食糧・資源価格の高騰は「大量生産・大量消費社会の終焉」を招き寄せるか?(じじ放談) | 日本のお姉さん

食糧・資源価格の高騰は「大量生産・大量消費社会の終焉」を招き寄せるか?(じじ放談)

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▼食糧・資源価格の高騰は「大量生産・大量消費社会の終焉」を招き寄せるか?忍び寄る「節約社会」の足音(じじ放談)
20世紀の大量生産・大量消費社会は、安価な原油や鉱物資源の発見と採掘技術の開発により「無尽蔵ともいえる廉価な資源」を獲得したことで成り立っている。今、その基礎が揺らぎ始めた。1914年。米国のフォードがベルトコンベア方式による自動車の大量生産に成功した。大量生産・大量消費時代の幕を開けた。大量生産によって価格を引き下げることで自動車は、一部の特権階級の占有物から中産階級に販路を拡大し、現在の「車社会」を生みだした。20世紀が「アメリカの世紀」といわれる所以は、アメリカが大量生産・大量消費社会をリードし、豊かな社会の見本であったからだ。世界はアメリカを仰ぎ見た。世界中が「いつかはアメリカの如く豊かな社会になりたい」と願った。


戦争で焼け野が原となった我が国にとって、米国型消費社会は「高嶺の花」であった。筆者が小学生であった1950年代(昭和25年以降)、我が国はカネもなければモノも不足していた。農村では自給自足に毛の生えたような質素な生活であった。ツギハギだらけの衣服を着用するのは常識であった。麦御飯でも満足に食えない人々も多かった。御飯を食べ残すことは「あってはならない」ものとして厳しく戒められた。日本中「もったいない」という文化が浸透していた。モノが高価で、手に入れることが困難な社会では「修理して末永く使用する」ことを誰も疑わなかった。太陽の運行と同様「質素・倹約は人間の自然の行い」であった。日本中に「もったいない」意識が満ち溢れていた。

昭和30年代以降、我が国は未曾有の経済成長を遂げた。岩戸景気とか、神武景気とか言われた。敗戦の焼け跡から蘇った我が国が「米国型消費社会の実現を目標にした」のは当然である。やがて、我が国も「大量生産・大量消費社会」を実現し手に入れることになった。夢が現実になった。
大量生産・大量消費時代の到来と共に訪れた「使い捨て文化」に対し、当初、我々は「もったいない」という意識を捨てることができず抵抗を感じた。しかし、人間は悲しい存在である。徐々に「使い捨てる文化」に馴染み、心理的抵抗を感じなくなった。モノを修理して使う習慣が消えた。破れた衣服を繕う習慣もなくなった。中古品を修理するより新品を購入する方が安上がりの時代になった。街から修理・修繕屋が消え、各家庭にあったミシンは埃をかぶったまま放置された。

気がついて見ると、我が国は米国型「使い捨て文化」にどっぷりと浸り、模範生になっていた。生活習慣も生活意識も米国と同じになった。街や家庭にはモノが溢れた。不用品は容赦なく捨てられた。人類の歴史が数百万年として、20世紀とりわけ戦後の50年間ほど「大量生産・大量消費」を追い求め、地球の資源を食い荒らした時代はなかった。原油の採掘は地上から深海底まで、鉱物資源も地球上のあらゆる場所で掘り進められた。海産物を乱獲したため豊かな海は消えた。地球はゴミの山となった。大気は汚染され河川は干上がった。

20世紀末葉、共産主義陣営が崩壊した。「大量生産・大量消費社会」は人口大国の中国やインドに拡散した。地球の自然は「大量生産・大量消費社会」の重荷を背負うことがますます困難になった。原油は4月21日ニューヨークWTI(先物5月)で、1バーレル117.48ドルである。天然ガス、金、鉄鉱石、石炭、非鉄金属・レアメタル、食糧品も急上昇している。天井は見えない。現象的にみると、需要の拡大が進展していることや「先高」を想定した投機資金が流入していることが商品価格の暴騰の原因であるとされる。だが、巨視的に見ると、有限なる地球資源を浪費し尽くす「大量生産・大量消費社会」の行き過ぎがもたらす必然的結果ではなかろうか。18世紀「国富論」を著したアダム・スミスは「個人が利益追求すれば、見えざる手が働いて、社会・公共の利益になる」と主張した。資本主義の萌芽期の楽観論といってよい。21世紀の我々は、アダム・スミスとは逆に「大量生産・大量消費を続けていると、地球の資源が枯渇し人類の生存が危うい」と心配しなければならなくなった。原油を初めとする資源や食料品の高騰は、人間のあくなき欲望を制限しようとする「見えざる手」の働きではなかろうか。20世紀型消費社会の行き過ぎを抑制するために、「大自然又は神の見えざる手が動き始めた」ということではなかろうか。


