中国人脈は両刃の剣(中韓を知りすぎた男) | 日本のお姉さん

中国人脈は両刃の剣(中韓を知りすぎた男)

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▼中国人脈は両刃の剣(中韓を知りすぎた男)
今日は遠い昔の思い出を書いてみます。1994年の秋 上海市の居酒屋桐花で当社の取引先である生協様の上海事務所の駐在員と飲食しておりましたら、そこへ顔見知りのヤオハンの社員が入ってきました、当社とは取引はありませんが行きつけのスナックで3~4回会っておりましたので、意気投合していつものスナックに行きました。先に来ていた伊勢丹の社員と4人で中国情報を交換しました。このスナックは日本駐在員のたまり場でここでの情報交換は非常に重要で、まだ中国の実態をあまり知らない私にとって大切な場所なのです。

このときのヤオハン社員(女性)と伊勢丹の上海店店長の会話が今でも鮮やかに記憶に残っています。当時 伊勢丹はアンテナショップとして上海にお店を出していました。来年早々にヤオハンは上海副都心を目指す浦東に巨大店舗が出来る事は新聞紙上で皆が知っていました。伊勢丹の店長は盛んにヤオハンの和田社長を褒めまくっていました。「和田社長の中国人脈、政治力は誰も敵わない、他の百貨店も進出を検討しているが中国では人脈がないと、前に進めない」生協さんも私も同調してヤオハンを持ち上げていました。ヤオハンの女性社員さんは しらけた顔ではっきりと「ダメよ、うまくいかない、失敗する」と断言しました。三人は一瞬 息を呑んで彼女の顔を見ました。早く答えが知りたくて彼女の言葉を待ちました、彼女は言いたくなさそうに言葉を呑み込みましたがゆっくりとおもむろに喋り始めました。「すでに北京で合弁の店舗を経営しているが大赤字です、なぜなら店員全員が泥棒です、監督する幹部も泥棒です 商品管理も人間管理もまったく出来ません。毎日商品が少しずつ無くなります、高いものは危なくて置けません。」伊勢丹氏 『ではどうして今回上海に出店するのですか?しかも浦東は交通の便が悪くて出かけるのに大変なのに。』

私 「新聞に載っていたが,浦東地区は将来 香港に取って代わって、巨大金融センターになる、和田社長は先行投資をしたのですよ」翌年、東洋一の百貨店「ネクストステージ上海」がオープンした。テレビでは3日間で100万人が押しかけ、交通規制が行われるほどの凄まじい人手を映し出していた。オープンして4~5ヶ月過ぎた頃ネクストステージ上海に行きました。売り場は広い、冷房もきいていて涼しい、日本の百貨店と同じ、商品の値段も日本と大差がない、しかしちょっと待ってください、上海人の給料は当時せいぜい5千円~1万円くらいのはず、いったい誰が買うのですか、しかもお客の数より店員の数のほうが多い、あの凄まじい人は
いったいどこへ行ったのですか、平日のせいもあるが、しかしヤオハンの目標では平日の来客数を10万と謳っていたはずです。
9階か10階か忘れましたが食堂街に行きました、ここではいろんな、お店が並び好きなものが選べるようになっています、ここだけは人も結構入っていました。その後上海のスナックで4人が夜遅くまで情報交換してからわずか3年でヤオハンは倒産してしました。
ヤオハンは「中国政府に嵌められた」というのは言いすぎでしょうか和田社長が常に自慢していた中国人脈がかえって仇になってしまったようなきがします。当時の上海市長はあの有名な朱鎔基です。温家宝の前の首相です。朱鎔基は壮大な浦東国際都市プロジェクトを成功さすためにヤオハンを誘致、おとりに使った。

