頂門の一針
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危険水域に入った福田内閣
━━━━━━━━━━━━古澤 襄
人気低迷の福田内閣の支持率は、とうとう20%の危険水位を
割った。森 内閣も20%を割って退陣、小泉内閣の誕生をみて
いる。これまでは福 田内閣の支持率低下に付き合ってきた
小沢民主党だったが、20%を回復 しただけでなく、初めて
30%の大台に乗る支持率を得ている。自民党の支持率は
30%を割っているので逆転。(詳細は「話の福袋」参照)。
民主党の支持率が大幅に上がったのは、小沢・山岡流の
何でも反対戦術 から鳩山流の柔軟な戦術に転換したため
だと思うが、これから先、福田 内閣を退陣、解散・総選挙に
追い込む道筋は見えてこない。
タコ壺に入って解散風をやり過ごそうという自民党をアブリ
出したい民 主党。しかし今、総選挙をやれば確実に自民党は
百議席を失うと小泉元 首相は占っている。
福田首相の手で解散をするのは無理筋ということになる。
福田内閣を追 い込めば、追い込むほど解散・総選挙が遠の
くジレンマに民主党は立た されている。
とはいうものの、この状態がそう長続きする筈がない。森から
小泉へバ トン・タッチした様に福田のバトンを受け取る者は
誰か?麻生太郎、小 池百合子、与謝野馨氏らが下馬評に
あがっているが、田中真紀子氏とタ ッグを組んで参院選を
大勝した小泉さんは、小池女性首相にご執心だと いう噂も
流れている。
<共同通信社が1、2の両日に実施した緊急電話世論調査で、
福田内閣 の支持率は19・8%と、4月の前回調査から6・8
ポイント急落し発足以来最 低を更新した。不支持率は66・6%
で7・0ポイント増。支持率が20%を割り 込んだのは2001年
参院選を前に退陣した森内閣以来で、危機的水準とな った。
ガソリンにかかる揮発油税の暫定税率復活や後期高齢者
医療制度(長寿 医療制度)に対する不満が影響したとみられ、
政党別支持率も自民党の 24・3%に対し民主党が30・3%と、
昨年12月調査以来約5カ月ぶりに逆転。
「民主党中心の政権」に代わる方がいいとの回答が過去最高
の50・0%に 上り、「自民党中心の政権」の26・7%の2倍近くに
達した。
与党が衆院再可決で暫定税率を復活させたことに関しては
「適切ではな い」が72・0%で、「適切である」の21・4%を
大きく上回った。
福田内閣を支持しない理由は「経済政策に期待が持てない」
が26・6%で 最多。「首相に指導力がない」25・7%、「税制
改革に期待が持てない」11 ・6%が続いた。
民主党が検討する首相問責決議案提出に「賛成」は54・7%、
「反対」は
31・9%。可決した場合の首相の対応については「衆院解散、
総選挙」が 68・1%で、「辞めなくてよい」18・5%、「内閣
総辞職すべきだ」8.4%を 引き離した。
望ましい衆院解散、総選挙の時期は「7月のサミット後、
今年後半」が 41・7%、「今年前半」が17・2%で、60%近くが
年内実施を求めた。
道路特定財源の09年度からの全額一般財源化を「評価する」
は37・7%に とどまり、「評価しない」が53・6%だった。
後期高齢者医療制度を「廃
止すべきだ」は46.5%、「運用改善すればよい」は44・0%で、
評価が割 れた。
自民、民主両党以外の政党別支持率は、公明党3・6%、
共産党3・7%、社 民党1・6%、国民新党0・7%、新党日本は
支持回答がなかった。「支持政 党なし」は34・4%だった。
(共同)>
<毎日新聞の全国世論調査で支持率が18%に落ち込んだ
福田内閣。ダウ ンは織り込み済みだった与党だが、20%
割れの現実を突きつけられ政権 の先行きを危ぶむ声が
広がった。
連休明けの国会は、道路整備財源特例法改正案の衆院再
可決など高いハ ードルが待ち受ける。反転攻勢を狙って早期
