メキシコは乗っ取られる恐怖で外国人参政権 NO!
ようちゃん、おすすめ記事。↓クライン孝子の日記
■2008/04/27 (日) メキシコは乗っ取られる恐怖で外国人参政権 NO!
■2008/04/27 (日) 日本の若者たちは世界のお手本となったが・・・
対馬沖が、38度線になる
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=338
ネパール共産党毛沢東派議長、国王の自主的退位を要求
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080419-OYT1T00567.htm
中国共産党「日本解放第二期工作要綱」によると
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokuminshinbun/S47/4708/470801china.html
2-2.
B.テレビのニュース速報、実況報道の利用価値は極めて高い。
画面は真実を伝えるものではなく、作るものである。
目的意識を持って画面を構成せねばならない。
3-4.対自民党工作
A.基本方針 自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる。
B.手段 自民党内派閥の対立を激化せしめる
4-1.対極右(筆者註:ここでは保守をも含むと推察する)団体工作
1)国会議員の過半数を工作組の掌握下に置き、国会での首班指名選挙
で、我が方の望む人物を選出させ、連合政府を成立させることは
合法行為で可能である。
2)マスコミは右の工作が順調に進むよう、背後に隠れ全面的に支援
する。以上の分析に従えば、対策は自ずから決まってくる。
極右(+保守)団体の大同団結、乃至は連携工作を絶対に実現せしめてはならない。凡ゆる離間、中傷工作を行って、彼等の感情的対立、 利害の衝突を激化させねばならぬ
■2008/04/27 (日) 日本の若者たちは世界のお手本となったが・・・
対馬沖が、38度線になる
http://
ネパール共産党毛沢東派議長、国王の自主的退位を要求
http://
中国共産党「日本解放第二期工作要綱」によると
http://
2-2.
B.テレビのニュース速報、実況報道の利用価値は極めて高い。
画面は真実を伝えるものではなく、作るものである。
目的意識を持って画面を構成せねばならない。
3-4.対自民党工作
A.基本方針 自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる。
B.手段 自民党内派閥の対立を激化せしめる
4-1.対極右(筆者註:ここでは保守をも含むと推察する)団体工作
1)国会議員の過半数を工作組の掌握下に置き、国会での首班指名選挙
で、我が方の望む人物を選出させ、連合政府を成立させることは
合法行為で可能である。
2)マスコミは右の工作が順調に進むよう、背後に隠れ全面的に支援
する。以上の分析に従えば、対策は自ずから決まってくる。
極右(+保守)団体の大同団結、乃至は連携工作を絶対に実現せしめてはならない。凡ゆる離間、中傷工作を行って、彼等の感情的対立、 利害の衝突を激化させねばならぬ
最近の実に巧妙な外国人地方参政権付与での保守取り込み工作はその延長線上にあり、彼ら中国+朝鮮半島人にとって総仕上げであり、一方、日本人にとっては最後の砦と思います
そこで、森嶋氏から<<いつも大局的な世界観をもつために参考にさせて頂いております。
閑話休題
メキシコに在住30年となりますがメキシコに住み着いた当初、永住権を取得しても選挙権がない(参政権)ことに何故であろうと考えてみたことがあります。結果として「外国人にのっとられるではないか」という論理に達しました。また、帰化しても孫の代までは(3代目までは)大統領に立候補できません。これらは移民が多い国として当然の主権保護の考えがあるからだと思います。