ヤオハン誘致が発表されたあと浦東投資ブームが起こった、それまでは天安門事件のせいで海外からの引き合いが乏しく頭を抱えていた時期である。朱鎔基の意図は当たった。以前ブログでも書いたように松下電器も人寄せパンダに使われたが、松下は逆に成功した、製造業と小売業の違いがあるが、松下は中国の安価な労働工賃を単に利用しただけだがヤオハンは中国の使い方を
誤った。ヤオハンの失敗は慢性的な資金繰りのせいばかりでなく、一女性社員ですら感じていた,彼の危なっかしい中国人脈にあると思います。和田氏の自慢は香港一の実業家『李嘉誠』と友達である、彼は北京政府と繋がっているが口癖でした。
しかし中国人脈は両刃の剣。日本のビジネスマンはヤオハンのおかげで中国人脈の恐ろしさを知りました
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▼「核とディアスポラ」中国で現在進行している真実~核施設崩壊の事実を隠蔽する中国 爆心地映秀の人口75%が死亡北川地区を地図から抹殺、自治区の少数民族を 強制収容所に収監(米流時評)
まずお詫びから先に。メモリアルデーの3連休の終わりに風邪を引き、ここ5日間ブログの更新が止まっていたことをお詫び申し上げます。しかし、その間に数限りない欧米や中国の英文記事を読み、写真やビデオをくまなく見てきて、少なからず分かった事実がある。地震発生以来、茫漠と抱いてきた私なりの疑惑が、事実が積み重なるごとに、次第にその相貌が明らかになってきた。疑惑というのは事象的には数限りなくあるが、大きく主軸をまとめれば、四川省地震から派生した「核施設崩壊」と「少数民族大移動」というふたつの大きなテーマである。ひとつは、今現在も続く一連の地震と核施設とは無関係ではないこと。もうひとつは、胡錦濤が主導する中共政府は「計画的施策か、結果的便乗か」という議論は別にして、明らかにこの機に乗じて四川省アバチベット族・チャン族自治県の少数民族を、根こそぎ生まれ故郷から移動させて、一種の強制収容所へ囲い込もうとしていることである。ひとことで分かりやすく例えれば、現在四川省で進行している被災地からの避難、あるいは強制的立ち退きは、中国における「少数民族のディアスポラ」に他ならない。


ディアスポラというのは、バビロン捕囚でユダヤ人がそれ以降4千年の放浪の民の運命を辿るきっかけとなった強制移動で、古代史の一大転機である。それとまったく同じ少数民族の大移動を、地震からの避難という天災の助けで「被災地からの避難」という名目を借りて、中共政府は堂々と行なっている。災地の奥地などへは、2週間も経つというのにいまだに未踏の陸の孤島のままの村落が、多々残されたままである。そうした地域の情報は一切途絶えている。また、核施設の銀座と呼称された北川県(Benchuan)、汶川県(Wenchuan)の映秀地区(Yinziu)、綿陽市(Mianyang)管轄の汉(Hanwang)、青川(Qingchuan)地区、などの被害は、地震後3日間は皆無。その後当初は空撮写真が、そして1週間も経ってからやっと現地に足を踏み入れたジャーナリストの報道写真で、みなさんもご覧になったことと思う。しかし、目を凝らして洞察すると、その中で確実に疑問に答える数枚があった。読み通した記事は数百にのぼるが、疑問に対する適切な解答を与えてくれる記事は、驚くべきことだが皆無である。ほとんどが中国政府の発表の受け売りで、そんなものは新華社通信の英文記事を読むのと変わりなく、何の役にも立たない。むしろ、無言のうちに巨大な疑問を投げかける写真の力に圧倒される。ここでご覧いただくのは、そうした私なりの疑問と同じ方向を示す一連の写真で、決して解答ではないが、写真に添えた私なりの解釈を読んで頂いて、報道では知らされていない隠された真実に、一歩でも近づく一助になればと思い、あえて冒険を承知で発表する。すでに4月半ばに『フリーチベットブロガーズ』のサイト妨害で、サーバ自体をクラッシュさせられた。また今月半ばには、敬愛するブログの盟友『陳さんのWorld View』が突然閉鎖の憂き目に遭っている。その後すぐに別のブログサーバーで再開したが、中国に手厳しい批判の声を上げるブログにはうんざりするほどのスパムTBが蝟集する。それに嫌気がさしてブログを中止してしまったブロガーを、ひとりならず知っている。3月のチベット問題発生以来、中国の弾圧告発の声が高まるとともに、そうしたブログへの妨害活動も激しさを増したように思える。特に、中国の「核」と「少数民族」に関して書くので、私なりに覚悟を決めてここに掲出する。下手をすると妨害にあって、数時間で消される恐れもあるので、見た方は今回だけは出自とリンクがあれば転載自由とするので、なるべく多くの方に伝えてもらいたい。


今現在、四川省で進行している大掛かりな少数民族大移動は、ナチスドイツがユダヤ人に押し進めた強制収容所への囲い込みとなんら変わらない、とんでもない謀略であることに気がついてほしい。


四川大地震は「災害救援」の体裁に隠れた、中国自治区の少数民族殲滅政策に他ならない。もしそれが言い過ぎであるというなら、少なくとも「中国のディアスポラ」、「北京捕囚」と呼べる民族同化政策に他ならないということを。
注:ご不便をおかけいたしますが、掲載の写真に明朝キャプションを付けますので、記載が済んだ頃にお戻りいただいて説明文と共にご覧下さい。また、核施設に関してはこれから後のエントリーで書いて行きますので、よろしくご了承ください。