大英帝国の終焉の原因を、イギリス人の知的エリートは、日本に敗れた事と認識している(株式日記と経済 | 日本のお姉さん

大英帝国の終焉の原因を、イギリス人の知的エリートは、日本に敗れた事と認識している(株式日記と経済

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▼大英帝国の終焉の原因を、イギリス人の知的エリートは、日本に敗れた事と認識している(株式日記と経済展望)
3 大英帝国の終焉 太田述正コラム#2142 (2007.10.23)
いつ大英帝国が終焉を迎えたかについて、英国内では様々な意見があります。英国人達があたかも世界が崩壊したかのような気持ちになったところの、インドとパキスタンが独立を認められた1947年8月15日の夜なのか、英国がスエズ運河の支配権をめぐってエジプトに侵攻して、わずか一週間と経たないうちに屈辱的な撤退を強いられた1956年の秋なのか、1980年にローデシア(Rhodesia)の黒人達への権力委譲が行われてサッチャー首相が涙した1980年4月なのか、それとも、総督のクリス・パッテン(Chris Patten)が涙した1997年6月の香港の中共への「返還」なのか、誰にも分からない、とブレンドンの本のある書評子は記しています。もっとも、私に言わせれば、そのいずれでもないのであって、大英帝国の終焉の時期は、日本軍による1942年2月のシンガポール陥落か、1944年3月のインパール作戦発動に伴う英領インド侵攻か、そのどちらか一方を選ぶべきなのです。そもそも、マレー半島とシンガポールを結ぶ土手道(causeway)を日本軍が砲撃する音を聞いたラッフルズ私立学校の校長があの音は何だと尋ねた時、後にシンガポールの首相になるリー・クワンユー(Lee Kwan Yew)が、「あれは大英帝国の終焉<を伝える音>です」と答えた挿話をブレンドン自身が紹介しているところです。

ただ、このように終焉の時期については様々説がありえても、既に大英帝国が存在していないことはみんな知っています。それではどうして大英帝国は終焉を迎えることになったのでしょうか。ブレンドンは、これについて、今一つ腑に落ちない以下のような趣旨のことを記しています。1897年のビクトリア女王就任60周年の記念日には、11名の植民地の首相達とたくさんのマハラジャ達がこの女帝(Queen Empress)をセントポール寺院の感謝祭の宗教儀式の場へと先導した。彼女より偉い存在は神だけだと評された。これこそ「大英帝国」が頂点に達した瞬間だった。しかし、まさにこの時期の前後に、英国人の間で帝国終焉の予感が生じ始めたのだ。当時英国の保護領となっていたエジプトの事実上の支配者であったクローマー卿(Evelyn Baring, 1st Earl of Cromer。1841~1917年。エジプトの事実上の支配者:1883~1907年)は、みすぼらしかったエジプトを観光客向けのテーマ・パークのような場所へと作り替え、カイロをイギリスの町のような所へと作り替えた(注2)人物だが、この当時、怠け者たるイギリスの帝国建設者達は二つの互いに相容れない目標を常に追求している、と記している。(注2)私が小学校時代の大半を過ごしたエジプト、そしてカイロは、独立し、更に王政も倒れていたが、まだほとんどこの英国保護領の時のままだった。三重県の四日市からこの地にやってきた時のカルチャーショックと、小学校5年生の秋に東京へと帰国した時のカルチャーショックは、どちらも凄まじいものがあった。ただ、今振り返ってみると、後者のカルチャーショックの方がはるかに大きかったと言えそうだ。なぜなら、それから半世紀近く経った現在、いまだに私は東京において異邦人意識をぬぐい去れないでいるからだ。(太田)
二つの互いに相容れない理想とは、クローマーに言わせれば、英国の支配の下での良いガバナンスという理想と、植民地への自治の付与による英国の世界的覇権からの引退という理想だった。その後、次第に後者が優位に立っていく形で歴史が進行していったことをわれわれは知っている。

また、この少し前の1877年に小説家のヘンリー・ジェームス(Henry James。1843~1916年)は、既に、「イギリスの「衰亡」は私にはとてつもない、いやほとんど身震いさせるような光景とさえ見えたし、もし大英帝国がもう一度多血症的(plethoric)な小さな島へと縮んで行くとすれば、その過程は史上最大のドラマになるだろう」と書き記している。そしてこれらの予感は的中した。第一次世界大戦でたくさんの帝国が姿を消し、英国もほとんど破産状態に陥った。その後にやってきた戦間期には、英国中に悲観論が充ち満ちた。 しかし、信じがたいことに1939年に至っても、なお大英帝国は屹立しているかのように見えた。 ヒットラーすら、『我が闘争』の中で、英国を地上における最大最強の国家(the greatest power on earth)と認めざるを得なかったほどだ。しかし、実際のところ、大英帝国は既に名存実亡状態だったのだ。これに対し、書評子の一人であるマックラム(Robert McCrum)は、ブレンドンは米国が英国の衰亡に果たした役割に十分注意を向けていない、と批判しています。マックラムは、米国の国務長官を勤めたディーン・アチソン(Dean Acheson。1893~1971年。米国務長官:1949~53年)の、「英国は帝国を失い、いまだ新しい役割を見出していない」という発言を引用しています。米国のエリートが喜びを噛みしめている様子がうかがえる発言ですね。私見では、大英帝国を終焉に導いたのは米国です。では、米国はいかにしてそれを成し遂げたのでしょうか。そして、日本は大英帝国の終焉に、単に猿回しの猿として関与した、というだけのことだったのでしょうか。 このあたりのことは、機会を見て、改めて論じたいと思います。

