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ワシントンポストの2度目の書評は、
1度目の書評のスタンスを維持しつつ、
日本に対して一層厳しいものとなりました。
そのさわりは次のようなものです。 ↓
ベーカーは、第二次世界大戦が米英にとって良い戦争だったという既成観念によくまあ挑戦しようとしたものだ。ナチスはホロコーストを行ったし、日本は何度も虐殺を行い、占領地域の女性を強制的に性奴隷にしたというのに・・。
もちろん米英が行った戦争の中には対イラク戦のような悪い戦争だってある。私がなぜ対イラク戦が悪い戦争だと思うかと言うと、サダム・フセインを失脚させるという戦争目的そのものは正しかったけれど、その結果もたらされたものが酷すぎるからだ。
しかし、だからといってベーカーのように、直接的自衛以外のあらゆる戦争を排斥すべきではなかろう。第一次世界大戦後の欧州では大戦の惨禍の記憶から、あらゆる戦争を排斥する考えが主流となった。その結果ヒットラーへの対応が微温的なものとなってしまったし、1933年の英オックスフォード・ユニオンでの若者達のディベートでは、「われわれはいかなる状況下においても国王と英国のために戦うべきではないと決した」という宣言が発せられる始末だった。しかし、結局のところ、彼ら英国の若者達は第二次世界大戦を戦った。戦わざるをえなかったのだ。J.S.ミルが、「戦争は醜悪だ。しかし、最も醜悪だというわけではない。戦争よりはるかに醜悪なものは、人生において戦うに値するものなど存在しないという考え方だ」と記していることを思い出して欲しい。
第二次世界大戦は、米英にとって様々な意味で戦うに値する戦争だった。とりわけ、殺人を止めるためには殺人者達を止める以外に方法がなかったという意味で・・。
この書評子は、ナチスによるホロコーストと日本軍による南京事件等を同視するとともに慰安婦を性奴隷ととらえた上で、これら独日による蛮行を止めさせるために米英は第二次世界大戦を戦ったと総括しているわけであり、「既成観念」の中にひたすら閉じこもり、ベーカーの問題提起を耳を塞いでやり過ごそうとしていると言うべきでしょう。
(5)ロサンゼルスタイムス(2度目)そこへ昨日付でロサンゼルスタイムスまでもが2度目の書評。更に大変なことになってきました。これは、米国の知識人の間で議論が沸騰している証拠です。(にもかかわらず、しかも日本にも密接に関わるというのに、これまでのところ、日本のメディアはこの米国で現在進行中のこの大事件を全く取り上げていませんね。)
これで、ロサンゼルスタイムスのスタンスもはっきりしました。ロサンゼルスタイムスは、ワシントンポストとは違って米英にとって第二次世界大戦もまた必ずしも良い戦争であったとは言い切れないものの、ドイツに対しては良い戦争であった可能性が高い、というスタンスなのです。その含意は、米英にとって第二次世界大戦は、日本に対しては悪い戦争であった可能性が高い、ということです。というのは、この書評のさわりは次のとおりだからです。↓
米国人は、歴史に対するセンス(sennsibility)はお粗末(limited)だし、為せば成るという観念に取り憑かれているので、ベーカーのような既成観念に挑戦する本の意義は大きい。歴史は様々な見方ができることや、人間が達成できることには限界があること、を自覚することができるかもしれないからだ。このような自覚があれば、十分考えないまま対イラク戦を始めてしまう、といったことを回避することができたのはなかろうか。ベーカーの本は第二次世界大戦に関する米英の既成観念に挑戦したが、このたび、第一次世界大戦に関する米英の既成観念に挑戦した本が出た。 リプケス(Jeff Lipkes)による'Rehearsals: The German Army in Belgium, August 1914'だ。
リプケスは、第一次世界大戦は不必要な集団的愚行だった上、復讐心によって戦後処理がドイツに厳しいものになりすぎたためにナチスの台頭を招いた、という米英の既成観念に挑戦している。彼は、大戦が始まった1914年にドイツ軍がベルギーで、一般国際法や条約に違反して、6,000人近くの子供達を含む一般住民を1週間かけて虐殺した証拠を提示している。関係者はこの事実を否定したりそんな規模ではなかったと言い張ってきたというのだ。そして彼は、この虐殺は、20数年後にナチスが冒すことになる大虐殺の予行演習になったとし、ドイツにはこのような虐殺を冒すまがまがしい文化的性向ないし継続性があることを示唆している。彼は更に、この虐殺がこれまでほとんど取り上げられてこなかったのは、上述の第一次世界大戦に対する既成観念が邪魔をしたからだ、と指摘している。その上で、リプケスは、米英にとって第一次世界大戦は戦う意義のある戦争だった、と結論づけているのだ。実は、実際の書評の記述の順序を逆にしてご紹介したのですが、書評子が、ドイツの虐殺性向がホロコーストをもたらしたのであり、だからこそ、米英にとって第二次世界大戦もまたドイツに関しては戦う意義のあった、つまりは良い戦争だったと言いたいことは明らかですよね。
