中華文明はワールド・スタンダードに挑戦する
【寄稿】「中華文明はワールド・スタンダードに挑戦する」
ペンネーム:知床遙かなり
現在、チベット問題をきっかけに世界中で中国への非難が
高まり、聖火リレーを始めとしてオリンピックそのものへの
抗議が続いている。
言うまでもないが、中国政府にオリンピックを主催する資格は
無い。大会憲章にも銘記されているように、オリンピックは
平和の祭典である。片方の手で聖火 を持ち、片方の手で
銃剣を突きつける姿勢に世界の人々が反感を覚えるのは
当然である。
しかし、これに反発するように、中国国内や世界の華僑社会
では中華ナショナリズムが沸騰している。国家の威信をかけ
たオリンピックを汚す者は、例えそれ が欧米諸国や日本で
あっても許さない。そこには中華文明の宿阿とも言うべき自己
絶対正義の世界観が存在する。
そもそも中華文明とは政治・経済・文化のあらゆる面で覇権を
となえ、周辺諸国にその恩恵を享受させ、服従を強いるのが
特徴である(華夷秩序という)。中 国人民は常に外敵・
天災・飢饉といった脅威に曝され、自らの生存のためにこれ
らの覇業を成就してくれる英雄を求めてきた。英雄には君主
(皇帝)という称 号が与えられ、その権威は王朝によって引き
継がれるのである。逆に、覇業を成就できない君主は人民に
よって粛正され、新たな英雄に取って代わられる
(易 姓革命という)。そうした意味で、中華ナショナリズムとは
人民の文明に対する思い入れであり、文明を実践してくれる
王朝(現在は中華人民共和国)への忠 誠といえる。
幾億の人民を一つの国家の下に統率するには巨大な権力
機構が必要であり、その権力が脅かされないよう、国家は
人民を常に監視する必要がある。皮肉なこと だが、人民から
与えられた権力でありながら人民を抑圧しなければならない
自己矛盾を抱えている。
つまり、中華文明には人権という意識が欠落している。
当 然ながら、反体制勢力・少数民族に対する弾圧は苛烈を
極め、それがチベットの犠牲を生んでいるのである。
指導者だけではなく中華文明の覇権を望む人民にとって、
そうした犠牲は取るに足らないといえよう。
覇業成就こそが中華文明の自己絶対正義なのである。
例 え諸外国が非難しようが、耳を貸そうとはしない。
中国政府は情報を統制し、大衆を煽動して言論空間を狭め、
自らの権力基盤を強化しようとさえしている。
現在、中国国内で吹き荒れている反欧米デモは、そうした
中華文明の本能が噴した結果なのである。
過去の欧米列強・大日本帝国による蹂躙を乗り越え、中 華
文明の復権を果たすことが最終目標なのである。
オリンピックはその手段に過ぎないといってもよいだろう。逆に、
オリンピックの失敗は権威の失墜を意味 し、中国政府が
諸外国の動向に神経質になるのは当然かもしれない。
覇権の成就はまさにこのイベントにかかっているのである。
もっとも、そのためには先進国を始めとする諸外国の協力が
不可欠であるというパラドックスを、中国政府は身を以て感じ
ているはずである。
以上述べてきたように、
中華文明の覇権主義は世界にとって脅威である。
ワールド・スタンダードに対する挑戦といっても良いが、それは
あらゆる方面に現れ ている。台湾に対する政治的・軍事的
威嚇、靖国神社や尖閣諸島に対する不当な要求、
ミャンマー・スーダン・ジンバブエといった独裁国家への支援、
資源確 保のための形振り構わぬ金銭外交、人民元の不正
為替操作、環境破壊、汚染食品の輸出など、数えれば
きりがない。
こうした脅威に立ち向かうため、我々に与えられた有効な
武器とは何か。それこそが自由・人権・民主主義の原則で
ある。寛容と互恵の精神を以て言論空間を 確保し、政治に
透明性を持たせ、公明正大な姿勢を以て諸外国と連携し、
常に中華文明に対する警戒を怠らないことである。
自由・人権・民主主義の原則は中 華文明にとって決して受け
容れられない代物であり、そうした意味で我々は中華文明を
牽制できる。
オリンピック開催が決まった当初、経済成長に伴って中国も
やがて民主化するだろうという期待感は存在した。
しかし、そろそろそうした幻想を捨てねばなる まい。
彼らの文明の本質は悠久の時を経ても不変である。
それを見極められれば、おのずと進むべき道は定まるのである。
北海道に台湾領事館を!日台友好万歳!
『台湾の声』