なぜ日本が米国に戦争を仕掛けるに至ったか?ということは依然として日本人には理解出来ていない。 | 日本のお姉さん

なぜ日本が米国に戦争を仕掛けるに至ったか?ということは依然として日本人には理解出来ていない。

ようちゃん、おすすめ記事。↓☆☆甦れ美しい日本☆☆
1.佐藤守
大東亜戦争の真実を求めて  161 
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「蒋介石は、思わぬ拾い物の勝利(惨勝という)を手にした。彼を含む四大家族(蒋、陳、宋、孔)は、アメリカが与えた借款と軍事援助の二十八億ドルの巨費の一部を横領して、世界の富豪に列せられるほどの私財を蓄積した。そして彼らは台湾へ、アメリカへと去って行った。あまり正確な比較ではないが、当時のアメリカ陸軍最下級兵の月給が二〇ドル(現在=1999年=は一〇〇〇ドル)、アメリカの「貧困家庭」(一家4人)の基準が当時は年収五〇〇ドル以下(現在=1999年=は二万二〇〇〇ドル以下)という点から見ても、二十八億ドルがいかに巨額か分かるだろう」
つまり、以前古野氏が指摘したように、「中国の軍隊は、お金こそ目標なので、大義名分はその装飾に過ぎない。動乱は一生一度の人生のチャンス」なのだから、国共内戦、西安事件、そして支那事変、第二次大戦と続いた戦乱で、蒋介石はその“目標”を十分に達成したのである。いや、真に“成功”したのは、毛沢東率いる共産党だったかもしれない。古野氏は続けてこう書いている。
「黄土延安の洞窟に隠れていた小さな共産党は大中国の主人にのし上がることが出来た。学良が仲介した西安事件の国共合作の成果であった。
 あれだけ中国国民政府を支援し資金を投じた英米は、在中国の資産の全てを何の補償もなく中国人民政府に没収され、大陸から追放されたのである。勿論、敗戦国日本も大陸の全ての資産を放棄させられた。一九〇一年の北清事変で、大清帝国と議定書を結んで永久駐屯権を得た列国の中で、まずロシアは革命で撤収し、ドイツは第一次大戦で負けて権利を失い、フランスは第二次大戦初期にドイツに降伏したため仏領印度支那に引き上げた。イギリス、アメリカ、イタリアは日本軍に降伏して既に消え去っていた。ただ一国残った日本軍は、昭和二十年八月十五日、連合国に降伏してついに大陸から消えた。この間、四十五年の歳月が流れた。 こうして列国駐屯軍の国旗は全て下ろされ、北京の空には青天白日旗がはためいたのである。それから四年後の一九四九年十月一日、毛沢東の指導する中国共産党の五星紅旗に替わった。中華人民共和国の誕生である」
大東亜戦争の発端が何であったかは引き続き追及するとして、古野氏が『張家三代の興亡』に書いた上記の記述には考えさせられる。中国大陸内に進出した列国は、全くまとまりがない「群雄割拠」の支那の独特な体制に翻弄されて、投資した巨額の資産をみすみす奪われ撤退を余儀なくされた。日清戦争で近代国家の仲間入りを果たした日本も、満州国を建設し、列国とは一味違った運営を開始したが、国家戦略が確立できないまま、したたかな支那人の手法と、更に輪をかけたコミンテルンの陰湿な陰謀にまんまと嵌って、先人が築き上げた資産を失った。親の心子知らず、“3代目”が倒産させたのであり、そして今なお、そのショックから立ち直れないでいる様に見える。


