ペルー・マチュピチュ遺跡から発見後に持ち出され、米エール大に現在も保存されている発掘品 | 日本のお姉さん

ペルー・マチュピチュ遺跡から発見後に持ち出され、米エール大に現在も保存されている発掘品

2008/04/15-07:08 持ち出した発掘物、実は10倍の4万点=米大所蔵のマチュピチュ遺跡品-ペルー
 【サンパウロ14日時事】インカ帝国時代の世界遺産、ペルー・マチュピチュ遺跡から発見後に持ち出され、米エール大に現在も保存されている発掘品が当初推定の10倍に当たる約4万点に上ることが14日までに明らかになった。返還を求めていたペルー政府は2007年、発掘品の一部引き渡しで同大と合意しているが、所蔵品数はこれまで4000点程度と見積もられていた。
 ペルー政府は、返還される品々を遺跡近くの都市クスコに建設予定の博物館で展示する計画。このため、今年3月に同大へ文化財研究の専門家を派遣し、所蔵品の実態調査を行っていた。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=200804/2008041500107&rel=j&g=int


マチュピチュは、いつか行きたい場所だが、

そういえば、埋蔵されていた物が無いなと

思っていたんだ。建物だけが残っていたのだと思ってた。

遺跡品はすべてアメリカに持っていかれたらしい。

アメリカが持っていかなかったら、ペルーの泥棒が

骨董品として、全部売ってしまっただろうから、

アメリカを責めることも無いと思う。

今まで、大事に保存してくれたと思えばいい。

ペルー政府が、マチュピチュの遺跡品の返還を求めて

アメリカの大学で所蔵品を調べていたら、見積もりよりも

10倍多い4万点も見つかったのだという。

ペルーは、自前の博物館を持って展示できるような国に

なったんだね。

イラクの博物館の展示品は、どうなったんだろう。

楔(くさび)文字の板は戻ったのだろうか。

アメリカ軍がイラクに攻めていったときに、博物館が暴徒に

襲われて空っぽになったそうだけど、イラク人はどういう

つもりで、博物館を壊して宝を盗んだのかよく分からない。


日本には、たくさん博物館や美術館があるから、

やっぱり、いい国だと思う。第二次世界大戦(大東亜戦争)で

負けても、まだ日本には宝が残っている。

戦争の時は、みんな一生懸命、日本の宝を租界させたんだ

ろうな。日本では、地震があっても、助けを求めて倒れて

いる人の腕時計を盗んだりしないし、家の中に入って

泥棒したりはしない。

(阪神大震災の時に、半分崩壊した家に入って泥棒したのは、

普通の日本人ではない人たちだった。)

当時、公園では無料の食事が配られたが、その中に地震の

被害者ではない大阪から来た浮浪者たちも混じってい

たらしいが、そんなのはまだかわいらしい。

自然災害が起きたら、助け合うのが、日本人だ。

中国では、地震で人が助けを求めていると腕時計を奪うだけで

助けない人がいるらしい。中国の四川州では、どうなのだろう。

小学校や化学工業で生き埋めになっている人も覆いらしい。

チュウゴウ政府は、お金持ちだから、なんとかするだろう。

神戸のNPOが、救助犬と、救助員を送ろうとしたが、

チュウゴクは断ってきたそうだ。ミャンマーもだけど、

共産国は、災害が起こっても外国の援助部隊を入れた

がらない。国民の命より、プライドとか、国の秘密保持が

大事なのだろう。

初めて民主党で首相になった村山元首相も、

阪神大震災の時には、自衛隊の助けも求めず、海外の助けも

たしか断っていた。もしも、直ぐに自衛隊の援助やアメリカの

援助を求めていたら、火事だってもっと早く消し止めることが

できただろうし、もっとたくさんの人が、死なずに済んだの

だろうに。

チュウゴク四川州で生き埋めになっている小学生や

化学工場の従業員は、チュウゴク軍が助けるのだろう。

チベット人が多い場所で地震が起きたから、漢人も町に

うようよいるから、漢人も死んだだろうけど、チベット人も

大勢死んだのだろうな。チベット人は踏んだり蹴ったりだな。