太田述正 有料メルマガとコメント
ようちゃん、おすすめ記事。太田述正 有料メルマガ
1 英国公立中等学校への軍事教練導入
(1)英中等学校における軍事教練
拙著『防衛庁再生宣言』198頁で、「エリート教育の模範例として紹介されることが多いイギリスのパブリックスクールは、・・戦時における将校としての基礎
素養を身につけさせる場なのだ。パブリックスクールが男子校であり、ボーディングスクール(全寮制学校)であり、集団スポーツが強く奨励され、かつ軍事教
育および教練が必須科目とされているのはそのためである。」と記したところです. さて、イギリス(=スコットランド以外ということ)のパブリックスクールは、日本の中学校より1年7ヶ月早く始まり、高等教育前の5~6年間の教育を行う学校ですが、イギリスでは、このような中等学校(SECONDARY schools)とし
て、パブリックスクール以外の私学のほか、もともとは公立で現在は公立と私立に分かれているところの、入学試験があるグラマースクール(grammar school)
と、公立で入学試験のないコンプリヘンシブスクール(comprehensive schools)とがあります。このうちコンプリヘンシブスクールがイギリスの中等学校全体の9割を占めているのですが、軍事教育・訓練(教練)を陸軍、海軍、空軍に分かれて全部で42,500人の生徒が受けているところ、軍事教練はパブリックスクール等では200校で行われているのに対し、コンプリヘンシブスクールでは60校でしか行われておらず、その生徒の2%しか軍事教練を受けていません。こういうわけで、英国防省の毎年の軍事教練予算8,200万英ポンドの大部分はパブリックスクール等に投じられてきました。
(2)軍事教練の拡大
このたび英ブラウン政権は、軍事教練を全てのコンプリヘンシブスクールで受けられるようにするとともに、生徒達に軍事教練を受けるように促す政策を打ち
出しました。そのため、各校が自前で軍事教練の機会を提供するか、地域の軍事教練に生徒を派遣するかすべきであるとしています。これは、英軍と英国社会の関係のあるべき姿について検討している政府審議会の答申を受けての新政策であり、そのねらいは、若者に規律を植え付けるとともに、英軍に対する認識を深めさせることです。英校長協会(National Association of Headteachers)は、この新政策を歓迎する声明を出しました。しかし、これはイラク戦争の不人気もあって欠員に苦しむ英軍のリクルート活動ではないのかとする批判が出ています。また、軍事教練には、火器の実射訓練も含まれることから、銃器を使った犯罪の増加につながるのではないかという批判も出ています。
(3)コメント
反軍、反戦争的観点からの批判が出ていないところが、かつて戦争を生業としていたアングロサクソンたるイギリスらしいですね。しかし、そのイギリスで、パブリックスクール等での将校教育だけでは、英軍の維持がおぼつかなくなり、パブリックスクール等以外の、エリート教育の場でも全寮制でもない中等学校で、兵士教育を行わなければならないほどの切羽詰を復活させたロシア(コラム#186)と並ぶ軍事教練国家になるという名誉にあずかる(?!)点も愉快ですね。(続く)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
<大学生>
≫もっともっと皆さんに知って欲しいのが、八面六臂の活躍をしている三村伸吾青森県知事≪とありますが、彼を評価する理由があれば教えて頂けますか?と言うのも、僕は実家が青森でして県政には大きな不満を持っている一人です。 医療や産業の衰退は目に余るものがあり、青森が良くなっているとはとても思えません。
<太田>
>医療や産業の衰退は目に余るものがあり,とおっしゃるが、青森県の近隣の秋田県や岩手県、それに北海道等と具体的なデータで比較して、なおかつそう言えるのですか?木村前知事の頃はいかがでしたか?かねてから、三村氏の謙虚で明るい人柄や、青森県産品の売り込みにかける情
熱を知っているだけに、引用した記事を読み、農業と観光、しかも海外からの観光の振興に、先頭に立って尽力している彼の姿に我が意を得たように思い、コラムで言及した次第です。
<読者WK>
たかじんご出演以来、ブログを拝見させて頂いて、その後、2007年11月に有料会員に申し込ませて頂きました。それまでは、なんとなくテレビの政治番組に興味を持って見ておりましたが、太田様のメルマガを読むようになって以来、難しいところもいっぱいなのですが、大変興味深く、不勉強な歴史についてもいろいろ勉強させて頂いております。お体に気をつけて、政権交代にむけて頑張ってください。