さて、このような情勢下にあって、なぜ日本が米国に戦争を仕掛けるに至ったか?ということは依然として日本人には理解出来ていない。


既に述べてきたことだが、当時の日本は、北の脅威、つまりソ連の共産主義の浸透に備えていた。特に陸軍は、満州の大平原でソ連軍と対峙することを主眼にした教育・訓練に明け暮れていたといっても過言ではあるまい。事実、ソ満国境一帯では数々の小競り合いが続いていたし、その代表的な事件が1939年に起きたノモンハン事件であった。当時の日本人の誰もが、来るべき戦争はソ連が相手だ、と感じていたに違いなかった。
しかし、海軍にとっては、ソ連との戦争に“出番”はなかった。日露戦争のように、ソ連海軍が日本海まで進出してくることは考えられなかったからである。現在のように航空戦力が主力であったならば海軍航空隊の存在は大きかっただろうが、当時は大鑑巨砲主義が蔓延していたから、軍事的「脅威見積もり」の常識から言えば、海軍にとっては当然米・英海軍が“主たる目標”であった。ワシントンやロンドンでの軍縮会議での主題が、日米英間の主力艦の制限が問題だった様に・・・
では、海軍が“存在意義?”を求めて米国に殴り込みをかけたのか?まさかそんなことはあるまい。結果的に太平洋方面が主戦場になったため、対ソ作戦を主眼に訓練されていた陸軍が、己の意に反して南海の孤島で散華する悲惨な結果になったとはいえるが、それにしても何の備えも無い対米国家戦略から見れば日米開戦は「正常な事態」ではなかったし、どう考えても不自然である。
1941年12月8日に、日本海軍の機動部隊が真珠湾を奇襲攻撃したとき、米国陸軍長官スティムソンは「日本は真珠湾を攻撃して、問題を全部一挙に解決してくれた」と言い、チャーチルも感激したと心境を語っている。これが「米国側が、日本が先に戦いを仕掛けてくれるのを待ち望んでいた」とする米国陰謀説の根拠にもなっているのだが、果たして真相はどうだったのか?        (続く)
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2.西山弘道 
 「山口補選は『姥捨て』決戦?」
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 どうやら福田首相は、揮発油税の暫定税率延長を定めた租税特別措置法改正案について、30日にも衆院で再可決する方針である。当初、5月12日以降、再議決ができる道路財源特例法案と併せて一緒に再可決も、という観測もあったが、1日でも早く歳入欠陥が生じる期間を短縮させることが筋だとして、特例法案とは切り離して再可決することを選択した。
このため5月の連休中に検討していた英、仏、独各国歴訪は断念した。

 再可決に踏み切った場合、民主党は参議院に福田首相の問責決議案を提出する構えだが、政府与党は問責決議案が何ら法的根拠を持っていない以上、これを無視するとしており、粛々と再可決する方針だ。

 ところで27日に投開票される衆議院山口2区の補欠選挙が告示されたが、与党は30日の再可決の直前に勝敗がでるとあって、この補選を極めて重視している。自らの内閣になって初めての国政選挙ということもあり、福田首相も近く現地に乗り込む構えだ。民主党はこの補選を“ガソリン決戦”として意気込んでいるが、ここへきて後期高齢者の医療制度が大きく争点として浮かび上がってきた。この制度に対しては75才以上の対象となる高齢者たちが「うば捨て山だ」として大きく反発、自民党内にも制度を見直す議連ができるなどにわかに大きな政治問題となってきた。福田首相自身も「説明不足で非常にまずい結果になった」と反省している有様だ。

 山口2区補選は自民党新人で国交省官僚だった山本繁太郎氏と、民主党比例現職の平岡秀夫氏の一騎打ちとなっているが、共産党が候補を立てなかったこともあって今のところ平岡氏の優勢が伝えられている。

 衆院山口2区は岩国、柳井、光、下松など西部の市が含まれるが、ご多分に漏れず、人工減少と高齢化に悩む地域だ。特に2区には大島郡が含まれる。ここは周防大島といって瀬戸内海に浮かぶ温暖な島だが、また一方で日本一高齢化率が高い地区としても知られる。「忘れられた日本人」の著者で民俗学者の宮本常一が生まれたところだが、2万1千人の人口のうち、40%以上が65才以上のお年寄りという。こういった土地柄だけに、後期高齢者医療制度に対する懸念は、他の地区以上に強い。

