北朝鮮の核兵器の出所(オルタナティブ通信)
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▼北朝鮮の核兵器の出所(オルタナティブ通信)
◎書籍紹介::ゴードン・コレーラ「核を売り捌いた男」 ビジネス社
インド、パキスタン等の核兵器開発を影で支えた核技術・核物質の密売人として、国際的に悪名の高いアブドゥル・カディーン・カーン。パキスタンの元大統領ムシャラフは、パキスタンの核兵器開発現場には、北朝鮮の技術者達が技術研究に来ていたと証言しているが、現在の北朝鮮の核兵器開発の「母体」となったのが、まさにカーンであったと言える。カーンが個人的に独立して作り上げた核技術者と核物質密売人のネットワークが、パキスタン・北朝鮮に核兵器を作り出させたとする見方が、現在、「国際社会」の中で一般的であり、本書の著者コレーラもBBC放送の記者として、英国MI6の情報「操作」担当者として、そのような間違った見解を本書で流布している。
しかし、CIAと英国MI6、さらにイスラエルのモサドが細心に注意を払っている核兵器市場で、天才的な密売人「個人の営み」として、そのネットワークが核兵器の密売を可能にさせる等というのは、銃弾の飛び交うイラクの戦闘現場で「紛争の解決は、スーパーマンの個人の活躍に期待するしか無い」と大声で主張するような、滑稽な認識でしか無い。元々、CIA直結である諜報組織ISI(パキスタン三軍統合情報本部)を国家機関として持つパキスタンが、米国の意向抜きで核兵器開発が実行出来るはずがない。また、パキスタンの核開発資金がCIA銀行と呼ばれるパキスタンの銀行BCCIから出資されていた事は、パキスタンの核兵器開発が影から米国の支援を受けていた事実を物語っている。
そして、ブッシュ大統領の経営していた企業アルブスト社の創立資金を出したのが、このBCCIである。大統領の経営企業とパキスタンの核兵器開発資金が「同一資金源から出ていた」。カーンの行っている核兵器・核物質の密売を、米国政府は全く知らなかったのであろうか?
米国政府とCIAの代表としてカーンの核兵器密売を監視する立場にあったのがジョセフ・ナイであった事が本書では語られている。ナイは、核兵器の世界各地への流布を「阻止しようという意志がありながら、結局、核兵器の世界全体への拡大を推進する」役割を果たした事が、本書では明らかにされている(p45)。
元々「バランス・オブ・パワー」論者であるナイは、ソ連(ロシア)の核兵器を抑止するために中国の核兵器を容認し、中国の核兵器を抑止するためにインドの核武装を容認し、インドの核兵器を抑止するためにパキスタンの核武装を容認し、さらにイスラエルの核兵器を抑止するためにアラブ諸国へのパキスタンからの核兵器の拡散を容認するという、「核兵器密売人の商売を正当化するための理論」を構築してきた。
ナイは学者などではなくCIAの工作員であり、その弟子ズビグニュー・ブレジンスキーが、米国次期大統領候補オバマの政策ブレーンであって見れば、「世界の政治を動かしている者が、マーク・リッチのような核兵器の密売人であり、ナイ、ブレジンスキーが、その表の世界での代理人である事が分かる」。つまり、カーンは単なる「あやつり人形」にしか過ぎない(注1)。事実、本書には、アフガニスタンがソ連(ロシア)の支配下に置かれていた時期に、アフガニスタンにソ連が核兵器を置く危険性をブレジンスキーが指摘し、アフガンに対抗し「バランス・オブ・パワー」を作り出すためにパキスタンの核開発を米国が支援する必要性がある事をブレジンスキー自身が主張している様が記されている。核兵器の世界各地への「分散」を、現在の米国大統領候補バラク・オバマの政策ブレーンが「強く主張」しているのだ。
さらに米国政府がパキスタンの核武装を容認する立場を取った際の米国国防長官(1989年当時)が、現在のチェイニー副大統領であり、パキスタンの核武装に反対する国防省職員を他の国防省職員とチェイニーが抑え込む様も語られている。チェイニーのボスが国際的核兵器密売人のマーク・リッチであり、リッチがチェイニーの行動を「指示・指揮・監視」するために常時、副大統領チェイニーに付き添わせたのが副大統領主席補佐官ルイス・リビーであった。リビーは、リッチの顧問弁護士である。また、クリントン政権の国防長官ウィリアム・ペリーが、北朝鮮の核開発を黙認する様子も語られている(p152)。兵器密売資金の融資専門銀行デュロン・リードの経営社ペリーである。日本に米軍基地を常駐させ、米国の核兵器を常駐させる事を決定した日米安保条約の起草者ダグラス・デュロンの創立した銀行である。そして中国に核ミサイル技術を売却したデュロン社の社長ペリー。幕末の黒船ペリーの末裔である。