4月22日付け日本経済新聞は、物価高騰に関する以下の記事を掲載した。
1.新日鉄:鋼材4割弱値上げ要請、資源高騰で上積。自動車や電機反発
2.ニューヨーク原油が一時最高値
3.クラレ、原油「200ドル」想定。中期計画、汎用製品から撤退へ
4.東京製鉄:来月契約分も値上げ。鋼材全品種で4か月連続
5.かどや製油:ごま油20%値上げ。家庭用7月出荷分から
6。カセイソーダが上昇。1年ぶり2割前後。需要増、値上げ浸透
7.フェロマンガンが急騰。鉄鋼副材料、南アの供給減少懸念
8、練り製品原料(スケソウダラ)、軒並み高騰。国産原料で代替模索
9.ドバイ原油最高値。東京スポット、2日ぶり

日本経済新聞には連日、物価高騰の記事が掲載されるが、本日のように数多く掲載される日も珍しい。資源価格の高騰が次第に生産物に価格転嫁され始めたのだろう。我が国はデフレの影響が残っているため、諸外国と比べて消費者物価の高騰は起こっていないが遠くない将来、消費者物価が急騰するはずだ。世界は今「不景気下の物価高(スタグフレーション)」に突入しつつあるから、我が国だけが「無風」という訳にはいくまい。

4月22日付け大紀元日本は「中国、高騰する物価。天安門の前兆を予想する専門家」と題する以下の記事を掲載した。「4月16日(中国政府当局が)公表した数字によると、今年第1回四半期における消費者物価指数(CPI)は8%上昇した。うち食品価格の上げ幅は21%上昇と最も深刻であった。天安門事件(1989年)の1年前、中国の消費者物価指数は20.7%上昇した。なお、食品価格の上昇で特に目立つのは食用油、小麦、米、豚肉、その他の肉類である。」本日の衛星放送ニュースで、フランスでも食料価格が二桁後半の上昇をしていると放じられた。世界中が消費者物価の高騰におびえ始めた。

(物価高騰下における民衆の生活)
「食料品の高騰が暴動に直結する」件については、先般、筆者のブログで指摘したのでここでは触れない。今回は、原油、鉄鉱石、天然ガス、希少金属、石炭などの商品価格の高騰が製品価格に転嫁された場合、いかなる社会現象が発生するかを生活者の視点で検討してみたい。
第1.製品価格が高騰すれば、民衆は「買い控え」せざるをえない。結果「モノ」が売れなくなる。

給料が増えないのに、又は賃金上昇率よりも物価上昇率が高い場合、民衆の生活水準は低下する。税金、社会保険関係支出、公共料金等は削れないから、まず「食費」から削ることになる。安価な食材を求めるほかはない。ということで、生活水準が低下するにつれエンゲル係数が低くなる。かっては「豊かになればエンゲル係数が低下する」と言われた。だが今では生活費に占める公共料金等必要固定経費の割合が大きいから、民衆が節約する第1番目が食糧費を削るという作業だ。

次に、必要不可欠でない旅行や趣味を減らす。我が国の民衆が「外国旅行から国内旅行に移行する」のも自然の成り行きだろう。「泊」から「日帰り」になって出費を抑えるのも想定の範囲内だ。自動車のガソリン代を節約すべく、普通車から軽自動車への転換は現在進行中である。ガソリンの燃費が悪い大型車やスポーツカーは敬遠され軽自動車が売れ筋になっている。車で遠出することも控えるはずだ。車は買い物等必要最小限度でしか使わない。なるべくガソリンを使わない工夫をする。車の買い替え時期も延長する。買い替え時期は3年が5年へ、5年が10年へと延期される。国内新車販売台数は伸び悩むか又は減少する。

電化製品や衣類の購入も控えることになる。中古品を辛抱して長く使用する。不景気で勤務先の将来も読めないから「住宅ローン」を借りて新築住宅を購入したり、住宅の買い換えなど、緊急性のないものは先延ばしするか又は断念する。一般大衆が一斉に「買い控えに走る」結果、景気はさらに悪化する。企業はモノが売れないから「過剰設備」を廃棄する。従業員も余るから一部を解雇する。街には、失業者があふれる。モノが売れなくなる。不景気がより深刻な不景気を呼びこむ。

