国際派日本人養成講座
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国柄探訪:『論語』が深めた日本の国柄~ 岩越豊雄著
『子供と声を出して読みたい「論語」百章』『論語』の説く
「まごころからの思いやり」は、我が国の国柄を深めてきた。
----------------------------------------------
■1.孔子の喜びに弾んだ肉声■
「孔子は、その思想が当時の為政者に入れられず、不遇の人生
を歩んだ人だ」と思っていたのだが、実は「その内面では学ぶ
ことの喜びに充ち満ちた幸福な人生を送った人ではなかったか」
と『子供と声を出して読みたい「論語」百章』[1]を読みつつ
今更ながらに気がついた。
著者の岩越豊雄さんはこう語っている。
私は小学校の校長を退職した後、子供を対象に、江戸時
代の「寺子屋」をモデルに、素読と習字を組み合わせた塾
を始めました。対象は小学生たちですが、喜んで『論語』
を素読しています。リズムの美しい簡潔な文で、読んで心
地よい名文だからだと思います。[1,p31]
この本は、岩越さんが子供たちに『論語』の一章ずつを読み
聞かせた内容をまとめたものだが、その文章を通じて、孔子の
喜びに弾んだ肉声が聞こえてくるような気がした。『論語』の
解説書は何冊か読んだことがあるが、こういう経験は初めてで
ある。
こういう本を通じて、子供の時から学問の喜びを感じる事が
できれば、それはこれからの長い一生を支える「学ぶ力」「生
きる力」となるだろう。
■2.「学びの喜び」■
孔子の喜びは『論語』冒頭の第一章から弾んでいる。 [1,p37]
子(し)曰(いわ)く、学びて時にこれを習う。また説
(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり、遠方より来た
る。また楽しからずや。人知らずして慍(いか)らず、ま
た君子ならずや。
先生がおっしゃった。学んだ時に、よくおさらいをする。
それが自分の身についたものになってくる。なんと喜ばし
いことではないか。心知る友が遠くから訪ねてきてくれる。
なんと楽しいことではないか。人が認めてくれなくとも怒
らない。なんと志の高い優れた人ではなかろうか。
この一章を、岩越さんは、子供たちにこう解説する。
「学ぶ」は「まねをする」に由来するといいます。「習」
は雛鳥(ひな)が巣の上で親鳥の羽ばたきをまねて、飛び
立つための練習をしている字形だといいます。
どのようなことでも、練習して初めてできるようになっ
た時の喜びは誰でもよく覚えています。例えば自転車に乗
れるようになった時とか、体が水に浮いて泳げるようになっ
た時の喜びなどは、生涯忘れられない思い出です。学んだ
時にはそれを何度も繰り返し、練習してできるようになる。
それが「学びの喜び」です。小さな事でも、「わかった」、
「できた」、「やり遂げた」という喜びを体験し、積み重
ねると、自信にもなり、物事に意欲的に取り組めるように
もなるのです。
自転車や水泳を例に「学びの喜び」を説くあたりが、いかに
も小学生にふさわしい。
■3.「学び」と「友」と「不足を思わない」■
その後に続く「朋(とも)あり、遠方より来たる」と「人知
らずして慍(いか)らず」については:
学んだことが身につき、自信がつけば自然と互いに心が
通じる友ができ、楽しく語り合うこともできます。そうし
た友が、思いがけなく訪ねてくれた時は、本当に嬉しいも
のです。
水泳の例で言えば、一緒に水泳を習う友達どうしが、自分は
背泳もできるようになったよ、などと語り合う喜びだろう。
しかし、たとえ自分が学び、力をつけても、他の人がわ
かってくれない、認めてくれない時もあります。それでも
怒ったり、不足を言ったりしない。そうできる人は、ほん
とうに志の高い優(すぐ)れた人です。
へたくそな泳ぎで、級友も先生もなかなか褒めてくれないが、
別に不満を言ったりしない。自分自身の上達そのものが喜びだ
からだ。
「学び」と「友」と「不足を思わない」、この3つの事柄
は、学問の喜びということで一貫しているのです。
