官僚の仕事は不況を作り出す事。 (大日本セキュリティ) 日本を襲う官製不況の嵐(2) | 日本のお姉さん

官僚の仕事は不況を作り出す事。 (大日本セキュリティ) 日本を襲う官製不況の嵐(2)

ようちゃん、おすすめ記事。↓

▼官僚の仕事は不況を作り出す事。 (大日本セキュリティ)
大前研一氏が「官製不況」の件を取り上げています。
www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/132/

 ◎日本を襲う官製不況の嵐(1)
日本が今も不況に向かって「着実に」歩を進めていることは、衆目の一致するところだろう。この不況の原因として、米国のサブプライムローン問題をやり玉に挙げるエコノミストや政府筋関係者は多いが、それは明らかに間違いである。まったく無関係であるとは言うまいが、少なくともサブプライム問題が起こる以前、昨年の8月くらいから日本の景気が下降していたのは否めない事実なのだから。有り体に言おう。日本が不況に向かう真の道筋・原因をつくったのは、サブプライムローン問題ではない。役所・官僚・政治家である。つまりこの不況は「官製不況」と呼ぶのがふさわしい。この言葉は今から15年ほど前に、金融不況をつくりだしたのは当時の大蔵省を中心とした官僚たちであった、という記述の中でわたしが使い始めた言葉だ(「新大前研一レポート」(講談社、1993年)のp.56)。日本の現実で最も深刻なのは、今回の円高100円である。これは、日本の官製不況に対する“ポツダム宣言”だと言っていい。それを無視し、国民生活者や世界をまだだませると思って今の調子でやり続ければ、市場暴落、金融破綻という“原爆”につながる可能性さえある。 日本経済が世界の経済常識からどれくらいかけ離れたものになっているかは、先に挙げた本や、「利用者の立場に立った証券・金融市場改革」(大前・丸山著、プレジデント社、1991年)などのなかでさまざまな面から検証しているので、ここでは多言を要しないと思う。いずれにしても、政策当局者がこれを正確に理解していないことの方が問題は大きいのだ。以下、日本の現実を整理して見ていこう。
これほど深刻な日本の現実
「官製不況」指摘から15年後の今日、事ここに及んでもなお、政府はまだ不況に向かっていることを認めてはいない。遺憾なことではあるが、これもまた「いつものこと」である。1993~1994年にかけて不況に突入していたときもそうだった。はじめのうちは政府も「不況じゃないよ」と否定をしていた。手前味噌になるが、当時のわたしは、「不動産不況で100くらいの銀行がつぶれ、株も1万2000円、下手すると9000円に下落、東京の地下も10分の1になる、不良債権は100兆円を下らない」と月刊誌などで繰り返し指摘していたのである。にもかかわらずである。当時の大蔵省は、自分たちで軟着陸させられると豪語していたのだ。不況の程度を軽く見ていたのだろう。大蔵大臣であった武村正義氏は、不良債権の額を13兆円程度と発表していたくらいだから。もっとも、その13兆円は後の政府発表では27兆円になり、半年くらい前には日銀総裁だった福井氏が、国民が不良債権に払った額は300兆円だったと言っている。わたしの計算では、300兆円というのは最悪のシナリオのケースだった。計算の仕方にもよるが、わたしは150兆円、思いきり大きく見積もっても280兆円と計算していた。福井氏が言った300兆円という額はそれを超えている。福井元日銀総裁の計算根拠は分からないが、わたしの計算根拠は「日本の真実」(小学館、2004年)のp.237などに掲載している。 いずれにせよ、その膨大なお金を支払ったのは、国民である。国民が「金利をもらわない」という世にもまれなやり方と、そして税金で支払ったわけだ。このような芸当ができるのも、日本人が世界的にも珍しいほど、おとなしい国民だからということにつきる。0.1%という金利でも、日本から逃げずにじっと我慢していたのが日本人なのだ。