<太田>
「たかじん」をご覧になって有料購読を始めた方々のうち、どれだけが継続していただけるか、心配しています。コラムで分かりにくいところがあったら、遠慮なくご質問をお寄せください。
<読者MN>
久方ぶりにメールいたします。いつも勉強させていただいております。 私事ですがGW末に風邪を引いてしまい、慰みに本棚から取り出した本で面白い類推がありましたのでお便りした次第です。早速引用から参ります。
----
『ともかく、名の通ったいい料理屋へ行くときには何よりもまず、「腹をすかして行く・・・・・・」ということが大事だし、それが料理屋に対しても礼儀なんだよ。どうしても腹がすかないで、おつき合いで行って食べられそうもないという場合は、むしろ手をつけないほうがいいんだよ。仲居に、「あと、何が出るの?」と、聞いてもいいんだな。で、仲居が何と何ですと教えてくれるから、「それならぼくは、あとのそれを食べるから、いまちょっとおなかいっぱいだから、これは結構です」と言って、手をつけずに最後きれいなまま下げてもらう。そうしたら、せっかくのものが無駄にならないでしょう。
だれが食べたっていいわけだから。』(池波正太郎『男の作法』p82-83)(池波氏は文化人でグルメだが、江戸っ子で、貴族じゃあありませんよね。彼の同書での池田大作評が笑えますから文末に引いときます)このくだりを読んで思い出したのが、以下のニュースでした記事によれば、船場吉兆社長の「手つかずの料理は食べ残しとは違う」というコメントは強弁 なんだそうです。 朝日って偉いんですねぇ。個人的には、ものを食べて「やばい」かどうかは自分で判断するべきもので、そのために「食べてはいけない野草百科」なんかがあると思っています。なんぼ高級だか知らないが、一私企業に過ぎぬ船場吉兆の偽装をことさらにとりあげて何が楽しいんでしょうか。金持ちが行く料亭でまがいものが出ていたなら、庶民は溜飲を下げるのでしょうか・・・。 いまや金持ちのおかげでもってる料亭なんて極僅か、「高級」料亭は「観光客」という名の庶民の財布で持っているというのに。 (典拠省略。実体験に基づきます)片手でグルメブームを煽りながら、もう片方でその偽装をあげつらう、もうお腹一杯。そういえば、消費者庁、ができるんでしたっけね。あー援護射撃ね。長げーよ。「商品」や「サービス」に関して「有識者」に勝手に定義が決められ法律で規制されるのはものを食べて「やばい」かどうか判断するという人間の本能を奪ったりさえするんじゃないか、という類推でした。先生は大食漢でいらっしゃいますでしょう。池波氏の、「腹をすかして行く・・・・・・」のくだりなんて、ぴったりだと思って!ちなみに僕の座右の銘の一つに、「空腹は最大の調味料である」というのがあります。 先生は、いかがですか?結構味にはうるさかったり??
MN 拝
『やたらに東京のうどんをこきおろす大阪の人は、本当の大阪の人じゃないんだよね。たいていお父さんが播州赤穂とか備前岡山なんだよ。そういうところから大阪に来て、自分は浪花っ子になったつもりでやるんだよ。東京の何はよくない、大阪のほうがずっといいとかね。 (中略) だから、東京の味が濃いというのは、東京というのは忙しい都会だからね、江戸時代から。現に、君のような信州飯田出身の天才だって東京へ戻れば、飯も食 べるひまもないぐらいに電話にかじりついているわけでしょう。こういう 人はやっぱり、お湯みたいなおつゆを飲んだって何かピンとこない。そうじゃない?本当の浪花っ子でない、外から入って来た人がかえって浪花っ子ぶるのと同じでね、池田大作がしきりに対談や座談会なんかで、「私は江戸っ子ですから・・・・・・」と、言うだろう。本当から言えば大森海岸の江戸っ子なんてありゃしない。だから、ああいうのを「場違い」と言うんですよ。』
(池波正太郎『男の作法』p52-53)
<太田>
こちらこそ、お久しぶりです。まず、船場吉兆の話から始めますか。何事によらず、この種の不祥事についての第一報は、氷山の一角が露見しただけだと思った方が安全ですよ。
