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<太田>
(本日昼過ぎ、TV朝日の「朝まで生テレビ」プロデューサーが私を訪問。以下はその時のやりとりの要旨です。)

太田:出演予定者のところを全部回られているのか。
相手:初めて出演する人のところだけだ。
太田:私と同じ立ち位置の人が日本にいないので困っている。「左」とは途中まで同じなのだが最後が正反対だし、「右」とは途中まで正反対で最後だけ合致する。官僚機構の問題などさほど重要な問題ではない。
官僚機構は政官業にマスコミを加えた癒着構造の一端を担っており、官僚機構は本来政治家の指揮命令に服す補助的な存在に過ぎない。更に申し上げれば、日本は憲法と安保条約から、名実ともに米国の属国なのであり、国としてのガバナンスを自ら放棄している。これこそが最大、かつ根幹的な問題だ。大事なのは政治であり、国の在り方なのだ。
相手:西部邁氏が太田さんに近いような気がする。
太田:大昔、西部さんが書かれたものを読んだことはあるが、この10年来、日本の論壇をフォローしていないので、何とも申し上げられない。
相手:日本の自立の話になると、日本が核を持てるのかということを言い出す人が決まって出てくる。
太田:いくら米国は宗主国だとはいえ、どんな場合に核を使ってくれるのか政府は議論をすべきなのにしない。議論に乗ってこなければ、自前で核を持つよと言えば米国は議論に乗らざるを得ない。また、最初から自前で核を持つというスタンスを決めて米国に話をすば、米国は核を売ってくれるだろう。英国にだって売っているのだから・・。
ちなみに、米英関係を特殊視するのはおかしい。第二次世界大戦直前まで英国は米国にとって仮想敵国ナンバーワンだったのだから・・。日本なんて当時仮想敵国の2番手3番手だった。米国は、ナチスドイツの脅威を前にして困り果てていた英国につけこんで手を貸すフリをして英国を覇権国の地位から引きずり下ろしたのだ。だから、日本が求めれば、もちろん米国は核を売ってくれると私は思っている。もちろん、日本には全部自分で開発するというオプションだってある。ただし断っておくが、私は積極的核武装論者ではない。
相手:今のような議論をしていただいてよい。
太田:官僚機構の問題というのは私にとっては裏芸であるのに対し、以上縷々申し上げたのは私の表芸の方の話だ。さすがに核の話まで行くと議論が発散しすぎだが、私の表芸の方の話に議論の方向が進めば結構なことだ。そうなるかどうかは司会の田原総一郎氏のさじ加減次第ではないか。ところで「朝生」は、どうして普通の時間に収録した上で、無修正で深夜に放送しないのか。
相手:どうしてもはずせない出演者の都合に合わせて、金曜の夜収録して深夜に放送することもないわけではないが、その場合いつもクレームが視聴者から寄せられるという状況であり、ご理解いただきたい。
太田:田原さんを除く出演者が12名で3時間じゃ、時間も足らないのではないか。
相手:しかもその間、コマーシャルが入る。
太田:太田総理でご一緒した官僚OBの評論家や政治家が出演者の中に何人もおられるが、太田総理はバラエティーであり、かみあった議論が行われるわけではないので、それぞれのお考えをよく存じ上げているわけではない。ただ、彼らを含め、今回の大部分の出演者が官僚歴をお持ちであるところ、その多くは自民党の延命に手を貸した人々であり、仮に官僚批判をしておられるとしても、私としては違和感を覚える人々だということになる。なお、彼らは官僚OBの中では単純な天下りはしていないという意味ではマシな部類の人々であり、どうせなら、フツーに官僚を勤め上げ、フツーに天下りをしている人が出演して欲しいものだ。彼らが相手なら私と文字通り激論になるはずだが、こういう人達が出演するわけがないから困る。
相手:皆さんはどうして官僚になるのか。
太田:公のために仕事をしたいというより、たまたま文系で学業成績がよいので官僚になっただけ、という人が段々増えてきたのではないか。また、天下りだって平均余命が短い頃はさほど弊害がなかったが、現役時代とOB時代の長さが同じくらいになった現在では、弊害が巨大になったということではないか。属国の小役人の分際では国家の経綸を語っても仕方がないとなれば、OB時代を含めて、自分達が生涯いかにハッピーに暮らすかだけを考えて官僚達が現役時代を送ることになったとしても不思議ではなかろう。しかも、自民党系の政治家達は、こんな官僚達と癒着し、官僚をコントロールしようとはしてこなかった。
相手:太田さんはどうしたら、そんな日本が変わると思うか。
太田:官僚も自民党系の政治家もみんな現体制の被害者なのだが、受益者だと思いこんでいるので始末におえない。だから、彼らが変革の担い手になることはありえない。防衛省不祥事だって、検察は、守屋を接待でつかまえても防衛省からの山田洋行等への天下りは問題にしないし、政治家に対しては及び腰だし、米国に対してはもっと及び腰だ。GE幹部や、米国政府の元高官らの名前が取り沙汰されても、検察が彼らに事情聴取をしたという話すら聞こえてこない。公務員制度改革法案だって、骨抜きの法案しか自民党は作ろうとせず、そんな法案すら真剣に通そうとはしない。思いやりでも、米兵の犯罪でも、日本政府は米国にやられっぱなしだ。それなのに、世間の関心は、年金だとか後期高齢者医療制度とかばかりに向けられている。少子化に取り組み、ヒトの面での開国も行わない限り、これら制度を支えるカネもヒトも日本は加速度的に不足していくのは必至なのだが、一向にこのような根本的な議論は行われない。とにかく、日本の有権者がそれぞれ一票を行使して政権交代を実現し、政官業癒着構造の粉砕に着手すべきだ。これは日本の変革・・自立と開国・・に向けてのほんの一歩に過ぎないけれど、この一歩を踏み出さない限りは日本は永久に変革されることはない。