 政府与党は、この山口決戦を「うば捨て山」がクローズアップされる「うば捨て決戦」にならぬよう、必死にテコ入れしているが、現状は与党に厳しい情勢だ。

西山弘道;
ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、文化放送で30数年、放送記者として
活躍。政治担当として、三角大福中、安竹宮の「永田町戦国史」を取材。
2005年10月、文化放送を退社、以後フリーのジャーナリストとなる。
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3.松永太郎 
 本の紹介  「ショック・ドクトリン」
  The Shock Doctrine, By Naomi Klein Metropolitan Books 2007
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この本の著者は左翼っぽい(真の意味で「反体制的」)が、日本の「サヨク」(大新聞や出版社やアカデミズムにいるような<こっちは真の意味で「体制的」>)とちがって、チャイナにも、ぜんぜん腰が引けていない。それと取材力が段違いであるため説得力がある。
 イギリスの書評で、「寒い国から帰ってきたスパイ」の作者ジョン・ルカレが「恐怖を覚える」と書いているように、相当、おっかない本である。
 冷戦終結後に生まれたアメリカ軍のドクトリンは「衝撃と畏怖」(Shock and Awe)とよばれている。敵にものすごい衝撃を与え、感覚を麻痺させ、情報判断能力を奪ってしまう。その間に、急速に軍を展開し、敵が、気がついた時点では、もう事態は終わっている、というドクトリンである。
実はチャイナの戦略家も「超限戦争」(限界を超えた戦争)という本で似たような戦略を明らかにしているが、こちらは単に戦略家の考えということになっている。 

この本の著者ナオミ・クラインによれば、このドクトリンは現在、多国籍企業から軍隊、情報機関などで使われており、最終的には「ディザスター・キャピタリズム(惨害資本主義)」と呼べるものを生み出している、という。
 大多数の人が衝撃を受けるような、要するに呆然として手も足も出なくなるような事態(惨害)、たとえば自然災害、大規模テロ、大量逮捕、公開処刑、拉致など、あるいは、株式市場の暴落、急激な信用収縮などの経済不安が起こったとき、実はその間、急速に事態を自分たちに好ましいように展開させる好機ととらえるものがいる。  

 たとえばアメリカで「9.11」が起きたとき、その結果、ハリバートン、カーライル、ブラウン・アンド・ルートなどの多国籍企業や投資会社は莫大な利益をあげたのである。むろん石油会社もぼろもうけだ。そのため、いわゆる「陰謀論」がでてくるわけだが、著者によれば、必ずしも「陰謀論」によらなくても事態は説明できる。つまりラムズフェルドやチェイニー、あるいはホワイトハウスの「ネオコン」は、アメリカの大衆が衝撃を受けて呆然としている間に、自分たちのシナリオ(中東戦略)を急速に実現させようとしたのである。端から見ると、なぜ、そんなに急いでイラクを攻めなければならないのか、まったく理解できないが、この「衝撃と畏怖」の戦略家たちから見れば、当然のシナリオである。

 この戦略は、心理学では「ショック療法」という。すさまじい感覚的な衝撃を与えて、意識を麻痺させ、その間、洗脳する。今では「拷問」では、よく用いられる手段だ。

 「経済学」では、ミルトン・フリードマンのシカゴ学派がこの手法を用いる。チリで、クーデタが起こったとき、シカゴに留学していたチリの経済学者たち(その名も「シカゴ・ボーイズ」)は帰国して軍事政権に入り、ものすごい信用収縮を起こさせ、国営企業を、かたっぱしから売り払って民間化(民営化)したのである(何もかも民営化しろ、というのがフリードマンの主張である。逆・共産主義といえる。その本質は同じである)。

その間、ピノシェトの軍事政権は、大量に「普通の人」(金持ちも貧乏人も区別なく)を逮捕、処刑し、恐怖(畏怖)を与えた。一方では広範な経済不安がおこっており、チリの人々は手も足も出なかった。そのころ、チリの人で、日本で言われる「学識経験者」(笑)といえば、「シカゴ・ボーイズ」しか、いなかったんのである。

