まだある絶版童話(中国人蔑視と言われて、、、)
ようちゃんが2006年の12月に書いた記事です。↓
英国人作家の童話で「旅人の親切」と言う中国人を見事に描写した童話も絶版になっています。粗筋は・・・・
中国の辺境の村に澄んでいた王さんが旅に出ていた。とても寒い秋の終わり頃だった。山道から村里が見え始める所まで来た時に、
道端で小さな1匹の蛇が、寒さで動けなくなって、地面に横たわっていた。王さんは、見るとまだ子供の小さい蛇なので、可愛そうに思い、蛇を拾上げて自分の懐に入れてやり、旅を続けるべき歩き出した。村の入り口近くに食堂も見え始め、腹ごしらえのために其処へ入ろうとして足を入れた途端に 王さんは突然倒れてしまった。
店の主人も客もビックリして駆け寄ろうとしたら、その倒れた王さんの懐から あの助けた蛇が慌てて這い出した。
それを見た途端に、食堂の主人も客も逃げ出すどころか お笑いして一斉に 我先に
その逃げ出そうとしてる大勢が蛇を頭をめいめいの手で押さえて
喧嘩が始まった。
「稀に見る毒蛇だぁ!」「 美味いぞぉ!」 「精がつくオレ様のだぁ!」「人の生き血を吸ったばかりだから特別だ!」と大騒ぎになった。「お前手を引っ込めろ、痛いじゃないか、オレの手を押させてる お前の手を離せ!」「お前こそ 先に放せ!」と口々に叫ぶだけで 誰もその場から引かない。
倒れた王さんの介抱をする者などは 誰もおらず、誰が毒蛇を食べる権利があるかと 揉めるだけであった。
その騒ぎの最中に村の地主がやってきて、その訳を聞き、仲裁に入った、「もう毒蛇にかまれたから死んだのだ。 さてこの小さいコヨリで籤を作ったから、これで 誰のか決めるのが良いだろう」と提案した。皆も納得して、食堂の主人、客の3人、地主と5人でクジを引いた。一番長いコヨリの紐が地主に当たり、地主は喜んで毒蛇を手にして帰途につく途中で 役人に出会った。
「おい珍しい、美味い蛇を持ってるなー。何処で手に入れた」と役人に聞かれた地主は、 満更でもなく、つい正直に答えた。
「食堂の前で旅人が毒蛇を懐に入れていたらしく、毒蛇に噛まれて死んだのだが、 その毒蛇を誰が掴めたのか 喧嘩していたので
仲裁に入り、クジを作って 決めたら私が、その当たり籤を引いて
私が貰って帰る途中です」と話した。
それを聞いた役人は目を大きく見開き、大声で地主を一喝した。
「お前は籤で細工して 皆を騙したのだろう。現行犯だぞぉ!」
「逮捕する!」と脅した。地主は慌てて、「滅相もありません。籤運が良かっただけです。これは返します」と毒蛇を役人に手渡して逃げ帰った。 役人はニタリとして毒蛇を持ち帰った。
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これは哀れとか可愛そうなどとお人よしをしてると食い殺されると襲えてるし、「足のあるものなら机以外は何でも食べる」中国人を見事に捉えてる。 民衆の上には地主が支配してて 籤がインチキだと分かっていても それに従うしかない民衆。 その民衆を慕える地主にしても役人には逆らえない。そして 人が路上で行き倒れで死のうとその死には無関心で 自分の欲望の方が優先する。
中国人蔑視の差別的な本だと見なされて、英国では絶版になっています。今欧州ではイスラムに対して大変な騒ぎが起きています。
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「欧州にて反イスラム意識強まる、、当たり前だ!」を読むと反イスラム勢力が勢いを増してるとは言え、ドイツとスペインでの放火から人種差別が原因とみられる殺人事件、そしてイタリアにあるモスクが豚の脂で汚された事件まで、犯罪や脅迫といった多数の事例を揚げても人種問題から起きてる事を大新聞も「はっきり活字に出来ない」暗黙の禁秘事項扱いで、重苦しい空気が充満してるそうです。何時かは欧州市民が逆切れしてナオナチの若者以上の事件が起きかねないと杞憂してる内容です。はっきりと駄目な事、自国の誇りや伝統の価値観を尊重して共存する態度が無い事は暴動や内乱にまでエスカレートしますねー。キリスト教国はキリスト教徒としての欣司を侵されたら切れるでしょう。勇気が大事なのです!!日本人は長い間「勇気」を置き忘れて来ています。