の内閣改造論も浮上するが 「首相を代えなければ何をやっ
ても同じ」(与党幹部)との声も漏れ、 打つ手がないのが
現状だ。
自民党執行部からは2日、首相を擁護する発言が相次いだ。
古賀誠選対委員長は、福島市内で講演し「今は福田政権を
支える姿勢こ そ将来のために大事なことだ」と強調。二階俊博
総務会長も「今は後期 高齢者医療制度やガソリン問題で最も
不利な状況。これだけの数字が残 ればありがたい」と語った。
ともに政局を招きかねない党内の動揺を抑 えるための発信だ。
しかし、18%の現実は政権を八方ふさがりにしている。菅義
偉選対副委 員長は「国会を早く閉じて、内閣改造で福田
カラーを打ち出すべきだ」 と訴えるが、公明党幹部は「改造の
ような小手先の手段で国民の支持が 広がるはずがない」と
吐き捨てる。
衆院解散・総選挙は「当面やるべきではない」が大勢。選挙
基盤がもろ い若手からは「『ポスト福田』の姿もまだ見えず、
すぐ辞めてもらって は困るが、誰も福田首相の下で選挙ができ
るとは思っていない」との声 が上がる。
当面、福田政権を支えるとの認識で一致しているが、「支持率
低下から 抜け出す手立てはない」(与党幹部)のが実情だ。
一方、民主党の鳩山由紀夫幹事長は「追及したからこそ道路と
後期高齢 者医療制度の問題が明らかになった。戦った姿が
認められた」と自画自賛した。
しかし、同党の「首相問責決議案を今国会に出し、衆院解散・
総選挙に 追い込む」とのシナリオは狂い始めた。中堅議員は
「このままでは選挙 が遠のくばかりだ」と複雑な表情を浮か
べた。(毎日)>
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制度疲労・体制崩壊
━━━━━━━━━ 山堂コラム 214
衆議院では「ガソリン税を10年間道路整備にあてる」という
法案を再 議決した。片や閣議では「特定財源は一般財源化」
と決める。永田町で こんな滅茶苦茶な二律背反の論理が
罷り通るとは―――
戦後60年とは言わないが、その半分程度を政治記者として
過ごしてき たオラもびっつらこえた(びっくらこいた?)
驚天動地。
国会でA子と婚約と決め、閣議ではB子との結婚を決める
・・・昭和47 年、田中内閣が「日中国交回復」をした時の
自民党外交部会。A研とA A研がいり乱れて揉めに揉めたが、
「国会では台湾を認め、閣議では中 国を認める」などという
破天荒なこと、あのいい加減な田中内閣でもし なかった。
角さん「北京にえってくるわ、皆さん!」のその前に、椎名の
爺さん台 湾に行かせ、陳謝で婚約破棄をして筋道を通し
やったものだ。
あれから36年。「道路整備特定財源」をめぐるいい加減で
無様なやり方。
自民党―――、というか我が国のご政道、全く地に落ちた
ものである。
野党第1党の民主党も、イチをはじめついこの前までは
自民党にいて道 路族として甘い汁吸ってた者もかなりいるから、
追求に迫力がない。
この「道路」については与野党間の対決というよりも、政治家
対官僚、 仔細にみれば政官財の利権が渾然となった中での
財務省と国交省の縄張 り争いなのである。
このような省庁間の税金の分捕り合戦に族議員と業界が
絡(つる)んで 甘い汁を吸う。金権のためには1歩も退かない、
というのが今の図式だ といっていい。
政官財の腐敗。国の行く末をきちんと見通した確固たる国策の
議論とは、 そう、全くかけ離れているということ。
かくして官僚国家がいつのまにか堕落し制度疲労を起こした。
このまま の状況が進めば、いまの体制は早晩「崩壊」をする
だろうしその兆候は 現れている。(体制が崩壊するということ
は、必ずしも国が消滅すると いうことではないが)。
このような状況は、過去にも江戸末期の幕藩体制や、先の
大戦につなが る軍閥専横の時代にも経験をした。どちらの
体制も錆ついて、結局は維 新や敗戦によって清算したので
あるが、国を担う体制(幕府・軍部)が、 前者は「思考停止」、