今回も、「佐知子社長<が>・・・「手つかずの料理を食べ残しと表現するのはニュアンスが違うと思う」と釈明した」のはウソであることがすぐ判明しました。「博多店では客が残した刺し身を厨房で従業員が回収。違う器に盛り直し、別の客に出していたという。はしを付けたわさびも回収後にしょうゆと混ぜ、別の料理の調味料として使っていた。大阪の本店と同様に、アユの塩焼きや刺し身のツマも使い回していたという。」要するに、「食べ残し」も含めて使い回していたわけです。次に池田大作氏の話ですぐ思い出したのは、彼の昨日の胡錦涛中共首席との面談です。胡錦涛訪日関係のニュースだらけの9日付人民日報の日本語電子版ですら、全く言及されていないこの出来事を、讀賣新聞電子版が事実だけ報じたのは許されるとして、産経新聞電子版が、この面談に至った背景、及び二人のやりとりの詳細に加えて池田大作氏が胡錦涛に贈呈した、胡錦涛を称える漢詩の原文と和訳まで披露するに至っては、産経新聞は、創価学会に借りでもあるのか、と勘ぐりたくなります。池田氏も、一体何を考えているのでしょうか。中共では、国家統制に服す既存宗教・宗派だけが認めらており、信教の自由は存在しません。創価学会も禁じられていると承知しています。 他の宗派・宗教をすべて邪教とみなしている創価学会の名誉会長である池田氏に、胡錦涛に対して信教の自由を要求せよ、あるいはチベット仏教の弾圧停止を求めよ、とは言わないけれど、せめて創価学会の布教活動を認めよという要求くらいはしても不思議ではないところ、ゴマスリ漢詩を贈呈し、ゴマスリ発言に終始したというのですから、呆れるほかありません。 もちろんそんな池田氏だからこそ、胡錦涛も声をかけたわけです。ついでに言えば、早稲田「大での中国国家主席の講演は98年の江沢民氏に続き2度目。大学に加え、外務省や日中友好団体などが主催した。大学によると、これらの団体に席を分配したため、全席約900のうち早大生、他大学生の分はそれぞれ200席ほど。一般募集はなく、中国関係のゼミ生など、あらかじめ決められていた」(らしく、質疑応答が行われたという報道もない上、早大は愛ちゃんらとのピンポン外交舞台も提供したというのですから、同大学は、高等教育研究機関というより、まるで貸座敷業を営んでいる営利企業みたいですね。
福田首相や河野衆 議院議長といった有力OBも顔見せをしたので、同大学のPRにはなったかもしれませんが・・。中共全土でこの講演をTV中継したので、中共側としては、中共の視聴者に見せたくない事態が起きるのを絶対に避けたかったのでしょうが、それなら、国会での講演をセットすればよかったの
です。話は変わりますが、先の大戦についての米英で話題沸騰の新著をめぐるベーカー(Nicholson Baker)(コラム#2410、2412、2463、2465、2507(これだけ未公開))のインタビューをで今朝聞きました。ベーカーが、第一次世界大戦の前から始まるこの新著を、日本の対米開戦まで で終えていることの手がかりが彼の発言の中にありました。日本が参戦れば、この大戦はグローバル(universal)なものとなり、文明その ものが炎に包まれてしまうだろう、という誰かの文章を引いた上で、ベーカーは、オーストリア生まれの作家ステファン・ツバイクが、ナチスドイツから逃れて亡命していたブラジルで日本の参戦を知り、この大戦の太平洋への拡大は破滅的なことだと記したと述べているのです。 このインタビューの内容は、聞き手が英国人であることもあって、欧州の話ばかりなのですが、ベーカーにこの新著の執筆を促したものは、先の大戦に日本を 引きずり込むという、米英が行った蛮行への怒りであったことを、私は確信できたように思うのです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
<読者MN>
先生、僕如きが苦言などおこがましいのですが ≫「たかじん」をご覧になって有料購読を始めた方々のうち、どれだけが継続していただけるか、心配しています。 コラムで分かりにくいところがあったら、遠慮なくご質問をお寄せください。≪(太田。コラム#2536) 「テレビご出演の太田先生」がきっかけになったという人は、コラムに接していて多いと考えます。 テレビはそのきっかけづくり、でしょう。 なんのきっかけでしょうか?それはやはりより切磋琢磨したいという思いではないでしょうか。 ご心配はお察しいたしますが、上記の文面では先生のご疑念が透けて見えてし
まうように思えます。 読者は先生が賢いことなど百も承知です。だからお金まで払って、従来の「経済リポート」などと違い、エビデンス(主に紙。CDROMでさえない)が残らない、まさにオンリーソフトウ ェアであるメルマガに、年間10000円も支払うのです。 多くの読者は先生ほど記憶力も読解力もないと考えます。少なくとも僕はそうです。 質問君、教えてちゃんはみなそうでしょう。僕はそうであることを恥じたりはしません。 (先生のメルマガの内容を小脳や脊髄反射で理解できる人間など想像もつきません) 今日日のテレビが怪しいことなど、テレビ自体で言っているわけですから(あ るある事件など)テレビがきっかけで購読を始めた読者はそれも百も承知でしょう。 上記引用コメントで多くが鼻白むこと請け合いです。 上記文面は先生がTVにご出演なさった勇気と矛盾します。 賢者の陥穽かもしれませんが、我々馬鹿には馬鹿なりの矜持があることをお忘 れなきよう、若輩の老婆心です がご忠告申し上げます。 非礼の段は平にご容赦ください。 ただただ先生と貴メルマガのご発展を祈ってのこと、ご理解いただけるものと信じております。