日本のごとく島国で移民がほぼ無かった背景では、このような危機感も醸成されなかったのかもと考えます。それにしても日本は余りにも危機感覚がなさ過ぎる。これでは経済活動を終えて老後日本に帰れるか心配です。帰るたびに日本の自然や古来の伝統文化を見直しておる輩としてはです。
森島節朗>>
■2008/04/27 (日) 日本の若者たちは世界のお手本となったが・・・
国境なき記者団、日本の民主的な対応を称賛
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/140886/
聖火一過、隊列通って店開き…「ネット市民」ら感想文も
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/news/topic/national/news/20080426-OYT1T00933.htm
上記の如く
日本の若者たちは世界のお手本となりましたが、その一方で、一瞬日本は赤旗=中国に占領されてしまったのではないかという錯覚に陥りました。。同時に数年先の日本の運命を暗示しているようで、愕然として しまいました!以下
信州の静寂を切り裂く、二つのシュプレヒコール
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/04/html/d90795.html
<<五輪のトーチ・リレーが行われたこの日、在留チベット人団体などの推計によると、中国大使館側は日本全国の留学生など2000人余りを動員、
やや遅れて東京方面から到着した在留チベット人の友好団体らは、沿道に繰り出してこれを埋め尽くした紅旗と耳をつんざくような「中国、加油(チョングオ・ジャーヨ(中国、頑張れ)」の人海戦術の中を少数で進む形となった。
数で圧倒する「紅旗隊」は、正午頃にリレーが終わると続々と東口の大通りに集結、待ち構えていたバンに乗り込むと整斉とひきあげた>>
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そこで、森嶋氏から<<いつも大局的な世界観をもつために参考にさせて頂いております。
閑話休題
メキシコに在住30年となりますがメキシコに住み着いた当初、永住権を取得しても選挙権がない(参政権)ことに何故であろうと考えてみたことがあります。結果として「外国人にのっとられるではないか」という論理に達しました。また、帰化しても孫の代までは(3代目までは)大統領に立候補できません。これらは移民が多い国として当然の主権保護の考えがあるからだと思います。
日本のごとく島国で移民がほぼ無かった背景では、このような危機感も醸成されなかったのかもと考えます。それにしても日本は余りにも危機感覚がなさ過ぎる。これでは経済活動を終えて老後日本に帰れるか心配です。帰るたびに日本の自然や古来の伝統文化を見直しておる輩としてはです。
森島節朗>>
■2008/04/27 (日) 日本の若者たちは世界のお手本となったが・・・
国境なき記者団、日本の民主的な対応を称賛
http://
聖火一過、隊列通って店開き…「ネット市民」ら感想文も
http://
上記の如く
日本の若者たちは世界のお手本となりましたが、その一方で、一瞬日本は赤旗=中国に占領されてしまったのではないかという錯覚に陥りました。。同時に数年先の日本の運命を暗示しているようで、愕然として しまいました!以下
信州の静寂を切り裂く、二つのシュプレヒコール
http://
<<五輪のトーチ・リレーが行われたこの日、在留チベット人団体などの推計によると、中国大使館側は日本全国の留学生など2000人余りを動員、
やや遅れて東京方面から到着した在留チベット人の友好団体らは、沿道に繰り出してこれを埋め尽くした紅旗と耳をつんざくような「中国、加油(チョングオ・ジャーヨ(中国、頑張れ)」の人海戦術の中を少数で進む形となった。
数で圧倒する「紅旗隊」は、正午頃にリレーが終わると続々と東口の大通りに集結、待ち構えていたバンに乗り込むと整斉とひきあげた>>
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1 ダライラマの政治家としての無能さ