それと同時にこの書評子が、ベーカーの本の意義を称えつつ、ナチスドイツについては強い留保をつけたにもかかわらず、日本については言及しなかった、留保をつけなかったということは、第二次世界大戦に係る日本についての米英の既成観念は見直す必要があることを示唆していることも、慧眼なる読者にはお分かりいただけることでしょう。(続く)
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<先の大戦正戦論から脱する米国?(続)(その3)
脚注:リプケス(Jeff Lipkes)の'Rehearsals: The German Army in Belgium, August 1914'の紹介
リプケスは、生まれも育ちもロサンゼルスであり、カリフォルニア大学バークレー校を卒業し、プリンストン大学で歴史学の博士号を1995年に取得した。博士論文には、米経済史学会から賞が授与された。経済思想史と英国思想史(intellectual history)が専門であり、現在フロリダ州タンパの郊外に小説家の妻と一人娘と住み、執筆活動に専念している。回上梓されたリプケスの2作目の本は、昨年10月にベルギーのリューヴェン大学出版会から欧州を対象に刊行されたものだが、今年1月には米国のコーネル大学出版会から北米を対象に刊行されている。
その内容の概要は次の通り。
ドイツは、1914年8月2日にロシアに、そして翌3日にはフランスに宣戦布告し、同時にかねてよりのシュリーフェン・プランに基づきベルギーに侵攻した。そして、この8月に3週間にわたって6,000人近くの、女 性と子供を含むベルギーの非戦闘員を殺害した。これは今日の米国にあてはめれば230,000人の殺害に匹敵する。また、25,000近くの家屋や建物を焼尽させた。一番酷い蛮行が行われたのは8月19日から26日にかけてだった。この非戦闘員の大量殺害は、リージュ(Liege)、アールショット(Aarschot)、アンデンヌ(Andenne)、タミン(Tamines)、ディナン(Dinant)、そしてとりわけリューヴェン(Leuven)において、非戦闘員を無作為に、10人から20人ずつ村の広場や河辺の牧草地に連行し、あるいは牛車に乗せて収容所に集めた上で射殺する形で行われた。一番多い時は300人が一挙に射殺された。こんなドイツ軍が進撃するにつれて、約200万人のベルギー人が逃げ惑った。この非戦闘員の大量殺害は、市民狙撃手(francs-tireurs=civilian sharpshooters)を病的に懼れたドイツ軍兵士達がパニックに陥って行ったものだという見方が一部でなされているが、それは違う。ドイツ軍当局が、ベルギーの非戦闘員達を恐怖に陥れるという計算された狙いを持ってこのようなテロ行為的作戦の実行を兵士達に命じたのだ。強制連行といい牛車といい、ドイツ人の態度や優越感・・自分達が戦争に勝利するためには何をやっても許されるという傲慢さ・・といい、後の第二次世界大戦の時のドイツ人と生き写しではないか。しかし第一次世界大戦後の米英では、こういったことは戦争の際には起こりがちのことであるとか、これは、英国が米国を戦争に引き入れたり、英軍に人々を志願させたりする目的ででっち上げたフィクションであるとさえ言われるようになった。そして、真偽いずれにせよ、この類のことを話題にするのは、第一次世界大戦時の反目を再びかき立てるようなものであり、二度と戦争をしないためには、沈黙しているべきだ、という声が主流になってしまったのだ。3 終わりに代えて
以上をまとめれば、ベーカーの問題提起を最も真摯に受け止め、日本との戦争について、米英における既成観念を問い直そうとしているのはロサンゼルスタイムスであるのに対し、ワシントンポストは正反対のスタンスであり、他方、ニューヨークタイムスは、どっちともつかずのスタンスをとり、ひたすら日本との戦争の直視を避けて逃げ回っている、ということになるわけです。この関連で、ニューヨークを拠点とする米国の有名なフリーランスのジャーナリストと、ニューヨークタイムス自身の、日本への原爆投下に関する、臆病かつ卑怯な筆致を問題にしておきたいと思います。(続く)
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<皆さんとディスカッション(続x131)>
<太田>