後者は「暴走」した挙句の崩壊による清算で、ど つらも最後は
いまのような機能不全に陥っていった。
その時の草民(国民)こそいい迷惑で、崩壊に伴う道連れに
されて死ん だり、塗炭の苦しみを味わされた者少なからず。
純ちゃんではないが 「そりゃあ国民の痛みはともないますよ」
だ。現実にいまでも地方政治 や社会福祉・雇用などで崩壊は
始まっている。
1週間前の山口2区補選で自民が大敗したことについて、
自民党執行部 の間では「伊吹(幹事長)が悪い」「古賀
(4役選対)が悪い」などと、 責任のなすりつけをやっている。
オラに言わせればどちらも悪い。
山口2区はオラの地元なので来る情報も多い。山本陣営(自民)
からは 「伊吹や古賀が来るたびに票が減る」。平岡陣営
(民主)からは「小沢 が来たので票が減った」だ。
彼の地の有権者が民主党を勝たしたからといって、いま日本の
政治で進 行している「制度疲労・体制崩壊」を食い止める
歯止めにはならないだ ろう。福田総理が辞任して次に自民の
誰が総理・総裁なろうとも、はた また解散総選挙で今の
民主党が勝って(それもないのだが)小沢政権が 誕生しよう
とも、事態は変らない。
大きな時代の流れに逆らうことは出来ず、世の中はそれに
呑みこまれて いく。ただその挙句に、わが豊葦原水穂の
国が、全体主義や共産主義の 「一党独裁国家」になったり、
中国の属国になるのだけは御免蒙りたい ものだ。(了)
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八九三でない刺青
━━━━━━━━ 渡部亮次郎
小泉又次郎(こいずみ またじろう、慶応元年5月17日(1865年
6月10日) ―昭和26年(1951年)9月24日)は、日本の
政治家。正二位勲一等。第 87-89代内閣総理大臣小泉
純一郎の祖父。
横須賀市長、逓信大臣、衆議院副議長などを歴任した。
義侠心にあふれ、 人情に厚い大衆政治家で、刺青があった
ことから「いれずみ大臣」「い れずみの又さん」などの異名
をとった。
又次郎の刺青のわけも分からず、刺青をしていたんだから
やくざだった と誤解する向きもあるので、この際、詳しく
調べてみた。
そもそも日本での刺青(入れ墨)は江戸初期に関西の遊廓
でおこった 〈入れぼくろ〉の風習が彫物の風俗の始まりである。
これは遊女が愛の証しとして左の二の腕の内側に相手の
年齢の数のほく ろを入れたり,男女が互いに親指のつけ根に
ほくろを入れるもので, 〈起請(きしよう)彫〉ともよばれた。
この風習は江戸でも流行し,やがて〈某命それがしいのち〉と
いう形式 で相手の名前を彫る風も生まれた。
また遊廓の外でも,〈南無阿弥陀仏〉など神仏への誓いの
文字を彫る風 も行われ,《女殺油地獄》(1721)には腕の彫物
で人々を威嚇する風俗も 描かれている。
初期の彫物は文字がほとんどで,絵や文様を彫る風はなく,
専門の彫師 もいなかった。
しかし時代が下ると,鳶(とび),魚屋,駕籠(かご)かき,船頭
などの職 人や勇み肌の者が粋や伊達(だて)から威勢を示す
ために競って彫物を施 し,また絵柄も豊富となり,色彩を施す
ようになって専門の彫師も生まれ た。
こうした風潮を強めたのは,《水滸伝》を題材にした絵師の
一勇斎国芳 の一連の作品で,文化・文政年間(1804‐30)には
幕府の禁止にもかかわら ず彫物は盛行を極めた。
また江戸の刺青美を完成した国芳の画風を継承した芳年の
作品,とくに 〈美男水滸伝〉は明治以後の刺青の下絵として
大きな影響を与えた。し かし,明治になると彫物は禁じられ,
一部の者だけに限られるようになっ た。
(平凡社『世界大百科事典』)
だから昔を論ずるに、刺青をしていたから即ちやくざ者だったと
断定し ては教養を疑われる事になる。
小泉又次郎は慶応元年(1865年)5月17日、現在の神奈川
県横浜市金沢区 大道)に鳶職人の父・由兵衛、母・徳の