小泉改革への反動で不況が始まる」はごまかし。さて、本題である「官製不況」に移ろう。現在の政治を見ると、小泉改革への反動が感じられる。小泉改革といえば、規制緩和や構造改革、民営化などが「成果」として挙げられる。ところが現在の自民党、あるいは役所では「小泉改革はやり過ぎた。だからその反動で企業の不祥事などが起こっている」という認識のもと、小泉改革への反省が起こっているのだ。
 特に福田内閣になってからその傾向が強い。小泉改革に対する反省という言葉がよく聞かれるようになっている。ライブドアショックのような企業の不祥事、産地偽装、耐震耐火偽装、年金不祥事、二極化、格差、ワーキングプア‥‥。これらがすべて小泉改革に原因があるといわんばかりである。もちろんそんなはずはない。小泉改革が原因で二極化が進んだというのか。もしそうなら「ずいぶん早く二極化は進むものだ」とわたしもびっくりである。

 政府は表向きの対策として、消費者保護、投資家保護、労働者保護、弱者保護などのルールをつくっていこうとしている。それ自体は結構なことだろうが、ここで注意したいのはルールをつくるプロジェクトメンバーに「日本の経済のパイを大きくしよう」という人は一人もいないことだ。福田内閣はもとより、役所にも、識者の中にもほとんどいない。そのためプロジェクトは「どうやって産業を伸ばすか」ではなく、「どうやって産業を規制していくか」という方向に向かっている。驚くべきことである。お役人にとって企業とは「放っておくと悪いことをするもの」なのだ。日本史の教科書で読んだ天保の改革、寛政の改革をほうふつとするのはわたしだけだろうか(念のため書いておくと、この二つの改革はどちらも成功したとは言い難い)。どうもこの国のリーダーの頭の中は、江戸時代からさほど進歩していないらしい。

グランドデザインのない消費者・投資家・労働者の保護
さて、このプロジェクトを遂行していくとどうなるか。考えるまでもない。官庁は消費者保護を名目に、食品安全、建築安全、上限金利の制限――といった新ルールを設けることになるはずだ。しかしそれを経済的な視点から見れば、高コスト化、需要減退、認可遅れ(=機会の損失)、中小企業倒産――などにつながる。誤解のないよう書いておくが、わたしは消費者保護が悪いというのではない。プロジェクトのグランドデザインを欠いたまま一方的に企業を規制しては経済が悪化する可能性がごく高くなり、ひいては肝心要の消費者保護も反故になるということを懸念するのである。そういう視点は官庁にはあるのだろうか。

 投資家保護も同様だ。投資家を保護するのは当然、非常に重要なことである。しかし、その目的でつくられた金融商品取引法は、極めて厳格・複雑、かつ思慮が浅い。「米国でSOX法が出たから日本ではJ-SOX法だ」などと言って、そのまま持ってきてしまう。だからいくらも経たないうちに矛盾が噴出して、ファンドの規制などが起こっている。その結果、外国からのお金が日本に入ってこなくなり株価の低迷が始まっているのだ。またお役所に行ってみれば文書の山で、とても企業にJ-SOXを押しつけられる仕事の仕方をしていない。重要文書の紛失や廃棄はお手のもので、下々に要求しているような透明性や再現性を自分たちが心掛けているとは言い難い。民間企業に難しい仕掛けを要求しながら、自分たちの仕事のやり方は旧態依然としている。

 政府の考える労働者保護も、労働力不足と人件費アップを招こうとしている。このままでは企業が国内から逃げて、人件費の安いベトナムへ行こうということになるはずだ。結果、国内の雇用が駄目になる。これを象徴するのが経団連会長の御手洗氏の発言だろう。彼は労働者保護について、「企業の人間としては反対だが、政府として、あるいは経団連としては賛成せざるを得ない」と言った。

 企業のトップとしてはその発言はいかがなものかとわたしは思う。本来であれば「企業の考えはこうである」と、企業の立場で発言しなくてはいけない。だが、経団連としては、いろいろな方向に遠慮して予定調和な発言をしてしまう。それでいながら、キヤノンはちゃっかりベトナムの地盤を強化している。もし「派遣社員を正社員にしろ」と言われたら、キヤノンはベトナムへ行くだけなのだ。

www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/133/

 ◎日本を襲う官製不況の嵐(2)