引用されたサイトを見ると、「国や地方自治体が業者間の競争を促す一般競争入札を拡大させた結果、公共工事の入札で落札業者が1社も出ない不成立が相次いでいます。業者にとって、設定された予定価格では採算が取れないためで、このうち国発注の工事では平成18年度、道路などの維持・補修を中心に不成立が全体の10%余りに上りました。」とあります。こんなの、官側の予定価格の算定方式に問題があるだけのことでしょう。それはそれとして、入札方式、とりわけ一般競争入札方式の社会的コストは決してバカになりません。だからこそ、英米では民営化を推進しているのです。民営化すれば、気心の知れた数社から見積もりをとって、価格と信頼性のバランスのとれた発注ができるからです。
<コバ>
1954-1956年の英国有事対策会議の議事録が公開されましたが、その中で、英国が核攻撃を受けた場合について、放射能汚染などではなく、紅茶の不足が懸念されていた(ttp://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2387271/2899391)そうです。英国人にとって紅茶が不可欠なものだからなのか、紅茶が不足することくらいしか英国に憂慮すべきことがなかったのか、英国のユーモアなのか…。重大な問題であるはずですが、面白いです。
<太田>
いや、実際紅茶は、そのイギリス近代史に及ぼした巨大な影響(http://
(5月5日アクセス)、コラム#895、896)と依然として紅茶が持つイギリス人の日常生活における重要性に鑑みれば、不思議ではありません。
コラム#895でコーヒーハウスがイギリス近代史に及ぼした巨大な影響に触れていますが、誤解を呼ぶと反省しています。というのは、コーヒーハウスは、発足時を除けば、コーヒーというより紅茶を飲む場所であったからです。)ごくかいつまんで申し上げれば、英帝国形成の尖兵であった東インド会社の初期の興隆は茶の輸入によるところが大であり、米国の独立戦争の直接のきっかけは英本国が茶にかけた税金であり、アヘン戦争はイギリスが支那からの茶の輸入に伴う赤字をアヘンの輸出によってカバーしようとしたことが原因であったことや、アルコール飲料であったエールに代わって茶がイギリス人の日常的飲料になったことで、イギリス人の健康状態が改善されて人口が増大を始め、工業化の推進と大帝国の形成を可能ならしめた、のですぞ。
<雅>
-鉄のトライアングルを崩そう(マスコミ編)(ふっと思いついた手法ですが)--本当は色々議題を出しながら(#2528参考に)話の本筋をずらすのもどうかと思いますが、前から太田先生が言われている「報道の多様化」の実現方法の「一つ」として、
一、電信版新聞を増やすと共に
二、発行する紙媒体の新聞の割合を削りつつ
三、大型報道企業の電子版の進出を遅らせつつ
四、フリー動画、ニュース類をインターネットで開陳し
五、英語をできる人を増やせば
今の報道各社がどれほど政府筋に沿った報道をしているか国民全体が理解すれば自ずから、「真」の報道の自由が実現できますね。 とこの机上の行程の複雑・いる年月を考えれば、政権交代が一番手っ取り早いと思った私でした、、、。
<太田>
そのとおりです。
<sophy>
コラム#2452「マケイン?!(その2)」を読みました。 MLでの冷泉彰彦さんの記事に、「「ライト師の問題」について、「どうしてこの時期に?」という疑問が出ていたのですが、それは「本選になってからこの問題が噴出すれば良かったのに、こんな時期に出したら11月までにはネタ的に風化してしまう」という意味だというのですが、共和党側のホンネはそんなところにあるのかもしれません。」は当たっていると思いますが、そう簡単にアメリカの原罪が忘れ去られるとも思えないのです。とはいえ選挙はわからない部分が多いのですが、日本人が考えているほどオバマ氏が強いとは思えないのです。
<太田>
おっしゃる通りであり、米国はまだ対有色人種差別、就中対黒人差別完全には克服していないのであり、ブラッドレー効果(コラム#2294、2351)もこれあり、オバマがマケインに勝つと決めてかかるわけにはいきません。しかし、対黒人差別はとにかく克服しなければならないのであり、共和党は、ただ一人も現在、上下両院共和党議員247名中黒人議員を擁していないという文字通りの黒人差別政党である(http://
。5月4日アクセス)こと、また、ブッシュ政権が対イラク戦等の不手際等で米国の国際イメージを失墜させ、富者優遇の経済政策によって米国の貧富の差を未曾有のレベルに引き上げるとともに、経済の停滞を招いたことは、ブッシュの個人的責任ではなく共和党全体の責任であること、からすれば、共和党のマケインを、しかもロートルでトロいマケイン(コラム#2450、2452)を当選させるほど米国民は愚かではない、と信じたいですね。
<大阪の川にゃ>>
