長野で目撃した中国人の愛国運動 「あちこちに転送してね。」 | 日本のお姉さん

長野で目撃した中国人の愛国運動 「あちこちに転送してね。」

【レポート】長野で目撃した中国人の愛国運動
(真実を知ろう、大いに転送転載を)
永山英樹
ブログ「台湾は日本の生命線!」 
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/
より転載
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http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-360.html
↑ ブログでは関連写真も。

 高村外相は二十七日朝のテレビ番組に出演し、前日に

長野市内で行われた聖火リレー現場での混乱に関し、

「逮捕されたのはチベットを応援する日本人と台湾人だけ。

中国人は暴力を振るわなかった」と断言したが、それは

政治的配慮からか、それとも中国人暴徒が跋扈していた現地の

情況を知らされていないのか。私の知人の女性も長野駅から

チベットの国旗を携えて出てきたところを中国人に取り囲まれ、

旗は奪われてボロボロに引き裂かれ、さらには集団で押され

たり蹴られたりの暴行を受けて警察官に救出されている。

それ以外にも私や周囲の者も大勢襲撃を受けているし、

負傷した者も何人かいた。

そしてもちろんそれだけではない。中国国旗を掲げ、国歌を

合唱して気勢を上げる中国人集団が陣取ったリレーコース

沿道は、とても一般市民が近づくことができるような雰囲気で

はなかった。

リレーのスタート時間は午前八時十五分だったが、私が目撃

したかぎりでは、遅くとも五時四十分の段階で、巨大な中国

国旗を何本も掲げた赤シャツの中国人留学生の集団が大挙

市内を行進していた。大きな声で歌を歌い、気勢を上げながら
続々とリレーが通過する駅前に向かっていたのだ。そこへ国旗

をかざした中国人の乗用車が道路を行きかい、そのたびに

沿道からは歓声がこだました。その様は文化大革命を髣髴と

させた。

まさに日本における中国愛国運動そのものである

警察もこのような早い時間から赤シャツが布陣するとは予測し

ていなかったのだろうか。まだ警備は手薄で、まさにその

一帯は中国人に占領されたかのような光景だった。もちろん

彼らの目的は祖国のため、抗議の日本人、チベット人を圧倒し

つつ、リレーの歓迎を盛大な行い、国威発揚の場である北京

五輪の成功に弾みをつけることにある。もちろんすべては

中国政府の指示によってである。

私は六時少し前、駅近くの公園で西村修平氏が主導する

「主権回復を目指す会」のメンバーなど十数名と合流した

(前日にもこのグループと長野市内で二時間にもわたるデモ

行進を行い、さらには長野市役所にも押しかけて聖火リレー

の中止を訴えた)。そして六時すぎ、リレーへの抗議のため、

と言うよりももはや留学生などを利用した中国政府のリレー

歓迎工作に対抗のため、徒歩で公園を出発、
チベット国旗を掲げながらリレーコース沿いの歩道に出た。

両側の歩道は駅前に至るまですでに赤シャツ集団によって

埋め尽くされていた。
そこへ突然目の前に我々が出現したため、赤シャツたちは

度肝を抜かれた様子だったが、それでもチベットの旗を見るや

直ちに反発し、一部の男女が怒り狂って飛び掛ってくるなどで

衝突が始まった。

彼らには「非暴力」の示し合わせ(もちろん上からの指示)が

あり、表面的には日中友好を唱え、自分たちが「平和勢力」で

あること強調する戦法を取っていた。だから抗議する日本人に

対しては道徳的に優位に立ったつもりになり、笑顔で
「チョンクォ、チァヨウ!」(中国、加油=中国、がんばれ!)と

叫ぶなどするのだが、試みに「チベットは中国の領土ではない」

などとぶつけてみると、やはり彼らは怒りの表情に変わるの

だった。また上述の女性の件のように、チベットの旗を持って

いるだけで攻撃のターゲットとするのだった(とくに相手が

