頂門の一針 外国人管理態勢の再検討
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外国人管理態勢の再検討
━━━━━━━━━━━前田 正晶
我が国と東京都は、でなければ新宿区は、外国人を管理する態勢を再検 討し、しかるべく整備して貰いたいと痛感している。何故そう言うかを以下に述べる。自ら“新宿少数民族”と名乗っているこの私は以前からここ新宿は大久保界隈の国際化の流れを「行きすぎたのではないか」と指摘してきた。だが、最近の状態は幾ら何でも酷すぎはしないかと言いたい。何を言うかと言いたい向きは、試しに昼間大久保通りを歩いてみるとよく解るだろうだろう。生活感溢れる服装の韓国あるいは中国かも知れない中年のご婦人たちが楽しげに語らい合って歩き回っている。
あの様子ではここに定着して居住して、生活しているとしか思えない。
何故そうできるのだろうか?歩いている人の過半数はアジア人だと断定 したい思いだ。以前はそれでも彼ら同士でも日本語で語り合っている一見、いや一聴、在日風もいたが、今や堂々と母国語で大きな地声で語り合っている。聞こえてくる言葉から判断して中国系も多いと思うが、数の上では韓国の比ではないだろう。
それだけではない。近頃は威風堂々と乳母車(ベビーカー等というらし いが)に赤子を乗せて「一寸買い物」とばかりに歩き回っている若い女 性が激増した。日本に来て出産するほど定住しているらしい。その女性たちにスーパーやコンビニで出くわすと解るが、明らかに日本語はできない。であれば在日ではない。コンビニ等で働いている日本語が怪しい若い女性は多い。我が国は彼らの就労を許可しているのだろうか?
そんなに日本に来てお産までできるか、または就労できるような滞在許 可を、どのような資格で獲得しているのだろう?本当に資格がある人た ちか?
最早、コンビニや100円ショップとのレジ係という仕事は日本人を捜すの が容易ではないほど、韓国人と中国人が占拠していると書いても過言で はあるまい。
それだけではない。カレー・ライスのチェーン・レストランにはパキス タンかバングラデシュの人たちが数多く働いている。その証拠に"halal food"というイスラム教の掟で許可された食品を売る店が 激増した。
インド人にイスラム教徒が沢山いるとは思えないのだが。我が家の近く のその手の店の前には、外交官ナンバーの自動車が堂々と駐車している。その他には、街角の至る所に小さな机を置いて国際電話のプリペイドカードをうるアジア人が増える一方だ。この光景はまるで上海の南京路辺りを歩いている感覚にとらわれる。また大久保通りの至る所に異国のフリーペーパーが配置され、そこに配達に来る係が増え続けている。確かに監督官庁も無為無策ではないよで、2人組の警官が職務質問をしているのを見る回数は増えた。だが、そんなことでこの流れを阻止することはできまいと危惧する。
問題はこれだけではない。アジア系の外国人は日本国の慣習に従う気が ないのか、または規律正しい生活をすることを知らないのか、または字 が読めないのか、ゴミ出しの決め事のような秩序を守らない。
最近よく早朝に通る路地では、何時も日本の高齢のご婦人が烏につつか れて路上に散乱している規定外の日に出された生ゴミの掃除をしておら れる。「あのアパートに住んでいる外国の人が何時もこういうことをするので」と言われたところに洗濯物を干しに出てきた当の外国人が「自分ではない」と大声で反論してきたのには驚いた。彼らはそういう生活態度である。かなりの速度でこの界隈に住む外国人が増えているようになった。当アパートにも奥方だけでフォア・サムが組んでゴルフに出掛けるほど、韓国人が家族で居住するようになった。その途端にゴミ捨てに問題が発生した様子だ。これでは館内の全ての掲示を日本語、英語、韓国語、中国語にしなければならなくなる。