岩越さんのこの指摘から、私は初めて、孔子の抱いていた
「学問の喜び」に触れえたような気がした。
■4.「あれが目の不自由な楽師を助ける作法なのだ」■
さて孔子の志した学問とは、どのようなものだったのか。そ
れを孔子の行動を通じて説いた小学生にも分かりやすい
一章が ある。[1,p204]
師冕(しべん)見(まみ)ゆ。階(かい)に及ぶ。子
(し)曰(いわ)く、階なりと。席に及ぶ。子曰く、席な
りと。みな坐す。子之(こ)れに告げて曰く、某(それが
し)はそこにあり、某(それがし)はそこにありと。師冕
出(い)ず。子張(しちょう)問いて曰く、師と言うの道
かと。子曰く、然(しか)り。固(もと)より師を相(た
す)くるの道なりと。
目の不自由な楽師冕(べん)が訪ねてきた。先生は自ら
出迎えて案内し、階段に来ると「階段ですよ」と言われ、
席に来ると「席ですよ」と言われた。一同が座ると、「誰
それはそこに。誰それはここに」と一人ひとり丁寧に教え
られた。師冕が帰った後で子張が「あれが楽師に対する作
法ですか」と訪ねた。先生が答えられた。「そうだ。あれ
が目の不自由な楽師を助ける作法なのだ」
○
目の不自由な者の身になって、きめ細かに対応する孔子
の温かな配慮が伝わってきます。相手の身になって行動す
る、まさに仁者の在り方を具体的に学べる章です。
子張が質問したのは、一盲目の楽師に対して、孔子の取っ
た対応があまりにも丁寧で、礼に過ぎるのではと思ったか
らです。「然(しか)り。固(もと)より師を相(たす)
くるの道なりと」ときっぱりと答える孔子の言葉に、まご
ころからの思いやり、「忠恕」を「一以て之を貫いた」孔
子の確信ある生き方を髣髴(ほうふつ)とさせます。
目の不自由な人を導いてあげることは小学生でもできること
である。そういう誰にでもできる「まごころからの思いやり」
が、孔子の学問の核心であった。
■5.「人を尊び、まごころから思いやる」■
「忠恕」を「一以て之を貫いた」とは、次の一章に出てくる言
葉である。
子曰く、参(しん)や、吾(わ)が道、一(いつ)以
(もっ)てこれを貫(つらぬ)く。曾子曰く、唯(い)と。
子出(い)ず。門人、問うて曰く、なんの謂(い)いぞや。
曾子曰く、夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ。
先生が曾子に呼びかけておっしゃった。「参(曾子)よ、
私の生き方は一つのもので貫かれているのだが」と。曾子
はただ「はい」と答えた。先生は部屋を出て行かれた。門
人たちが「何を言いたかったのですか」と尋ねた。曾子が
言った。「先生が貫かれている生き方は、人を尊ぶまごこ
ろからの思いやり、それに尽きる」と。
○
「忠恕」の字の作りは、「中と心」と「如と心」です。
「中心」とはまごころのこと、「如心」とは、自分の心の
如く人の心をおしはかるという意味です。つまり「人を尊
び、まごころから思いやる」ことです。『論語』でしばし
ば触れられる「仁」にも通じます。それは孔子の一貫した
生き方でした。
ちなみに「仁」については、こう解説されている。
「仁」とは「人」と「二」を組み合わせた漢字です。つま
り、人と人との人間関係における倫理・道徳の基本である、
「まごころから人を思いやる」ことです。[1,p40]
孔子の学問は、誰でもが持つ「まごころ」「おもいやり」を
いかに引き出し、発展させるか、という所にあった。
■6.「素直な社員は良く伸び、仕事もできる」■
「まごころ」と「おもいやり」を伸ばすために、孔子は次のよ
うに若者に教え諭している。
子(し)曰(いわ)く、弟子(ていし)、入りては則
(すなわ)ち孝、出でては則ち悌(てい)、謹みて信あり、
汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有らば、
則ち以(も)って文(ぶん)を学ばん。
先生がおっしゃった。若者よ、家では、親孝行、外では
目上の人に素直に従う。何事にも度を過ごさないように控
えめにし、約束を守る。多くの人を好きになり、善き人に
ついて学ぶ。そうした上で、まだゆとりがあるなら、本を
読んで学んでいけばいい。
○