女性であったり、少数であったりする場合に)。

これが中華思想、つまり中華ナショナリズムである。

やがて我々は駅が前方に望める歩道の一角に到着。そこ

だけはチベットを応援する日本人が陣取っていたが、すでに

右側も左側(東急デパート入り口前)も、そして道路の向こう

側も赤旗、赤シャツに埋め尽くされており、それぞれと対峙す
ることとなった。ただ道路向こう側の一角には東トルキスタン

や南モンゴルの旗が翻り、やはり赤シャツと対峙していた。

日本側も徐々に人数が増えだし、百~二百名はいただろうか、

拡声器を使ったシュプレヒコールが盛んに発せられた。それに

対して赤シャツ側でも巨大な赤旗、赤い横断幕がどんどん増え

だし、日本人に対抗して「中国、加油!」と言ったコールが

あちこちで巻き起こっていた。

日本側が「フリーチベット!」「支那人は出て行け!」を連呼すると、

赤シャツ側は「ウソツキ!」で返す。実に意気軒昂、日本人相手に

ストレス発散、自己陶酔…、サッカーを応援するように、楽しんで

いるかに見えた。ところが日本側が「人殺し」「虐殺を止めろ」を

連呼すると、赤シャツたちは決まって沈黙してしまうのである。

日本に住む彼らは自国のチベットへの行為の真相を知っている。

そしてそれが中国以外の国では許されないものであることも

知っている。だから彼らは「人殺し」と言われれば、何も言えなく

なってしまうのである。しかしだからと言って、「反省・謝罪」の

気持ちなど一切ないところに中華ナショナリズムの怖さがある

チベットの旗、チベット人、そしてそれを支持する日本人は

あくまでも憎悪、罵倒の対象だった。

当初は大国意識から日本人をなめ切って余裕綽々だった

赤シャツ集団は、日本人の大抗議に遭って興奮し、その本性

を剥き出しにしたのだった。

日本側からは何人もが警官隊に阻止されながらも、赤旗陣営

への「肉弾戦」が試みられ、国旗奪取などに成功し、相手側も

いよいよ戦闘ムードで盛り上がってきた。「心優しい」日本人を

なめてかかってきた彼らが認識を改め始めた瞬間である。

幼い留学生たちよりもふてぶてしかったのが赤シャツ以外の

一部中国人だ。見るからに人相の悪いこれらの連中は

ずいぶん日本人を威嚇していたが、やはり日ごろから日本人に

怖がられているから自信満々なのだろう。「パスポートを出して
みろ」と言うと、みな怒りを露にして罵り返してきた

蛇頭が五百人派遣されているとの情報もあったが、その類か。

警察には職務質問をしろと要求したが、まったく動かなかった。

私の台湾人の友人が中国語で「台湾は台湾人の国」「台湾は

中国の一部ではない」と叫ぶと、赤シャツたちはそれまでにない

激しい怒声を一斉に上げた。その隣にいた私も台湾人と誤解

されたらしい、それまで対峙していた私への憎悪心が、
このとき一挙に高まったのを感じた。

中国人は「日本軍国主義」以上に「台湾独立分子」を憎んでいる

ことを思い知らされた。そのような中国人に台湾人も驚き

「あの心理は理解できない」と言っていた。台湾で言われる

「今日のチベットは明日の台湾」と言うのは本当ではないだろ

うか。それもこれも江沢民時代以降の愛国愚民教育のためで

ある。

留学生たちは表面的には理性的で日本人と変わりなくても、

内に秘められた「敵」に対する憎しみの情念は、理性では

制御できないものなのだろう。それを我々は目の当たりに

することができた。

かくして長野駅前一帯は、早くも騒然、殺伐とした混乱の

空気に包まれ、平和の祭典=五輪の聖火リレーを歓迎できる

ような情況ではなくなった。内外メディアの記者、カメラマンも

競い合って現場を走り回っていた。そうした中の八時五十分頃、

いよいよリレー走者が警官隊に囲まれながら走ってきた。

後で知ったことだが走者は萩本欽一。現地の情況がわから

なかったらしく、ニタニタ笑顔を見せながらやってきた。多くの

日本人がチベットの悲劇に思いを馳せ、中国政府の非道、

そして在日中国人の傍若無人な振る舞いに怒りの声を上げて
いると言う中でのこの笑顔ほど、醜悪なものはなかった! 

