義憤の突進招いたシナ人暴言…棒回し突如中断の背後(東アジア黙示録) | 日本のお姉さん

義憤の突進招いたシナ人暴言…棒回し突如中断の背後(東アジア黙示録)

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▼義憤の突進招いたシナ人暴言…棒回し突如中断の背後(東アジア黙示録)
シナ国内3ヵ所の棒回しを突然先延ばし…真の理由は相次ぐ路上爆発事件か。一方、長野で不当拘束されたタシ・ツェリンさんが釈放後に会見。突進した直接の動機はシナ人の暴言だった。被災地の惨状が明らかになる中でも、シナ国内では、プロパガンダとしての棒回しを強行。北京五輪委は、規模の縮小や募金を行うなどと偽善ポーズを示しながらも、祭り騒ぎを止めようとせず、地震発生翌日の5月13日、福建省ではランナーが笑顔で登場していた。5月14日には江西省の瑞金。15日には同じ江西省の井崗山で棒を回した。シナ国内の棒回しは、毛沢東らの長征ルートを辿る中共プロパガンダの一環。明らかな五輪の政治利用である。瑞金は1931年に紅軍が中華ソビエト共和国の建国宣言を出した初期の支配エリア。そして国民党軍の攻撃で潰走を始めた地点だ。巧み言い換えでゴマ化しているが長征ルートとは敗走ルートに他ならない。また井崗山は、1927年に南昌蜂起に失敗した毛沢東が残存部隊を連れて山に立て篭った場所である。そこで開かれた棒回しのセレモニーで、地元党幹部と見られる者は、こう明言した。「北京五輪の聖火リレーが、国内革命戦争時代の聖地、井崗山で行われることには特別な意義がある。中国の革命の炎と五輪の聖火が、井崗山の人々の情熱を燃やすことになる」プロパガンダに満ちたシナ棒回しの本当の目的を明かし、加えて北京五輪そのものが五輪精神とは全く無関係であることを示唆している。中共は、この井崗山を「革命の揺りかご」と名付けているが、単に武装テロリストの潜伏地だ。改めて説明するまでもないが、現在の中共政府とは国民に選ばれた政府から程遠い、無法テロ集団を母体としている。そして今も体質は何ら変わりない。
そして5月16日には、武装蜂起に壊滅的な打撃を受けた南昌でも棒回しイベントが大々的に開催。ところが、18日になって当局は一転、態度を翻す。
【シナ棒回し直後の路上爆発事件】
シナ棒回し突然の中断は、中共当局が19日から21日までの僅か3日間を“国民の喪服の日”と定めたことに伴うものだと告知している。だが、余りにも急な措置だ。前日の温州市では地元民が、沿道に集まって虐殺紅旗を振っていた。そのお祭り騒ぎに冷水を浴びせる事件が起こった。5月17日午後1時過ぎ、温州市内で車両が爆発。13人が即死するなど50人以上が死傷した。棒回しの直後の惨事だった。目撃者は、こう語る。「乗用車と7人乗りバンが道路脇に止まっていたが、その間をトラクターがバックしようとしたところ、突然爆発が起きた」爆発の破壊力は凄まじく、60メートル離れた窓ガラスも壊れたという。香港紙『明報』によれば、地元公安当局は、現場から爆発物の物証を得ることが出来なかったと発表。五輪妨害テロの可能性も視野に入れて公安が捜査していると伝えた。ところがシナ紙の報道では、当局は翌日までに「賭博絡みのトラブル」と断定、 容疑者を素早く決めつけ、自宅から信管と黒色火薬を押収したという。当局は「博徒の自爆報復」事件として片付ける算段だが、なぜそれがシナ棒回しの当日だったのか…