「親に孝行することや、人に素直であること」と「勉強す
ること」と、どっちが大切かと問えば、今は親も子も大抵
は「勉強すること」と答えます。でも、孔子は逆だと言っ
ています。
一流大学を優秀な成績で卒業しながら、違法な株取引で逮捕
されたり、エセ宗教にひっかかって人を殺めたりする人間は、
勉強ばかりしていて、「まごころ」や「おもいやり」を磨かな
かった人間失格者であろう。
本当に優秀な人は大抵、素直です。経営の神様といわれ
た松下幸之助も「素直な社員は良く伸び、仕事もできる」
と言っています。[1,p46]
親孝行、素直さ、謙虚さ、謹み、信頼、こうした人格的基礎
を土壌として、その上に知識や技術が花開くのである。
■7.『論語』が深めた我が国の国柄■
『論語』は16百年ほど前に、海外から我が国にもたらされた
最初の書物であった。そしてその「忠恕」や「仁」を核とする
思想は、民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、すべての生
きとし生けるものが「一つ屋根の下の大家族」のように仲良く
暮らしていくことを理想とした我が国の国柄[b]には、まこと
に相性の良いものであった。
そして我が先人たちは『論語』に学びつつ、我が国の国柄を
深めていった。岩越さんは、その歴史を簡潔に振り返っている。
聖徳太子は、『論語』の「和」を深めて、「十七条憲法」の
第一条に「和を以て貴しと為す」と説いた。鎌倉時代の「曹洞
宗」の開祖・道元禅師は、世を治めるのは『論語』がよいと推
奨していたという。
江戸時代には『論語』研究が盛んになり、中江藤樹[c]、山
鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠などが独自の思想を発展させた。
こうした学問の系譜から、吉田松陰、西郷隆盛など幕末の志士
が生まれ、明治維新への道を開いていく。
■8.「素読」の合理性■
こうした歴史を俯瞰した上で、岩越さんは語る。
偉人や学者だけではありません。江戸時代は一般の武士
も庶民も『論語』を学びました。各藩の藩校はもちろん、
庶民の子弟の教育が行われた寺子屋では、『論語』等の素
読が行われていました。
「素読」とは、文章を意味はさておき、声を立てて暗唱で
きるまで、繰り返し読むことです。「読書百遍、意自ずか
ら通ず」という言葉があります。声を出して何度も読んで
いくうちに、自然にその意味が表れてくる、分かってくる、
そうした読み方を言います。[1,p28]
「意味もわからない文章を丸暗記させるなど、なんと封建的な」
と考える人も多いだろう。それに対して、岩越さんは小林秀雄
の次の言葉を引用する。
(素読を)暗記強制教育だったと、簡単に考えるのは、悪
い合理主義ですね。『論語』を簡単に暗記していまう。暗
記するだけで意味がわからなければ、無意味なことだと言
うが、それでは『論語』の意味とは何でしょう。それは人
により年齢により、さまざまな意味にとれるものでしょう。
一生かかったってわからない意味さえ含んでいるかも知れ
ない。それなら意味を考えることは、実に曖昧な教育だと
わかるでしょう。丸暗記させる教育だけが、はっきりとし
た教育です。[1,p30]
■9.『論語』の言葉を胸に、人生を歩んでいく■
「朋(とも)あり、遠方より来たる。また楽しからずや」とい
うような言葉も、少年時代、壮年時代、そして熟年時代と、人
生経験を積むにしたがって、自ずからその味わいも深まってい
くだろう。素読とは、そのような言葉の種を幼児期から心に埋
め込んであげることである。
小学生にたわいのない英会話を教えるよりは、はるかに高級
な人間教育ではないか。そこから、しっかりとした精神的バッ
クボーンを持った日本人が育っていくだろう。
すでに大人になってしまった人でも、『論語』の中の心に響
く一節を暗記して、それを時々反芻しながら、自らの人生を歩
んでいく、という生き方も良いのではないか。
ちなみに天皇陛下は「忠恕」という言葉がお好きだそうだ。
ひたすらに国民の安寧を祈られる陛下ならではの言葉である。
『論語』の言葉を胸に抱いて人生を歩んでいくのが、我が先人