私は管理事務所も我々居住者も彼らがどのような問題を起こさないよう に注意すべきだと思うが、入国管理態勢をより良くより厳しく整備する べきではないかと言いたいのである。私はかなり最近まで「日本は彼らにとって夢の国」であるから、多数若者が入ってくるのだと思っていた。だが、成人まで来て家庭を築くあの有様を見ていると、彼らに「日本は甘い国」と嘗められているのではないかと疑い始めるに至った。池袋には中華街を作ろうとする手合いがいると報じられたが、その背景にはこういう対日観があるのではないかとすら思うのだ。この流れを「アジアとの親しさが増した」と歓迎すべきか、この先に何が起きるかと憂慮すべきかだが、私は後者を取りたい。
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中古兵器の行方
━━━━━━━古澤 襄
北京で行われた中ロ首脳会談で”戦略的協力”関係の強化が確認された と時事通信は伝えている。はっきりいえば中ロの軍事協力が強まるということである。
中国人民解放軍の近代化が好調な経済発展を背景にしてこのところ著し いが、むしろロシア国防軍の近代化が目立っている。
<【北京23日時事】就任後初めて中国を公式訪問しているロシアのメ ドベージェフ大統領は23日、北京の人民大会堂で胡錦濤国家主席と会談 し、戦略的協力関係の強化を確認した。
両首脳は会談後、あらゆるテロリズムを共同で取り締まり、国連の主導 的役割を支持することなどを盛り込んだ共同声明に調印した。ロイター通信は、共同声明は米国が推進するミサイル防衛計画について、「国・地域の安定を害する」と非難したと伝えた。
華僑向け通信社、中国新聞社によると、会談で胡主席は「(大統領訪中 が)両国関係に新たな弾みを付けるものと信じる」と述べ、プーチン前 政権時代に培ったパートナーシップを継承し、中ロ関係のさらなる緊密 化に自信を示した。
メドベージェフ大統領も、「最初の外遊先で中国を訪れたことは、両国 関係を極めて重視していることを具体化するものだ」と対中重視を鮮明 にし、ミサイル防衛問題などで関係がぎくしゃくする欧米をけん制する 思惑をうかがわせた。>
このニュースは予想されていた。米国のミサイル防衛(MD)施設配備 に対するロシアの反発と危機感は想像以上のものがある。
ヨーロッパとロシアのことだと楽観視しているわけにはいかない。「赤 の広場」で行われたロシア国防軍の軍事パレードは17年ぶりの大規模な ものになった。
2005年夏にロシア国防軍と中国人民解放軍の合同演習がウラジオストク と山東半島の2カ所が行われて以来、両国の軍事協力は進んでいる。こ としに入って2月、3月とロシア極東軍の長距離爆撃機が太平洋沿いに 南下し、航空自衛隊のF15がスクランブルをかけた領空侵犯も発生して いる。
プーチン政権になってからロシア国防軍の強化策が次々と実施されてい る。石油価格の高騰と資源外交によってロシア経済が立ち直りをみせて から、100万のロシア国防軍の装備近代化に力をいれてきた。2015年まで に装備の45%を更新するという。
気になるのは、更新によって、これまで使用されてきた兵器の行方であ る。中古兵器だと軽くみるわけにはいかない。ロシア国防軍と中国人民 解放軍が使った兵器が中東やアフリカに輸出されないという保証はない。核の話だと大騒ぎになるが、中古兵器の行方にも注意を払う必要がある。
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「従軍記者」事始(9)
━━━━━━━━━━━平井 修一
明治37(1904)年3月5日、政府は「外国通信員諸君ニ告グ」という告 知を発表した。漢字・カタカナまじりは苦手なので平仮名にして紹介す る。
<今回、外国通信員諸君が海外万里を遠しとせず我陸軍に従軍し、以て 其の戦況を本国に通信するの労を採られんとするは、我帝国軍隊の名誉 とする所なり。