◆真のエリートは自己犠牲を厭わない 2006年12月2日 杜父魚文庫ブログ
昨夜、読みかけの中西輝政著「大英帝国衰亡史」を開いてみる。本というのは繰り返し読む度に新しい発見をすることがある。第六章の「ボーア戦争」の蹉跌の中で、イギリス人の知的エリートが、ささやかな(?)辺境戦争の挫折によって、大英帝国の終焉を予感した様が描かれている。
ロンドンでロイター通信社の幹部を招待して会食したことがあったが「イギリス人の知的エリートは、ボーア戦争と第二次世界大戦で日本に敗れた二つの教訓を忘れていない」と言われて奇異に思ったことがある。「第二次世界大戦で日本は敗戦国となり、イギリスは戦勝国だったではないか?」と疑問をぶつけたのだが、イギリス人の受け止め方は違っていた。アジアにおいてはイギリスは香港、シンガポールを失い、プリンス・オブ・ウエールズとレパルスという英太平洋艦隊の主力戦艦を一挙に撃沈された・・・イギリスはアジアの戦争で日本に敗北したというのである。それはまたアジアにおけるイギリスの権益を失う象徴的な出来事だったという。イギリス人のエリートの多くは、ケンブリッジ大学やオクッスフォード大学の卒業生なのだが、官僚志望者には法律学よりも歴史学教育に重点を置いて教育を施すという。戦後日本のエリート官僚は東大法学部出身者が多かったが、歴史学よりも法律学教育に重点が置かれてきた。広い意味での歴史的視野が施されてきていない

戦後日本のエリートといえば、塾通いをして有名私立の中高一貫教育学校に合格し、東大など一流大学を目指して、卒業後は大蔵省や大手企業に入る人を指した時期があった。キャリア組とも言った。この人たちが敗戦後の日本の再建に貢献した事実を認めるのに吝かではない。だが本当の意味でのエリートだったのだろうか。これは自己流の解釈になるが、エリートとは自己犠牲を厭わない者を指すと考える。少なくとも東洋的なエリート、とくに支那的なエリート思想にはそれがある。”選ばれた者”の必須条件は世間的な名声ではない。孔子の思想が今もって生き続けているのは、それがあるからではないか。欧米流のエリート(仏:elite)とは、厳しい選抜と高度な専門教育を受け、ある特定の方面に於ける役に立つよう、充分に訓練されている人たちと狭義の解釈をしている。だから政治的エリート(パワーエリート)、経済的エリート、文化的エリート、軍事的エリート、スポーツエリートといった分類が生じる。戦後日本のエリートは、この色彩が強い。(後略)
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(私のコメント)
日本の高校教育では世界史は選択科目であり、東大を出たキャリア官僚でも世界史や日本史を知らない人がいるようだ。戦後も文部省の歴史教育は左翼出版社の作った歴史教科書で教育されてきたから、輝かしい日本の歴史を知る人は少ない。ブログなどを見回してみても教養の守備範囲の狭さを感じるブログが少なくない。経済なら経済だけとか、政治なら政治だけとか、専門を限れば高いレベルのブログもあるが、広範囲の分野において縦横無尽に書かれたブログが少ない。「株式日記」もスポーツや芸能まで範囲を広げようと思ったこともありましたが、日本のブログはスポーツや芸能関係のブログが数としては圧倒的多数を占めているので控えている。

確かにスポーツや芸能などのエンタメ系のブログなら気楽で楽しいし読者も沢山集まる。20000以上のブログが登録されているブログスカウターのランキングを見ても、上位のほとんどがエンタメ系であり、時事系のブログはトップ50位以内では「ネットゲリラ」と「株式日記」しか見当たらない。それだけ日本人の知的レベルは低下してきてしまったのでしょう。歴史教育がこのようにお粗末だから、映画にしても字幕が読めなかったり、読めても意味が分からない若者が増えている。これでは歴史ものの映画を見ても何時の時代の何処の出来事かも分からなくては映画鑑賞も出来ない事になる。文字が読めなければ吹き替えの映画が多くなり、単に歴史を知らないばかりでなく国語力も落ちてきている。
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◆映画字幕で業界が四苦八苦 若者の知的レベル低下が背景か? 5月10日 産経新聞
若者の活字離れが進む中、映画会社が洋画の字幕づくりに苦慮(くりよ)している。文字数を減らすだけでなく、漢字の使用を最小限にし、極力ふりがなをふる気の遣いよう。「読み」だけでなく、中学生レベルの歴史的事実すら知らないというケースも。こうした事情を反映し、アニメだけでなく、実写映画でも吹き替え版が急増。映画業界では「若者の知的レベルがこれほど下がっているとは…」と驚いている。(岡田敏一)

