どうなる長野「灯火」リレー(博士の独り言)
どうなる長野「灯火」リレー(博士の独り言)さんの記事。↓
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中国人100人と聖火、25日早朝に羽田空港到着
長野市で行われる北京五輪聖火リレーについて、日本オリンピック委員会(JOC)の遅塚研一専務理事は23日、聖火が25日早朝、100人を超える中国人スタッフとともにチャーター機で羽田空港に到着することを明らかにした。「走者の伴走者はあくまで2人」という。「聖火防衛隊」と呼ばれる青色の服装をした一団については「青い服装は聖火リレー代表団のユニホーム。警備などしない」と話した。Nikkei Net 4月24日付記事より参照のため引用/写真は長野市ホームページ(カバーページ)から参照のため引用
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「あくまで」が「やっぱり」になる懸念
灯火リレーについて重稿恐縮である。しかし、灯火リレーは、チベットでの人命軽の問題が集約された催しと位置付け、また、「リレー」にまつわる各国の状況、とりわけわが国の対応を照らし、有志ブログの多くが根気強くあつかわれていることと思う。諸氏の英邁な指摘と論及に敬意を表し、小ブログからも短稿を呈する。表題記事に云く、『聖火が25日早朝、100人を超える中国人スタッフとともにチャーター機で羽田空港に到着することを明らかにした』とある。気のせいかもしれないが、『100人』とは大所帯の来日に映る。JOC専務理事が『明らかにした』というタイミングも絶妙ではないか。
先ず、4月17日の町村信孝氏(官房長官)の会見で、『26日に長野市で行われる北京五輪聖火リレーの警備に関し「わが国は極めてきちんとした法治国家で、他国の力を借りなければならない治安状況にはない」と述べ、各国で聖火ランナーに伴走した中国当局者とされる青服の「聖火防衛隊」は受け入れない考えを示した』(報道)とあった。この会見に、一部からは安堵の声も聞こえて来たのであった。
だが、一部のメディアからは、たとえば、『中国の北京五輪組織委員会関係者ら4人が16日に長野市入り。「セキュリティーランナー」6人を派遣し、2人ずつ交互に伴走することを申し合わせた。同実行委によると「聖火の管理が目的で、警備に直接関与しない」という』(報道)と報じられ、『2人』が伴走することが明らかになった。「どうなっているのか?」と。この疑問に対して、翌18日の閣議後の会見で、町村氏は、『「(日本国内で)警備の面で力を借りる必要はないとの判断は変わらない」と述べ、警備活動を目的とした要員ではないことを強調した』(報道)との対応を示したことが伝えられた。
表現を置き換え、言葉を換えても、中国共産党当局の人物を2名ずつ、灯火リレーに伴走させる。その事実には変わりはないのだが。そこで、『100人』の「大所帯」の来日である。あくまで庶民の推察の域は出ないことだが、この大所帯の「御一行さま」の来日は、あるいは、町村氏の会見以前に、すでに取り決められていた可能性はあるだろう。あるいは、『2人』が“認知”されたタイミングを見計らって増派されたものかもしれない。いずれの場合にも、JOCのスタンスを併せて謂えることは、体裁を繕(つくろ)わずに、最初から国民の前に、クリアに情報を開示すべきことではないか。現状では、魔法の箱から「うさぎ」が何匹も出てくる。タキシードの懐から「はと」が何羽も続々と出てくる。そのような「マジック」を見せられているに等しい。マジックのタネと仕かけは「中国共産党」なのだが、そのような光景を見せられる思いである。
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記録機材も万端に
この分では、あれこれ理由付けのもとに、結局は、ロンドンやパリの灯火リレーに見られた「ランナー警備」とさして変わらない光景が展開されるのかもしれない。ともすれば、「青服」を「白チョッキ」に着替えただけの伴走集団には「要注意」と謂えるのではないか。灯火リレーが強行されるのであれば、あらぬところで、大挙集結が指摘されているチャイナサポーターと連動したかのような、巧みな挑発行為があったとしても、読者が指摘されるように、「いざ」という時の証拠記録を残すために、可能な限りのカメラ、ムービーカメラの準備も万端に、国民観衆は世界一の紳士的態度を示し、粛々と「リレー」を見守られることを願う1人である。
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「リレーをやる意味があるのか」との声
ここで、もう1つの視点から少々述べたい。上述のような状況が予想される灯火リレーの傍(かたわ)らで、やはり、灯火リレーのために、膨大に警備要員と予算を要する。