前回のコラムでは日本が置かれている閉塞状況を「官製不況」と位置づけ、各省庁の打ち出す政策のまずさを批判した。今の日本が直面している不況は、サブプライムローン問題によるものでは断じてない。政治・行政の無策によるものである――と。とりわけ厳しく批判したのは経産省である。「鉄は命を懸けても守る」とプレジデント誌でのたまわった事務次官を頂点に持つ同省がつくった買収防衛指針が世界の常識にどれほど反するものであるか。それが日本の経済に与えた打撃はどれほどのものか。なるほど経産省の買収防衛指針は、外資系ファンドからの買収攻勢にさらされたブルドックソースを裁判所と二人三脚で救うことはできた。それは誠にご同慶の至りだが、1社が生き延びた陰には累々たる中小・零細企業の骸(むくろ)が転がっているのだ。「一将功成りて万骨枯る」という言葉を地で行くような話である。この未曽有の閉塞感の中、そんな政策はいかな理屈をもってしても正当化されるはずはない。しかし問題は経産省だけではない。今回、わたしが大きく取り上げたいのは金融庁だ。皆さんにとって金融庁というと、「巨大な権限を持っている役所」というイメージだろうと思う。しかしそれは誤解なのだ。もともと金融庁は、非常時をしのぐために出来た役所にすぎないのである。
金融庁が発足したのは2000年である。そのころ、金融再生法・早期健全化法を施行するうえで銀行の面倒を見る機構が必要となっていた。従来、こうした仕事は大蔵省の役目だった。しかし当時の大蔵省は非常識な接待やら何やらと不祥事が相次いでおり、とても安心して任せることはできない。また銀行の不良債権の蓄積を許してきた当事者でもあり、問題を解決するどころか隠ぺいすることに汲々としていた(詳しくは拙著「金融危機からの再生」(プレジデント社、1995年11月))。そこで新たにつくられたのが金融庁というわけだ。つまり金融庁は、大蔵省のスキャンダルの産物ともいえるのである。何を隠そう、そのとき金融庁の設立を提案したのはわたしなのだ。当コラムの115回『株暴落の真相――サブプライムではなかった』で、スウェーデンが金融危機をいかにして乗り切ったかという解説をした。要するに当事者である大蔵省に任せないで、新しい問題解決専門の非常事態組織をつくるべきだという話を当時の首相だった故小渕恵三氏にしたことがある。彼はこれを非常に興味深く聞き、しかるべき対応を取ることを約束してくれた。これが金融庁が出来たきっかけなのだ。ところがその後が悪かった。やるべき仕事を終えたら金融庁の仕事がなくなってしまったのだ。非常事態組織なのだから当たり前の話ではあるのだが、日本ではそうはいかない。仕事がなくなったら解散しようというのが常人の思考だが、しかしそこはさすがにお役所である。身に付いた習いで権限権益を増やしていった。いまでは金融商品取引法を管轄して、銀行、生命損保、ノンバンク、証券取引所、ファンド、事業会社、内部統制監視 ―― とにかく金融関係はすべて管轄する巨大な役所に育ってしまったわけである。スタッフもいまでは1400人。赤丸急上昇中の役所という次第である。中略ーーー

