こうして中国はチベットの正当な「歴史」を懸命に塗り替えた。  | 日本のお姉さん

こうして中国はチベットの正当な「歴史」を懸命に塗り替えた。 

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

平成20年(2008年)4月17日(木曜日)弐
通巻第2161号  臨時増刊増大号
宮崎正弘のチベット紀行
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(下記の文章は2003年刊の拙著『いま中国はこうなっている』(徳間書店)からの再録です)。

▲ダライラマ法王の肖像が消えていた

 宿願だったチベットへ行ったのは夏の終わりだった。
四川省の成都で乗り換えた。 チベット各地を歩いて改めての発見は、ダライ・ラマ猊下の写真、肖像の掲示が皆無になっていた事実だ。
 北京はこうもえげつない行為を平気でやってのける図太さがある。中華思想の病理、愛国攘夷の典型的歪み。
それにしてもなんと恐るべき歴史改竄作業であろうか。
由緒あるラマ教の寺、寺、寺で「偽パンチェン・ラマ正当化」のキャンペーンが、静かに巧妙に開始されていた。

 四川省の成都に一泊し、翌早朝の飛行機でラサへ向かった。折から凄まじい豪雨で出発が遅れ、待たされた満員のロビーで奇妙な光景をみた。
 なんとラサへ向かう人民解放軍の兵士で待合室がごったがえしているのだ。待機していた兵隊はおよそ三百。皆、一様に若く、ニキビが多い。寝袋を背にして水筒を提げている。どれもこれもまだあどけない顔をしている。「もしやラサへ?」と尋ねると、そうだという。
(この少年らが、命じられればチベット人へ鉄砲を向けるのか?)

 チベット駐留部隊の交替が民間の飛行機での輸送でも行われている現実は新鮮な驚きである。たとえ軍人割引料金があるとは言っても、随分と人民解放軍は財政的にも裕福になったものである。
 若い漢族の兵士らは給食だけでは足りないのか、さかんにビスケットなどの買い食いをしている。小遣い銭があるわけだ。

結局、四十分遅れで搭乗となったエアバスは340人の定員。民間人は私を含めて十人程度、残り330人が兵隊とあいなった。
(まるで兵員輸送機だ) 
ラサへの飛行時間は二時間、雲海から下界が見えたかと思うや、四千メートル級の山間の急な稜線をすれすれに機は下降した。
乱暴なランディングで着陸時には椅子が飛び上がるかと思うほど激しい衝撃。中国で初めての体験だった。ともかく無事ラサ空港へ着陸した。
機外へでると風がひんやりとしてい、肌がひやっと寒い。高度は富士山山頂に等しい。 

その直後に西安から着いたエアバス同型機からは中国国内からの観光団が、どっさりと降り立ち、飛行場ではやくもピーチク・パークチと携帯電話相手に怒鳴りあっている。何とも喧しい風景である。
中国人ツアー客らは写真も自由に撮影している。
近年、中国経済の猛烈な成長とともに中国人自身が国内名勝を旅行する。ラサは国内観光地としてもの凄い人気があり、北京、上海、西安、成都などからの飛行機は満杯。値引きは一切ない。ちなみに成都ーーラサ間の飛行機運賃は邦貨換算四万円(往復)だった。 

外国人のチベットへの入境は現在団体ヴィザでしか認められていない
従って成都にある旅行社が五人づつ編制しなおし、即席パックツアーに仕上げて、当局から許可を貰う。もう一つの方法は青海省のゴルムトで許可を貰い、バスで入る手段、しかしバスだけで四日もかかりバックパッカー以外、このルートからチベットへはいる外国人は居ない。

ラサの飛行場からの凸凹道は、いまやアスファルトに替わり、ランドクルーザーで一時間半でラサ市内へ着く。
もう一本のハイウェイを建設中で、隧道工事を付帯するがいまのところ2005年完成という。

私を乗せたランドクルーザーは、百キロのスピードで河べりの道をぶっ飛ばした。
しかしラサ川(キチュ河ともいう)は所々氾濫し、褐色の水が道路を冠水させている。土砂崩れが多くて所々で土石を排除するブルドーザが作業をしていた。渋滞箇所が多く、二時間近くかかってようやくラサ市内に入った。

途中でみた郊外の風景は荒涼としてうら寂しく、人の通りがいやに少ない。
十年ほど前までは、このあたりでも風葬が見られたという。 
ブルドーザやショベルカーのリース店は開発ブームだと言うのに閑古鳥が鳴いており、店の看板は文盲の人が多いせいか絵解きだ。それに小さく中国語、チベット語が併記されている。

酸素が薄いので、二時間のドライブだけで早くも疲労がでて、ぐったり。酒は飲まない方が無難と助言される。
投宿したラサホテルは数年前まで「ホリディ・イン」と資本提携していた老舗、いまはチベット資本だという。ロビィに隣接する売店には簡易用の酸素ボンベまで売られている。このホテル、一泊二万円もする。なるほど、チベット旅行は高くつくわけだ。
部屋にもボンベ取り付け装置が付いている。高山病にかかる観光客がよほど多いのだろう

