宮崎正弘の国際ニュース・早読み
宮崎正弘の国際ニュース・早読み
平成20年(2008年)5月11日(日曜日) 通巻第2181号
新型ウィルスEV―71で28名が死亡
中国全土に15799名が感染とワシントンポストが警告
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最初の発見は広東省。二歳の女の子だった。新型ウィルスEV―71が発見され、病原菌は猛威を振るって中国全土に広がり、安徽省、浙江省、江蘇省、湖北省、湖南省、河北省、山西省、重慶市で感染者が確認された。中国当局の発表で、11900名の感染者(新華社)、ワシントンポストは15799名と伝えている(5月10日付け)。
EV―71の特色は十歳以下の子供にかかりやすく重傷は脳髄を犯し、死に至る。奇病ウィルスの蔓延である。
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♪(読者の声1)以下は今月号の『WILL』で展開されたペマギャルポ氏と石平氏との対談です。傾聴に値する内容です。
<中国は唯一の植民地大国>
ぺマ:大事なことはいまだに、この21世紀においても植民地をもっている国は中国だけであるということです。中国が一番騙しているのは中国の国民である。中国の一番悪い点は、歴史を作文、つまり改竄することです。それは外国だけではなく、自国民を騙すことになっている。
石平:ここに中国共産党の公式文書があります。1922年、中国共産党の第二次全国人民代表大会記録で、「我々が目指すのは中華連邦である。中華連邦というのは漢民族中心で、チベット、モンゴル、ウイグルの各民族が、中華連邦に加入するか離脱するかは自由である」と主張しているのです。「中国共産党の歴史を勉強したのか」と言ってこの公式文書を胡錦濤国家主席に見せてやりたいと思いますね。
ぺマ:中国は時間稼ぎの時の作戦として、譲歩するかのように見せたりしますが、絶対にその通りにはならない。
石平:尖閣諸島についても、日本の援助が必要な時には棚上げしておいて、日本の援助が必要でなくなると自分達の領土だと言い始める。そして軍艦も出す。私は中国共産党に小学生の時から騙されてきましたし、ぺマ先生も先ほどのお話のように騙された。日本も同様に騙されているわけです。
ぺマ:中国の歴代皇帝とダライ・ラマとの関係は、お寺と檀家の関係と同じだと言えます。ですから中国のほうから毎年、チベットに絹などの贈り物をおくってきていた。元朝以来、歴代の中国皇帝は、ダライ・ラマに貢いだわけです。中国皇帝はそうして、ダライ・ラマから権威を与えてもらった。そういう意味で、お互いに補い合ってきました。(中略)日本人は中国5千年の歴史などと言いますが、中国の歴史は途切れています。中国大陸の歴史は5千年でしょうが、王朝は次々と変わり、途切れている。日本と同じように一つの国の歴史として語ることはできません。
<解放軍「侵略」の歴史>
ぺマ:ダライ・ラマへの謁見も何日も前から申し込まなければならなかったし、英国の代表と中国の代表のどちらを上に座らせるかということで抗議を受けた記録文献もあります。そういう意味で駐蔵大臣は単なる大使、代表にすぎなかった。
石平:チベットが中国の実効支配下に入ったのは、人民解放軍が入ってきたからだということですね。軍隊を派遣して他国に入り、自分達の国の一部だとする。それは明らかに侵略です。
ぺマ:その通りですよ。いわゆる「17ヶ条協定」も国際法に照らし合わせると非合法的な条約です。なぜならば、チベットの全権大使は印鑑を持っておらず、中国が用意した印鑑を押したんですね。残念なのは1956年にダライ・ラマ法王がインドに行った時、あの条約は押し付けられたものだと言えば国際的に反論するチャンスでしたが、それを言わなかった。ダライ・ラマ法王には、中国となんとかなるだろうという期待感があったのでしょう。
石平:今の日本と同じですね。
ぺマ:そうです。その期待感で、条約を批准していないと訴えるチャンスを逃してしまいました。チベット問題は1911年から国連に提訴していますが、この間、国連は三度の決議をしています。「中国軍の即時撤退」、「チベット人の人権回復」、「平和的な解決」の三つです。しかし何も進まない。
<台湾の次は日本を獲る>