そして、その行事それ自体が、報道に云く、『長野市で26日に行われる北京五輪の聖火リレーで、長野市実行委員会は23日、同市役所で記者会見し、出発式の式典を関係者のみで行うと発表した。一般客は出発会場の県勤労者福祉センター跡地のほか、隣接する長野第2合同庁舎や公園、歩道なども立ち入り禁止とする。「時事通信」4月23日付)とあった。さらに云く、『実行委の篠原邦彦事務局長は「見に来てもほとんど見えない」と述べ、事実上の一般客締め出しを認めた。その他のイベント会場も立ち入りを制限し、一般客が間近にリレーを見物できるのは途中の沿道だけとなる』(同)と。しかし、多数の護衛集団が伴走するため、沿道からはランナーとして誰が走っているのか、判らない情景が予想されるという。
この長野市役所の会見では、『一般客の制限などに報道陣からは「リレーをやる意味があるのか」と声が上がった』(同)ことが伝えられている。この声に対し、『篠原事務局長は「県警や日本オリンピック委員会(JOC)の指導もあり決定した」とし、「可能な限り見てもらいたいが、リレーをきちんと進行することが事務局の責務」と苦しい胸の内を語った』(同)とある。主催者側として、そこまで苦渋してまでも「灯火リレー」を行う。「行わざるを得ない」。これ率直な心境なのかもしれない。その胸の内を拝察する次第である。
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JOC副会長の屈中発言
ここでも顔が見えて来るのがJOCだが。新華社通信(4月9日付)で大きく配信された『五輪妨害行為は誤り』と題するJOC副会長の発言は、中華人民共和国中日大使館のページにも掲げられている。云く、『最近、オリンピック聖火の海外リレーが妨害されていることについての質問に、水野副会長は、オリンピック大会を妨害するいかなる行動も完全な誤りであると述べた。同時に北京オリンピックへの自信を示し、北京五輪組織委は多くの問題を十分に討議するとともに、多くの努力を払っており、2008年北京オリンピックは必ず成功するものと信ずると述べた』と。
また、未解決の冷凍餃子の食害事件はものともせず、云く、『中国を訪れたことのある日本人として、私は中国の食品に基本的に問題はないと感じている。先ごろ、小さいことがメディアで盛んに報道されたために、国民が少し心配しているにすぎない。これは現在、日本国民が最も心配している問題ではないと思う。みんなが最も心配しているのは、五輪の入場券を買えず、現場で競技を観戦できないことである』と。御自からが会長を務める「スポーツ用品メーカー」の権益から出た発言とも指摘されているようだ。だが、あくまで、公的な機関(JOC)の要職としての「発言」として、当局は利用する。こうした人が政財界に多いことに、諸般の根本的な問題がある。短稿にて。
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【筆者記】
PCが動作せず、立ち寄りのカフェから失礼する。ロイター通信(4月21日付)によれば、『ネパールは、世界最高峰エベレストの頂上に北京五輪の聖火を運ぶ試みにあわせ、チベット支持者による抗議活動を阻止するため、エベレストのベースキャンプに兵士や警官数十人を配備した。当局者が20日明らかにした』とあった。また、この23日には、『中国国境にある世界最高峰エベレスト(中国名チョモランマ、8、848メートル)のネパール側で「チベットに自由を」と書かれた横断幕を所持していた米国人男性登山者をベースキャンプから下山させたと明らかにした』との報道があった。
同山での灯火の登頂については、『登頂は5月上旬の天候のいい時期に実施される予定。その後、火種はラサで保管され、6月20日にラサで行われる聖火リレーで合流する』とのことだ。また、『聖火リレーのチョモランマ登頂やチベット自治区での実施をめぐっては、チベット人組織などから「中止すべきだ」との声も出ているが、北京五輪組織委員会と国際オリンピック委員会(IOC)は予定通りの実施を確認している』(報道)とあった。本来は五輪関連の行事であるはずだが、異様である。
この異様さが延々と8月の開催まで続くことになれば、チベットの惨劇に対する世界の認識はさらに広がり、中国共産党に対する好適な逆アピールとなるであろう。同時に、わが国では良識がどんどん育つ時期になるに違いない。
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読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝しています。ここに、新たに記事をアップさせていただけたことを有難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメントに感謝します。昨今、売国事例と呼ぶべきさまざまな事件、不祥事が露呈していますが、良識の力によってこれらを今周知・打開し、未来の教訓とすべき「日本復刻」への確かな前兆と筆者は観ています。先ず膿を出し切って、病を治す。これもまた自明の道と思います。力を合わせて頑張りましょう。
一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えていただき、共に闘ってくださるみなさまに心より感謝します。
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