ニューヨークタイムスが、ダライラマの元首としての、つまりは政治家としての無能さを指摘する論説を掲げました。要旨次の通り。ダライラマが1959年にインドに亡命した時、彼はガンジーの非暴力主義的抵抗を行うと宣言した。しかし、実際には非暴力主義を唱えるだけでガンジーの行った塩の行進(Salt March)や断食といった「抵抗」に相当することは何もやらなかった。より問題なのは、1980年代終わりからは彼がハリウッドと提携して欧米でチベット支援運動を煽り立てる戦略を採用したことだ。(ソ連とは全く違って)中共は、その結果一層ナショナリスティックとなり排外主義的となった。米国はダライラマのこの戦略に乗せられて愚行を繰り返している。1987年に訪米したダライラマに米議会要人達が会い、ダライラマの対中提案の説明を聞いたが、このことを非難した中共の国営TV放送を見たチベット人達は、世界の覇権国たる米国政府がダライラマを支援することを決めたと受け取り、ラサで中共当局に対する抗議行動が始まった。当局は戒厳令の施行でこれに応えた。やがて1989年に騒擾が起こり、在チベット中国共産党書記の胡錦涛が容赦なくこれを弾圧した。
昨2007年10月には米議会は最高勲章をダライラマに授与した。インターネットでこれを見たチベットの僧侶達は、米国政府がついにチベット問題を最優先でとりあげることになったと受け止めて喜び、爆竹を鳴らす等大騒ぎをしたため、彼らは逮捕された。今月起こったデモはこれらの僧侶達の釈放を求めて始まったものだ。それが急速に抗議行動へと転化して行った。このように二度にわたって米国はダライラマ支援のジェスチャーをしてチベットの人々を惑わしたが、これらは単に米議会の要人達が米国内向けに演じた自己満足的行為に他ならなかったのだ。ダライラマは、もう10年も前にこの戦略を撤回し、中共当局との内々の交渉だけの路線に切り替えるべきだったのにいまだにそうしていない。これに関連し、チベット自治区だけでなく、その他のチベット人地区を含めた自治を求めてきたことも撤回すべきなのにやはり撤回していない。しかし、もはや遅すぎるのかも知れない。チベット亡命政府よりも、欧米でのチベット支援団体の方が強力になってしまい、前者は後者に振り回される状況になってしまったからだ。人民解放軍がチベットに侵攻した1950年以降にチベット人120万人が殺されたというウソを流布させたのもこれら支援団体なのだ。 中共当局が、ダライラマ一味が今回の騒擾の糸を引いているというのは、これらチベット支援団体まで勘定に入れれば、恐らく正しい。
2 中共当局によるチベット仏教弾圧史
英BBCによる中共当局によるチベット仏教弾圧史の要旨は次の通りです。
1959年にラサで反支那・反中国共産党デモが起きると、人民解放軍がこれを弾圧し、ラサの三つの主要僧院は砲撃されて大損害を受けた。ダライラマは亡命し、亡命政府を樹立し、この亡命政府はチベット人8万6,000人が殺されたと推定した。10年も経たないうちに毛沢東によって文化大革命が開始され、紅衛兵達がチベットに乗り込み、6,000以上の僧院と女僧院が破壊され、残ったのは10に満たなかった。また、この過程で何千もの仏像、仏画、経典等が破壊された。1985年にはチベット仏教においてダライラマに次ぐ活仏であるとされるパンチェンラマの生まれ変わりとしてダライラマによって指名された6歳の子供(Gedhun Choekyi Nyima)とその家族が恐らくは中共当局によって拉致されるとともに、中共当局によって、両親が共産党員のチベット人の6歳の子供(GyaltsenNorbu)がパンチェンラマの生まれ変わりとして選ばれ、北京に連れて行かれてそこでほとんど人前に出ることなく生活を送っている。チベットのほとんどの僧侶達は彼を偽パンチェンラマとみなしているが、一般大衆はパンチェンラマとして尊敬している。 1980年代からは中共当局は僧院の再建を開始しており、チベット仏教への統制も緩和してきている。とはいえ、すべての僧院と女僧院は一ヶ月に1~2回、共産党幹部によって法令遵守の有無をチェックされるし、僧侶になろうとすると、家族を含め、思想調査が中共当局によって行われる。僧侶の数も少数に制限されている。
