少子高齢化は「問題」か? (清谷信一)
ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼少子高齢化は「問題」か? (清谷信一)
そもそも少子高齢化を何で今になって騒いでいるのでしょうか。 既にぼくが生まれた60年代には少子化が進むことはわかっていたはずです。
戦後のベビーブーム以降、一斉他当たりの子供の数は2名、一家4名が「標準世帯」と呼ばれるようになりました。「家付きカー付きババァ抜き」と、歌に歌われたのもこのころです。対して戦前は10人前後の子供のいる家庭は珍しくありませんでした。それだけでも大変な少子化です。また高齢化にしても、既に70年代から日本人の寿命は大幅に伸びていました。「少子化高齢化」社会になるのは自明の理です。あと知恵になりますが、70年代以降、国家の歳入の1パーセントでも国内外の株式などで運用していればと思います。仮に上場企業に均等に投資していても、日経平均は上がっていますから損はしていません。しかも配当もあります。今頃最低でも原資の数百倍になっているはずです。そうして利殖していれば向こう半世紀ぐらいの年金の原資は出来たでしょうに。少なくとも狐や狸が通る道路をつくるよりは張るかに投資効率が宜しい。それと全部使うどころか借金までこさえてしまったわけですから。しかし未だに、国が借金まで道路を造れというバカな政治家や国民がいるのは信じられれません。GDPの6割を占める個人消費が増えないのは将来の社会保障に不安を感じるからです。にもかかわらず「道路ではなく『道路工事』が欲しい」からと借金すれば益々景気は悪くなります。国の借金も増えます。
だいたい道路さえできれば景気がよくなるとか考え、自助努力もしない田舎が栄えるわけないでしょうが。とっとと集落を畳んでより大きな集落に合流するか、町場に引っ越すかすれば宜しい。公的扶助を出しても道路つくるよりは安いです。例えば道路特定財源の内、道路建設は1/3のだけにして、あとは株式に投資する。どうしても道路工事が欲しいという「シャブ中乞食」自治体や住民には現金で工事費の1~2割程度の現金を恵んでやれば宜しい。経済効果が見込めない、しかも今後維持費がかかる道路を造るよりは乞食に金をばらまいた方が余程安上がりです。で、先ほど述べたような絨毯爆撃方式で現物のみの投資でも、10年20年立てばかなりの利益が見込めるでしょう。その利益を年金やらに当てるのです。しかもそれだけの金が証券市場に流れ込めば株式市場全体が活性化するでしょう。
だいたい少子化といいますが、今の議論はこの少子化がこの先ずっと右肩下がりで続くことを前提としてる場合が多いようです。 ですが、少子化が同じように延々と続くというのも悲観過ぎるような気がします。 どこかで多産ブームが起こるかも知れません。ぼくら40代は結婚に消極的ですが今の20代は逆に結婚願望も強いし、結婚年齢も早いようです。しかもできちゃった婚が多くなっています。さほど悲観しなくても宜しのではないでしょうか。それに人口が8千万人になったところでドイツ並み、英仏よりはずっと人口が多いわけです。国内市場はそれなりに大きいわけです。
メディアは悲観的な記事を書く方が売れるから書いていますが、それを真に受けて暗くなる必要はないと思います。 オイルショックの時も、プラザ合意の時も日本がつぶれるような騒ぎをしていましたが今にしてみれば冗談みたいな騒ぎだったじゃないですか。先ほどちらっとTVのニュースを見たのですが、おばあさんが箱いっぱいの薬を見せていました。毎日薬だけで腹が膨れるくらい薬を飲んでいるそうです。あれだけ薬を飲めば健康な人間でも具合が悪くなるでしょう。高齢者にやたらに薬を処方して返って健康を害し、しかも医療費がかかるような時代遅れの医療をやめ、代用医療なども取り入れたり、食生活を改善したり禁煙を指導することなどの予算を使い、薬代や医療費を抑制しつつ健康を増進するような方法を模索すべきでしょう。そうして高齢者にかかる費用を減少させ、尚かつ生活のクオリティを高めるような工夫が必要だと思います。高齢者がみんな山のように薬を喰って、始終体調が悪い訳じゃないでしょう。何の工夫もせずに医療費介護費は拡大して当たり前、それに予算を付けろというのは役人の我田引水の論理です。
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ようちゃんの意見。↓
★中国やインドと比較すれば日本は人口が少なく見えるかもしれないが、世界では10位の中に入る人口過剰国です。昔から過剰で戦前は移民に熱心だったのです。8千万人に減少しても食料自給率は100%にはなりません。減ってもそれなりに、機械やロボットやペットやら」日本人は結構
代替を見つけてそれが、次の産業の未来を切り開くのです。悲観論は胃腸病になる。
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▼贖罪歴史教育や愛国教育よりも、死刑制度の現実を子供達に教えるべき。 (大日本セキュリティ)
当方のような死を忌み嫌う平均的日本人にとっては、死刑制度は目を背けたい現実なのでしょう。何かヘビーな話題なんですよね。で、その死刑制度を国民参加の「裁判員制度」が始まる事に関連して特集したのが、文化放送の特別報道番組だったようです。
オフイス・マツナガさん officematsunaga.livedoor.biz/archives/50638988.html