中国を狙う米国核兵器を日本に置かせたデュロン。日本を狙う核兵器を中国に売却したデュロン。こうしてデュロン社の核兵器販売促進のために日本と中国、アジア人同士が核戦争で「滅びる」準備を「させられている」。本書では、ベルギーのパキスタン大使館とベルギー在籍のフランス企業が、カーンの手足として核開発に必要な部品の調達を行っていた事実が語られているが(p39)、やはり国際的な核兵器密売人のボス、マーク・リッチの活動拠点で「取引が行われていた」。またロシア原子力省MINATOMが、その核兵器開発を技術面で支援していた事も語られている。イスラエル本籍のロシアンマフィア・リッチの母国である。単なる技術者であるカーン個人がロシア政府を動かせるはずがない。
核の闇市場が、こうしてパキスタンを拠点に形成されazhquFBJNて行く。なぜパキスタンであったのか。「有事の際には親友のサウジアラビアを助けるために駆け付ける国がパキスタン」である旨が本書では語られる。つまり核開発の場としてパキスタンが選択された理由は、サウジアラビアを始めとしたアラブ諸国に核兵器を販売する販路開拓、営業事務所作りの意味があった、という事である。アラブに強硬に対立するイスラエルが、核武装し、アラブへの軍事侵略を繰り返している事は、「アラブよ、核兵器を買ってくれ」というイスラエルを拠点とした核密売人達のCM活動である事が分かる。
なお補足的に、本書では、暗殺されたパキスタンの元首相ブット女史が、この核兵器密売のネットワークの代理人として、リビアのカダフィ大佐、北朝鮮への核兵器密輸の「商談」を行っていた事実が語られている。この核密売のネットワークの「維持・隠蔽」のためにブットが口封じのため暗殺された事、この核密売ネットワークが「あやつり人形でしかないカーン」の引退とは関係なく現在も生きている事実を、それは物語っている(ブットはパキスタンの通常兵器も北朝鮮から輸入し、その輸入商談を行っていた)。
現在、世界の核兵器密売市場では、カーンは過去の人となり、その主役はウクライナのセギュオン・モギュレヴィッチ等に引き継がれ、トルコ、スーダン、ナイジェリア、アラブ首長国連邦、クウェート、ミャンマーの核武装が、極秘に着々と進みつつある。
*注1・・・ジョセフ・ナイ、ズビグニュー・ブレンジンスキーの世界全体への「核兵器拡散」政策、核戦争推進計画については、拙稿「毒入りギョウザの犯人」を参照。
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▼小沢一郎の側近でありながら「小沢をコケにした」民主党山岡賢次国対委員長の素性を読み解く。(じじ放談)
民主党山岡賢次国対委員長は先般、日銀副総裁候補の一橋大学渡辺博史氏宅に電話して「民主党は貴殿の副総裁人事に反対するとお伝えする」旨の伝言を残し、間接的に辞退を促したという。この件は自民・公明の両党が「山岡賢次を政治倫理審査会に召喚する」ことで合意している。
5月3日の朝日新聞ウエブサイト「アサヒコム」は、山岡賢次が「小沢さんは時々三振する」と題する以下1,2の記事を掲載した。
1.民主党の小沢代表の側近である山岡賢次国対委員長は2日、沖縄県浦添市で講演し代表についてこう評した。昨年11月の大連立騒動などをさした発言とみられる。
2.山岡氏は「国対委員長は野球でいうと監督。小沢さんはうちの4番バッターで監督の指揮下にあるが、あの人は時々三振するもんですから、その穴埋めをする監督も大変です。」その一方で、「三振もするが、知名度もカリスマ性も我が党では一番ある」と続け、フォローも忘れなかった。