ぺマ:インドの初代首相であったネルーと周恩来は「平和5原則」を掲げてアジアの発展を目指していたため、国連でチベット問題を取り上げると欧米が介入してくることを恐れたということもあります。インドが仲介すると言っていたわけです。しかし1962年に中国軍がいきなりインドに入ってきて、ネルー首相は命を縮めることになりました。それからインドと中国は二度にわたって交戦することになります。
石平:1950年代、中国にとって、いちばんの友好国はインドでした。その友好関係を使って、戦略的にチベットを獲る。インドの協力がなければチベットを獲ることはできないからです。しかし1959年になって、完全にダライ・ラマを追い出すことに成功し、チベットに対する支配を完全にしてからは、インドを獲りにいくわけです。日中関係もまさに同じ構図ですよ。例えば今は、日本に対して微笑外交をしている。それはまさにこれから台湾をチベットのように支配下に入れるためには、日本の協力、あるいは妥協がなければならないからです。日本を懐柔して台湾を獲った後は、日本を獲りに来るということを歴史が教えています。
ぺマ:相手の中に入って自分の味方を作ります。我々が中国に交渉に行く時、勉強するために2週間ほど早く現地入りします。その時、中国は案内しながら、誰を懐柔すればよいかというのを見極めている。毎晩、我々が何を話したかを全て書き留めて、それを分析し、その分析を元に分断工作をします。そして、競争心を煽るために差をつけます。
石平:まさに先日、日本がやられましたね。
まず、小沢一郎民主党代表を北京に呼び、感動させた。感動した小沢民主党代表は中国に対する「朝貢外交」を恥ずかしげもなくやって見せた。すると、後から訪中した福田首相は、小沢代表以上の友好姿勢を示そうということになり、キャッチボールして見せたりする(笑)。こうして中国は懐柔していく。その中国の鍛え上げられた罠に、与党と野党のトップがまんまと引っ掛かるというのが今の日本です。一人も見識のある議員がいないのか。
ぺマ:まだ日本は免疫ができていないですからね。頭にきているのは、アメリカは日本国を同盟国だとしていますが、最近のペンタゴンの文献には尖閣諸島を日本名で書いた後にスラッシュ(/)を引いて、中国名を書いています。中国はこういうところから少しずつ既成事実を作り、後に「前からこう書かれているではないか」と言い張ります。このような中国人のやり口に負けた原因の一つは、私たちチベット人にあるということを反省しています。あまりにも仏教を信仰しすぎました。僧を大事にしましたが、その僧こそが中国から肩書きを貰い、寄進してもらい、どれだけ立派な寺を建てたかを競うようになってしまった。
石平:領土の話で言えば、台湾が自治区になれば、次は沖縄。沖縄が自治区になれば、次は本土です。(中略)中共内部の破綻を、外部を侵略することによって取り戻すしかありません。
ぺマ:常々、日本政府にネパールの王室を支援するようお願いしてきました。国王も皇太子もよい人物ではありませんでしたが、王室であることで何かが起こったときに民族の求心力が高まるからです。日本はこういう問題に疎く、東アジア共同体などと言っていますが、マレーシア、インドネシア、タイ、カンボジア、ラオスにどれだけの華人、華僑がいるかということです。そして誰が経済を握っているか。これは目に見えないもう一つの中華思想のテリトリーです。日本軍が中国に対して残虐行為を働いたなどと中国は言いますが、日本人に中国人のいうような残虐行為を行う発想はありませんね。あれは自分達がやったことではないでしょうか。腹を割き、胎児を引きずり出したりする習慣は日本にはありませんよね。
石平:全くその通りです。恥ずかしながらあれは我が漢民族の習慣です。そして、日本軍が残虐行為を行ったということにして、自分達の罪を消そうとしたわけです。(UU生)
(宮崎正弘のコメント)閑話休題。十日にも或る会合でペマギャルポさんと一緒でした。「パンダはチベットのものです。四川省は昔、チベットでした。パンダはチベットの希少動物です。返していただきたい」と言っておりました。ところで石平さんは、三日ほど前に欧州旅行から無事帰国しました。連絡がありました。関係者の皆さん、ご安心下さい。