たちの生き方であった。
(文責:伊勢雅臣)
国柄探訪:『論語』が深めた日本の国柄~ 岩越豊雄著
『子供と声を出して読みたい「論語」百章』『論語』の説く
「まごころからの思いやり」は、我が国の国柄を深めてきた。
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■1.孔子の喜びに弾んだ肉声■
「孔子は、その思想が当時の為政者に入れられず、不遇の人生
を歩んだ人だ」と思っていたのだが、実は「その内面では学ぶ
ことの喜びに充ち満ちた幸福な人生を送った人ではなかったか」
と『子供と声を出して読みたい「論語」百章』[1]を読みつつ
今更ながらに気がついた。
著者の岩越豊雄さんはこう語っている。
私は小学校の校長を退職した後、子供を対象に、江戸時
代の「寺子屋」をモデルに、素読と習字を組み合わせた塾
を始めました。対象は小学生たちですが、喜んで『論語』
を素読しています。リズムの美しい簡潔な文で、読んで心
地よい名文だからだと思います。[1,p31]
この本は、岩越さんが子供たちに『論語』の一章ずつを読み
聞かせた内容をまとめたものだが、その文章を通じて、孔子の
喜びに弾んだ肉声が聞こえてくるような気がした。『論語』の
解説書は何冊か読んだことがあるが、こういう経験は初めてで
ある。
こういう本を通じて、子供の時から学問の喜びを感じる事が
できれば、それはこれからの長い一生を支える「学ぶ力」「生
きる力」となるだろう。
■2.「学びの喜び」■
孔子の喜びは『論語』冒頭の第一章から弾んでいる。 [1,p37]
子(し)曰(いわ)く、学びて時にこれを習う。また説
(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり、遠方より来た
る。また楽しからずや。人知らずして慍(いか)らず、ま
た君子ならずや。
先生がおっしゃった。学んだ時に、よくおさらいをする。
それが自分の身についたものになってくる。なんと喜ばし
いことではないか。心知る友が遠くから訪ねてきてくれる。
なんと楽しいことではないか。人が認めてくれなくとも怒
らない。なんと志の高い優れた人ではなかろうか。
この一章を、岩越さんは、子供たちにこう解説する。
「学ぶ」は「まねをする」に由来するといいます。「習」
は雛鳥(ひな)が巣の上で親鳥の羽ばたきをまねて、飛び
立つための練習をしている字形だといいます。
どのようなことでも、練習して初めてできるようになっ
た時の喜びは誰でもよく覚えています。例えば自転車に乗
れるようになった時とか、体が水に浮いて泳げるようになっ
た時の喜びなどは、生涯忘れられない思い出です。学んだ
時にはそれを何度も繰り返し、練習してできるようになる。
それが「学びの喜び」です。小さな事でも、「わかった」、
「できた」、「やり遂げた」という喜びを体験し、積み重
ねると、自信にもなり、物事に意欲的に取り組めるように
もなるのです。
自転車や水泳を例に「学びの喜び」を説くあたりが、いかに
も小学生にふさわしい。
■3.「学び」と「友」と「不足を思わない」■
その後に続く「朋(とも)あり、遠方より来たる」と「人知
らずして慍(いか)らず」については:
学んだことが身につき、自信がつけば自然と互いに心が
通じる友ができ、楽しく語り合うこともできます。そうし
た友が、思いがけなく訪ねてくれた時は、本当に嬉しいも
のです。
水泳の例で言えば、一緒に水泳を習う友達どうしが、自分は
背泳もできるようになったよ、などと語り合う喜びだろう。
しかし、たとえ自分が学び、力をつけても、他の人がわ
かってくれない、認めてくれない時もあります。それでも
怒ったり、不足を言ったりしない。そうできる人は、ほん
とうに志の高い優(すぐ)れた人です。
へたくそな泳ぎで、級友も先生もなかなか褒めてくれないが、
別に不満を言ったりしない。自分自身の上達そのものが喜びだ
からだ。
「学び」と「友」と「不足を思わない」、この3つの事柄
は、学問の喜びということで一貫しているのです。
岩越さんのこの指摘から、私は初めて、孔子の抱いていた