なぜなら完全に侵略者の立場に立った笑顔だったからだ。

「ハッピーに走りたかった」などとメディアの前で嘯いていたが、

侵略者に加担する人間が何を言うかと言うことだ。

もちろんそのときは我々には、走者がどのような表情をしている

かなど知る由もなかったが、「フリーチベット!」「恥を知れ!」

と言った怒号の嵐が巻き起こり、大勢の人々が道路を目掛けて

突進し、まさにフェンスを打ち破らんばかりの勢いだった。

このときの日本人の怒りを「乱暴だ」と批判する者がいたら、今

このときですらチベット人が中国人に弾圧、迫害されている現実

に目を向けるべきだ。それを停止させるために日本人は立ち上が

らなくていいのか。

赤シャツ集団が見せたあのナショナリズムこそ、チベット弾圧

を平然と行うことのできる中国共産党の心理そのものだった。

それが日本において現出しているからこそ、日本人は抗議に

立ち上がったのだった。

長野駅前で聖火リレー走者は、中国人の大歓声を受けながら

走り去って行った。
そして中国人集団は、まるであたかもスポーツ観戦での自国

チームの勝利に酔っているかのような歓声、歌声を上げながら、

あるいは日本人に挑発を行いながら、聖火到着地点である

若里公園へ向かって移動を開始した。人も国旗も物凄い数である。

そのような集団に日本人は罵声を浴びせ、騒擾は延々と続いた。

とくに我々の左側(東急デパート入り口前)に陣取っていた

中国人集団は、我々が前に立ち塞がっているために動くことが

できず、双方の旗の奪い合いなどでふたたび肉弾の衝突が繰り

返された。そこへ他所から移動してくる中国人たちが大勢入り
込んでくる。彼らはまだ日本人の抗議の激しさを見ていないから、

つまり日本人をなめきっているから、挑発もじつに大胆だった。

たとえば平気で日本人陣営に入り込み、旗竿で日本人を

突付いてきた子連れ夫婦もいたが、やがて周囲のただならぬ

雰囲気にはたと気づき、子供を抱えて脱兎のごとく逃げ出した。

やがて中国人は警察に誘導されたのか、近くの裏路地を

通って移動を開始した。
そこで日本人も若里公園までデモ行進を行うことに。西村修平

氏がマイクで「若里公園へ行くぞ!」と叫ぶと、百数十名の

群衆が「オー!」と大歓声を上げた。
駅前から同公園までは約二キロほどの道のりだが、中国人の

集団と同じ道を歩くこととなる。そこで警察は止めに入ったの

だがとても止めきれず、諦めていた。

集団は「フリーチベット!」を大声で連呼しながら、まずは

駅構内を突き抜けて前進、沿道には随所に赤旗集団が屯し、

あるいは同じ道を同じ方向に歩いており、そのつど

「中国、加油!」「ウソツキ!」のコールを浴びせようとするの

だが、日本人の「勢い」を見て、みな沈黙するのだった。

狭い歩道を進むため、やがて隊列は延びすぎて、いくつもの

少人数グループに分断され、それぞれ中国人集団と入り

混じっての行軍となったが、中国人は士気の高い我々には

敢えて手を出したくはなかったようだ。相手が弱いと見れば

突っかかってくるが、そうでなければ無用な争いは挑まない

と言う民族性がよく表れていた。

三十分ほどの行軍後、我々は若里公園に達した。このあたり

から雨が強く降り始めた。公園入口には中国人集団がおり、

ここでも若干の衝突が展開された。彼らが我々に対して得意

げに振って見せる大きな中国国旗を日本人が奪取し、それを
巡って日本人、中国人、警察官による三つ巴の争奪戦が展開

された。その間、足で散々踏み躙られた国旗は警察官に

保護されたが、それを受け取った中国人は、
「我々の国旗が! 我々の国旗が!」と芝居がかった涙声の

叫びを上げていた。
それまで日本人を散々威嚇しておいて、いまさら被害者面をして

何を言うかだ。

公園に入ると警察がガードを固めており、中国人を右前方へ、

日本人を左前方へと誘導した。そして我々がたどり着いた先は

公園の端にある一角。そこにはチベット人やチベット人支援

団体のメンバーが集会をやっていた。そして目の前にある

幅百メートルほどの広場をはさんだはるか向こうの公園の

中心部には夥しい中国国旗と中国人の大集団が見えた。

要するに広場は立ち入り禁止の「緩衝地帯」。聖火を歓迎する

中国人だけが到着式典の会場に入り


反対する我々は隔離されたのである。


それに気づいた日本人は警察を激越に抗議したが、もはや

どうしようもない。中国人集団はこちらに向かい「ざま見ろ」と

言わんばかりの大歓声。
対峙する両陣営の間では「フリーチベット!」「中国加油!」の

コール合戦が延々と続いた。

やがて十二時ごろだったか、公園付近の上空をヘリコプターが

旋回しだし、聖火が間もなく到着することを知った。我々は公園

を出てコース沿道の歩道へ移動。
警察によってそれほど広くない道路の東側が中国人陣営、

西側が抗議陣営と設定されていたが、中国人は国旗を林立

させて「中国加油」を叫んだり、国家を歌ったりしている。

「祖国は明日はさらに良くなる」などと書かれたプラカードも見
え、彼らがこの聖火リレーをあくまで中国一国の国家行事と

捉えていることが伺えた。


チベットの旗を持ち、東側に入り込んだ日本人が中国人に囲ま

れてど突かれるのを何度も見た。