3 チベット人の反資本主義性向
英ガーディアンが掲載したチベット人の反資本主義性向についての論考の要旨は次の通りです。今回のチベットでの騒擾を、中共当局による宗教的弾圧の産物ととらえてはならない。 文化大革命収束以降、中共当局は、破壊された僧院の再建等チベットをチベット仏教のメッカとして「売り出す」政策を追求してきた。漢人の間でも、金銭的成功によって心が充たされない人々の中から、チベット仏教に惹かれたり信者になったりする者がかなり出てきた。また、中共当局からの潤沢な補助金や年間100万人を超える観光客によてこのところチベットは中共全体の経済成長率を超える高度成長を続けている。
青海省とチベット自治区を結ぶ鉄道も建設された。ところが、チベットが豊かになればなるほど、チベット人の分離主義傾向は強まって行った。豊かになれば人々は体制変革を望まなくなるというトウ小平の考え方は、漢人にはあてはまったが、チベット人にはあてはまらなかったわけだ。中共の経済発展戦略は都市を優先的に発展させるというものだが、これは経済的格差を拡大し、遊牧的生活様式等のチベットの伝統を危機に陥らせた。チベット人は気質的にも大量消費的、都会的生活、近代的生活を好まないし、その準備も不足している。ダライラマは、このようなチベット人が慈しんでいるところの、危機に瀕しているアイデンティティーを象徴する存在であるとチベット人によってとらえられているのだ。このままでは、米国人の西方進出に伴って、インディアンが西部の狭い居住地に押し込められて、劣等人種として蔑まれつつ、観光客にカネを恵んでもらって生きている状況に、(漢人の西方進出に伴って)自分達も陥ってしまうという危機意識をチベット人は抱いているのだ。
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1 ダライラマの政治家としての無能さ
ニューヨークタイムスが、ダライラマの元首としての、つまりは政治家としての無能さを指摘する論説を掲げました。要旨次の通り。ダライラマが1959年にインドに亡命した時、彼はガンジーの非暴力主義的抵抗を行うと宣言した。しかし、実際には非暴力主義を唱えるだけでガンジーの行った塩の行進(Salt March)や断食といった「抵抗」に相当することは何もやらなかった。より問題なのは、1980年代終わりからは彼がハリウッドと提携して欧米でチベット支援運動を煽り立てる戦略を採用したことだ。(ソ連とは全く違って)中共は、その結果一層ナショナリスティックとなり排外主義的となった。米国はダライラマのこの戦略に乗せられて愚行を繰り返している。1987年に訪米したダライラマに米議会要人達が会い、ダライラマの対中提案の説明を聞いたが、このことを非難した中共の国営TV放送を見たチベット人達は、世界の覇権国たる米国政府がダライラマを支援することを決めたと受け取り、ラサで中共当局に対する抗議行動が始まった。当局は戒厳令の施行でこれに応えた。やがて1989年に騒擾が起こり、在チベット中国共産党書記の胡錦涛が容赦なくこれを弾圧した。
昨2007年10月には米議会は最高勲章をダライラマに授与した。インターネットでこれを見たチベットの僧侶達は、米国政府がついにチベット問題を最優先でとりあげることになったと受け止めて喜び、爆竹を鳴らす等大騒ぎをしたため、彼らは逮捕された。今月起こったデモはこれらの僧侶達の釈放を求めて始まったものだ。それが急速に抗議行動へと転化して行った。このように二度にわたって米国はダライラマ支援のジェスチャーをしてチベットの人々を惑わしたが、これらは単に米議会の要人達が米国内向けに演じた自己満足的行為に他ならなかったのだ。ダライラマは、もう10年も前にこの戦略を撤回し、中共当局との内々の交渉だけの路線に切り替えるべきだったのにいまだにそうしていない。これに関連し、チベット自治区だけでなく、その他のチベット人地区を含めた自治を求めてきたことも撤回すべきなのにやはり撤回していない。しかし、もはや遅すぎるのかも知れない。チベット亡命政府よりも、欧米でのチベット支援団体の方が強力になってしまい、前者は後者に振り回される状況になってしまったからだ。人民解放軍がチベットに侵攻した1950年以降にチベット人120万人が殺されたというウソを流布させたのもこれら支援団体なのだ。 中共当局が、ダライラマ一味が今回の騒擾の糸を引いているというのは、これらチベット支援団体まで勘定に入れれば、恐らく正しい。
