差別と言われて絶版になっていた本 | 日本のお姉さん

差別と言われて絶版になっていた本

ようちゃんの2006年12月の記事です。↓

日本で「ちび黒サンボ」の絵本が絶版処分になっていったのは、1988年である。あれから、20年近くの時が流れ、来月、別の出版社から復刊されるらしい。2005年その間も、詩人の谷川俊太郎氏が「作品の力を認めたうえで、差別を考える教材として残してもよいのではないか」と発言するなど、絶版は性急過ぎたとの意見もあり、検証本の出版やシンポジウムで議論が重ねられ、99年には著者の絵を用いたオリジナル版(径書房)も出ていたそう。(以前、1度、谷川氏にお目に掛かったことがあります。周りに緊張感が漂っていたことを想い出しました)
『ちび黒サンボ』は、作者であるイギリス人のヘレン・バナーマン夫人が、二人の幼い娘を連れてインドを汽車旅行しているときに退屈した娘たちのために作った物語。
1899年に、インドで絵本として出版され、その後、アメリカやイギリスを始め世界各国で出版され、多くの子供たちに愛されてきた。

しかし、アメリカでは、公民権運動の発展につれて『ちび黒サンボ』をなくそうという動きが活発化し、黒人を差別する絵本として批判され70年代に絶版された、という経緯を持つ。
日本でも“黒人差別”と批判れ、さらに当時の議員が黒人を差別する発言をしたことでアメリカから抗議を受け、日本でも差別に対する論争が起こり、絶版になった。

それと同じ理由で朝鮮人差別と言われて槍玉に上がり絶版になた本が宮沢賢治の「ツエねずみ」という物語です。
以下に(青空文庫)からコピペします。これは私が久しぶりに青い空を見て嬉しくなり、童心に帰り宮沢賢治の童話を読みたいと思いネットで読める(青空文庫)を見る気になって見つけました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1949_18526.html (青空文庫)