<太田>
MNさんは、このコラムが一部有料化した2年前から、有料購読をされておられるわけですが、「たかじん」読者の気持ちを忖度したメール、ありがとうございました。 しかし、そんな風に受け取られた読者がおられたとすれば、誤解です。きっかけは何であれ、有料会員になっていただくのはありがたいことです。しかし、バックナンバー付であることを考えると一回目の5,000円はそう高くはないかもしれないものの、継続購読するのは躊躇される方が出てくることは大いに考えられるわけで、「たかじん」によって有料会員が一挙に増えたがゆえに心配なのですよ。「コラムで分かりにくいところがあったら、遠慮なくご質問をお寄せください。」と書いたのも、質問していただくことで、私の説明不足が分かったり、刺激を受けたりするので歓迎します、という趣旨であり、他意はありません。
<sophy>
≫なんぼ高級だか知らないが、一私企業に過ぎぬ船場吉兆の偽装をことさらにとりあげて何が楽しいんでしょうか。≪(読者MN。コラム#2536)
船場吉兆は、関西では一流の料亭として名が知られていました。一流とは、店格(みせの格)が一流であること。すなわち、ストアロイヤリティが同業
他社(他店)より、高い。品格(しな格)が、一流であること。商品やサービスが、他社(他店)と比べて、鮮度、味覚、材料など圧倒的に差別化されて優れていること。人格が一流であること。一流の人格の持ち主であってこそ、一流のサービスが提供できる。これら、店格、品格、人格は船場吉兆に対する顧客の期待であって、偽装問題は、顧客の期待を著しく裏切る行為だったのです。高級店=金持ちが行く店、の方程式は10年以上前には崩壊していて、ファッションアパレルであっても、高級店を支えている主な顧客は大衆です。料亭の船場吉兆も同じであり、価格が高いから、→金持ちしか行かないとする発想が古いのです。「野良仕事 弁当箱は、ルィビトン」の、弁当箱に使われているルィビトンのバッグは、20万円はするでしょう。 高級店の定義がわからないのですが、仮に、一流といわれている店と簡単に解釈すれば、顧客満足度は100&に近くないとならないのです。
顧客満足度=1-顧客不満足度この方程式は、政治にも使えます。福田内閣の支持率を問うのではなく、満足しているか?否か?を問えば良いのです。
<遠江人>
--太田コラムの初心に戻って--
日本は米国の属国であり、外交・安全保障の基本を米国にぶんなげているので、本来の仕事をやらせてもらえない外務・防衛両省から退廃・腐敗が始まり、深刻化し、それが全省庁に波及している状況だということです。 社会保険庁のことを思い出してください。国会議員も(地方議員と異なるところの)本来の仕事に携われないので退廃・腐敗しがちです。国家の存立や大勢の人間の生死に関わる仕事に携わっていれば、人間自ずから
粛然とするものなのですがね・・。その退廃・腐敗の程度は、1955年以降、基本的に常に政権の座にあった自民党の国会議員が最も深刻です。そもそも権力は退廃・腐敗するものですが、恒久的権力であれば、絶対的に退廃・腐敗するのは当たり前です。このように官僚や政治家が退廃・腐敗しているので、政府に関わりの深い業界・業者も退廃・腐敗するに至っています。そして、この政・官・業が三位一体的癒着構造の下にあるのです。
主要マスコミも記者クラブ制度等により、この癒着構造の一端を担っています。 癒着構造における最大の問題は、官の業への天下りです。自分の能力・知識・経験だけで再就職できる官僚なんて100人に1人いるかどうかです。残りの人は実質的な仕事をせずに膨大なヤミ年金をもらっています。その原資は、官庁が、購入する財・サービスの価格を水増ししたり、規制を手加減したりして捻出されています。そして、この天下りシステムのいわばみかじめ料を政治資金等の形で政治家がせしめている。 これが日本が抱える最大の問題です。」以上はコラム#2213からの抜粋ですが、太田さんが当初からコラムで主張してこられたことを凝縮したような内容になっていると思います。 日本が戦後、吉田ドクトリンなる(外交・安全保障をアメリカに丸投げして自ら自立性の放棄(=属国化)をするという世にも稀な)国家戦略を取ったために、政治家、官僚、企業、マスコミは、堕落、矮小化、精神の弛緩等々、深刻な状況に陥ってしまっているというわけです。 