の省庁や民間企業にどうぞ行ってくださいということです。これこそ防衛省職員の意識改革に即効があります。日立なぞ大卒の新入社員も最初の一年間は工場勤務で敷地内の草むしりまでやらせるそうです。民間企業にできることが何故官庁でできないか全くわかりません。
現場を知らない内局職員など日本の防衛にとって危険極まりない存在です。もう一つ、可笑しな議論がなされているのは、日本の海外援助が殆ど有償援助(借款)であり無償援助が殆どないことに関する議論です。
先ごろ英国政府がこの点を批判ました。英国政府批判派は自国の国益を目的としてずるくも日本を批判したという議論を産経新聞で読みました。英国を批判しても無益です。残念ながら的を射た批判だからです。日本政府が有償援助を中心とする理由は公式には、以下の二点です。
(1)無償援助では被援助国が援助国に全面的に頼ることになる。被援助国の自立のために有償援助のほうがすぐれている。
(2)有償援助は返済義務のある借款であるが、商業ベースより利率が低く、免除した利息分だけでも多額の援助となっている。しかし私は、以下の理由により今後、有償援助を縮小ないし全廃し無償援助中心にすべきと考えます。
(1)有償援助は使い道を被援助国が決めるが、まともに使途を決め事業を開発運営できる被援助国は殆どない。
今後、日本が援助を拡大していこうとしているアフリカならボツワナとモーリッシャスくらいであろう。この二カ国はODAの借款など必要としていない。それ以外の国では、どこかに援助されたお金が消えて債務だけが残る可能性が高い。その結果、援助国である日本は非難されることとなる。はじめから結果が予想されているのに実行するのだから非難されるのは当然である。(2)有償援助の場合、日本政府は特殊法人を設立して、そこから有償援助を行うことが多くある。その場合、中央官庁からその特殊法人に幹部として官僚が天下る。実際には返却される可能性の全くない債権があっても彼らは先送りすることが常である。そしてその特殊法人は債務超過の破綻状態となって、天下り幹部や職員に給与を払い続ける。つまり被援助国だけでなく援助国の日本でも援助が食い物とされます。今後は日本からのODA援助は無償援助のみとし、実際に使われる末端まで監視できる体制を確立した上、日本の官僚の利権としないメカニズムの確率が緊要と考えます。(ST生、神奈川)

♪(読者の声4)貴誌2205号で次のやりとりがありました。「シャロン・ストーンのことが貴誌に報じられました。四川大地震はチベット弾圧への因果応報と言ったそうですが。不穏当な発言かと思います。(TW生、栃木県)」の意見に対して宮崎さんが、「中国系メディアが仕組んだ可能性がありますね。シャロン・ストーンは記者会見で「中国の遣り方、地震被災への救助活動はチベットの時と違うわ。あの差別はなによ、不愉快だわ。わたしたちはダライラマと親しいけれど、あの天災は因果応報かもしれないし。。。」と発言しているのですが、「因果応報」の部分だけを抜き出し、中国系のアナウンサーが米国で街の声を聞いている。そうすると、民衆は「不適切きわまりない発言」「政治と人助けは違う」という批判に集中して行った感じをうけましたね。こうした反撃でリチャード・ギアらの中国批判をうまくそらそうとする情報戦術の可能性もあります」と回答されています。その後の発展をみていると、まさにこの通りではありませんか?(SY生、三鷹)

(宮崎正弘のコメント)シャロン・ストーンというハリウッド女優、小生は『氷の微笑』という映画しか見たことありませんが、ストーンを広告のキャラに使ってきたクリスチャン・ディオールが「勝手に謝罪したけど、私は謝らないわよ、わずか四秒のコメント部分だけをぬきだして全体の談話を紹介しないのは不公平だわ」と正論を吐いている。
 すぐにぐにゃとなって北京に謝罪した、どこかの国の政治家諸兄は、シャロン・ストーン女史の爪の垢を煎じて飲むべし。
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