さすが、民主党びいきの朝日新聞ではある。民主党の内紛が生じないようケアーを忘れない。だが、山岡賢次国対委員長の本音とも冗談ともつかぬ言葉を吟味すると、小沢一郎と彼の側近を自認する山岡賢次の関係に「微妙なる心理的齟齬」ができているのではないか。小沢一郎の側近であった二階俊博、小池百合子が小沢一郎から離反した如く「次は山岡賢次の順番か?」と勘繰りたくなるのだ。民主党を野球チームに例えれば、オーナーが京セラの稲盛和夫、監督が小沢一郎、プレイヤーが鳩山、管、興石そして山岡賢次というべきではなかろうか。京セラ稲盛商店「民主党チーム」について、万人がそのように理解するのではあるまいか。だが、山岡は「国対委員長が監督だ」という。「小沢代表は4番バッターにすぎない」と断定する。「4番バッターの小沢が好機で打てず三振するから、監督である山岡も苦労する」というのだ。常識的に見れば、山岡賢次の発言には違和感がある。それとも、山岡賢次が言うように、「民主党の事実上の監督は山岡に交代し、権力移譲がなされたのか?」という疑問もわく。
そういえば、日銀総裁人事が二転三転した背景は、民主党の指導体制ができていないことにあった。最初、政府・自民党は山岡国対委員長を窓口にして折衝し「小沢一郎が了解する」との内諾を得て、財務省元次官を総裁候補として提案したといわれる。だが、民主党反小沢勢力(鳩山・岡田・仙石・前原ら)の反対でつぶされてしまった。次に、民主党の折衝窓口を鳩山・仙石ほかに変更して総裁・副総裁候補を提示したところ、今度は山岡が「政府・与党との折衝窓口は国対委員長である」と頑強に抵抗し、鳩山・仙石ほかが了解していた第3次案を潰してしまった。民主党の党内事情のため現在でも日銀副総裁は欠員である。参議院第1党である民主党内の不統一が国政を混乱に陥れているといってよい。
疑問その1(山岡賢次とは一体何者なのか?)
(1)生活歴から考察してみる。(本人のブログ、ウイキぺディアを参照した)
1943年(昭和18年)4月出生。慶応大学法学部卒業後一時安田生命に勤務したという。本人のブログでは「大学を卒業した昭和41年から58年までの17年間、義父である歴史小説家山岡荘八の秘書」と記している。山岡荘八は周知のとおり「徳川家康」を初め数々の歴史小説を世に送り出した著名人である。山岡賢次が「義父」というから、おそらく山岡荘八の娘と結婚、山岡荘八が賢次の才能と人柄を見込み「秘書」として手元においたのではないか。賢次は大学卒業した22歳から39歳まで、義父山岡荘八と寝食を共にした訳であるから、山岡荘八の思想・信条を色濃く受け継いでいると考えてよい。
山岡賢次は同人のブログ(ご挨拶)で以下のとおり述べている。「亡き義父の意志を受け継ぎ38歳で政治家を志し、当時最年少で参議院議員に初当選しました。亡き父山岡荘八が切望した「真の国民のための政治」「平和な世界」を如何に実現していくかをテーマに政治家として歩んで参りました」義父山岡荘八は保守(右翼)言論人・政治家との親交があつかった。1963年(昭和38年)には福田恒存、田中清玄、田岡一雄、市川房枝らと「麻薬追放・国土浄化連盟」を結成した。田中清玄は右翼思想家、田岡一雄は広域暴力団山口組3代目である。
1973年(昭和48年)には谷口雅春、岡田光玉と「日本を守る会」を結成した。谷口雅春は「生長の家創始者」、岡田光玉(元陸軍中佐岡田良一)は世界救世教・真光教団創始者である。「日本を守る会」の相手が当時猛威をふるっていた「共産主義」であることはいうまでもない。「日本を守る会」はその後、保守の大連合組織である「日本会議」(会長:三好達元最高裁長官)につながる。
(1983年・昭和58年、山岡賢次は政界入りした)
義父山岡荘八のツテで自民党公認となったのであろう。当選後、福田派(現在の清和会)に所属した。1986年、福田派は安倍派に名称変更(晋三は実父晋太郎の秘書であった)。当時の安倍派には4天王(塩川、森、三塚、加藤)といわれた実力者がいたが、山岡は加藤六月の側近であった。派閥会長の安倍晋太郎はとりわけ加藤六月を信頼したというから、晋太郎の秘書であった安倍晋三と山岡賢次も親密な関係にあったのではないか。1991年、安倍晋太郎死去に伴う派閥の後継争いに敗れた加藤六月、田名部、山岡賢次、古賀一成、倉田寛らは派閥を除名され「政真会(加藤クラブ)を結成。1993年には自民党を離党し新生党に合流した。親分であった加藤六月が政界を引退した後、山岡賢次は小沢一郎の自由党に所属し、次第に小沢側近の地位を確立し現在に至っている。
