頂門の一針 米国の対日台湾戦略  アンディ・チャン | 日本のお姉さん

頂門の一針 米国の対日台湾戦略  アンディ・チャン

米国の対日台湾戦略
━━━━━━━━━アンディ・チャン

●アメリカの日本戦略
戦後の日本は独立国家として復活した。しかし自国の防衛権は与えられなかった。自衛隊を作るのは賛成、自衛隊がアメリカの武器を買うのは 大賛成だが、武器を行使する権利は憲法で押さえて、国家の権力が半分 しかない状況である。

日本の安全は日米安保条約でカバーしているが、安保条約は日本が自衛権を持つこととは別である。それでも日本は憲法改正が出来ない。学校で国家を歌うことも出来ないし、首相が靖国参拝することも出来ない。四島返還、尖閣諸島、竹島問題でも自衛隊を使って自国領土の防衛を行使できない。つまりアメリカは日本が経済発展を遂げても、日本が自衛能力を持つことに反対しているのだ。そして日本の外交部はいまでも「過去の戦争と侵略の原罪」を背負い続けているのだ。自衛権がないから国連に多額な献金をしても常任理事国になれないのである。

●台湾はアメリカの暫定占領地区である
しかし、アメリカの不合理や人権蹂躙を糾弾する前に、台湾がアメリカ の暫定占領地区である事実は変っていないことを知るべきである。
ワイルダー(米国務省高官)の発言で、中華民国は存在しないし、台湾 は国ではない、中国の領土ではないという。つまりアメリカは暫定占領 地区として保有している台湾澎湖の権原を放棄していないのである。
日本が降伏文書に署名した1945年9月2日、マッカーサー連合国最高司 令官は、一般命令第一号を布告し、アジア各地に存在していた日本軍に 対して、降伏すべき相手を指定した。

満洲や北朝鮮38度線以北の日本軍はソビエト極東軍最高司令官に;満洲 を除く支那、台湾、北緯16度以北のフランス領インドシナの日本軍は蒋 介石に;そして日本本土と北緯38度以南の朝鮮、琉球諸島、フィリピン 諸島の日本軍はアメリカ太平洋陸軍部隊最高司令官に降伏することを命 じられた。ところが台湾澎湖を占領した蒋介石は、カイロ宣言とポツダム宣言を根拠として台湾は中華民国の領土になったと宣言した。カイロ宣言もポツダム宣言も占領した領土を自国領とする法的権原はない。

1951年に締結されたサンフランシスコ条約で日本は台湾澎湖に対する権 原を放棄したが、台湾澎湖の帰属は明記していない。つまりアメリカの暫定占領地区であることは確実なのである。当時のアメリカは反共産主義で、スターリンと毛沢東に反対だったから蒋介石の台湾占領を黙認し、台湾の法的地位をアイマイにしただけである。

●アメリカ抜きで台湾独立はやれない
アメリカは日本、台湾を手放さない。台湾は国際法の解釈から見て既に 台湾国であるべきだが、アメリカがそれを許さないのである。
アメリカの暫定領土で、中国の領土ではないから中国が台湾に対し武力 行使は出来ない。中国が台湾を併呑する法的根拠はないのである。
アメリカの許可なしに台湾が独立することは出来ない。陳水扁はアメリ カに逆らって中華民国を台湾国に変えようとして失敗した。アメリカ抜 きで独立するのは無理である。

だが狡猾な中国の戦略はアメリカの法的根拠を覆す手段を持っている。
馬英九が当選してこれから推進する、経済と訪台の解禁により、台湾を 内部から中国化していくことである。アメリカが台湾の将来は平和的な話し合いで決めると宣言しても、台湾内部に中国人が増えて、経済的に中国依存が深まると台湾は「民主的に併呑」されてしまう。

●どうする台湾?
これまで独立運動を続けてきた諸氏は台湾独立を民衆運動と思い、台湾 アイデンティティの発揚に一生懸命になってきた。しかし四十数年運動 を続けても人民は同調せず、民進党が中華民国から独立する可能性は民 衆の支持がないことも明らかになった。アメリカの後押しがなければ台 湾の独立はできない。アメリカの暫定占領領土と言ってもアメリカ領に編入することではない。国際法によればアメリカが占領地区を併合することは出来ないのである。