♪(読者の声2)村松剛氏の『醒めた炎 木戸孝允』が思い浮かびます。村松氏は幕末維新を描くにあたって活躍した人々が書き遺した手紙や文書など一次資料を渉猟しました。彼らの係累、関係者や知り合いへのインタビューも精力的に重ねました。海外へも出かけ資料や物証を求め取材しました。それらファクトを積み重ね俗説通説を排し鋭い考察を加え綴られた労作が『醒めた炎 木戸孝允』です。この大著を手に取りながら思ったのは、幕末多くの草奔が一気に崛起し得たのは、江戸幕府が長らく鎖国し(正しくは海禁と呼び慣わすべきです)、それが国制改革(王政復古)へのエナジーを蓄積し一挙にほとばしる奔流を形成したのではないか、ということです。
体落らくの平成日本ですが、いっそ三十年くらい海禁したらよいのです。当然生活レベルは下がります。でも安逸を貪ることに慣れた精神や弛緩し切った心持ちに焼きを入れ叩き直すには、有余る物質的享楽から日本人を引き剥がすことが肝要です。そうしたら民族のバネが巻き上げられ、草奔崛起のエナジーが形作られ、そこから日本樹て直しの志士が一気一挙に生まれ出ずることでしょう。何方かが「平成攘夷」を獅子吼していましたが《平成海禁》が先です。日本が海禁したら、その禁を解こうとする夷敵が出現します。
そうしたときに攘夷の思想が育まれ、それが国威再生のエナジーとなるのです。会澤正志斎が幕末『新論』で唱えた攘夷思想は草奔の志士たちを魅了し突き動かしました。平成の世にも日本を導く思想を構想し唱導するスターが熱く求められる所以です。
昭和時代の或る行動家は命と築いた名声を賭してまで、日本人に警世の鉦を鳴らしましたが、まったく理解されませんでした。その行動家が日本人に理解されないのは仕方なかったのです。行動家の想いを理解する心が体から抜け落ち、それを支える精神が溶け消えていた日本人だったからです。そんな日本人を信じてはいけなかったのです。昭和の行動家は実に大切な教訓を遺して逝ったのです。(しなの六文銭)
(宮崎正弘のコメント)日本に緊張感がないのは、日米安保条約の存在です。これで、防衛努力もせず、改憲を怠り、泰平のなか安眠をむさぼり、緊張から逃れ、そのうち、大事なことを忘れてしまった。日本はブレジンスキーが指摘したように米国の「被保護国」です。そうそう、村松剛氏の晩年の作品に「保護領国家、ニッポン」(PHPだった、と思います)があります。
♪(読者の声3)村松剛「三島の世界」の本を読む気になって、一昨日から読み始めて旅に出る前に読みきりたかったのに、読みきれないもどかしさがあります。浅野晃さんのところを検索かけましたら、
「浅野晃先生のお話(1987.11.21)
〈村松剛君が、大きな本を書いて送ってきた。『醒めた炎』上下二巻、各七五〇頁の大作で、桂小五郎の伝記である。厚いので後にしようと思ったが、初めの方を読んだら、面白いから四、五日かかって百頁ぐらい読んだ。やっと今日、二十日ぐらいかかって下巻の方で、明けても暮れても覚めても、草臥れてほかのことが何にも出来ない。今日は、村松君の受け売りになるが、そのことを話すしかない。分量が多いが、密度が高い。司馬遼太郎のものなんかとは、質的に格段に違う。一行ごと、注意して読まないと、大事なことが書いてある」(以下省略)と出てきました。(FF子、小平)
(宮崎正弘のコメント)浅野先生は三島自決直前まで寝ても覚めても中里介山『大菩薩峠』を「五十年に一度の傑作」とべた褒めでした。
全編に溢れるニヒリズムと仏教世界が、この浪漫派詩人の感性を捉えたのでしょう。三島事件以後は、ひたすら『豊饒の海』です。これは百年に一度の日本文学の大作、とくに第三巻『暁の寺』は哲学宗教の高見を示した、と絶賛でした。
♪(読者の声4)貴誌に「トヨタのランドクルーザーや日産のサファリなども荷台に機関銃を据えればれっきとした軍用車輌となり」といった話題が出ているので小生の知識からひとつ。南米の某国では、ゲリラがトヨタのランドクルーザーに乗って村を襲うそうです。だから村人たちはゲリラの襲撃を、「トヨタが来た、トヨタが来た!」と言うそうです。 (MS生、茨木市)
(宮崎正弘のコメント)ベトナム戦争が泥沼化していたころのサイゴン(いまのホーチミン市)で交通事故のことを「ホンダ」と言っていました。「トヨタ」「ホンダ」ともに変な語彙辞典に入っていたのですね。
1972年の師走、小生は一週間サイゴンに滞在しました。35年前、まだ南ベトナムという国が残存しており、チャイナタウンでよく爆発がありましっけ。ちなみにカラシニコフ銃の海賊版(中国製)は「チャラシニコフ」と言うそうです(バングラデシュで聞いた話)。一発撃つと弾倉が落ちるそうで。。。