このことを前提として考えるならば、戦後吉田ドクトリンを国家戦略として採用し現在に至るもそれを何ら変えてこなかった政治家と、その国家戦略を望み支え続けてきた官・業+マスコミこそ諸悪の根源といえるものであり、その政・官・業+マスコミを変えることが戦後日本の病理を解消し日本を真の自立に導くことである、と言えるかもしれません。しかし結局のところ、本当に諸悪の根源というべきもの、そういう状況を望んできた(望んでいる)のは、やはり国民でしかないように思います。なぜなら政・官・業+マスコミの範疇に含まれない「国民」には、どう言い訳しようと選挙権というものが存在するし(政府は国民のレベルを超えることはできないといい
ます)、マスコミの報道も国民が望んでいることを先回りして提供しているに過ぎないといえると思うからです。 つまり吉田ドクトリンを破棄して日本が真に独立するという現実的な命題以上に、日本人自身が日本「国民」とはどういう人々なのかを正しく理解することが肝要なのではないでしょうか。日本人が潜在的に持っている病理(?)を正しく理解せずに吉田ドクトリンだけ破棄しても、またいつ同じことを繰り返すか分からないし、吉田ドクトリンとは違った形の日本人特有の病理が出てくるだけのような気がします。(主体性を放棄した戦後の日本人が、自分自身についてまとも
な自己分析などできていないのは言うまでもありません) それゆえ日本の「国民」について考えるとき、太田さんの縄文・弥生モード論が大変有効な分析手段になるわけですが、もう一つの分析手段としては、やはり日本以外の国の「国民」、つまり属国化という戦略を取っていない国の「国民」
と対比をするということが、単純で有効な分析手段となるのではないでしょうか。 アングロサクソン論や日本人論については海外からの投稿が、縄文・弥生モード論については国内・海外問わず各自の意見や論考の投稿が、太田コラムひいては(大げさに言えば)日本や世界に貢献することに繋がるように思います。 一太田コラム読者として太田さんとともに日本を変える変革者たらんとするのなら、日本人ひいては自分自身を正しく理解することに繋がる論理(アングロサクソン論、縄文・弥生モード論)に対して、自分なりの意見や分析や批判(結論だけの意見はもちろん論外)を投稿することが、なにより肝要なことではないかと改めて思いました。
<太田>
sophyさん、遠江人さん、太田コラムへのご貢献、ありがとうございます。料亭が淘汰されるように政党だって淘汰されなければならないのに、日本は、国民は顧客としては厳しいのに有権者としては甘い、というおかしな国ですね。最近ようやく、自民党を中核とする政・官・業(+マスコミ)の三位一体的癒着に伴う構造的腐敗に有権者が怒りだし、自民党が権力の座から引きずり下ろされる可能性が高まったことは、慶賀の至りです。 しかし、仮に政権交代が実現したとしても、有権者の大半が安全保障味覚音痴にとどまっている限りは、戦後日本の腐敗の根本的な原因を除去することはできないわけであり、まだまだ気が遠くなるほど道は遠いと言わざるをえません。有権者の意識改革に向けて、皆さんと手を携え、引き続き努力していきたいと考えています。
<CatSit1>
コラム#2465「先の大戦正戦論から脱する米国?(続)(その2)」に対し、≫勿論リベンジの準備中には,相手に油断させておく方が良いとも言えますが。≪(ケンスケ2。コラム#2534)という声がありました。英米へのリベンジとはココロをくすぐられる言葉ではありますが、ではリベンジして何を手に入れたいかと冷静に考えると正直悩みます。少し考えれば日本人は米中露+朝鮮人に関わるのがホントーに嫌なのです。日本人の願いは他民族の支配ではなく再び鎖国したい、ではないでしょうか。
<太田>
開国は、リベンジとか多民族の支配のためではなく、グローバル化した21世紀において日本が生き抜いて行くために避けて通れないことなのです。
そのためには、日本は、これまで繰り返してきた縄文モードと弥生モードのサイクルを「弁証法的に止揚」させる、すなわち、平和・自然との共生・人間主義をコアとする縄文的価値観を維持しつつ、この価値観を世界に普及させるくらいの意気込みを持って、アングロサクソンと手を携える形での日本の弥生化、すなわち日本の開国、を実現しなければならないと私は考えています。口幅ったいけれど、私が日本に係る歴史の見直しを行っているのも、現在の日本の構造的腐敗を追及しているのも、上記のような意味での開国に向けて、日本人の意識改革を促すためです。