【似通っている上海のバス爆発惨事】
判断材料は乏しいが、爆発の規模・状況などからテロ事件の線は濃厚。反五輪を意図したものか否か軽々に断定できないにせよ、中共政府に不満を持った者の犯行ではないか。当局が「個人の恨み」と逸早く発表した背景には、隠したい要素が多分にあったと考えられる。
シナの報道では、爆発現場に残された遺体のDNAを調べ、容疑者の死亡を確認したという。ここに明らかな嘘がある。技術上、たった1日でDNA鑑定の結果を出すことは出来ない。宮崎正弘氏は「反政府テロだろう」と指摘。そして棒回し中断は、テロ警戒態勢の準備にあるのではないか、と推理している。確かに、先送りされたのは、同じ浙江省の寧波と嘉興、さらに上海だ。上海では5月5日に市内楊浦区で路線バスが爆発、15人が死傷している。当局は「自然発火」と発表したが、テロ事件の疑いも濃い異様な惨事だった。中共当局が公表する「テロ」は弾圧の言い掛かりであり、早急に「単なる事故」として決めつけるものにこそ深刻な背景が潜む。独裁統制国家お得意の180度反転報道である。中共当局は“犠牲者追悼”を大義名分に3日間先送りしただけで、その後は予定通り各地で盛大な棒回しイベントを繰り広げるだろう。最早ローカルニュースの範囲内で、他国で詳しく報じられることはない。耳目を集めた海外でのシナ棒回しも今や遠い話になろうとしている。しかし、その中、先週末まで孤独な闘いを続けて来た人物が我が国にいた。

【不当拘束20日間に罰金最高額】
5月16日、ようやくタシ・ツェリンさんが釈放された。あの長野シナ人騒擾事件から半月以上、実に20日間も拘置所内に拘禁され続けていたのだ。その間タシさんは、どんな思いで過ごしていたのか…タシ・ツェリンさんは、4月26日の長野市内のシナ棒回しの際、沿道から飛び出し、警官に激しい暴行を加えられたうえ、不当拘束された亡命チベット人2世だ。恐れていたように、最初の拘置期限が屠殺鬼の滞在期間と重なったことから政治的な理由で拘置は延長された。ただ沿道から交通規制中の路上に飛び出しただけで20日間の拘置は余りにも長い。
そして罰金は、威力業務妨害罪の最高額である50万円が命じられた。長野簡易裁判所が下した裁量は、暗黒国家さながらだ。“交通規制エリア”に数メートル入ったことが、なぜ最高レベルの量刑となったのか…それはタシ・ツェリンさんが“政治犯”と疑われた為だ。繰り返すが、パリ・ロンドンでの抗議者は、直ぐに拘束を解かれ、不問に付された。対して我が国では「フリー・チベット」を叫んだだけで政治犯と見なされたのだ。異常な後進国ぶりである。タシ・ツェリンさんの量刑が重くなった背景には、中共の圧力があった。中共当局が「テロ組織」と関連付ける捏造情報を提示し、長野県警が混乱したともいう。

タシ・ツェリンさんは、TYC(チベット青年会議)台湾国支部の副代表の肩書きを持つ。中共当局は、その活動経歴などを脚色したと推測できる。
TYCは難民児童の教育にも取り組んでいる団体だが、朝日新聞は、中共の意向を受け、TYCが過激派組織であるかのような捏造記事を垂れ流した。本物のテロ組織は中共である。

長野県警や司法当局が“政治犯”として最大限の制裁を加えたタシ・ツェリンさんだったが、本人の口から誠実な人柄が浮かび上がることとなった。

【チベットの惨状を伝えたかった…】
不当監禁状態から解放されたタシ・ツェリンさんは、その日のうちに上京し、緊急記者会見を開催。その席でタシ・ツェリンさんは、開口一番、こう語った。「日本の皆さん、政府、警察にご迷惑をかけたことにおわびします」謝罪すべきは、警察や司法関係者を血税で養っている日本国の方である。まったく恥ずかしい事態だ。この一件をもって我が国が「人権後進国」の烙印を押されても弁解の余地はない。

そしてタシ・ツェリンさんは、謝罪の言葉に続いて沈着に、こう述べる。「チベットで何が起きたのか伝えなければならなかった。平和的に抵抗したことを“暴力的行為”だと誤解しないでほしい」これはパリ・ロンドンでリレー中に突進したチベット支援者に共通する思いだ。UNなどが虐殺組織サイドに立つ中、チベット侵略の悲劇を訴える手段は、未だ限られている。その言葉が当事者であるチベット人から告げられた意味は重い。タシ・ツェリンさんは、1950年代の中共軍チベット侵攻を父親から繰り返し聞いていたと語る。中共軍に捕らえられた父親は、そこでどのような非道行為が行われたか、実際に体験していたのだ。
そして、会見でタシ・ツェリンさんは、沿道から突進した動機を初めて語った。それは、あの日の長野の異常さを暴くものでもあった…