相手:番組がそういうシメになることもありうるのではないか。

<消印所沢>
コラムにありましたディスカッションの中で、ジュゴンについての言及がありましたが、沖縄の「ジュゴン」活動がそもそも純粋な環境保護運動なのかについては、当方が散見した限りにおいては、はなはだ疑わしいものがあります。詳しくは
http://mltr.ganriki.net/faq05c02o02h.html#08593

および
http://mltr.ganriki.net/faq05c02o02h.html#08993

 を。
アマチュアですらこのように簡単に調べることができるわけですから、訴訟だのなんだのを繰り返せば繰り返すほど、胡散臭さが増すだけで逆効果だと思うのは当方だけでしょうか。また、BAEの件、米司法省はかなり動いている模様。http://nofrills.seesaa.net/article/97229058.html


<太田>
貴重な情報をありがとうございました。
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1 始めに
今回は、チベット問題とオリンピックに焦点をあててみました。4月10日、IOCのロゲ(Jacques Rogge)会長は、北京で、「中共は人権を改善 し外国人ジャーナリストに同国のすべての地域に自由に行くことを認めるという、自らの行った誓約を尊重しなければならない」と語りまた。
これまで中共を批判することを控えてきた同氏も、世界で北京オリンピックへの逆風が吹き荒れているため、この程度のことは言わないと、IOCひいてはオリンピックそのものが批判の対象となりかねないと判断したのでしょう。実際、その後ニューヨークタイムスは、古典ギリシャ時代へのオリンピック回帰論やオリンピック廃止論のコラムを掲載しています。そこで、それぞれのコラムの概要をご紹介することにしましょう。

3 オリンピック見直し論
(1)古典ギリシャ時代へのオリンピック回帰論
古典ギリシャ時代に4年に一度開催された全ギリシャ競技会がらみの不祥事をざっと眺めてみよう。ペロポネソス戦争中のBC420年には、スパルタの参加が禁じられた。そのスパルタは、BC400年に、競技会開催中は休戦しなければならないのに戦闘を行ったため、多額の罰金を科された。
BC388年には、リシアス(Lysias)という男が、競技会を観戦しにきていたシラクサ(Syracuse)の僣主ディオニシオス(Dionysios)を攻撃する演説を行い、観客達がこの僣主の天幕を襲うというさわぎが起こった。
BC380年には、アテネの選手の1人が賄賂をもらったことでつかまったところ、アテネが競技会をボイコットした。
BC364年には、競技会の会場を観衆達の目の前で兵士達が襲った。ずっとこの競技会の開催を担当してきたエリア(Elia)に代わり、この年は近くのピサ(Pisa)が開催したことに怒ったエリアとその同盟ポリスのアルカディア(Arcadia)とが語らっての仕業だった。戦闘はゼウスの神殿内でも行われた。エリアは結局退却したのだが、次回の競技会から再びエリアが開催することになった。

