頂門の一針 | 日本のお姉さん

頂門の一針

ようちゃん、おすすめ記事。↓頂門の一針(4月14日)

混迷政治がダラダラと続く
━━━━━━━━━━━━古澤 襄
マスコミの世論調査もマンネリ化して、どれを信用していいか、

庶民は 迷ってしまう。各社が思いおもいにサンプル調査を

するのだが、調査地 点が首都圏に限られたり、調査数が

僅か400というのでは、自ら世論調査 の信用度を落としている。

新聞社が高いカネをかけて個々に世論調査をやるのでは

なくて、アメリ カのギャラップ社の様な中立の調査機関を

設けて、しっかりとした調査 をすべきだという論は以前から

ある。だが過当競争下にある日本の新聞 事情では、総論

賛成、各論反対で実現しない。

だから最近は世論調査の結果が新聞紙面に出ていても、

あまり関心を呼 ばない。世論調査をするまでもなく、福田

内閣の支持率は落ちているし、小沢民主党の評判も芳しく

ない。分かりきったことを世論調査で御座います、といわ

れても仕方ない。

そんな中で毎日新聞社が行った全国世論調査は、「福田氏も

小沢氏も首 相にふさわしくない…65%」という結果が出た。

与党の党首と野党の代 表のどちらが首相にふさわしいか

という質問は、皮肉といえばこれほど 皮肉な問いはない。

だが、まさに時宜にかなった質問といえる。

内閣支持率とか政党支持率をマンネリ的にやっている世論

調査よりは、 遙かに面白い結果が出ていた。庶民は

福田首相も小沢代表も”過去の人”だと感じている。

さらには、総選挙があっても自民党にするか、民主党に

するかで国民の意思が割れている。

どちらかの政党が”新しい顔”を選べば、雪崩現象が起こる

気配を感じ させる。だがその”新しい顔”がなかなか見え

ないところに、日本政治 の混迷がある。

<毎日新聞が5、6日に行った全国世論調査(電話)は、

「福田康夫首 相と小沢一郎民主党代表のどちらが首相に

ふさわしいか」という質問を 初めて盛り込んだ。「どちらも

ふさわしくない」が65%で最多となり、 「福田首相」は20%、

「小沢代表」は12%だった。

次期衆院選や与野党攻防で「党首力」も問われる中、日銀

正副総裁人事 で共に求心力の衰えが指摘される首相と

小沢氏にとって厳しい結果とな った。

次期衆院選は自民、民主両党のどちらに勝ってほしいか

尋ねたところ、 民主40%、自民36%だった。3月の前回

調査は民主44%、自民34%。両 党の差は10ポイントから

4ポイントに縮まり、民主党にも厳しい世論が 浮かんだ。

この質問は昨年8月に始めて8回目。いずれも民主が

上回っているが、 次第に広がっていた差は福田政権

発足直後の水準に戻った。「その他の 政党」は前回比

3ポイント増の18%。

一方、衆院選で「民主に勝ってほしい」と答えた層でも、

首相にふさわ しいのは小沢氏と回答した人は25%にとどまり、

71%が「どちらもふさ わしくない」を選んだ。

「自民に勝ってほしい」層は、福田首相が47%で、「どちらも

ふさわし くない」は50%だった。>(毎日)

9日の党首討論は福田首相の小沢民主党代表への「決別

宣言」の場とな った。求心力が低下した福田氏が、同じ

ように求心力が低下した小沢氏 に決別を告げたところで、

政局が動くものではない。

次の総選挙で民主党が大勝せずに政権を奪取できなけ

れば”大連立”話 が再燃するという観測があった。

しかし、少なくとも”福田・小沢間の”大連立話が再燃する

余地はなくなった。

”福田・小沢間でない”大連立話が将来、起こることがある

だろうか。 両党のトップが交代し、両党間で政策協議を行う

気運が生まれれば別だ が、これも望み薄。重要なことは

何も決められない混迷政治がダラダラ と続くことになる。
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馬氏勝利の背景に米中の合意?
━━━━━━━━━━━━━━桜井よし子