【長野警備の怠慢が呼び起こした逮捕劇】
「初めから飛び出そうと決めていたわけではありませんでした」タシ・ツェリンさんの行動を決定付けたのは、周囲にいたシナ人の暴言だった。それは法王猊下に対する侮辱の言葉だったという。「中国の支援者が挑発的なことを言ってきました。それを聞いて急に私の父親が刑務所から逃げて来たこと、(弾圧された)人がどんな目にあったのか、そういうことを思い出して気付いたら飛び出していました」台湾国に暮らすタシ・ツェリンさんにはシナ人暴徒の言葉が理解できた。連中はリレーとは無関係の政治的な発言を叫んでいたのだ。明らかに“聖火支援”と無縁の政治集会の様相だった。チベット人にとって法王猊下への暴言が、どれ程の侮辱に当たるか、シナ人暴徒には理解できないだろう。信仰心のない拝金主義者には想像すら出来ないことだ。野人集団と呼ぶに相応しい。バンコクでのシナ棒回しにもタシ・ツェリンさんは駆け付けていたが、飛び出すようなことはなかった。長野の状況が異常だったのだ。つまり、警察当局がシナ人の狼藉を見逃していたことが、結果的にタシ・ツェリンさんの突進を招いたのである。
本来の警備を怠ったうえで罰金50万円を払わせるとは、警察も暗黒な商売だ。威力業務妨害での逮捕は警察当局の“自作自演”とも言える。

一方で救われたのは、拘禁中のタシ・ツェリンさんの手許に、多くの日本人から激励の手紙が届いていたことだった。支援団体を通じた手紙・書簡は翻訳され、拘置所内で読むことができたようだ。また拘束直後から、会見で通訳を務めたペマ・ギャルポ教授を筆頭に、抗議活動を行った台湾チベット交流基金など支援の動きが起こった。そうした温かい声も届いていただろう。それでも殆どのメディアがタシ・ツェリンさんの行動を封殺。中には悪質な捏造記事を堂々と配信した媚中メディアもあった。