しかし、こういったことは例外であって、古典ギリシャにおけるオリンピックは、少なくともBC776年以前には行われており、4年ごとにAD393年にローマ帝国のテオドシウス(Theodosius)帝が中止を決めるまで1,000年以上にわたって基本的に平和裏に続いた。これに対し、近代オリンピックは1896年に始まったばかりだと言うのに、既に1916、1940、1944年と戦争のために3回も中止されている。近代オリンピックは何かが間違っている。かつてのオリンピックは、一貫して同じギリシャの僻地であるオリンピアで、しかも(BC364年を除き)一貫して弱小ポリスたるエリアが主催者となって執り行われた。われわれのオリンピックもこれにならって、太平洋のサモア共和国あたりで常に開催することにするのがよいのではないか。
 (以上、http://www.nytimes.com/2008/04/12/opinion/12perrottet.html?ref=opinion&agewanted=print (4月12日アクセス)による。)

 (2)オリンピック廃止論
フランスのクーベルタン男爵(Baron Pierre de Coubertin)は、スポーツを天職、宗教と見た。そしてオリンピックを提唱し、それが道徳を増進し高めると考えた。しかし、1968年にはオリンピックが始まる10日前にメキシコシティーで、数千人の学生デモ隊に対して軍隊が発砲し、200名から300名が死亡した。いわゆるトラテロルコ虐殺事件(Tlatelolco massacre)だ。
1972年には、親パレスティナグループである「黒い9月」がイスラエルの選手達をミュンヘンのオリンピック村で人質にとり、11名が死んだ。
1976年には東ドイツの女子水泳チームが全部で13個中11個の金メダルをとったが、後にこれはステロイド漬けの産物であることが明らかになった(この薬物漬けの問題は現在更に深刻になっている。)1980年のモスクワでのオリンピックは、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して約60か国が参加を取りやめた。1984年のロサンゼルス大会はオリンピックが完全に商業化した最初の大会となった。
1988年のソウル大会では、オリンピック施設建設のために72万人の住民が移転を余儀なくされた。2004年のアテネ大会ではオリンピック経費にGDPの5%が投じられた。
以上はほんの一部だが、要するにクーベルタンの目論見は完全に失敗したということだ。生きていれば、彼自身がそのことを認めるだろう。
オリンピックなど止めるべきなのだ。種目別の世界大会がばらばらに開催されればそれでよいではないか。止めさせるのは簡単だ。
米国が参加を止めれば、オリンピックを支えているスポンサーの多くは米国企業であることから、莫大な放送権料を支払っている米国のTV局を含め、米国企業がオリンピックから撤退すれば、確実にオリンピックは自然消滅することだろう。
 (以上、http://www.nytimes.com/2008/04/13/opinion/13bissinger.html?ref=opinion&pagewanted=print

 (4月13日アクセス)による。)

4 終わりに
推定150万人が移転させられ、大気汚染で選手達を生命の危険に怯えさせ、カネにまかせてひたすら人権抑圧国中共の国威発揚に利用されようとしている北京オリンピックを見ていると、私自身、オリンピックに疑問を感じざるをえません。
北京の次は2012年の(2度目の)ロンドンでのオリンピックですが、果たして次回までオリンピックは持ちこたえられるのか、という懸念さえ覚える今日この頃です。
(蛇足ながら、1度目のロンドン大会における、開催のいきさつや英米の険悪な関係の話は実に面白い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF_(1908%E5%B9%B4

)をぜひご覧あれ。)