1、戦前のドイツでは石炭から石油を造る技術が既に確立されていました。ドイツが使う石油の何割かはそのような人造石油でした。確かにコストは割高でしたでしょうが。日本国内に石炭は大量に産出したわけですから、石油を大量に必要とする日本海軍がプラントを造らなかったのは何故でしょうか。
http://
人造石油プラントが稼働していれば、米英蘭から石油禁輸されても「自衛戦争」に打って出る必要はなかったのに、と思われるのですが。もっとも、人造石油からは、船の重油はできても航空機用のガソリンは精製不能なのかな。
2、日本軍が南部仏印に進駐した理由として、海軍が陸軍に対ソ戦をさせないためだったとする説があります。(『日米開戦の謎』鳥居民、草思社1991年)すなわち、予測していた対日石油禁輸という米国による封鎖をあえて呼び込んでまでして、対ソ戦を止めたかったというものです。対ソ戦になると予算が陸軍にとられるので等等、との説明です。いくら陸海軍の仲が悪いといっても、そこまで分裂していたとは考えにくいのですが、太田さんはいかがお考えでしょうか。やはり、南部仏印への進駐は米英蘭への「石油だけは止めるなよ、分かってるな。」という威圧だったと解釈しています。結果としてその威圧は逆効果になったようですが。まあ、本命の欧州の戦争に介入したいルーズベルトは、日本が南部仏印に進駐しなくともいずれ石油を止めたような気もします。
http://
<太田>
引用された
http://
にも、回答が書いてあるじゃないですか。
gas to liquids=「GTLの技術は、1923年(大正12年)にドイツでフランツ・フィッシャーとハンス・トロプシュにより発明された。現在GTLは天然ガスを加工する技術として位置付けられているが、当初は石炭をガス化させたものを化学反応により液化する技術として開発された。・・・1940年(昭和15年)に福岡県の大牟田と北海道の滝川にGTL工場が建設された。同工場ではガソリン、軽油及びワックスが生産されたが、生産量は戦時下の需要を満たす規模とはならなかった。大牟田の工場は1945年(昭和20年)に爆撃破壊され、その他の工場も建設途中で爆撃されるなど完成には至らなかった。」と。実際に戦時中に日本がドイツからGTL技術をどのように導入したかは、
http://
(5月6日アクセス)に出てきます。
太平洋」戦争の原因はマクロ的にとらえるべきです。
黄色人種差別意識に基づき、日英同盟を終息させた米国が、代わりに日本に「押しつけた」ワシントン条約体制を遵守せず、支那のナショナリズムを跳梁するにまかせたため、たまらず日本が満州を含む支那に軍事介入して行ったという背景の下、ご指摘のように、(英国から覇権を奪取するとともにドイツを叩くねらいで、共産主義に大甘の)ローズベルトが対ドイツ戦参戦を実現するため、日本対米開戦に追い込んだ、というのが私のマクロ的な「太平洋」戦争観です。(典拠コラムが多すぎるので挙げない。)
<MS>
雅さんのコラム#2528(もともとは#2515)での投稿に良い社会(自由民主主義的な社会)であるためには、その構成員が以下の認識を持つことが精神的なインフラとして重要だと思います。
1. 人間主義的価値観があること。
2. 1. にもとづき他の構成員が信頼できること。
この2点では、血縁者と自分の才覚しか信じない中国人や、カネや抽的な理念(宗教を含む)しか信じるものがないアメリカ人の精神的インフラは非常にもろいものだと思います。日本やイギリスのように人間主義的価値観が自然と根付いている国が、これらの国を導く必要があるのではないでしょうか?さもなければ、アメリカの信奉する資本主義を原動力とするグローバル化(それ以外のグローバル化もありうると思うのに)を推し進めていくことになり、世界全体が中国やアメリカのように他人を信じられない社会になってしまうのではないかと思います。しかし、インドが一応自由民主主義的な国になっているのはなぜでしょう?イギリスの植民地支配やカースト制度との関係で説明できるのでしょうか?
<太田>
「人間主義」は、私の用いているところの、和辻哲郎由来の「じんかんしゅぎ」のことなんでしょうね?そうだとしたら、おっしゃる通り、日本とイギリスはそれを共有しています。インド文明が多神教(ヒンズー教)ないし無神論(仏教)的文明であること(コラム#777、778)、インド亜大陸がイギリスによって植民地統治されたこと(コラム#27、893、894)、その直前のムガール帝国が、モンゴル、すなわち遊牧民の民主主義的伝統と全く無縁ではなかったこと(コラム#637、2324)、一見そうでないように見えるが、インドは単一民族国家であること(コラム#2006、2008)、がインドの自由民主主義がまがりなりにも機能している背景だと思います。
話は変わりますが、#2528で取り上げた食糧問題について、ファイナンシャルタイムスが専門家のコメントを更に掲載している(
http://