【共同通信が確信犯で捏造記事を配信】
16日の会見には産経新聞や信濃毎日など極少数のメディアしか、取材に現れなかった。映像メディアでは、踏み込んで伝えた朝日放送の『ムーブ』だけだった。悪質だったのは共同通信社で、釈放時の記事でタシ・ツェリンさんを「台湾出身の男性」と表記。この場合の「出身」とは、出生地や育った地を指し示す。タシ・ツェリンさんの出身は、両親が亡命したインドだ。
参照:共同通信5月16日『長野の聖火リレー妨害で罰金 台湾出身の男ら2人』共同通信の表現は完全な誤りである。確信犯の誤報を出してまでチベット人であることを隠したのは、配信記事のシナ国内メディア転載を見越しての捏造だ。そこに日本の新聞購読者など関係ない。只管に、中共の顔色を伺って事実を隠蔽・歪曲。通信社としての立場を放棄しているに等しい。共同と契約する地方紙の紙面上で、タシ・ツェリンさんの苦悩は一切伝えられなかったのだ。チベット絡みではCCTVや新華社など中共党宣伝機関メディアの発狂ぶりが目立つが、同時に、我が国の媚中・反日メディアの異常性も透けて見える。
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▼赤い国の亀裂・3分間で終わった「ひとつの中国」(米流時評)
・強い共感を呼んだ追悼式
北京の精神科医師、イン・プーさんは、月曜の全国追悼で人々が表した深い悲しみは驚きだったと語る。「全国同時の実況中継放送の中で、ただひとつだけ計画通りだったものがあるとすれば、それは時間でした。こんなに力強い感情を呼び起こすものになるとは想像できませんでした」地震の被災地へカウンセラーを送り込むためボランティアを募っているインさんは、こう感想を述べた。しかし、こうした一体感も長続きはしない兆候が、すでに見えている。
・1週間近く孤立無援の谷間の部落
四川省の深い山間に散在する村落のひとつ「秀水=ジウシュイ」は、12日に最初の地震が起きた直後から何日も、他の地域との交通を完全に断たれ、陸の孤島となっていた。1週間近く経ってから初めて救援隊がこの地に到達した時、秀水の住民たちはようやく水や食糧などの生きる糧を得て、心から感謝した。しかしながら彼らはまた、救援の対応が遅かったと不満をこぼし、地方役人はどうしようない腐った連中だと非難した。こういった不平不満は中国の田舎ではおなじみのことで、過去十年をさかのぼっても、各地で突発的な抗議運動の火が上がっていた。
・棄民の伝統、忘れられた震源地の村
「地震の後3日間と言うもの、役所は何にもしてくれなかった。水も食糧も一切なかったよ」とこぼすのは、44才の農夫ユ・ジュンさんである。彼は現在道端でテント暮らしだ。「最初の数日は、料理に使う水を畑の灌漑用の溝から汲んでこなければならなかった。水の中には何匹も小さな虫がうごめいているのが見えたよ。もしそのまま飲んだら、ぜったい病気になってたにちがいない」
・伝染病発生の恐れでパニック
もうひとつのきわどいエピソードがある。秀水の東にある綿陽市の体育館では、1万人以上の住民が避難していたが、18日日曜に保健局の職員が全員マスクをつけて現れた時点で、伝染病発生と勘違いした避難民はパニックに陥ってしまった。大騒ぎになった群衆を鎮めるために、警察が現場に直行したほどだった。
・89年天安門広場との奇妙な相似
1989年の民主化運動のデモと、それに続く人民軍の弾圧の舞台となった天安門前広場では、3分間の黙祷の後、その静けさを打ち破るように、およそ千人ほどの愛国者の一団が宙に拳を突き上げて「中国よ永遠なれ」と小一時間ほど叫んでいたが、最終的に警官によって解散させられた。
国民の批判を懸念する中共政府
今回の震災対応に対する国民の反応に関して、中国政府が神経質になっている証拠として、独裁政党である中国共産党の綱紀委員会では、被災地の地方役人3名を職務怠慢で放逐したと新華社通信は伝えている。公職を独占する共産党は、全職員/党員に対して災害闘争の最前線に立つように鼓舞し、3人の役人はその義務を怠ったためにクビにしたとも説明があった。
・生存者救出の見込み消える
災害現地で救出作業を続けるレスキュー隊は、まだ誰か生存者がいたら発見しようという望みをつないで、シャベルや素手で瓦礫をどかしながら捜索にあたっているが、もはやその望みは不可能に近い。しかし新華社通信の報道によると、19日月曜の朝には鉱山の倒壊した建物から、ふたりの女性が救出された模様である。一方、中国政府は、数百万人にのぼるものと思われる家を失った避難民や怪我をした生存者に対する対策への援助を切望している証しとして、海外からの医療チームの受け入れを宣言し、これから先やってくる雨期に備えて、テントや難民収容施設を要望する国際的アピールを行なった。[了]
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▼中国・深センの 「スイス」 テーマパークの破綻の構造(国際派時事コラム・商社マンに技あり!)
スイスのインターラーケンの景観をコピーしたテーマパークが中国・深センにある。その投資額と採算について、TIME誌の平成19年12月24日号に書いてあるのを今ごろ読んだ。(中国各地のテーマパーク
http://www.time.com/time/photogallery/0,29307,1683903,00.html?iid=redirect-parks

の写真特集がTIME誌サイトで見られるのでご覧ください。)
890ヘクタールの敷地に人工湖をつくり「湖畔」の建物群を整えた。部屋数300室の5つ星クラスのホテルもつくった。従業員は3,000名という(たぶん融資を得るための条件となった地元雇用貢献ですね)。投資額は4億5千万ドル(470億円)。入場料は20ドル相当。1日あたりの入場者は6,000名を見込んだ。単純計算すると、年間4,380万ドル(46億円)相当の入場料収入が入ることになるので、融資返済期間が長ければ、なんとかいけそうだ。

ところが実際には1日あたりの入場者数は2,000名だった。年間の入場料収入は1,460万ドル(15億円)。割高な入場料を考えるとリピーターが多数いるわけもなかろうし、そもそも中国・深センにスイスを求めてくる海外客は期待できないから、すでにして破綻している。一見すると近代化してみえるが底知れぬ破綻の構造にある中国という国そのままのように思えた。