二日早く来たかった、、、。
<四川大地震>「2日早く来たかった」救助隊、撤収に悔しさ
【北川(中国四川省)稲垣淳、岡崎英遠】「あと2日早く来たかった」。日本の国際緊急援助隊が四川省北川県の現場から撤収した19日、隊員は現場間の移動などに時間を取られ、1人の生存者も救出できなかったことに悔しさをにじませた。
生き埋めになった被災者の生存率は、72時間を超えると大幅に下がるとされる。救出活動は12日の地震発生から4日後の16日からで、当初から困難が予想された。 また、都市型災害が専門の日本隊に山間部集落の救助を依頼するなど、初めて海外の救助隊を受け入れた中国側の不慣れな対応が追い打ちをかけた。 隊員らによると、援助隊の使う地図は「集落の位置関係が分かる程度」で、被害状況も「どこに聞けば正確な情報があるのか分からなかった」という。詳細はほとんど現地でしか分からなかった。 警視庁所属の隊員は「とにかく現場まで時間がかかった」と漏らす。東京消防庁ハイパーレスキュー隊所属の隊員は「生存確率の高い現場で、早く活動したかった」と、複雑な心境を明かした。 一方で「お客さんは危険な場所に行かせられないというのが中国側の姿勢。阪神大震災のとき、空港に降りたスイスの救助隊をまずホテルに案内した日本の対応に似ている」と指摘する幹部もいた。 小泉崇団長は「今回は時間との勝負。困難な条件で隊員はよくやってくれた。ただ生存者の救出に至らなかったのは残念でならない」と話した。5月19日20時55分配信 毎日新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080519-00000111-mai-soci |
日本のお姉さんの意見。↓
チュウゴクが、本当に生存者をガレキの下から救いたかった
のなら、もっと早く、各国の救助隊を受け入れていただろう。
日本の救助隊を受け入れたのは、チュウゴク側のポーズだ。
少しは外国の援助を受け入れておかないと、国際社会に対して
格好がつかないし、日本ならスパイ活動をしないだろうから
無害だし、チュウゴク国民に対しても外国の援助を受け入れた
が、それでも救助が難しかったということで、チュウゴク政府も
言い訳が立つ。被災地が広範囲で、チュウゴク軍には、
救助に必要な経験も無いし、重機も無いし、移動は徒歩だし、
ガレキをどかすのも手作業だから、助かる人も助けることは
できなかったのだと思う。
テレビで、コンクリートのガレキの下敷きになっている若い
男の人の映像がでていた。ニュースキャスターの好意で、
ガレキの下敷きになったまま携帯電話を渡されていた。
彼は、自分の奥さんに電話で
「何もいらない。あなたの側にいることができたら。」と言って
いた。救助されたときには、意識がなかった。ニュース
レポーターが「奥さんはまだお子さんを産んでいないじゃない
ですか~!」と、泣きながら彼の体を揺さぶっていたが、
その手にはなぜか手袋が、はめられていた。
彼は長時間、ガレキに体を圧迫されていて、クラッシュ症候群に
なっているから、早く適切な治療をしないといけないのに、
チュウゴク軍の兵士が「寝るな!」と言いながら体を揺さぶって
いた。日本の阪神大震災でも、多くの人がガレキの下から
助け出された後で死んだ。チュウゴクの四川省では、
日本人の経験が、全然生かされなかった。震源地の近くでは
多くのチベット人の集落が、誰の助けも受けずにそのままに
ほおって置かれているという。
日本の救助隊は、よくがんばったと思うが、チュウゴクに入った
時期がすでに72時間を超えていたし、案内された場所が
土砂崩れで埋まった場所だったり、移動が徒歩だったりして
時間のロスも多く、思うようにいかなかったようだ。
でも、一生懸命に救助している様子がテレビには映されていた。
チュウゴク政府にいいように利用されただけかもしれないけど、
できるだけのことはやったのだから、それでいいと思う。
お疲れ様でした。まだ、救助活動をしている最中に、チュウゴク
は、全国哀悼日を設定して喪に服していたが、ちょっと早いと
思う。四川省で、大災害があっても聖火リレーは続けていたから
どういうことかなと思った。上海で行うはずだった聖火リレーは、
三日間延期するらしい。
チベット人は、今回の地震で大勢の犠牲者が出たようだ。
ただでさえ、都市部を漢人に占領され、チベット人として
迫害されて人数が減っていたのに、これでさらに人口を
減らしてしまった。