アメリカの大企業と政府は、回転ドアで結ばれている。ロシア、チャイナなどは、最初から裏も表もなく一枚である。ロシアは「オリガルヒ」、チャイナは「太子党」とよばれている連中が、政府と企業を牛耳っている。それに軍が結びついている(チャイナの軍は共産党のプライヴェイト・アーミーである)。これらがみんな「衝撃と畏怖」戦略の信奉者であるとすれば、哀れなのは「衝撃と畏怖」を与えられる人たちだ。  

ごらんのとおりロシアもチャイナも、「テラー・タクティック」を先輩たちが教えてくれたので、仮借ない弾圧を行う。プーチンは、その専門家、KGBの出身である。チベットの虐殺者、フーチンタオは、天安門事件の陰では、国内でも、大規模な虐殺が起こしている。

オリンピックが開催されれば、チベット人は、強制収容所に連行され、皆殺しにされるだろう。

 「グローバライゼーション」という名前の下に、世界で起こっているのは、こういう事態である、というのが著者の主張だが、おっかないことになってきたものである。

これに気がついて、ばらばらではやられてしまう、というわけで結束したのが、EUがあるが、日本はどうなのだろうか。ずっと「衝撃」を受け続けてきて、もはや自分の頭では何も考えられなくなっている、ということだろうか。あるいは、もやは、ずっと昔に「グローバリスト」たちに、占領されている、ということか。

4月27日日比谷に結集せよ! 
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北朝鮮への追加制裁を求める国民大集会
と き 平成20年4月27日(日)午後2時から5時まで
開 場 午後1時(先着順)
ところ 日比谷公会堂(100-0012千代田区日比谷公園1-3 03-3591-6388)
地下鉄霞が関駅B2・C4口、内幸町駅A7口、日比谷駅徒歩3分
司 会 櫻井よしこ・ジャーナリスト
訴 え 家族会会員・救う会役員・議連役員・政府関係者・海外拉致被害者家族等
参加費 無料(会場カンパ歓迎)
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◎関西零細企業経営のオッサン 悔し涙を流すの記 (6)      
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滞日10数年の中国人青年が撮ったドキュメンタリー映画 靖国 を楽しみにしている。
日本でも意見の割れる靖国神社をテーマに、中国人が映画にするのだから当然批判的な内容を覚悟するとして、中国人がどんな映像を使ってどんな切り口で批判するのか、それに例えどんな切り口であれ中国で受けた教育と政治的環境、それに長い滞日経験を加えて一人のインテリ中国人が纏めた靖国像が見れるなら今後中国と付き合う上で大変面白いネタになるに違いない、と思ったからだ。
ところが何と上映予定の劇場が全国で次々と予定を中止してしまった。新聞やテレビでも其の事が全国的に報道された。で、とてもマイナーだった映画 靖国 は今や全国的な知名度の作品となり、しかも多くの人には劇場で見ることの出来ない幻の映画になりそうな気配で有る。
世間には矢張り伝統的単純右翼が存在し、劇場側がその圧力と災いを恐れて自主的に中止表明したと言うのが私がマスコミから理解出来た全てだ。だとしたらこんな恥ずかしい事は無い。映画に限らずどんな作品であれ作者の考えが主張されるのは当然で、風俗紊乱の恐れ有りを封印するのには目をつぶるとしても、映画靖国を見る見ないは大人の勝手である。興業者としての覚悟の全く無い劇場の情け無さはさて置き、此れを脅して中止させた奴が居たとしたら、日本の観客を見下した、舐め切った所業である。
こうなったらどれ程耐え難い反日的内容であれ、怒れるオヤジは万難を排して見に行かないわけには行かない。何とか 靖国 を大ヒットさせよう。
昔、藤田まことの歌十三のネーチャンが大ヒットした庶民のさびれた歓楽街十三(じゅうそう)は、大阪駅から電車で二駅の距離である。ここに一軒有る旧い映画館はさすがにその骨太の庶民性を発揮し、何所から風が吹こうが予定をガンとして変えないらしい。
たまには十三に出向き、靖国をタップリ拝見しそれから名物の豚足でも喰って帰るのが今から楽しみだ。 了 2008,04.15