世界的規模でスタグフレーションが進行すれば、世界中の企業が過剰設備を廃棄し人員削減を行なう。結果、原油や鉱物資源の使用量が大きく減少するから、資源大国もあわてる。資源売却による収入だけに依存している国家は資源が売れないから収入不足で危機に陥る。収入を確保するため「資源価格の値下げ競争」を始めるかもしれぬ。又は大幅に減産して価格維持に努めるかもしれぬ。今回のスタグフレーションが「好景気→不景気→好景気」という景気循環の理論どおり動くのかどうかは不明である。世界的スタグフレーションは相当長期間続くと見るべきであるから、人間の価値観が「使い捨て」から「質素・倹約」に変化しないとは断定できない。長期間のスタグフレーションは、20世紀のアメリカ型「使い捨て文化を否定する」契機になるかもしれぬ。「質素・倹約こそ美徳」という伝統的な考えが遵風美俗として称揚されるかもしれぬ。

アメリカが主導した20世紀の「大量生産・大量消費という使い捨て文化」は、有限なる地球の観点に立つと「百害あって一理なし」の価値観である。
2005年の世界人口は64億6470万人。2050年には約90億人に急増すると推定されている。(2007世界地図46ページ資料より抜粋)人類が質素・倹約に励んでも、地球が負担できる限界を超えるかもしれぬ。いわんや「大量生産・大量消費の使い捨て生活」を続けたならば、近未来、人類は地球の資源を食い尽くす公算が大きい。

偉大なる自然又は神は、人類の横暴なる振る舞いをお許しになるであろうか。おそらく「人類に天罰を加えるべし」との判決を下されるのではあるまいか。天変地異を惹き起こし、疫病を大発生させ、大干ばつや大洪水によって農作物に大被害を与える等「みえざる手」を動かされるのではあるまいか。そして、悪逆非道な人類が当面立ち上がれないよう、人類を数十、数百、数千又は数万分の1程度まで間引く必要があると決断されるのではあるまいか。大自然又は神が人類の悪業に激怒されているとすれば、前述した地球温暖化に伴う罰則だけで済ましてもらえると期待すべきではない。大自然又は神が怒ったならば「ノアの方舟」の伝説と同様、人類絶滅を企てておられるかもしれぬ。油断できない。今回の諸物価高騰による世界的スタグフレーションは、偉大なる自然又は神が、人類の愚かさを御試しになっているのかもしれぬ。人類がさらに終末期に向かって「資源の使い捨て」を続けるのか、それとも「質素・倹約」を旨として自然との調和ある生活に戻るのかを御試しになっているのかもしれぬ。

(まとめ)
今や、誰の目にも「米国型使い捨て文化の限界」が明らかになった。我々は「有限なる宇宙船地球号」の乗客である。今西錦司が唱えた「共棲の思想」に立ち返るべきではなかろうか。共棲の相手は地球上の動植物だけでなく、大気を含む地球そのものでなければならない。7月のサミットでは地球温暖化問題が主要な議題になる。議論を「二酸化炭素排出削減の割り当て」という個別的問題に止めるのではなく、「人類と地球環境との共棲の在り方」という大局的観点で議論してもらいたいものだ。先進国並びに出席する各国首脳が、自国の国益に拘泥するのではなく、宇宙船地球号の乗客という共通認識を持って「賢者らしく振る舞う」ことを期待したい。
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1. Posted by おるおる君 2008年04月23日 12:41
戦後、干ばつによる食料不足・飢餓というのは二ュ―スでよく見ましたが、米価高騰による米騒動が世界各地に勃発というのは、記憶にありませんね!あと40年もすれば、中東から原油が消えるかも知れませんし、中国やインドは、10億人以上の国民を食べさせることができるでしょうか?21世紀はバラ色だと思っていたら、とんでもない世紀になるかも知れませんね!ひょっとすると今が一番いい時かも知れませんね!

2. Posted by なな 2008年04月24日 00:31
来たるその時に向け、我々も心の準備と対策を考えるべきなのでしょうか。金を買うなり外貨を買うなり・・・白髪爺さんは何かしていらっしゃいますか?
ようちゃんの意見。↓
★もう中国は20年前から動いてるし、ロシアと組んでユーラシアでの上海機構を組み立てたし、後は海洋諸国の海洋輸送に負けない 鉄道でのランドパワー国の反映を夢見て、着々と布石を打ってるでしょうが・・・ 間に合うか合わないかは、 海洋諸国も元々は 凄まじき強欲・残虐非道絵は負けては無いから
アット言う 世界史的な仰天事件で 目が点になって情報が錯綜して誤報や偽報道で右往左往する間に、 各々が勝手な国益どころから生き残りの情報合戦と実力のつば競り合いをし始めると・・・馬鹿国日本はうろうろで 沈没する可能性がある。 国内の馬鹿左翼に踊って 命がけで戦う気概の無いクラゲ国民の行くへは 見当がつくのでは・・。