此名誉ある外国通信員諸君の従軍に関し、充分なる便宜を与へ且(かつ)陣中に於ける労を慰むるに足るべき方法を講ぜんとするは、帝国陸軍の最も努むる所なりと雖(いえども)、奈何(いかん)せん諸君の既に承知せらるるが如く、今回戦地となるべき地方は、其の交通機関殆ど皆無にして其の物資も亦甚だ欠乏し、軍需諸品は総て之を本邦に仰ぎ、且つ之を其の険悪なる交通路上に運搬せざるを得ず。為に兵站業務の如きも頗(すこぶ)る困難にして、其の実況は不日諸君が実地踏査の上之を一見せらるるに至らば、蓋(けだ)し思い半に過ぎん。に諸君を歓待せんとする我誠意は、遺憾ながら実際其の幾分を遂行し得るに過ぎず。諸君幸に諒せられよ。
茲(ここ)に諸君の準備の為め、左に二、三の注意事項を列記し、以て 参考に資せんとす>として次の6点を挙げている。
1)輸送能力がないので指定する戦地の港までは自力で来ること。
2)金銭の保管はできない。野戦郵便局では預け入れはできても引き 出しはできない。金銭は自分で所持、管理すること。
3)軍の常食は提供できるが、それ以外の食糧は自分で賄うこと。食 糧輸送の便は提供する。
4)通訳・従僕にも常食は提供する。
5)必要な医療サービスを提供する。
6)戦地での荷物運送はひとり8貫(32kg)まで扱う。
そしてこう結んでいる。
<終りに臨み、我帝国陸軍は、此名誉ある諸君が従軍中常に健康を保全し充分に視察を遂げられ、而も正確に且公平に通信し、以て諸君の任務を果されんことを切望す>
「日露戦争と外国新聞従軍記者」というレポートがある(外務省調査月 報 2004/No.2)。松村正義氏によるもので、氏は外務省、帝京大学教授、日露戦争研究会会長を経て法学博士の任にある。以下は松村博士の報告である(概要)。
<日露戦争で、日本の陸海軍当局が、従軍を希望した諸外国の新聞記者 に対しその規定の原型ともなった「外国通信員諸君ニ告グ」を制定・実 施し、世界の軍隊に先駆けていたことを知っていてよいであろう。
20世紀に入ってまもなく起きた日露戦争は、日本にとって自衛のためと はいえ、当時のまだ脆弱な国力からみて一見なお無謀とも見えたほどに、アジアの一新興小国がヨーロッパの一大強国に対して敢えて戦いを挑んだ、当時としてはいやが上にも国際的な関心の高まりを呼ばずにおかなかった大事件であった。
さればこそ、明治37(1904)年の春もまだ浅い2月6日に日露両国間の 国交断絶が伝えられ、翌々8日から9日にかけて旅順港や仁川港のロシ ア艦隊に対する日本海軍の奇襲攻撃が行われた後、10日には日露両国相 互間に宣戦布告が発せられるや、
当時の世界の主要な新聞・雑誌・通信社からは、それらと時期を前後し てそれぞれの現地派遣を希望する記者らの日本軍従軍許可申請が、世界 各地の日本の在外公館を通じ、あるいは直接に日本政府当局へ矢継ぎ早 に齎(もたら)されたのである。
日本軍当局では、手回しよく、宣戦布告後まだ1ヶ月も経たない3月5 日に「外国通信員諸君ニ告グ」と題した外国新聞記者のための従軍注意 事項を、従軍を許可された外国新聞記者らに英文で配布した。
開戦後まもない短期間に外国新聞従軍記者の取扱規定を比較的に手際よ く制定したまではよかった。
しかしながら、今度はその後に、程なく従軍許可証を手に入れて勇躍は るばる海外諸国から東京へ乗り込んできた彼ら外国新聞従軍記者に対し て、数ヶ月経ってもなお日本軍当局から朝鮮半島や満州の戦場へ取材に 出向いてよいとの許可が出ず、
ついに彼ら外国新聞従軍記者や彼らの海外本社から、日本政府へ激しい 不満が投げつけられるという事態へ発展してしまう。
事実、日本の参謀本部では、東京にやってきた外国人の新聞記者たちが 戦場へ行くことを容易に許可しなかった。
何しろ、日本の軍部の考え方からすれば、目下の日本は浮くか沈むかの 戦争の真っ最中にあって、ましてや外国の新聞記者に見せるために戦争 をしているわけでなく、
軍の動きや作戦の機密を守るためには、彼ら外国新聞記者を内地に滞留 させておくのも当然であるというのが、その主張の論拠であった。
従軍記者を遠い日本へ派遣した各外国新聞の本社にとっては、出る費用 ばかりがかさんで肝心の原稿が来ないということになり、不満がつのっ ていった>
島津家の家庭教師、エセル・ハワードもこの問題に触れていたが、戦場 視察ツアーを実施するなどで慰撫したものの悩ましい問題であった。
(次号完結)