台湾総統選挙で、国民党の馬英九氏が勝利した。根っか

らの親中派と見 られてきたにもかかわらず、総人口

2,300万の85%が本省人(台湾人)の 台湾で、外省人

(戦後中国大陸から台湾に渡った中国人)の馬氏が大勝
したのはなぜか。

最大の要因は、氏が台湾人意識を積極的に取り入れた

ことだろう。かつ て、台湾の大学生たちは、自らを中国人

と見なした。いまや自分は中国 人だと答える学生は

7%以下に減った。

それだけ深まった台湾人意識に、馬氏は巧みに働きかけ

たのだ。選挙戦 終盤、氏の発言は、かつてなく、台湾人

意識を反映させ、表現も強くな った。

3月18日、中国の温家宝首相が「台湾もチベットもどちらも

(中国の)統 一、主権と領土保全にかかわる問題だ」と

発言すると、馬氏は「きわめ て尊大で、横暴で、失礼だ」と

激しく反論し、「台湾の将来は台湾の 2,300万人が決める」

と述べた。

かつて「台湾の将来は(台湾の)両岸の華人が話し合って

決める」と語 ったのとは対照的だ。中国の介入を許さない

と宣言し、台湾自決主義に 立脚したのである。

さらに馬氏は、チベットの僧侶らのデモを中国が武力で弾圧

したことに 関して、「北京五輪のボイコットもありうる」と

語った。中国政府が最 も神経質になっている問題に

「ボイコット」という究極の抗議を突きつ けたのだ。

馬氏の対中強硬姿勢は台湾の人々を安心させた。「総統に

なったからと いって、すぐに台湾が中国に統一されるわけ

ではないかもしれない」と。

平たくいえば、馬氏は対立政党の民進党の価値観を採り

入れたのだ。そ れが大勝の要因だった。今回の選挙

結果は、「外省人の勝利」「本省人 の敗北」と表現

されるが、実態は台湾人意識と台湾自決主義の勝利だっ
たのだ。

そこで問うべきは、台湾は自決主義をどこまで貫けるか、

それは台湾を 台湾人の国として存続させる力になりうるか

という点だ。答えは、米中 両国の動きのなかにある。

馬氏の勝利の背景に米中の合意があったはずだ。両国は

揃って民進党の 陳水扁政権を忌み嫌った。独立志向を

強める陳総統にライス米国務長官 は反対を表明し、

中国は陳総統憎しで政治対話の道も閉ざしてきた。

現状維持を望む米国と、ほんのわずかの独立への動きも

封じ込めたい 中国の思いはぴったり一致し、両国は氏を、

それぞれのかたちで支援し た。

こうして誕生した馬政権について、李登輝元総統は、米国と

馬氏の関係 は非常に深く、中国はいずれ馬氏を問題視

する時がくると指摘した。馬 氏は決して単純な親中派では

なく、むしろ米国流の価値観に基づいて、 台湾人意識と

台湾自決主義を守っていくと示唆しているわけだ。

百戦錬磨の大政治家、李氏の指摘は奥が深い。だが、

馬氏がどのような 国家運営をするかを判断するには、まだ

早過ぎる。確かなことは、米中 両国を軸にしたアジア情勢が

気になるかたちで動き続けていることだ。

3月12日、米海軍のキーティング太平洋司令官が、中国軍

幹部から太平洋 の分割支配を提案されたと、米国上院

軍事委員会で証言した。同軍幹部 は、ハワイ以東を米国が、

以西を中国が支配しようと真顔で提言したと いう。

中国が描くのは、米ソが二分して支配したかつての世界

秩序のかたちだ。そして、中国は旧ソ連邦的な対米敵対

姿勢を採らない。米国はそのぶん中国に誘引されやすい。

米中が手を打てば、台湾は即中国にのみ込まれ、馬政権が

台湾自決主義 を尊重しても無意味になる。

また日本は深刻な孤立に直面する。

こうした事態には自力で立ち向かうしかなく、日本はまさに

今、最悪の 事態を念頭において覚悟を固めなければなら

ないのだが、福田康夫・小 沢一郎両氏にはそんな考えは

露とも浮かばないのであろう。

まさに政治 の貧困で日本は力を落としていくのである。

(週刊ダイヤモンド)
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砂漠でない「月の沙漠」
━━━━━━━━━━━渡部亮次郎