次男として生まれる。
又次郎が小学校へ入学する頃、一家は横須賀に移り、
海軍工廠に大工、 左官、人夫等を送り込む人入れ業を始める。
又次郎は家業を嫌って海軍士官に憧れ、無断で海軍兵学校の
予備校に入 学するが、兄の急死によって家に連れ戻される。
しかしその後も軍人になることを諦めきれず、今度は陸軍士官
学校の予 備校に無断で入学するが、またしても父に見つかり
「なんとしても家業 を継げ」と厳命される。
その際、こんどこそ軍人を諦め鳶職人になることを決意した
証に、全身 に「昇り龍」の入れ墨を彫って父親に見せつけた
という。刺青者は軍人 になることができなかったからだ。
30歳のころ芸者だった綾部ナオと結 婚したが子は出来な
かった。子孫は妾腹に繋がる。
その後板垣退助の演説を聴いて政治家を志すようになり、
独学で小学校 教員となった後、新聞記者などを経て、
明治40年(1907年)横須賀市議 会議員に当選、後議長を
つとめる。
神奈川県議会議員を経て、明治41年(1908年)に憲政本党
から衆議院議 員選挙に初当選、以後連続当選12回を数える
昭和4年(1929年)から浜口内閣と第2次若槻内閣で逓信
大臣をつとめ 「いれずみ大臣」の異名をとる。
その風貌から当初は誰も大臣とは思わず、初めての親任式で
参内した際 には、守衛に一緒に参内した過去に大臣経験の
ある安達謙蔵の従者と間 違われて押し問答をしている。
昭和17年(1942年)に翼賛政治会代議士会長に就任。
昭和19年(1944年) から翌20年まで小磯内閣の内閣顧問
を務めた。昭和20年(1945年)には 貴族院議員に勅選され、
翌21年に公職追放されるまで務めた。
昭和26年(1951年)9月24日、死去。86歳だった。墓所は
横浜市金沢区の 宝樹院にある。
妻: ナオ(綾部幸吉二女)
妾: 石川ハツ、寿々英(すずえ)など
女: コウ(養子)
女: 芳江(庶子、母は石川ハツ)
婿: 純也(芳江の夫)
孫: 純一郎、正也ら。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ところで、やくざ Yakuza 八九三と字をあてる。2枚または
3枚の花札 を使ったおいちょかぶとよばれる賭博で、
8、9、3の目が来ると上がれな いことから、中途半端で
役に立たない人間を指した。
のち、一般的には堅気の人とは対照的に、職につかない
遊び人や、博徒 (ギャンブル)や博打(ばくち)打ちを指す
言葉となった。
江戸時代の享保の頃から「やくざ」の名称が流行したが、
江戸末期の混 乱期になって多く現れ、刀を持ち、脇差
(わきざし)をかかえ、背中に刺 青(入れ墨)を施すなど、
異様な風態をてらった。
人別帳から除かれた無宿者(無宿)などが多く、侠客の親分
のもとに寄食 した。擬制的な親分、子分関係(擬制的親族)
でむすばれ、暴力をふるい、 法をおかすことが多かった。
第2次世界大戦後、やくざの世界も激変し、構成原理その
ものが変わった。
都市部では闇市(やみいち)の利権をめぐって、てきや
( 香具師)集団が勢 力を伸ばし、博徒もこの利権に目を向けて、
従来はっきりと類別されて いた組織系統が、複雑に入り混じ
ることになった。
やがて、高度経済成長期を経る中で、大組織による系列化が
すすむよう になった。現在では、暴力を背景にゆすり、
たかりをおこなう者、暴力 団の成員(構成員、準構成員)を指す。
組織は、○○組を名のり、親分、子分、兄弟分の強力な支配
関係で結ば れている。とくに親分への服従は絶対とされる。
跡目相続、親子盃、仁義とよばれる挨拶など、独特の儀式や
慣行や隠語 をもちその閉鎖性を維持しているが、その活動は、
企業化、知能化の色 彩を強めている。現在のやくざは刺青が
あっては幹部になれないといわ れている。
Microsoft(R) Encarta(R) 2006. 2008・05・01