2 中共当局によるチベット仏教弾圧史
英BBCによる中共当局によるチベット仏教弾圧史の要旨は次の通りです。
1959年にラサで反支那・反中国共産党デモが起きると、人民解放軍がこれを弾圧し、ラサの三つの主要僧院は砲撃されて大損害を受けた。ダライラマは亡命し、亡命政府を樹立し、この亡命政府はチベット人8万6,000人が殺されたと推定した。10年も経たないうちに毛沢東によって文化大革命が開始され、紅衛兵達がチベットに乗り込み、6,000以上の僧院と女僧院が破壊され、残ったのは10に満たなかった。また、この過程で何千もの仏像、仏画、経典等が破壊された。1985年にはチベット仏教においてダライラマに次ぐ活仏であるとされるパンチェンラマの生まれ変わりとしてダライラマによって指名された6歳の子供(Gedhun Choekyi Nyima)とその家族が恐らくは中共当局によって拉致されるとともに、中共当局によって、両親が共産党員のチベット人の6歳の子供(GyaltsenNorbu)がパンチェンラマの生まれ変わりとして選ばれ、北京に連れて行かれてそこでほとんど人前に出ることなく生活を送っている。チベットのほとんどの僧侶達は彼を偽パンチェンラマとみなしているが、一般大衆はパンチェンラマとして尊敬している。 1980年代からは中共当局は僧院の再建を開始しており、チベット仏教への統制も緩和してきている。とはいえ、すべての僧院と女僧院は一ヶ月に1~2回、共産党幹部によって法令遵守の有無をチェックされるし、僧侶になろうとすると、家族を含め、思想調査が中共当局によって行われる。僧侶の数も少数に制限されている。
3 チベット人の反資本主義性向
英ガーディアンが掲載したチベット人の反資本主義性向についての論考の要旨は次の通りです。今回のチベットでの騒擾を、中共当局による宗教的弾圧の産物ととらえてはならない。 文化大革命収束以降、中共当局は、破壊された僧院の再建等チベットをチベット仏教のメッカとして「売り出す」政策を追求してきた。漢人の間でも、金銭的成功によって心が充たされない人々の中から、チベット仏教に惹かれたり信者になったりする者がかなり出てきた。また、中共当局からの潤沢な補助金や年間100万人を超える観光客によてこのところチベットは中共全体の経済成長率を超える高度成長を続けている。
青海省とチベット自治区を結ぶ鉄道も建設された。ところが、チベットが豊かになればなるほど、チベット人の分離主義傾向は強まって行った。豊かになれば人々は体制変革を望まなくなるというトウ小平の考え方は、漢人にはあてはまったが、チベット人にはあてはまらなかったわけだ。中共の経済発展戦略は都市を優先的に発展させるというものだが、これは経済的格差を拡大し、遊牧的生活様式等のチベットの伝統を危機に陥らせた。チベット人は気質的にも大量消費的、都会的生活、近代的生活を好まないし、その準備も不足している。ダライラマは、このようなチベット人が慈しんでいるところの、危機に瀕しているアイデンティティーを象徴する存在であるとチベット人によってとらえられているのだ。このままでは、米国人の西方進出に伴って、インディアンが西部の狭い居住地に押し込められて、劣等人種として蔑まれつつ、観光客にカネを恵んでもらって生きている状況に、(漢人の西方進出に伴って)自分達も陥ってしまうという危機意識をチベット人は抱いているのだ。
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日本のお姉さんの意見。↓
「1950年以降にチベット人120万人が殺されたというウソを流布」って、
「1950年以降にチベット人120万人が殺されたというウソを流布」って、
120万人殺されたのはウソなのか?