西側に入り込み、日本人を罵倒する中国人も日本人に襲われた。
市民も大勢出ていたが、彼らはこうした衝突などに意を介さず、

ただ聖火が来るのを楽しみにしているようだった。

そしてやがて聖火を掲げた走者が走ってきた。日本人側からは

怒声を発せられ、多くが道に飛び出そうとして警察官に制止

されたと。

聖火を掲げ持つ走者は背の高い男で運動選手のように見えた。

怒声は中国人の歓声に打ち消されてしまったのか、彼には

聞こえなかったようだ。有名人なのだろうか、スターがファンに

サービスしてやるような満面の笑顔でこちらに手を振っていた。

私にはそれが中国人の笑顔と重なって見えた。

ここでも「恥を知れ!」との声があちらことらから上がったが、

市民は中国人と一緒になって歓声を上げていた。その後ろを

走ってきた聖火リレー実行委員たちの乗った車の窓が開いた。

そして聖火がみなから歓迎されていると勘違いし、笑顔を

投げかけてきたのだが、それに対しても怒声が飛び、恐怖の

あまり慌てて窓を閉めた。

聖火が公園に入りリレーは終了した。これによって

中華ナショナリズムはそうとう高揚したのだろう。

「人民日報」系の「環球時報」は「数千人の中国留学生が
聖火歓迎に駆けつけ、現場は五星紅旗の海となった」と報じた。

公園からは大勢の中国人が大声で国歌を歌いながら出てきた。

そこで再び道路を挟んで日本人との対峙が始まった。

日本人が「チベットから出て行け!」「人殺し!」「毒餃子!」

などを連呼すれば、彼らは日本人をせせら笑うかのように国旗

を振りつつ国歌の合唱で応じた。

その一方で西側に入ってきて屋根のある一角に雨宿りをして

いた中国人の集団は警官隊にガードされていたものの、それ

でも目と鼻の先に経つ我々に怯えていた。安全地帯にいる

中国人と、そうではない中国人は明らかに異なっていた。

このようにして聖火リレーを歓迎する中国人集団に対抗する

行動は終了した。

中国人の動員や統制ある行動、または数え切れないほどの

国旗の調達は、明らかに中国政府の支持があってのもの

だった。ではこのときの中国政府の目的は何かと言えば、

歓声を上げさせて日本人から冷ややかに見られている

聖火リレーを華やかなものに変えることや、

抗議の声を打ち消すことだけではない。

留学生たちはなぜ国旗を振り、国歌を歌ったのか。

それは国旗・国歌が「国威」であり、その「国威」を以って

日本人を威圧しようとしたからなのだ。

日本人には意味のわからない「加油」のコールをわざわざ叫ば

したのも、それは威圧のための叫びだからだ。

沿道にいる者だけでなく、全国の日本人への威圧、恫喝でも

あった。

それには聖火リレーや北京五輪自体に抗議する日本を

黙らせたいとの心理が働いていたはずだ。そもそもこの国の

対日政策など、基本的にはみな圧力行使で日本人を付き

従わせると言うものではなかったか。

このような中国人動員の聖火歓迎工作は韓国でも見られたが、

韓国のそれが日本以上に暴力的だったのは、それだけ韓国は

日本以上に中国になめられていると言うことか

このような留学生、華僑、マフィアなど在日中国人を動員して

行う日本人への恫喝は、属国や殖民地において、宗主国の

人間が行うようなものだったが、これからも必要とあれば行わ

れるのではないだろうか。たとえば日本政府が歴史問題、
東支那海問題などで所謂「中国人民の感情を傷つける」ような

政策に出るとき、
「在日中国人は黙っていないぞ。デモをやるぞ」と仄めかす

だけで、日本政府はトラブルを恐れて例により、「相手の

嫌がることはしない」などと言って中国に妥協するかもしれない。

何しろこの日の中国人側が演出した光景は、日本人が見た

こともないような迫力があった。臆病者なら簡単に縮み上がる。

この光景を見た台湾人の友人は、中国人の歴史で海外に

おいて初めて見せた団結ではないかと言っていたが、同じ

ことは翌日のテレビ番組でも在日中国人学者が言っていた。

言わば日本は中国の愛国主義運動の一つの新たな実験の

場となったわけである。


そしてこの愛国主義は中華覇権主義に基づいたものであって、

「日中友好」にはまったく相反するものであると言うことを、

日本人は今回の騒動を通じてしっかりと肝に銘じなくては

ならない。

ではこうした中華ナショナリズムにどう対処すればいいのか。

それは日本人が弱みを見ず、断固対抗するの意志を見せる

ことである。そのことも今回の騒動を通じ、はっきりと理解でき

たところだ。もともこれはすでに支那事変当時から、日本人が

得てきた歴史的な教訓ではあるが。

その意味では今回の行動は、中国政府の日本人観に若干の

修正をもたらしたかもしれない。同政府(御用メディア)は

「少数の右翼」の仕業として片付け、自国民の反日感情の

高まりを押さえ込もうとしているが、我々の行動は日本国民の

普遍的な中国への怒りを代表したものであり、中国国民には

そのことを知ってもらい、どんどん反日愛国を叫んで中国と

言う国の危険な本質をもっと日本人にわからせてもらいたい。

そしてそのとき、中国政府にも愛国愚民教育を行ってきたツケが

回ってくることになるのだ。
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