沖縄の帰属と同じく、アメリカが占領していた地区でも最終的に住民自 決で日本へ返還した。アメリカは沖縄独立を望んでいたが仕方がなかっ た。同じように台湾の将来はアメリカが主張する中国と話し合いで決め るのではなく、アメリカが「台湾の法的地位はアメリカが握っている」 と承認すれば住民自決が可能になるのである。

台湾人はアメリカと敵対してはならない、アメリカが過去の曖昧政策を やめて、住民投票で台湾の独立を決めるように運動する。それを推進するには民進党に過去の路線を変更させ、独立運動の諸派が一体となってアメリカに働きかけるべきである。台湾人の団結が先決なのである。これまでの独立運動はバラバラで各派が勝手な主張を繰り返してきたため進歩が見られなかった。独立するためには団結してアメリカの説得から始めるべきなのである。

アメリカが曖昧政策を棄てて台湾人民の自決権を容認すれば中国の圧力 はなくなり、住民自決で独立が果たせる。しかし国民党政権のもとで中国同化が進めば住民自決で独立を果たすことは出来なくなる。ここ数年が大切であることをアメリカは知るべきで、これをアメリカに説得するのがわれわれの任務である。(在米台湾人 地球物理学者)部分転載。
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広島原爆500倍の放射能
━━━━━━━━━━渡部亮次郎

チェルノブイリ原子力発電所事故は、22年前の1986年4月26日1時23分
(モスクワ時間)にソビエト連邦(現 ウクライナ)のチェルノブイリ原
子力発電所4号炉が起こした原子力事故。

4号炉はメルトダウンののち爆発し、放射性降下物がウクライナ・ベラル
ーシ・ロシアなどを汚染した。事故後のソ連政府の対応の遅れなどが重
なり被害が甚大化・広範化し、史上最悪の原子力事故となった。この規模の原発事故は前例がなく、世界の原子力開発で史上最悪の事故といわれている。

長期的な死者数は、事故の放射線被曝とガンや白血病との因果関係を直
接的に証明する手段はなく、科学的見地から根拠のある数字というのは
示されておらず、数百人とも数十万人とも言われる。

2000年4月26日の14周年追悼式典での発表によると、ロシアの事故処理従
事者86万人中5万5千人が既に死亡した。ウクライナ国内(人口5千万)の
国内被曝者総数342・7万人の内、作業員は86・9%が病気にかかっている。周辺住民の幼児・小児などの甲状腺癌の発生が高くなった。

当時、爆発した4号炉は休止中であった。原子炉が止まった際に備えた実
験を行っていたところ、制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したとされ
る。この爆発により、原子炉内の放射性物質が大気中に大量に(推定10t
前後)放出された。その放出量は莫大であり、かつて広島に投下された原子爆弾の500倍とも言われている。

当初、ソビエト連邦政府は住民のパニックや機密漏洩を恐れこの事故を
公表しなかった。そのため、何も知らない付近住民は避難もさせられな
いまま甚大な量の放射線をまともに浴びることになってしまった。

しかし翌4月27日、スウェーデンのフォルスマルク原子力発電所でこの事
故が原因の放射性物質が検出され、4月28日、ソビエトも事故の公表に踏
み切った。日本でも、5月3日に雨水中から放射性物質が確認された。

爆発後も火災は続き、消火活動が続いた。アメリカの軍事衛星からも、
核の火に赤く燃える原子炉中心部の様子が観察されたという。ソビエト
政府によれば、5月6日までに大規模な放射性物質の漏出は終わったとさ
れる。死者はソビエト政府の発表では運転員・消防士合わせて31名だが、事故の処理にあたった予備兵・軍人、トンネルの掘削を行った炭鉱労働者に多数の死者が確認されている。

事故によりチェルノブイリ周辺は高濃度の放射性物質による汚染により
居住が不可能になり、約16万人が移住を余儀なくされた。避難は4月27日
から5月6日にかけて行われた。

