コキントウと池田大作2(博士の独り言)
コキントウと池田大作2(博士の独り言)
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来月7日に日中首脳会談 外務省が正式発表
外務省は22日午前、中国の胡錦濤国家主席が5月6日から5日間の日程で来日し、福田康夫首相との日中首脳会談を7日に首相官邸で開催すると正式に発表した。中国国家主席の来日は、平成10年の江沢民氏以来10年ぶり。胡主席は6日午後、羽田空港に到着。7日には天皇、皇后両陛下との会見や宮中晩さん会も予定されている。9日に関西に移動して奈良県の法隆寺などを見学。10日午後、大阪空港から帰国する。産経新聞 4月22日付記事より参照のため引用/写真は福田首相。 ロイター通信12月24日付記事より参照のため引用
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首相は胡氏来日の「コーディネーター」
読者にはすでにご存知のことかと思う。この4月22日、胡錦濤氏(国家主席)来日の日程が発表となったようだ。先の輸入冷凍餃子(中国生産)の食害事件は未解決であり、そのため、「桜が咲く頃」の来日計画は延期となっていた。また、中国共産党政府によるチベットの惨劇への国際非難が高まりつつある、その時局下で、かつて、同自治区でチベット人弾圧を指揮し、辣腕(らつわん)を揮(ふる)った胡錦濤氏の招致はいかがなものか等との、政府の良識を問う声も国内に上がっている矢先の外務省による日程発表である。
先稿にも指摘した通り、その日程調整は、あたかも、そうした非難をかわすかのように、あるいは、耳を貸さずに、しかし、中国共産党の「ご意向」は伺(うかが)うかのように、着々と進められて来た模様だ。その様子は、去る4月18日の楊潔チ(ようけつち)外相(中華人民共和国)と、福田首相との会談の様子の端々に窺い知ることができよう。
たとえば、中国共産党の機関紙(朝日新聞の提携紙)「人民網(人民日報)4月19日付)には、云く、『福田首相は、「まもなく行われる胡主席の訪日は重要な意味を持っており、日本政府としても首相個人としても熱烈に期待している。胡主席の訪日が日中関係と日中協力を一層しっかりとしたものへと強化することを強く望む。胡主席の訪日を成功させるため、双方が共に全力を尽くすことを希望する」という内容の発言を行った』と。言葉は悪くて恐縮だが、いわば、中国共産党の言いなりであり、単なる同氏の来日を「成功させる」ためのコーディネーターに過ぎない。そのように映ってならないのは、筆者だけであろうか。
この点については、かくなる人物を「国賓」として迎える矛盾指摘とともに、先稿に度々申し述べているため、現首相に関する小稿での論及はこの辺までにする。
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「名指し」をさせた公明党(創価学会)
この胡錦濤氏が、来日時に面会を希望する人物として名指しした、と伝えられる池田大作(創価学会)だが、果たして、どこで会談するのか、その“動向”が注目されているようだ。メディアがほとんど報じない中、一部の紙面報道(文春誌4月24日号)では、『多少の変更が生じるかもしれないが』と前置きし、奈良(上記日程によれば5月9日)での会談の可能性がある(要旨)と示唆している。すでに、本年2月に唐家セン氏が同地の法隆寺や唐招提寺を下見していることから、その可能性も考えられえるようだ。しかし、病後の身体ゆえに遠出は不可能、と指摘する声もあり、8日あたりに東京で、との可能性もあるようだ。
胡錦濤氏との「会談」実現は、同教団にとっては内外への大々的な宣伝のために必須事項のようだ。ここ数年、とりわけ、公明党の代表に太田昭宏氏が就いて以来、「政務での訪中」や中国共産党の要人(唐家セン氏ら)との「会談」などを装って「実現」へ向けた「地ならし」が行われて来た、と観て良い。たとえば、2007年1月に訪中した太田代表は、すでに胡錦濤氏の「訪日」を要請している。当時の報道では、太田代表が『中国を訪問し、共産党の王家瑞中央対外連絡部長と北京市内で会談、胡錦濤国家主席の6月訪日を要請した』(「産経新聞」2007年1月8日付)と。
また、『桜の咲くころに温家宝首相が訪日すると聞いている。紅葉の色づくころでは間が開くので、胡主席には6月の訪日をお願いしたい』(同)とあった。このニュースがご記憶に新しい読者もおられることと思う。いわば、このように、「政府与党」の国務的な立場を、創価学会の宣伝のために、巧みに濫用して来たかの形跡が窺えるのである。これが指摘すべき「第1点目」である。
言うなれば、胡錦濤氏の「池田大作指名」も、それらの努力の結晶と謂える。胡錦濤氏が指名した、と謂うよりは、むしろ「指名させた」と認識すれば事の次第が判りやすくなる。「池田先生が指名されたことは、すごいことだ」と。これもまた、事前の宣伝として利用できるからだ。これが指摘すべき「第2点目」である。
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「チベット」に言及できない事由