日本初の字幕映画は昭和6(1931)年公開の米作品「モロッコ」。吹き替え作業の設備などが不十分で字幕という苦肉の策をとったが、この作品の大ヒットで字幕が定着した。 映画各社によると、戦前の字幕はスクリーンの右端にひとつのせりふで最大縦13字で3行だったが、戦後は10字2行とやや少なめに。人間が1秒に読めるのは4文字程度というのが理由だった。文字数が再び増えるのが1980年代半ば。ビデオレンタルが普及するにつれ、テレビでも見やすいように、とスクリーンの中央下に最大横13字で2行の形式が定着した。 しかし、ここ数年、13字の字幕を読み切れないという若者が増加。映画離れを食い止めようと、製作、配給会社では苦肉の対応を余儀なくされている。字幕づくりの現場では、10字前後で区切って行数を増やしたり、漢字を省いたり…。さらに、字幕を必要としない吹き替え版へシフトする動きもある。
東宝東和では8月から10月の3カ月間で計3本のハリウッド大作を公開するが「吹き替え版を過去最大級の手厚さで用意する」と話す。ワーナー・ブラザーズ映画も「ハリー・ポッターシリーズの場合、吹き替えが6割で字幕版を上回っている。その他の作品でも吹き替えの比率は年々高まっている」と説明する。字幕以前の問題も。ある映画会社の製作担当者は「スパイ系作品の試写会後『ソ連って何ですか?』、『ナチスって何ですか?』との感想が寄せられ、本当に驚いた」と打ち明ける。「スパイダーマン」シリーズなど計約1000本の映画の字幕づくりを担当したこの道約30年のベテラン、菊池浩司さん(60)は「知っていて当然の日本語を知らない若者が増えているようだ」と話している。

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(私のコメント)
だから時事系のブログが読まれないのは当然なのですが、日本のトップクラスの知的エリート達も高校大学で歴史を学ばずに社会に出ていることは問題だ。だから一流企業や中央官庁にいたエリートが海外に留学しても、海外の知的エリートとまともに会話も出来ないようだ。歴史や自国の文化も知らないから外人から何を聞かれても答えられない。単に言葉の問題ではなく、教養のレベルが知的エリートクラスになると差がついてしまう。日本では真の意味での知的エリート教育がなされていないからだ。中西輝政氏の話でも、イギリスの知的エリートといえばオックスフォードやケンブリッジ出の人が多いのですが、「第二次大戦で日本に敗れた」と話している。歴史の専門教育を受けた人なら分かる話だ。

「株式日記」でも、大東亜戦争は植民地解放と人種差別からの解放戦争だったと書いて来ましたが、歴史の見方からすればそのような分析が出来るはずだ。しかしそれではアメリカの立場がなくなるから、日本は侵略戦争をした犯罪国家であると教え込まれてきた。このように書くと右翼の戯言とされてしまうから、日本の歴史学のレベルが低いままになってしまう。中国や韓国が持ち出してくる政治的プロパガンダに、日本の歴史学者や政治家達は右往左往していますが、中国や韓国では歴史と政治プロパガンダが分けられない低文化国家であり、歴史学が分かっていないのだ。中国では王朝や政権が代わるたびに歴史は書き換えられてきたのであり、その歴史観を彼らは日本に押し付けてきている。

アメリカも文化レベルではヨーロッパに一段劣るのであり、歴史の浅い国だから歴史学と政治プロパガンダが分かれていない部分もある。だからアメリカ軍が戦後においても日本の歴史を書き換えてしまったのだ。GHQは7700冊の戦前戦中の本を焚書坑儒してしまった。アメリカはこのような非文化的な国であり他国の歴史まで書き換えてしまう。

このように日本は大英帝国の幕引きを行った国なのですが、帝政ロシアも日露戦争の敗北と第一次大戦の敗北が滅亡の原因となった。清帝国も日清戦争の敗戦がダメージとなり亡んでしまった。大英帝国の終焉もシンガポール要塞や香港要塞の陥落で決まってしまったようなものであり、日英同盟の解消が遠因となっている。

これらの事実を歴史的に分析してみれば将来予測も分析できるのであり、日本の軍事的台頭により、ロシアも中国もイギリスも太平洋の覇権を失い出口を塞がれてしまったから大きなダメージを負ってしまったのだ。もし歴史から将来を予測すれば、アメリカは日本との同盟を失えば、太平洋の覇権を失いただの大国として没落するだろう。だからアメリカはなかなか日米安保を解消してくれそうもない。アメリカにも地政学や歴史学の分かっている学者がいるからだ。