ウソといわれてもにわかには信じがたい。
120万人でなくても、20万人以上は軽く殺されているだろう。
1959年の漢人の軍隊の一度の攻撃で8万6000人は、
確実に殺されているし、コキントウも、大勢チベット人を大勢
殺している。
今回も140人は殺されている。死者の名簿もあるのだ。
現在も1300人が拘束されている。彼らは裁判で裁かれて
死刑にされたり、禁固刑にあったりするはずだ。今だって、
拷問されて傷が元で死んだりしているはずだ。餓死した僧侶も
出ている。120万人ではなくても、かなりのチベット人が
殺されているのだ。
チュウゴク人はいつも、都合のいいときは事実よりも多めに
数字を操るし、都合が悪ければ少なく言うから、
チュウゴク人もチベット人も、どちらの数字も最初から100%は
信用していません。
でも、外国にに亡命しようと雪の山道を歩くチベット人僧侶たちを
遠くから、鹿狩りのように狙って撃ち殺した現場を外国人が
録画しています。
チウゴク軍はそんなことを「毎日」してきたんだから、もしかすると
合計120万人殺されているのかもしれない。
ダライラマを責めても何にもならない。
チベット人は、どうせじっとしていても、漢人に消滅されるのは
間違いないのだから、漢人にプロテスト(抵抗)するしかないでしょう。
アメリカの黒人も、プロテスト(抵抗)して、今の地位を獲得して
きたんだ。昨日、DVDで、「ヘアースプレイ」を観たが、
黒人たちもほんのちょっと昔までは白人に差別されて大変だったのだ。
インディアンは、プロテストしたけど弓矢で白人に戦っても
勝つわけが無く、移住区に押し込められて細々と生きていると
いうわけだ。昔のことだから仕方が無いとしても、
チュウゴクは、2008年の今でもチベット人を銃で殺していますから、
共産国の漢人たちは人類の成長ぐあいとは、かなり遅れている
民族なんだと思う。少数民族を簡単に殺すのは、世界の流れとは
逆行している。漢人は、空気が読めないのだ。オリンピックを
しようという国が、チベット人に化けてチベット人のデモに
もぐりこんで暴動を大きくして、それを理由にチベット人を
140人も殺したら、そりゃあ、目立つわ!
それに、青ジャージ軍団が各国でランナーや周りの人間に
偉そうに押しのけたり、細かい指示をしていたことや、
日本の長野にチュウゴク人たちが赤い旗を振って
長野をチュウゴクの景色に変えたことは、
日本人の反感を買った。
日本人が、チュウゴク人は危険な民族だと気が付くきかっけに
なった。なにしろ彼らは反日教育を受けているから、日本に来て
いても、日本が好きではないのだ。それでも、日本に残ろうと
必死で就職活動をするし、毎年2000人の留学生と就学生が
日本に来ているが、その3分の1は、日本で就職しているのだ。
そして、簡単に日本に帰化する。帰化した瞬間に香港に行って
事業を始める。だから日本人のくせに日本語の発音がおかしい
日本人がチュウゴクでビジネスマンとして活躍している。
たどたどしい日本語をしゃべる日本人が増えたと、現地の人が
言っていたのを聞いたのだから本当ですよ。
毎年800人あまりの外国人の学生が卒業後、日本で就職するが
そのうち、600人以上はチュウゴク人ですよ。
しかも、彼らは心の中は、反日ですよ。日ごろ、おとなしく
日本の企業でしているが、ちょっと話が彼らの気に入らない
歴史の話に触れると、急に別人のようになって激しく同僚に食って
掛かかるので、込み入った話ができないそうです。
そのときのチュウゴク人の目には怒りと殺意が表れていて
マジ恐いそうです。幼稚園児の時から反日教育で育っているから
骨の髄まで反日なのです。そんなチュウゴク人を大量に日本に
入れてどんどん家族も日本に受け入れさせている日本は愚かだ。
反日チュウゴク人を日本に増やしてどうする。自殺行為だ。