また、チベットの惨劇を創価学会が機関紙等で指摘しない理由について、さまざまな識者による指摘があったようだ。たとえば、それが新宗教の「体質」「問題点」であるとする指摘や、胡錦濤氏と池田大作との会談を成功させるために、創価学会は沈黙している、との指摘もあった。いずれも、正確な指摘と謂えるのかもかもしれない。だが、その事由を根本まで掘り下げてみると、創価学会(公明党)は、中国共産党の対日工作機関であると認識すれば、事の次第が判りやすくなる。たとえば、胡錦濤氏と池田大作との会談が過ぎた後も、チベットの惨劇には先ず言及しないだろう。また、一部の論説が指摘する通り、中国共産党は、創価学会を宗教団体とみなさずに、利用勝手が良い政治団体と観ているのである。
その構造は、先稿で喩えて指摘した「二頭の大蛇」の体をなしている。いわば、創価学会として片や宗教法人の免税恩典を受け、その一方では、公明党として、多大な政党助成金を受けている。頭(かんばん)は2つだけれども、しかし、その胴体は「1つ」である。そして、その存在目的は、創価学会の会員諸氏の多くにはその自覚症状がないようだが、中国共産党の対日工作機関そのものの存在機能を発揮しているのである。たとえば、2007年1月8日に、人民大会堂での胡錦濤氏と会談では、「会談の冒頭、胡氏は、『公明党が結党して以来、中国を重視し、国交正常化後も中日関係を推進してきたことを永遠に忘れない。太田代表の中日関係を強化したいとの政治的意思を称賛したい」と高く評価した』(「公明新聞」2007年1月9日付)とあった。
同記事は、不都合に気づいたためか、ネット上では削除されているようだが、言い換えれば、当初から、中国共産党の日本出先機関として「公明党」が誕生したと認識して差し支えない。これが指摘すべき「第3点目」である。先稿で紹介した『日本公明党訪中代表団と中国日本友好協会代表団の共同声明』(1971年)は、端的のその正体を示す事跡であり、公明党が「反共の防波堤」(要旨)であったかの自己宣伝は、実際には、日本社会に対する偽装であったことが判る。上述の誌面報道では、云く、『七十二年の日中国交正常化は、六十八年に日大講堂で開かれた第十一回学生部総会で池田氏が『中国と国交を結ぶべきです』と提言した』(同)とある。すでにチベットへの侵攻で大虐殺が展開され、また本土では文革の大虐殺が展開されている最中の、その時期の「提言」である。
仏教徒であるチベットがかくなる惨劇に遭い、加害者である中国共産党が牛耳る国に対して、およそ、曲がりなりにも、宗教を掲げる団体であるならば、『中国と国交を結ぶべきです』とは、とても発することができる言資とは思えない。これは、政治学者の伯父(故人)が当時の創価学会、池田大作の言動に触れて遺した指摘でもあった。この体質は40年を経た今、ようやく多くの人々の前に露呈しはじめたのである。いわゆる「第二期対日解放工作要綱」(1972年訳本)と、その後の創価学会の各界への信者送り込み(同教団では総体革命と称する)状況とは、実によく符合している。長くなるため、これについては、別稿(講義)で詳しく指摘するが、同教団(および公明党)が対日工作機関である所以について、また、胡錦濤氏との会談にこだわる事由の一端について、以上、報告する。
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■ 主な関連記事:
・胡錦濤と池田大作
・国辱「胡錦濤来日」
・創価「売国奴」か
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国思うアンケート(期間: 4月21日~23日)
■ チベット惨劇に対する政府対応について
再び発生したチベットの惨劇に対し、中国共産党政府に対する国際社会の批判が高まる中、日本政府がなして来た対応について、みなさまのご意見をお尋ねします。
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■ 胡錦濤国家主席の「国賓」来日について
現時局において、中国共産党指導者を「国賓」として招くことが妥当どうか、みなさまのご意見をお尋ねします。
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■ 闘魂編:
・チベットに良識の支援を!
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【筆者記】
観光的な要素はあるとはいえ、奈良の古刹寺院へ、多数のチベット仏教徒を虐殺した指導者を招くとあれば、これ自体も大きな矛盾ではないのか。これが、小稿で指摘すべき「第4点目」である。短稿にて。
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読者のみなさまにはお忙しい中、ご訪問をいただき感謝しています。ここに、新たに記事をアップさせていただけたことを有難く思います。 拙い記事に対し、有志のみなさまより、内容を的確にフォローいただくコメント、身を案じてくださるコメントに感謝します。昨今、売国事例と呼ぶべきさまざまな事件、不祥事が露呈していますが、良識の力によってこれらを今周知・打開し、未来の教訓とすべき「日本復刻」への確かな前兆と筆者は観ています。先ず膿を出し切って、病を治す。これもまた自明の道と思います。力を合わせて頑張りましょう。
一日一日を大切に、みなさまと共に考え、真実を共有できればと願っています。事実を指摘する批判は「悪口」ではなく、真実を掘り出し、その共有のために不可欠です。また、真実の共有はすべての第一歩です。正論は真実から生まれ、良識の声は必ず力になる。辛抱強く支えていただき、共に闘ってくださるみなさまに心より感謝します。