ツェねずみ
宮沢賢治



 ある古い家の、まっくらな天井裏に、「ツェ」という名まえのねずみがすんでいました。
 ある日ツェねずみは、きょろきょろ四方を見まわしながら、床下街道(ゆかしたかいどう)を歩いていますと、向こうからいたちが、何かいいものをたくさんもって、風のように走って参りました。そしてツェねずみを見て、ちょっとたちどまって早口に言いました。
「おい、ツェねずみ。お前んとこの戸棚(とだな)の穴から、金米糖(こんぺいとう)がばらばらこぼれているぜ。早く行ってひろいな。」
 ツェねずみは、もうひげもぴくぴくするくらいよろこんで、いたちにはお礼も言わずに、いっさんにそっちへ走って行きました。ところが戸棚の下まで来たとき、いきなり足がチクリとしました。そして、「止まれ、だれかっ。」と言う小さな鋭い声がします。
 ツェねずみはびっくりしてよく見ますと、それは蟻(あり)でした。蟻の兵隊は、もう金米糖のまわりに四重の非常線を張って、みんな黒いまさかりをふりかざしています。二三十匹は金米糖を片っぱしから砕いたり、とかしたりして、巣へはこぶしたくです。ツェねずみはぶるぶるふるえてしまいました。
「ここから内へはいってならん。早く帰れ。帰れ、帰れ。」蟻の特務曹長(とくむそうちょう)が、低い太い声で言いました。
 ねずみはくるっと一つまわって、いちもくさんに天井裏へかけあがりました。そして巣の中へはいって、しばらくねころんでいましたが、どうもおもしろくなくて、おもしろくなくて、たまりません。蟻(あり)はまあ兵隊だし、強いからしかたもないが、あのおとなしいいたちめに教えられて、戸棚(とだな)の下まで走って行って蟻(あり)の曹長(そうちょう)にけんつくを食うとは、なんたるしゃくにさわることだとツェねずみは考えました。そこでねずみは巣からまたちょろちょろはい出して、木小屋の奥のいたちの家にやって参りました。
 いたちはちょうど、とうもろこしのつぶを、歯でこつこつかんで粉にしていましたが、ツェねずみを見て言いました。
「どうだ。金米糖がなかったかい。」
「いたちさん。ずいぶんお前もひどい人だね。私(わたし)のような弱いものをだますなんて。」
「だましゃせん。たしかにあったのや。」
「あるにはあっても、もう蟻が来てましたよ。」
「蟻が、へい。そうかい。早いやつらだね。」
「みんな蟻がとってしまいましたよ。私のような弱いものをだますなんて、償(まど)うてください。償うてください。」
「それはしかたない。お前の行きようが少しおそかったのや。」
「知らん、知らん。私のような弱いものをだまして。償うてください。償うてください。」
「困ったやつだな。ひとの親切をさかさまにうらむとは。よしよし。そんならおれの金米糖をやろう。」
「償うてください。償うてください。」
「えい、それ。持って行け。てめえの持てるだけ持ってうせちまえ。てめえみたいな、ぐにゃぐにゃした男らしくもねえやつは、つらも見たくねえ。早く持てるだけ持ってどっかへうせろ。」いたちはプリプリして、金米糖を投げ出しました。ツェねずみはそれを持てるだけたくさんひろって、おじぎをしました。いたちはいよいよおこって叫びました。
「えい、早く行ってしまえ。てめえの取った、のこりなんかうじむしにでもくれてやらあ。」
 ツェねずみは、いちもくさんに走って、天井裏の巣へもどって、金米糖をコチコチ食べました。
 こんなぐあいですから、ツェねずみはだんだんきらわれて、たれもあんまり相手にしなくなりました。そこでツェねずみはしかたなしに、こんどは、柱だの、こわれたちりとりだの、バケツだの、ほうきだのと交際をはじめました。中でも柱とは、いちばん仲よくしていました。
 柱がある日、ツェねずみに言いました。
「ツェねずみさん、もうじき冬になるね。ぼくらはまたかわいてミリミリ言わなくちゃならない。お前さんも今のうちに、いい夜具のしたくをしておいた方がいいだろう。幸いぼくのすぐ頭の上に、すずめが春持って来た鳥の毛やいろいろ暖かいものがたくさんあるから、いまのうちに、すこしおろして運んでおいたらどうだい。僕(ぼく)の頭は、まあ少し寒くなるけれど、僕は僕でまたくふうをするから。」
 ツェねずみはもっともと思いましたので、さっそく、その日から運び方にかかりました。
 ところが、途中に急な坂が一つありましたので、ねずみは三度目に、そこからストンところげ落ちました。
 柱もびっくりして、
「ねずみさん、けがはないかい。けがはないかい。」と一生けん命、からだを曲げながら言いました。ねずみはやっと起き上がって、それからかおをひどくしかめながら言いました。
「柱さん。お前もずいぶんひどい人だ。僕のような弱いものをこんな目にあわすなんて。」
 柱はいかにも申しわけがないと思ったので、
「ねずみさん、すまなかった。ゆるしてください。」と一生けん命わびました。
 ツェねずみは図にのって、
「許してくれもないじゃないか。お前さえあんなこしゃくなさしずをしなければ、私はこんな痛い目にもあわなかったんだよ。償(まど)っておくれ。償っておくれ。さあ、償っておくれよ。」
「そんなことを言ったって困るじゃありませんか。許してくださいよ。」
「いいや、弱いものをいじめるのは私はきらいなんだから、償っておくれ。償っておくれ。さあ、償っておくれ。」
 柱は困ってしまって、おいおい泣きました。そこでねずみも、しかたなく、巣へかえりました。それからは、柱はもうこわがって、ねずみに口をききませんでした。
 さてそののちのことですが、ちりとりはある日、ツェねずみに半分になった最中(もなか)を一つやりました。するとちょうどその次の日、ツェねずみはおなかが痛くなりました。さあ、いつものとおりツェねずみは、まどっておくれを百ばかりも、ちりとりに言いました。ちりとりもあきれて、もうねずみとの交際はやめました。
 また、そののちのことですが、ある日バケツはツェねずみに、せんたくソーダのかけらをすこしやって、
「これで毎朝お顔をお洗いなさい。」と言いましたら、ねずみはよろこんで次の日から、毎日それで顔を洗っていましたが、そのうちにねずみのおひげが十本ばかり抜けました。さあツェねずみは、さっそくバケツへやって来て、償(まど)っておくれ償っておくれを、二百五十ばかり言いました。しかしあいにくバケツにはおひげもありませんでしたし、償うわけにも行かず、すっかり参ってしまって、泣いてあやまりました。そして、もうそれからは、ちょっとも口をききませんでした。