「学問の喜び」に触れえたような気がした。
■4.「あれが目の不自由な楽師を助ける作法なのだ」■
さて孔子の志した学問とは、どのようなものだったのか。そ
れを孔子の行動を通じて説いた小学生にも分かりやすい
一章が ある。[1,p204]
師冕(しべん)見(まみ)ゆ。階(かい)に及ぶ。子
(し)曰(いわ)く、階なりと。席に及ぶ。子曰く、席な
りと。みな坐す。子之(こ)れに告げて曰く、某(それが
し)はそこにあり、某(それがし)はそこにありと。師冕
出(い)ず。子張(しちょう)問いて曰く、師と言うの道
かと。子曰く、然(しか)り。固(もと)より師を相(た
す)くるの道なりと。
目の不自由な楽師冕(べん)が訪ねてきた。先生は自ら
出迎えて案内し、階段に来ると「階段ですよ」と言われ、
席に来ると「席ですよ」と言われた。一同が座ると、「誰
それはそこに。誰それはここに」と一人ひとり丁寧に教え
られた。師冕が帰った後で子張が「あれが楽師に対する作
法ですか」と訪ねた。先生が答えられた。「そうだ。あれ
が目の不自由な楽師を助ける作法なのだ」
○
目の不自由な者の身になって、きめ細かに対応する孔子
の温かな配慮が伝わってきます。相手の身になって行動す
る、まさに仁者の在り方を具体的に学べる章です。
子張が質問したのは、一盲目の楽師に対して、孔子の取っ
た対応があまりにも丁寧で、礼に過ぎるのではと思ったか
らです。「然(しか)り。固(もと)より師を相(たす)
くるの道なりと」ときっぱりと答える孔子の言葉に、まご
ころからの思いやり、「忠恕」を「一以て之を貫いた」孔
子の確信ある生き方を髣髴(ほうふつ)とさせます。
目の不自由な人を導いてあげることは小学生でもできること
である。そういう誰にでもできる「まごころからの思いやり」
が、孔子の学問の核心であった。
■5.「人を尊び、まごころから思いやる」■
「忠恕」を「一以て之を貫いた」とは、次の一章に出てくる言
葉である。
子曰く、参(しん)や、吾(わ)が道、一(いつ)以
(もっ)てこれを貫(つらぬ)く。曾子曰く、唯(い)と。
子出(い)ず。門人、問うて曰く、なんの謂(い)いぞや。
曾子曰く、夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ。
先生が曾子に呼びかけておっしゃった。「参(曾子)よ、
私の生き方は一つのもので貫かれているのだが」と。曾子
はただ「はい」と答えた。先生は部屋を出て行かれた。門
人たちが「何を言いたかったのですか」と尋ねた。曾子が
言った。「先生が貫かれている生き方は、人を尊ぶまごこ
ろからの思いやり、それに尽きる」と。
○
「忠恕」の字の作りは、「中と心」と「如と心」です。
「中心」とはまごころのこと、「如心」とは、自分の心の
如く人の心をおしはかるという意味です。つまり「人を尊
び、まごころから思いやる」ことです。『論語』でしばし
ば触れられる「仁」にも通じます。それは孔子の一貫した
生き方でした。
ちなみに「仁」については、こう解説されている。
「仁」とは「人」と「二」を組み合わせた漢字です。つま
り、人と人との人間関係における倫理・道徳の基本である、
「まごころから人を思いやる」ことです。[1,p40]
孔子の学問は、誰でもが持つ「まごころ」「おもいやり」を
いかに引き出し、発展させるか、という所にあった。
■6.「素直な社員は良く伸び、仕事もできる」■
「まごころ」と「おもいやり」を伸ばすために、孔子は次のよ
うに若者に教え諭している。
子(し)曰(いわ)く、弟子(ていし)、入りては則
(すなわ)ち孝、出でては則ち悌(てい)、謹みて信あり、
汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有らば、
則ち以(も)って文(ぶん)を学ばん。
先生がおっしゃった。若者よ、家では、親孝行、外では
目上の人に素直に従う。何事にも度を過ごさないように控
えめにし、約束を守る。多くの人を好きになり、善き人に
ついて学ぶ。そうした上で、まだゆとりがあるなら、本を
読んで学んでいけばいい。
○
「親に孝行することや、人に素直であること」と「勉強す