日本でも在日や同和の人の特権意識で 目茶目茶なことが長い間黙認されてきた。
人種差別・人権問題として、巨額の税金で特別法案が出来て、その法律が時限立法で2004年に終了しても、まだその皇宮政策を維持しようとして 画策してるのが人権擁護法案です。
ムハンマドの首”、厳戒の中でオペラ上演…ベルリン
【ベルリン】ベルリンのオペラ劇場「ドイツ歌劇場」で18日、ハンス・ノイエンフェルス氏の演出によるモーツァルトのオペラ「イドメネオ」が上演された。
イスラム教預言者ムハンマドの切り落とされた首が登場するなど、イスラム教徒の反発を招きかねないシーンがあることから、同歌劇場は11月に予定していた上演を一度は取りやめると決定。
しかし、ドイツ国内で、「表現の自由を犠牲にする自己規制」との強い批判が起き、上演実施に向けて再検討が進められてきた。
18日は「不測の事態を招きかねない」として、多数の警官が劇場周辺の警備に当たり、金属探知器で観客を検査するなど、異例の警戒体制を整えたが、大きな混乱はなく、上演は無事終了した。(読売新聞より)
言うべきを言えず、言わざるべきを喚く本末転倒!
日本では皇室侮辱の市民集会が開催されたことに日本国民の怒りが高まった。
良識ある人々からの相次ぐ抗議を受け、名古屋で開催されていた「皇室中傷」劇が中止になったのは、つい先日のこと。
もうすぐ新年を迎えるが、日の丸の小旗を持った国民が多数参賀することだろう。
ご成婚やご出産など日本国の中心たるご皇室に関わる慶事では、圧倒的多数の国民が喜びを分かち合い、日本人としての矜持に奮い立つ。
その経済的効果も絶大的で、これこそが日本人であり日本の精神文化だ―。
日本人が永きに渡って受け継いできたご皇室を、表現の自由ならぬ「暴言の自由」によって穢すことが許されるなら、「不敬罪」の制定によって表現の自由というものを規制しようという〝自由〟があっても良いだろう。
それが大多数を占めるなら不敬罪は制定されるべきである。
反転攻勢に出た欧州各国!
ドイツでは一見、他宗教を冒涜するかのようなオペラが上演されたが、欧州各国が抱える深刻な移民問題を抜きに、彼らが主張する「表現の自由」は語れない。
移民の増加によって治安悪化は言うに及ばず、独自の言語や習慣を主張されることで自国の文化を壊され、就職・雇用で移民という理由のみで優先的に採用されても、その事実に文句一つ言えない…。
例えるならば、人権派団体が「表現の自由」を楯に、皇室を侮辱するような集会を開催しても公には文句一つ言えない状況と酷似している。
日本の象徴たるご皇室を貶め、全ての日本人の心を害しているというのに、それを咎めることが「自由への侵害」とされるようなものだ。
他人様の国に住まわせてもらい、働かせてもらっているというのに、その国の文化・習慣に染まらずに我が物顔で振る舞えば衝突や軋轢も生じるだろう。それを問題視すれば「差別だ」「排外主義だ」とされ、逆に糾弾の対象となるだけに何も言えない。
ドイツはじめ欧州各国の人々は憤まんやるかたない思いで拳を握り締めてきた。彼らの我慢と忍耐は限界を通り越していたのである。
そして遂に―、イスラム教預言者ムハンマドの切り落とされた首が登場するオペラ「イドメネオ」が上演実現に踏み切った―。
これこそは世論であり『国民の総意』と言えるだろう。
自らの文化を壊そうとする異民族・異文化の流入に対して、圧倒的な支持を以ってして上演実行に踏み切ったのだ。
厳戒体制の中、上演は然したる混乱もなく無事に終了したが、民族が存亡の危機を迎えた時、その団結力は如何なる困難にも挫けない。
[関連記事]欧州の挑戦!
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