東京音楽学校(現在の国立東京藝術大学)出の流行歌手

藤山一郎は太平 洋戦争が激化すると、前々から激戦地に

赴き慰問演奏をしたいという希 望があり、1943年

(昭和18年)読売新聞社の企画で南方慰問団を結成、
2度南方に赴き、幾度の死線を突破して音楽活動を続けた。

ところが1945年(昭和20年)、インドネシアで終戦を迎え、

インドネシ ア解放軍、イギリス軍の捕虜となる。この抑留

体験が大衆音楽家藤山一 郎の人生を決意させた。1946年

(昭和21年)、航空母艦「葛城」に乗船 して復員。この間、

巷では藤山一郎、南方死亡説が流れた。

帰国後、コロムビア専属藤山一郎としてスタート。ハバネラ

タンゴの『銀座セレナーデ』『ふるさとの馬車』が巷に流れ

たものの放送に出る機会はなかった。ようやく1947年

(昭和22年)、ラジオ歌謡『三日月娘』に出てファンは

藤山の生還を知り歓喜したのだった。

「三日月娘」は藤山の生還第1声、戦後初のヒットとなった。

私は小学6年生。家には未だラジオが無かったが、向かいの

友達が兄さん の買ってきたレコードをかけて呉れて

「三日月娘」を聴いた。
「幾夜重ねて 砂漠を越えて 明日はあの娘(こ)のいる町へ
鈴が鳴る鳴る 駱駝の鈴が 思い出させて 風に鳴る」
作詞:薮田義雄 作曲:古関裕而。共に軽快である。

しかし砂漠と言うものを見たことの無い少年は、なんとなく

「月の沙漠」で砂漠を連想するだけ。しかし「月の沙漠」は

千葉県御宿海岸の砂浜をモチーフに書かれたと聞いた事が

あり、本物の砂漠もそれこそ果てしなく広がる砂丘を連想

していた。

ところが41歳の時、想像もしていなかったサハラ砂漠上空を

飛んで実見 した。果てしなく広がる不毛の土地は間違い

ないが、岩山あり、谷あり、水なし。迷ったら死ぬ事必定の

地獄だった。

時々、油田のガス抜きの炎が高い煙突から拭いているの

が見えて、ここ がいまや不毛の地が、厖大な冨をこの国に

もたらす油を溜めている事を 改めて知らされるのである。

余談だが、私を乗せたのはサウジアラビア政府提供の

大型ヘリだったが、猛烈な騒音が子守唄になってしばし

眠ってしまった。「時差ぼけ」をあれほど実感した事は無い。

また駱駝に乗ったキャラバンは確かだろうが、厳しいイス

ラム教の男女 関係を律する教えを知れば知るほど、

三日月娘は夢の世界と知る。

サハラ砂漠砂漠(さばく、沙漠とも)とは、雨があまり降らず

降雨量よ りも蒸発量の方が多い土地。植物がほとんど生息

せず、水分も少ないた め、気温の日較差が激しい。

よって農業には適さず、人間の居住が難しい地域(アネクメネ)

である。砂漠地は岩石(メサ、ビュート)、礫(れき)、砂、

ワジ(涸れ川)、塩湖、一部人などが生息できるオアシスなど

で形成されている。

「砂漠」という表記からの連想もあり、一般的には見渡す限り砂地が広
がって風紋を織りなしている情景がよくイメージされるが、実際には岩
原など、地形にはバリエーションがある。世界では岩石砂漠、礫砂漠、
砂砂漠の順に多い。

地球上の砂漠は、毎年600万ヘクタールの規模で拡大を続け

ている。これ は、上記のような気候による影響だけではなく

人間の活動に伴う要素が 大きい。

砂漠化によって、その地域に居住する人々の食料生産が

できなくなる。
二酸化炭素の吸収源である森林が減少し、地球温暖化を

加速させる など という深刻な影響がある。

こうした砂漠化を進行させる原因は、熱帯雨林の過剰な

伐採により土地の給水能力が衰える、家畜の過放牧、

過剰な焼畑農業などが指摘されている。

当用漢字制定前は「沙漠」という表記が使用されていたが、

「沙」が当 用漢字から外れたために「砂」を用いた「砂漠」と

いう表記が使用され るようになった。なお、「沙」も「砂」も

「すな」という意味を持つ漢 字であり、「水が少いから

『沙漠』と書く」というのは俗説。

学術用語としては「desert」に対して「砂漠」という訳語が

当てられる。 このため、学術用語の「砂漠」はすなじ

(砂地/沙地)だけを指すもので はないことは既述のとおり。

中国語では沙漠(砂漠)・(礫漠)・岩漠・泥漠・等の総称と

して「荒 漠」を用いることがある。2008・04・11
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