ること」と、どっちが大切かと問えば、今は親も子も大抵
は「勉強すること」と答えます。でも、孔子は逆だと言っ
ています。
一流大学を優秀な成績で卒業しながら、違法な株取引で逮捕
されたり、エセ宗教にひっかかって人を殺めたりする人間は、
勉強ばかりしていて、「まごころ」や「おもいやり」を磨かな
かった人間失格者であろう。
本当に優秀な人は大抵、素直です。経営の神様といわれ
た松下幸之助も「素直な社員は良く伸び、仕事もできる」
と言っています。[1,p46]
親孝行、素直さ、謙虚さ、謹み、信頼、こうした人格的基礎
を土壌として、その上に知識や技術が花開くのである。
■7.『論語』が深めた我が国の国柄■
『論語』は16百年ほど前に、海外から我が国にもたらされた
最初の書物であった。そしてその「忠恕」や「仁」を核とする
思想は、民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、すべての生
きとし生けるものが「一つ屋根の下の大家族」のように仲良く
暮らしていくことを理想とした我が国の国柄[b]には、まこと
に相性の良いものであった。
そして我が先人たちは『論語』に学びつつ、我が国の国柄を
深めていった。岩越さんは、その歴史を簡潔に振り返っている。
聖徳太子は、『論語』の「和」を深めて、「十七条憲法」の
第一条に「和を以て貴しと為す」と説いた。鎌倉時代の「曹洞
宗」の開祖・道元禅師は、世を治めるのは『論語』がよいと推
奨していたという。
江戸時代には『論語』研究が盛んになり、中江藤樹[c]、山
鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠などが独自の思想を発展させた。
こうした学問の系譜から、吉田松陰、西郷隆盛など幕末の志士
が生まれ、明治維新への道を開いていく。
■8.「素読」の合理性■
こうした歴史を俯瞰した上で、岩越さんは語る。
偉人や学者だけではありません。江戸時代は一般の武士
も庶民も『論語』を学びました。各藩の藩校はもちろん、
庶民の子弟の教育が行われた寺子屋では、『論語』等の素
読が行われていました。
「素読」とは、文章を意味はさておき、声を立てて暗唱で
きるまで、繰り返し読むことです。「読書百遍、意自ずか
ら通ず」という言葉があります。声を出して何度も読んで
いくうちに、自然にその意味が表れてくる、分かってくる、
そうした読み方を言います。[1,p28]
「意味もわからない文章を丸暗記させるなど、なんと封建的な」
と考える人も多いだろう。それに対して、岩越さんは小林秀雄
の次の言葉を引用する。
(素読を)暗記強制教育だったと、簡単に考えるのは、悪
い合理主義ですね。『論語』を簡単に暗記していまう。暗
記するだけで意味がわからなければ、無意味なことだと言
うが、それでは『論語』の意味とは何でしょう。それは人
により年齢により、さまざまな意味にとれるものでしょう。
一生かかったってわからない意味さえ含んでいるかも知れ
ない。それなら意味を考えることは、実に曖昧な教育だと
わかるでしょう。丸暗記させる教育だけが、はっきりとし
た教育です。[1,p30]
■9.『論語』の言葉を胸に、人生を歩んでいく■
「朋(とも)あり、遠方より来たる。また楽しからずや」とい
うような言葉も、少年時代、壮年時代、そして熟年時代と、人
生経験を積むにしたがって、自ずからその味わいも深まってい
くだろう。素読とは、そのような言葉の種を幼児期から心に埋
め込んであげることである。
小学生にたわいのない英会話を教えるよりは、はるかに高級
な人間教育ではないか。そこから、しっかりとした精神的バッ
クボーンを持った日本人が育っていくだろう。
すでに大人になってしまった人でも、『論語』の中の心に響
く一節を暗記して、それを時々反芻しながら、自らの人生を歩
んでいく、という生き方も良いのではないか。
ちなみに天皇陛下は「忠恕」という言葉がお好きだそうだ。
ひたすらに国民の安寧を祈られる陛下ならではの言葉である。
『論語』の言葉を胸に抱いて人生を歩んでいくのが、我が先人
たちの生き方であった。
(文責:伊勢雅臣)