道路はもう要りませんよ!皆さん (山堂コラム)
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道路はもう要りませんよ!皆さん
━━━━━━━━━━━━━━━山堂コラム:215
熱海の温泉街の寂びれよう、目を覆うばかり。不夜城の旅館名染め抜い た浴衣で行き交う酔客。大賑わいだった「湯の町エレジー」の各通り。
いまは夜の8時にもなると人影はまばら。元射的屋のおじさんと元ストリップ劇場の支配人・・・「客来たかと思ったら、ビジネスホテル(BH)どこ?だと。ふざけるな、と言いたいがワシらいまBHの夜のアルバイト。当直フロント係り。日雇い1晩8千円。おう、仕事ないのよ」「踊り子に囲まれて、毎晩ウン十万円の上がり。終わって踊り子に万札配って飲み直し。えがったなあ、あの頃。芸者置屋ならもっとガバッチョ。熱海は昭和の桃源郷・・・」
「平成のいまは閑古鳥のカーアのカア。熱海が寂びれたのはよ、日帰り客と通過客ばかりになったこと。元凶は間違いなくこれ、新幹線に高速 道路――」バカがつくった新幹線に高速道路。道路は揮発油税の道路特定財源。それを一般財源化するかどうかで政府・自民党、殴り合い寸前の大醜態、みっともなさ。
最高責任者たる総理・総裁が「来年度から一般財源化する」と表明すれ ば、すかさず党の執行部(幹事長など4役)「あれは官邸が勝手にお決 めになったことで――」官僚が土建屋と癒着して永年しゃぶってきたノーパンシャブシャブ、道路利権の甘い汁。それを政治家も「金蔓」にしちまって、三者絶対に離すわけにはいかないズブズブの底なし沼。道路で一財産つくるために政治家になったような金バッジもオラ知ってる。
田中内閣の「日本列島改造論」以来、彼らは血まなこになって道路の建 設を進めてきた。建設省・道路公団にとどまらず。地方自治体も、いや 道路工事とは関係のないはずの農水省。そんな役所まで、「やれ農道」 「やれ林道」と作るのは道路ばかりなり。全国津々浦々、熊や狐しか棲んでいない山奥。そこにも完全舗装のピカピカ道路。バスもトラックも自転車も、いまや耕運機さえも通ってはいない。爺っちゃん山に柴刈りに、婆っちゃん川に洗濯に、行くためだけの4車線――「それはですねえ、皆さん!道路がデケれば、ここ新潟でも、えやえや。エワテ県でもフクスマでもですよ、皆さん!日本全国がそりゃ活性化するんです。だから日本列島改造論なんですよ」と声高に叫んでいた在りし日の角さん。懐かしい・・・
懐かしいけど、だがねえ皆さん!いま思えばみんな大嘘。決してそうは ならなかった。あれからの35年、歴史が証明する。活性化どころか地方の疲弊衰退は目を覆うばかり。強引な合併で全国の市町村の数そのものも半減したが、そこに住む人々の生活。過疎・楢山節考・後期姥捨て山・・・農山村のほとんどが消滅しようとしている。かつては商工業で栄えた中堅都市でさえ、駅前はシャッター通りと化して寂びれる一方。この「地方の衰退」は高速道路と新幹線がもたらした―――と言うと反論するむきはあろうが、オラはそうだと思う。道路を建設する時、はじめのころは地元も少しは潤った。このごろでは全部中央大手のゼネコン落札。地方の土建屋を排除する談合は常識。カネは地元に雀の涙ほども下りてこない。官僚腐敗のその仕組み。道路出来た地方はただ騒々しいだけ。頭上を車が通過する。目障り、邪魔、騒音、排気ガス・・・膨大な税金(道路特定財源)使って山林を壊し田んぼを潰す。国土の荒廃極まれり。「田園まさに荒れなんとす」ではなく、もう荒れちゃってるのだ。日本に道路はもう要らない。有り余っているのですよ、皆さん。(了)
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来日した要人の警護
━━━━━━━━━内田一ノ輔
来日中の中国 胡錦濤主席が、街中を車で移動中する様子をテレビニュースが流していた。歩道には多くの日本人が詰め掛けており、主席の車が近づくと手を振っている。また、「チベット国旗」をかざす人も見うけたが、不穏な空気は感じられない。現在、日中の懸案として、毒ギョーザ問題、ガス田問題、さらには、チベット問題と、それに掛かる聖火リレー騒動等と両国間の情勢は平穏ではない。ましてや、胡錦濤主席はチベット虐殺の時の自治区主席で、その推進者でもあった。大方の日本人は、胡錦濤主席を歓迎するという感情は持っていないようである。これらを考えれば、聖火リレー騒動と同等の騒動が起きてもおかしくない筈である。
尤も、あの聖火リレー騒動の主役は、中共によって動員された中国人ア ルバイト達が起こしたもので、決して日本人が暴れまくった訳ではない。「愛国無罪」は今でも生きており、日本・韓国の聖火リレーでは、「国を愛することから行われる蛮行に罪はない」と、反対派に対し一方的に暴行を働いた。それを、取り締まる事もせず放置し、チベットの旗を持つ者のみを取り締まった警察は、日本の恥であり、世界の笑いものである。それにしても、胡錦濤の警備の厳重さは感じられなかった。
中国当局から、情勢を鑑みた警備を要請されて然るべきであろうが、何 故なのか。日本の警察を信じきっているからなのか。そんな訳は無い。毎日のように大きな暴動が起きている国。法輪功=死刑囚=臓器提供者の国。何時内乱が起きてもおかしくない国の国家主席の警護である。