消費者庁の登場がさらなる不況を招く
この一連の動きを見て、福田首相は安全と安心を売り物にした新たな規制当局「消費者庁」をつくる、というのだから、これはブラックジョークのようだ。本来我が国では消費者の立場に立つ役所がないので、わたしも古くから「国民生活省」を各省庁の上位概念として設置せよ!」と提案してきている(「平成維新」(講談社、1989年) p.354)。これは生活の質を上げてコストを下げるための抜本提案を、提供者の論理を振りまく各省庁に対して国民目線で実行させるもので、福田首相の提案する“規制取り締まり当局”案とは似て非なるものである。これまで内閣府、経産省、農水省などがバラバラにやっていた消費者保護を、一元的に消費者庁で監視・監督を強化するという福田構想は役人的にはうれしいことだろう。しかし、このままではうまくいかないことは、火を見るよりも明らかである。というのも、これまでその権限を持っていた内閣府、経産省、農水省が手放すはずがないからだ。そこで自民党が考えているのは、監視・監督を二重にやらせることだ。消費者庁を一元化した窓口として、裏では昔からやっていた当局が引き続き担当する。要は役所同士がけんかを始めたから、「二重にやることで、より安全と安心を国民にお届けします」という妥協案である。もちろんこれがどういう結果をもたらすかといえば、規制強化、高コスト、国内業者優先、需要減退と景気悪化を招くわけだ。いずれにせよ、官製不況の起こる要因は、官そのものの問題も大きいが、マスコミ、企業、消費者、それぞれに問題がある。そして、それぞれが自分たちの言い分を主張し出すと合成の誤謬(ごびゅう)で不況になるのだ。これからは、そういう利害を全部考えてものを言わないといけない時代が来る。瞬間風速に反応するマスコミと一緒になって踊っていると、非常に閉塞状況の日本の経済がさらに閉塞するだろう。これを防ぐには行政の長である首相が総合的な判断をする能力を持つか、国民の立場に立って総合的な判断をする役所をつくることである。これが上記「平成維新」でわたしが提案した国民生活省であるが、いまは提案を引っ込めたい。新しい役所をつくる、となれば、役人が歓喜し、すぐに乗ってくる可能性がある。かつての臨時組織としての金融危機処理庁の(わたしの)提案が、絶倫・永続の金融庁に化けたように、役人は「災い転じて利権となす」名人である。だから、「その後の帰趨(きすう)」まで担保されないアイデアを提供することは天に向かってつばを吐くことになってしまうのだ。


雑誌でも「官製不況」を特集する所が出てきましたし、こういう本もあります。官製不況 なぜ「日本売り」が進むのか (新書)
門倉貴史 (著) ¥ 777 ●一匹の妖怪が日本を徘徊している----「官製不況」という妖怪が。
アメリカのサブプライムローン問題に端を発する世界同時株安。なぜ、日本の株価が"震源地"アメリカより大幅に低迷しているのか? 
欧米の金融機関に比べれば、日本の金融機関が抱えるサブプライム関連商品はそれほど多くない。また、企業収益や国内景気が特別に悪いわけでもない。
本書は、外国人投資家にも広がりつつある「kansei fukyo」という言葉を軸に、様々な角度から日本株だけが「売られる」理由を解説していく。
今のような政策判断ミスが続けば、「失われた一〇年」が再びやってくる!?
今年のキーワードは「官製不況」かもしれませんね。

基本的に、官僚って規制を作る事が仕事なので仕方が無いのかもしれません。(ついでに天下り先を作ってしまうのは大問題ですが....。)耐震偽装問題で、建築基準法を改正した事が現在の「建築不況」を招いたわけですが、耐震偽装問題を放置して置くわけにもいきませんし。規制を強化するのはやむを得ない面があるのですが、ソイツが景気に及ぼす悪影響にピンと来ない政治家さんに問題があるのだと思います。福田首相は絶望的にそういう事に疎い人みたいですから。(だから、福田不況とも言われるんでしょうね。)福田首相は性根が下品な人間なくせに、ミシュランで星を取るようなレストランをはしごする腐れグルメジジイですから、庶民の窮状は逆立ちしたってわからないでしょう。「物価高騰は仕方が無い。」と堂々と言い放ち、公明党にさえ呆れられる馬鹿政治家ですもんね。

福田首相の性根が下品である事に関しては以下のエントリを参照。何度も引用して申し訳ありませんが、例の阿比留瑠比さんの記事です。
abirur.iza.ne.jp/blog/entry/561642 ◎ようやく正体を認知されてきた福田首相 2008/05/03


「官僚による規制という不景気を誘引する圧力が常にかかっているんですから、ちょっとは景気の良くなる話を持ってきてくださいな。政治家さん。」と言っても、無駄ですよね。福田内閣の場合は....。