2006年2月28日、山岡賢次の親分であった加藤六月が心不全で死去した。葬儀委員長は、亡父安倍晋太郎の意志を継いだ安倍晋三であった。山岡賢次も葬儀に出席していたであろうが、いかなる心境であったか。山岡賢次の胸中を察するに「忸怩たるもの」があったのではないか。現在、民主党小沢一郎とともに、「中国共産党との交流に尽力し(事務総長として)、国連平和維持活動を中心においた外交を唱えている。「これでよいのか?」という疑問があるのではないか。
(義父山岡荘八の意志「日本の再生と保守擁護」から逸脱した山岡賢次の自己矛盾)
山岡賢次は自らのブログ「ご挨拶」の巻頭で、「亡き父山岡荘八が切望した<真の国民のための政治><平和な世界>を如何に実現していくかをテーマに政治家として歩んで参りました。」と宣言している。政界入りしたのも「山岡荘八に代わって」という意識であったろう。だが、自民党の派閥内闘争に敗れ、敗残兵として流浪するうち、「初心」を忘れてしまった。忘れるどころか、今や「中国共産党との蜜月関係を築く」ために奔走している始末だ。「初心忘るべからず」というが、山岡賢次は、初心を裏切る政治家になり下がってしまったのだ。それでも、山岡賢次は「山岡荘八の意志」を忘れることができない。人生のすべては山岡荘八との出会いから始まったし、山岡荘八の遺訓を守ることが賢二が存在しうる根拠である。山岡荘八なくば現在の賢次はない。
山岡荘八が仲間と立ち上げた「日本を守る会」は現在「日本会議」となって結実した。日本会議国会議員懇談会の役員は以下のとおりである。
会 長 :平沼赳夫(無所属)
相談役 :古賀誠
会長代行 :中川昭一
副会長 :額賀福志郎
副幹事長 :安倍晋三、石破茂、小池百合子、中川義雄、山崎正昭
山岡賢次が、自民党を離党して新生党、自由党、民主党と漂泊しなかったならば、おそらく義父山岡荘八の意志を継承して、上記の役員に名を連ねていたはずである。だが、今では「中国共産党べったり」の小沢一郎の露払い役である。山岡賢次としては義父であり、心の師である山岡荘八の墓参りも途絶えがちではなかろうか。「師匠に合わせる顔がない」と思っているのではないか。人間とは悲しい動物である。中島敦は「山月記」という小説で、人間の悲しいサガを厳しく問いかけている。虎に変じてしまった友がいう。「自分が虎に変じた当初、なぜ自分は虎になったのか?」と苦しみ悩んだ。だが、最近では「なぜ、自分は以前、人間だったのだろうか」と感じるようになった。山岡賢次の心境も、中島敦が描いた「虎に変じた友」と同じではあるまいか。そして、義父山岡荘八の願いと思想を失念してゆく。同時に「中国共産党は友党である」と信じるようになる。虎が「元人間であった」ことを失念するように、山岡賢次も我が国の民族意識と保守思想を捨てる。山岡賢次のブログ上から「義父山岡荘八の言葉が消えた時」山岡賢次は完全な虎になる。人間であった感覚と観念を失ったといえるのではないか。
(山岡賢次はどこに行く?)
現在の親分である小沢一郎を「コケにする発言」は、山岡賢次の自慰行為であろう。自己の精神をごまかすための「心理的合理化」なのであろう。「保守を裏切った自分に対する」、いな「心の師である義父山岡荘八を裏切った自分」に対する自傷行為というべきかもしれぬ。人間というのは「他人を騙す」ことはできても、自分自身を騙すことはできない。無理やり自分を騙していると「虎に変じる」から油断できない。山岡賢次が「小沢一郎を小馬鹿にした」のは「小沢から離反したい」という深層心理が動き始めたということかもしれぬ。つまり「思わず口から出てしまった」ということかもしれぬ。普段は意識下に封じ込めていたものが、政界再編の動きが目立つようになったから抑制がきかなくなったのかもしれぬ。だから「いい損ない」とか「思わず口から出た言葉」というのは深層心理を判断する上で貴重な情報なのだ。
山岡賢次が小沢一郎から離反して、二階俊博や小池百合子の如く、自民党に復党する可能性は大いにあり得る。義父山岡荘八の遺訓を尊ぶならば、そうなるほかはない。その時期は、次回の政界再編の時期となろう。だが、「毒食わば皿まで」ということで、民主党左派と一緒に中国詣でを繰り返すならば、おそらく「完璧な虎」になるだろう。後戻りができなくなる。どうなるか?興味を持って、民主党山岡賢次国対委員長の今後を注視してみたい。