 道具仲間は、みんな順ぐりにこんなめにあって、こりてしまいましたので、ついにはだれもツェねずみの顔を見るといそいでわきの方を向いてしまうのでした。
 ところがその道具仲間に、ただ一人だけ、まだツェねずみとつきあってみないものがありました。
 それは針がねを編んでこさえたねずみ捕(と)りでした。
 ねずみ捕りは全体、人間の味方なはずですが、ちかごろは、どうも毎日の新聞にさえ、猫(ねこ)といっしょにお払い物という札をつけた絵にまでして、広告されるのですし、そうでなくても、元来人間は、この針金のねずみ捕りを、一ぺんも優待したことはありませんでした。ええ、それはもうたしかにありませんとも。それに、さもさわるのさえきたないようにみんなから思われています。それですから実は、ねずみ捕りは人間よりはねずみの方に、よけい同情があるのです。けれども、たいていのねずみはなかなかこわがって、そばへやって参りません。ねずみ捕りは、毎日やさしい声で、
「ねずちゃん、おいで。今夜のごちそうはあじのおつむだよ。お前さんの食べる間、わたしはしっかり押えておいてあげるから。ね、安心しておいで。入り口をパタンとしめるようなそんなことをするもんかね。わたしも人間にはもうこりこりしてるんだから。おいでよ。そら。」
 なんてねずみを呼びかけますが、ねずみはみんな、
「へん、うまく言ってらあ。」とか、
「へい、へい。よくわかりましてございます。いずれ、おやじや、せがれとも相談の上で。」とか言ってそろそろ逃げて行ってしまいます。
 そして朝になると、顔のまっ赤(か)な下男(げなん)が来て見て、
「またはいらない。ねずみももう知ってるんだな。ねずみの学校で教えるんだな。しかしまあもう一日だけかけてみよう。」と言いながら、新しいえさととりかえるのでした。
 今夜も、ねずみ捕りは叫びました。
「おいでおいで。今夜はやわらかな半ぺんだよ。えさだけあげるよ。大丈夫さ。早くおいで。」
 ツェねずみが、ちょうど通りかかりました。そして、
「おや、ねずみ捕りさん、ほんとうにえさだけをくださるんですか。」と言いました。
「おや、お前は珍しいねずみだね。そうだよ。えさだけあげるんだよ。そら、早くお食べ。」
 ツェねずみはプイッと中にはいって、むちゃむちゃむちゃっと半ぺんを食べて、またプイッと外へ出て言いました。
「おいしかったよ。ありがとう。」
「そうかい。よかったね。またあすの晩おいで。」
 次の朝、下男が来て見ておこって言いました。
「えい。えさだけとって行きやがった。ずるいねずみだな。しかしとにかく中にはいったというのは感心だ。そら、きょうは鰯(いわし)だぞ。」
 そして鰯を半分つけて行きました。
 ねずみ捕りは、鰯をひっかけて、せっかくツェねずみの来るのを待っていました。
 夜になって、ツェねずみはすぐ出て来ました。そしていかにも恩に着せたように、
「今晩は、お約束どおり来てあげましたよ。」と言いました。
 ねずみ捕りは少しむっとしたが、無理にこらえて、
「さあ、食べなさい。」とだけ言いました。
 ツェねずみはプイッとはいって、ピチャピチャピチャッと食べて、またプイッと出て来て、それから大風(おおふう)に言いました。
「じゃ、あした、また、来て食べてあげるからね。」
「ブウ。」とねずみ捕りは答えました。
 次の朝、下男が来て見て、ますますおこって言いました。
「えい。ずるいねずみだ。しかし、毎晩、そんなにうまくえさだけ取られるはずがない。どうも、このねずみ捕りめは、ねずみからわいろをもらったらしいぞ。」
「もらわん。もらわん。あんまり人を見そこなうな。」とねずみ捕りはどなりましたが、もちろん、下男の耳には聞こえません。きょうも腐った半ぺんをくっつけていきました。
 ねずみ捕りは、とんだ疑いを受けたので、一日ぷんぷんおこっていました。夜になりました。ツェねずみが出て来て、さも大儀(たいぎ)らしく言いました。
「あああ、毎日ここまでやって来るのも、並みたいていのこっちゃない。それにごちそうといったら、せいぜい魚(さかな)の頭だ。いやになっちまう。しかしまあ、せっかく来たんだからしかたない。食ってやるとしようか。ねずみ捕りさん。今晩は。」
 ねずみ捕りは、はりがねをぷりぷりさせておこっていましたので、ただ一こと、
「お食べ。」と言いました。ツェねずみはすぐプイッと飛びこみましたが、半ぺんのくさっているのを見て、おこって叫びました、。
「ねずみとりさん。あんまりひどいや。この半ぺんはくさってます。僕のような弱いものをだますなんて、あんまりだ。償(まど)ってください。償ってください。」
 ねずみ捕りは、思わず、はり金をりゅうりゅうと鳴らすくらい、おこってしまいました。そのりゅうりゅうが悪かったのです。
「ピシャッ。シインン。」えさについていたかぎがはずれて、ねずみ捕りの入り口が閉じてしまいました。さあもうたいへんです。
 ツェねずみはきちがいのようになって、
「ねずみ捕りさん。ひどいや。ひどいや。うう、くやしい。ねずみ捕りさん。あんまりだ。」と言いながら、はりがねをかじるやら、くるくるまわるやら、地だんだふむやら、わめくやら、泣くやら、それはそれは大さわぎです。それでも、償ってください、償ってくださいは、もう言う力がありませんでした。
 ねずみ捕りの方も、痛いやら、しゃくにさわるやら、ガタガタ、ブルブル、リュウリュウとふるえました。一晩そうやってとうとう朝になりました。
 顔のまっ赤(か)な下男が来て見て、こおどりして言いました。
「しめた。しめた。とうとう、かかった。意地の悪そうなねずみだな。さあ、出て来い。こぞう。」
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崔(ツェ)ネズミ
宮沢賢治が朝鮮人を題材にしたと思われる『ツェねずみ』です。
昔から作家は人をよく観察していたものです。弱者を装い、親切にしたら、其処を漬け込まれ因縁をつけてゆすり、たかりを平然と行う習性を良く描き出しています。子供には教訓として読んであげなくてはいけない本です。お人よしで人道や子供や弱者にはすぐ同情して募金詐欺に遇う、馬鹿な人間集団が日本人ですから、差別では無いと思います。