ソ連の発表によると、事故から1ヶ月後に原発から30km以内に居住する
約11万6千人すべてが移住したという。しかし、老人などの中には生まれ
た地を離れるのを望まなかった人もおり、このような一部の人は移住せ
ずに生活を続けた。

爆発した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、のべ80万人の労働者
が動員された。4号炉を封じ込めるための構造物は石棺(せっかん)と呼ば
れている。事故後、この地で小児甲状腺癌などの放射線由来と考えられる病気が急増しているという調査結果もある。爆発事故による放射性物質による汚染は、付近のウクライナだけでなく、隣のベラルーシ、ロシアも多かった。

事故の原因については炉の特性による予期せぬ事態の発生と、作業員の
不適切な対応が災いし、不安定状態から暴走に至り、最終的に爆発した。当初ソビエト政府は、事故は運転員の操作ミスによるものとしたが、のちの調査結果などはこれを覆すものが多い。重要な安全装置の操作が、運転員の判断だけで行われたとは考えにくく、実験の指揮者の判断が大きかっただろうと考えられる。

爆発時、炉心内部の放射性物質は推定10t前後大気中に放出され、北半球
全域に拡散した。周辺地域の家畜に放射性物質が蓄積され、肉、ミルク
等も汚染された。日本では、この事故をきっかけに原子力発電そのものに対する一般市民の不安が急増した。このため、政府は、日本の原子炉はアメリカ型で、事故を起こしたソビエト型とは構造が異なり、同様の事故は起きないという説明を行った。2008・04・23
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良貨が悪貨の駆逐を
━━━━━━━━━古澤 襄

今の国会をみていると救いがたい政争猿の合戦模様だが、それでも捨て
たものではないと思い直している。超党派で新しい動きが出ている。

自社対決の救いがたい政争を60年安保以降、たっぷり見てきたが、その
中でも江田三郎、成田知巳氏らの新しい革新の模索があった。保守の側
でも田中秀征氏ら新党さきがけの動きがあったが、政治の世界は良貨が
悪貨に駆逐されるものなのだろうか?

だが国家の基本である安全保障政策だけは、政権交代があっても根底か
ら覆ることがあってはならない。それが覆る時は政権交代ではなく国家
体制を変える革命になる。

その安全保障体制について3年ぶりに超党派の「新世紀の安全保障体制
を確立する若手議員の会」が23日に衆院第2議員会館で開かれた。

代表幹事には、自民党の中谷元・元防衛庁長官、民主党の前原誠司副代
表、公明党の上田勇氏が就任し、3党を中心に約110が名を連ねている。

政争猿たちは「新党工作だ!政界再編だ!」というのだろうが、視野の
狭いことを言うものではない。国民の方が猿山合戦には飽き飽きしてい
る。今度こそは良貨が悪貨をトコトン駆逐してほしい。

<安全保障分野の法制充実を訴える超党派の議員連盟「新世紀の安全保
障体制を確立する若手議員の会」が23日、約3年ぶりに活動を再開した。

今後、週1回のペースで会合を重ね、自衛隊の海外派遣を随時可能にす
る恒久法について、今秋にも独自の法案骨子を取りまとめる考えだ。

代表幹事には、自民党の中谷元・元防衛庁長官、民主党の前原誠司副代
表、公明党の上田勇氏が就任し、同会には3党を中心に約110人が名を連
ねた。

同会は2001年11月に結成。集団的自衛権行使を容認する「安全保障基本
法」の制定などを目指して活動していたが、05年以降は休止状態だった。

今年1月に成立した新テロ対策特別措置法(給油新法)の議論をきっか
けに、恒久法の必要性を訴える意見が自民、民主両党から相次いだこと
などが活動再開につながった。

同会に対しては、政界再編を見据えた動きだとして警戒する声もあるが、前原氏は記者団に「(自民、民主両党の)どちらが政権をとっても、外交安全保障政策の根本は一致すべきだ。政界再編より、お互いの共通認識を作ることが主眼だ」と述べた。(東京新聞)>