一つ考えられるのは、あのチベット騒動が、中共の自作自演ではなかっ たのかという疑問である。即ち、国内で渦巻く中央政府に対する不満から、中国各地で起きている暴動の「はけ口」を、別のものに向けさせる作戦だ。数年前には、その「はけ口」は日本であり、例の、中共主導の反日暴動もその1つであった。この時は、日本人のナショナリズムを刺激し、かえって、反中を煽ることとなり、成功したとはいえなかった。
今回は、オリンピックをネタに愛国心を煽る作戦に切り替えたと見てい る。標的は、ダライ・ラマでありチベットであり、そして、それらに同調するもの全てだ。手続は、自作自演の「マッチポンプ」である。
何れにせよ、国家国民の敵を作りだし、体制の安泰を図ろうとするもの である。言い換えれば、アメリカ的な手法を真似たものと言える。結果、見事に成功し国家国民の敵を作り上げ、国民の愛国心を鼓舞させ たと言えるのではないか。もしそうなのであれば、日本訪問に際し危機を感じる必要は全くない訳で、警備の手薄さも理解できる。
一方、世界で最も安全な国の一つである日本に来ても、異常なほどの警 備が為され、その現実を目の当たりにした経験がある。レーガン大統領 が来日したときの事である。25年前のこの日、当時虎ノ門にあった特許庁へ特許調査に行った。終わって、帰社するため来た道を戻るのだが、なんとなくいつもと違う雰囲気である。人が殆ど歩いていないし、所々に警官がいる、よく見れば歩車道の境界にトラロープが張ってある。車も全く走っていない。いったい何が起きたのか。
ロープ越しに車道をのぞくと、警官に「下がって」と言われたのでロー プから少し下がった。しかし、警官はさらに「ビルの壁まで下がって」 と大声を出している。「ビルの壁まで?」と戸惑ったが指示に従う。
「何が始まるのだ」と思っている私の目の前を、大きなリムジンが通過 した。先導する車の両側の窓からは、外人のシークレット・サービスと 思しき男が身を乗り出し、手にはライフル銃らしき物を持っていた。動 揺していたので、持っていたと感じただけかもしれない。当時は、グレナダ進攻があった程度で、緊迫した社会情勢でもなかったと記憶している。
しかし、この数年前、暗殺未遂事件に遭い、自らも被弾したが、シーク レット・サービスの機転により病院に直行し、命の危機をかろうじて逃 れた経験を持つ大統領である。当然、警備の意向も強いのであろうし、本人の恐怖心は他人には理解できないほど強いのであろう。日本人にも人気があり、大歓迎を受けたレーガンの厳重警備と、歓迎もされていないが、警備は聖火リレーの聖火以下の胡錦濤。要人警護も様々だ。
国民的には、胡錦濤来日は、期待もないが興味もなし。全て福田のせい だ。この原稿を書いているときに、TBSのNEWS 23は、フランスではカルト扱いである○○の教祖様と胡錦濤の会談の様子を映し出していた。こんなのが報道なのかキャスターを見れば、朝日~金曜日~ナントカ通信の閨閥。相変わらずだな、この局は。(080508)
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吉兆は日本の食文化を破壊した
━━━━━━━━━━━━━━前田 正晶
吉兆を論ずるならば、懐石料理を考えることから始めて貰いたいものだ。「吉兆なんて行ったこともない」であるとか「一生行くこともない」などと言っても議論にはならない。あれは接待用の料亭で、個人で行くことなど滅多にない場所だ。
実は吉兆には30年ほど前に2度行ったことがある。東京で、である。勿論 接待であった。最初は来日したアメリカ人が招待され、私はいわば通訳 をしに行ったのである。
そして、その方面の経験豊富な方に当時のことでも「芸者も出ていたの ならば最低でも1人当たり5万円」と言われて驚愕した。何も知らなかっ たのである。
2度目は最早こちら側が一見ではないと思いご招待いただいた会社の常務 のお名前を言って予約が取れて、最重要のお客様の社長と担当常務とそ の部門の管理職をご接待申し上げた。
この頃に、矢張り通訳も兼ねて京都の「つるや」にご案内いただいたこ とがあった。この時は日米のVIP同士の重要会談が食事中も続き通訳業が 多忙で、吸い物椀に手を付けだけで後は全てそのままひかれていった。
誠に残念だった。
思い起こせば吉兆でも余り食べていなかった。懐石料理の席に外国人が お招きいただけると、次から次へと料理が出てくるので驚く。仮令お品 書きが用意されていても、食文化の違いに外国人は戸惑う。
一皿ごとの量は少ないが次々と出てくる合計の量が多く結果的に満腹に なると驚いていた。さらに刺身等の生ものを敬遠する人がいるのも事実 だ。当然というか何というか、手もつかない料理が発生する。これがある意味で懐石料理の特徴であると思っている。こういう料理を出すのが、我が国の食の文化であろう。
何も吉兆でなくとも、懐石料理では我々でも得手とはしない料理も出て 来れば、一寸だけ箸を付けるか、偶には手をつけないことがありはしな いか?だが、手もつかなかった残り物をどう処分するかなどを考えている暇もない緊張感があるのも確かだ。ましてや通訳などをしていれば味わう暇もない。こういう料理店があることを接待で機会を与えられて初めて知 った。
とは言え、残り物を使い回す等とは、お客様が払っている金額に対して 余りにも非礼である。どれだけ巧みに料理され、美しく盛りつけられて いても、言語道断(ゲンゴドウダンではない、念のため)である。吉兆がやったことは日本の食文化の破壊ではないか!その点からも彼らの罪は深いと言いたい。女将が出てきて謝罪会見すれば済むことではない。
主宰者より:問題を起こしている大阪の吉兆と東京の吉兆は別会社。