私はオフイス・マツナガさんの所でアップしているのを聞きましたが、死刑に関しては知らない事ばかりでした。基本的に現状において、死刑制度廃止は荒唐無稽であると思っています。ただ、無期懲役と死刑の間に終身刑が挟まって、やっと死刑制度廃止論議がスタートラインに立てるのかもしれません。無期懲役が最高刑であれば、日本が犯罪パラダイスになる事は確実でしょう。まぁ。終身刑ができても、死刑の重要性は変わらないと思いますが....。
で、文化放送の内容なのですが、死刑制度というのは日本の社会を維持していく為の必要悪というか、原罪なのではという気がしてなりません。放送では死刑を執行する刑務官の苦悩などにも時間が多く割かれており、死刑制度に関わる人全体にストレスがあるのも良くわかります。また、この番組では深くは触れられていませんが、冤罪なんて要素も絡んでくるわけです。沢山の矛盾を抱えた制度である事は確かなようです。しかし、それでも死刑は必要だと思います。死刑に犯罪抑止効果は無いという議論に説得力はありません。まぁ。衝動的に犯罪を犯す人もいますが、計算づくで殺人を犯す人も絶対にいるはずですから...。二人殺さなきゃ大丈夫だとか....。ただ、冤罪で死刑になる人が出たらどうする?というのは、説得力を持つ議論です。人間は絶対じゃないですから....。やっぱり、日本人はもっと死刑制度の現実を知った方が良いとは思います。日本という社会を維持するために、死刑制度という「原罪」を背負っている事をもっと認識した方が良いのでしょうね。
話はちょっとずれるのですが、私は「愛国教育や道徳教育」を訴える自民党にも、「荒唐無稽な贖罪歴史教育」を押し付ける日教組・民主党サイドにも不信感を持っています。自民党は自分達にこれっぽちの愛国心も無いくせに(自民党の媚中政治家を見ればわかるでしょう。)子供にそれを押し付けようとするし、日教組は自分達の時代遅れの左翼思想を押し付ける為に、日の丸・君が代や歴史教育を道具にしている卑劣な輩です。でも、左翼どもがほざく「目を背けてはいけない日本の罪」があるとしたら、それは歴史なんかより死刑制度だと思います。子供達に日本の法体系は過酷な死刑制度によって支えられているという現実を突きつけたほうがよっぽど意義深いと思います。現実を知った上で、死刑制度廃止を訴えるようになるか、問題を抱えた制度であっても、日本という社会を維持する為に重要な仕組みと考えるようになるかは子供達の自由です。「目を背けちゃいけない」事は過去の歴史なんかじゃなく、死刑制度の現実なような気がしてなりません。逆に死刑制度の持つ負の要素を理解したうえで、それでも死刑制度を法体系の根幹にすえる日本を愛するというなら、それこそ本当の愛国心じゃないかと思います。
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▼民主主義は秀逸な「ガス抜き」システム。 (大日本セキュリティ)
中国関連の話の連続で食傷気味かとは思いますが、ご勘弁願います。当方が言いたいのは、一党独裁の共産主義政党が資本主義の音頭をとっても絶対に歪みが出てくるわけで、長続きしないという事です。中国の経済成長はめまぐるしいものがありますが、急激な経済成長を達成した国の国民ほど不満の捌け口を求めるのです。ベルリンの壁崩壊は世界史にとって非常に重要な出来事だったわけで、ベルリンの壁があった東ドイツだけじゃなく、本家のソ連に至るまで民主化しました。で、ソ連崩壊の影響を受けた意外な国にインドがあります。インドは独立後、西側にも東側にも属さない中立国家だったわけですが、ソ連の影響が強く事実上の東側国家だったわけです。ただ、カースト制や手の施しようが無いほどの貧困層の為に、社会主義が馴染まず、体制的に完全な社会主義にはなりきれませんでしたが、実際は社会主義的な傾向の強い国民会議派が多数を占め続けていました。
ところが、そんな国民会議派万年与党体制に風穴を開けたのが、バジパイ前首相の右派政党インド人民党です。ソ連の退潮を察知した元ジャーナリストで詩人のバジパイ氏は社会主義に染まっていたインドの門戸開放を行い、高度成長を実現、挙句の果てには核武装を実現し、大国への礎を築いたある意味スーパースター政治家です。(一方で、インド人民党はインド共産党と友党関係にあり、中国とも積極的な和解を行っているのでややこしい。)ところが、このバジパイ氏のインド人民党は選挙に破れ、現在は下野しており、変わって国民会議派が与党に返り咲いています。高度成長を達成し、強いインドを実現したパジパイ氏でさえも、経済成長に取り残された国民によって退場させられるのが民主主義です。経済成長の波に乗り切れなかった国民の不満にぶち当たり、調整せざるを得なくなったのがインドです。ロシアもそうです。アル中のポピュリスト・エリツィンは民主主義によって退場させられました。まぁ。変わって出てきたのが、開発独裁・言論弾圧のプーチンだったわけで、民主主義が後退したのは皮肉な事です。しかし、こちらもプーチンによって、一部富豪による富の独占が是正されました。(企業の再国有化等)何を言いたいのかというと、ベルリンの壁崩壊後、民主主義・資本主義陣営として歩みだした国家は高度成長や一部の大富豪を生み出したものの、取り残された国民の不満、いや怨念?によってブレーキがかけられているのです。一方、中国はどうでしょうか?一時のロシアと同様に貧しい庶民が大金持ちになって派手な生活をしている都市生活者を目の当たりにしているのです。人は皆が貧乏なのは耐えられるが、自分以外の人たちが裕福なのは我慢ならんという生き物です。しかも、ロシアやインドのように国会議員や大統領の選挙が無い。これでは不満がたまる一方です。選挙で選らんだ政治家が駄目政治家だとわかっても、自業自得だとあきらめがつきます。ガス抜きシステムの無い高度経済成長は不可能なのです。
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