人、モノ、金は自由な活動を欲し、規制を嫌う(平井 修一)おすすめ記事!
ようちゃん、おすすめ記事。↓頂門の一針
市場経済と大久保通り
━━━━━━━━━━平井 修一
午前2時に目が覚めた。現役を引退してからは午後9時には「できあが って」就寝しているから、朝の3時、4時頃に目覚めることはままある。「爆睡」は若い者の特権だろうな、と思うが、ふすまを隔てた隣室ではカミサンが気持ちよさそうにいびきをかいている。
うらやましい。どういう構造なのだろう。悔しいからたまにチョッカイ を出すが、カミサンの布団には犬がしっかり寝そべっているから思うに 任せない。
しかたがないのでPCの前でごそごそしていたら、4時になってようや く眠気が戻った。この瞬間に再び眠りにつかないと目がかすんで疲れが 残る。急いで寝床に入るが、半覚半醒というか、うつらうつらというか、微妙な精神状態が続く。
体は寝ているが、頭は中途半端という状態で、夢みたいな思いやイメー ジがちらちら、とろとろ浮かんでくる。以前は嫌な感じだったが、今で は面白いと思うようになった。
「人、モノ、金は自由な活動を欲し、規制を嫌う」
今朝はこんな言葉が浮かんできた。なんか記事のテーマがないかなあ、 といつも思っているから、妄想するのだろう。フロイトなら「潜在心理 が顕在化した」「リビドー(性衝動)が犬によって疎外された代償とし ての妄想」なんて言うのだろう。このインチキ野郎め。
小生はフロイトの著作を4回読んだがちんぷんかんぷんで、何が言いた いのか、たった一行が著作の3分の1を過ぎたところで初めて分かると いう、ほとんど犯罪的な書物だった(「精神分析入門」「夢判断」)。 幸いにも今の精神医学会はユング派が主流というからほっとしている。
ところで「人、モノ、金は自由な活動を欲し、規制を嫌う」というテー マだが、市場経済の根本原理がこれで、それがいいことかどうかはさて おき、近代史を紐解けば、それは事実であり、今も事実である。
鎖国・日本の門戸をこじ開けるために、列強諸国は「船に水と燃料を供 給してくれ、困ったときは助けてくれ」と言って来た。
厭だ、と言ったら大砲を持ってきた。仕方なしに条約を結んで開港した ら、商売を手広くやらせろ、と言う。商人や外交官を守るために軍隊を 駐留させろ、と言う。
それが世界の常識だ、日本もやったらいい、と列強諸国は日本を教育し、日本は「そういうものか」と台湾、朝鮮、清国へ派兵し、露国をアジアから駆逐し、係争国との条約に基づいて植民地や租界、権益を拡大していった。
それが当時の国際社会のルールで、少しも非難されるいわれはない。
「もっと自由を」というのは市場経済の本能であるから、日本も台湾、朝鮮、清国へどしどし「人、モノ、金」を送り、自由な活動をバックアップした。
台湾、朝鮮に対し日本は貧しいながら国家予算の多くを投入し、植民を 進め、国づくりに汗を流す。先住民にとってそれは当初は不愉快だった。当然、反発もあった。自分たちの町や村に日本人が来る、
日本のリーダーシップのもと、どんどん近代化される、町が整備される、道路や鉄道ができる、日本語の教育も進められる。
先住民は最初は戸惑い反発した。就職や進学で日本人枠、先住民枠とい う差別もあった。二等国民扱いもあった。それは事実だが、やがて多く の先住民は「日本式植民地経営」、すなわち収奪するだけの苛烈な欧米 式とは異なる「共存共栄、苦しみも繁栄も共にしよう」という姿勢を評 価した。(新宿区の大久保通りを我が物顔にバッコする外国人は地域に 何の貢献もしていないから不評を買っている)
植民地と先住民の発展に粉骨砕身で貢献した日本人を見て、多くの先住 民が日本と運命を共有することに誇りを持つまでになった。昭和19年、 敗戦の前年に台湾、朝鮮で志願兵を募れば募集の10倍、100倍の応募があ ったという。その多くは英霊となって今、靖国におられる。
閑話休題。市場経済の普及という世界史の流れのなかに日本もアジアも あったということだ。歴史の潮流というか本流には逆らえない。
連合国と枢軸国の2大ブロックで敵対して「人、モノ、金」は自由を阻 害されたが、連合国が勝って英米主流の市場経済は世界を征服しそうだ った。が、冷戦で再び三度、2大ブロックになってしまった。1980年代 にソ連と中共がおそるおそる市場経済へ転換してきたが、まだまだ及び 腰で、政権を握る権力者は「人、モノ、金」の手綱をまだ握って手放さ ない。
主要産業を民間に委ねることはできずに中共の場合は企業の70%の株式 を国が保有しているから、「改革、開放」とは言っても市場経済からは まだまだ遠い。ロシアは19世紀まで先祖帰りしてプーチン王朝になっ てしまった。(「ソルジェニーチンとプーチンの握手」は今後の小生の テーマである)
日本の「改革、開放」、すなわち「人、モノ、金」の自由度はどうなの か、規制緩和度はどうなのか。
ソ連と中共が厚手のコートを脱いで長ソデ、長ズボン姿なら、日本はポ ロシャツと半ズボンである。アメリカは「下着だけにしろ」、イギリス は「裸だっていいものだよ」と、フリー・セックスならぬフリー・トレ ードに日本を誘うが、本能的に新宿の「大久保通り」やら「歌舞伎町」 「職安通り」、さらには移民の多い静岡県の「溶解・困惑」を知ってい るから日本人は「ちょっと待ってよ」と思うだろう。
相手国を植民地にしたり、自国が植民地になったり。「人、モノ、金」 がますます自由気ままに動くのが世界の潮流なのだろうが、少なくとも ごった煮、ヤミ鍋のような町の町長さんが「多様性、diversityを越えた 共生、共存。 これがわが町の活力なのよ」と自慢しても、小生はその喧騒から逃れて 冷奴と銚子をもって裏庭に逃げるだろう(あら、前田正晶さんが皿とグ ラスを持ってたたずんでいた)。そしてできもしない「鎖国」を夢見る のである。