▲毛沢東がダライラマを陪席させる曼陀羅に驚く

 昼飯のあと、二時間ほど休憩してから、まずはダライラマの離宮へ行った。
 すこしベットで横になれたので高山の薄い空気に馴れた錯覚がある。
法王の離宮は「ノルブリンカ」と称せられるが、一部しか公開されていない所為で印象としては小体な王宮群のあつまった公園のよう。軽井沢の簡素な仏教寺院といった感じである。

初っぱなから驚かされたのはダライラマ猊下に対する、あまりの不当な扱いである。
嘗て猊下の謁見された応接間に、ピカピカの曼陀羅が壁画になっていたが、そのチベット歴史の絵物語の最終場面が、なんと、なんと。毛沢東が右にダライラマ猊下、左にパンチェンラマを従えて、陪席させるかたちをとり、さらにその周りが周恩来と劉少奇という構造なのだ。
完全に暴君がチベットを支配し、聖人と従えて統治している絵図ではないか。

この衝撃はラサ市内の殆どの寺をめぐっても同じだった。
ポタラ宮殿は壮麗で神々しい。写真でイメージしてきた観光地点としての印象より遙かに壮大かつ狷介孤高として聳え立っている。
外国人観光客は正面玄関からではなく後方の門からクルマごと後宮の丘を登り、いきなり裏口から入るシステムになっている。入場料、なんと七十元! 
バター油の臭いが充満しており、宮殿内に一歩足を踏み込むと暗がりだが、立錐の余地のないほど外人観光客でぎっしりなのだ。
朝一番で入場したはずなのに、この数百数千の外国人は一体どこから湧いてきたのか、と訝る。 

なかには韓国人、台湾人の団体も目立つ(余談ながらこれら両国の物見高い団体ツアーは、中国の奥地の何処へ行っても出くわす。言葉と仕草で直ぐに分かるが、最近の日本人ツアーは実におとなしく、行儀が良い)
宮殿の中では英語、韓国語、フランス語、ドイツ語、そして日本語が飛び交うが、ここに中国語のガイドの大声が被(かぶ)さる。

いまや中国国内の観光団がイナゴの大群となってラサに押し寄せ、彼らの夥しさと喧しさは形容しがたい。土産の買い方も乱暴で、しかも大量に買う。台湾も韓国も真っ青で、まさに「中国的」風景である。
こうして漢族の観光団体は、傍若無人にお喋りをつづけ、巡礼にきているチベット族を押しのける
さてポタラ宮には千の部屋があると言うが、どこにもダライラマの写真がない。私はどの部屋でも目を凝らして探したが、何処にもないのだ。

外国の大使館に天皇陛下の写真がないような転倒した風景である。
所々に先年、なくなったパンチェン・ラマ十世の写真のみが、さりげなく飾られている。 97年頃からダライラマの写真、肖像は一切禁止命令が出たからだという。
ジョガン(大昭寺)を中心に旧市街はチベット人居住区となっている。
ポタラ宮以南の新開区は高層ビルやデパートが並び、漢族の居住区で、両区域を結ぶ幹線は「北京東路」と名付けられている(チベット民衆が何と呼んでいるか、知らない)。 
南北を走る道路は「娘熱路」、ガイドにハンサムな男でも居たからか?と命名の由来を尋ねるとチベット語の音に漢字を当てただけ、と言う。


▲胡錦濤総書記は弾圧の張本人 一体、誰がチベットの歴史を改竄しているのか?

 総書記になった胡錦濤は安徽省の生まれで、清華大学卒業組のエリートである。
胡は革命元勲から第四世代に属し、悪く言えば「顔のない、薄っぺらな印象」しか残らない。胡錦濤は1988年当時、チベット書記(つまりチベットで最高ポスト)だった。おりから勃発したチベット暴動を武力弾圧した張本人である。
チベットの聖都「ラサ」はチベット語で「神の地」という意味である。
この「聖域」を中国は軍事力を投入して踏みにじった。

革命後、中国がチベットになした悪の業績は、血生臭い惨事、極悪非道という以外、言葉がでてこないほどの凄まじき殺戮、弾圧、宗教破壊だった。
1959年、いたたまれなくなったダライ・ラマはインドへ亡命し、臨時政府を樹立した。
中国は居残ったパンチョン・ラマに対抗心を煽り、北京に都合のいいように政治利用し、なんとしてもダライ・ラマ十四世の精神的影響力を排除しようと躍起になった。

1987年から、ラサに暴動が断続的に起こり、89年には戒厳令が敷かれた。
世界の人権活動家、民主活動家が立ち上がり、北京に抗議したが、日本政府はこの列に加わらなかった。ハリウッドでは「セブンイヤーズ・イン・チベット」や「クンダン」などを映画が作られ、フィルムを通じて世界の世論に訴えた。
北京の猛烈な妨害工作にかかわらずダライ・ラマ十四世にはノーベル平和賞が贈られた。

チベットのしきたりではダライ・ラマの後継者はパンチョン・ラマ(阿弥陀仏の化身)が指名し、パンチョン・ラマの後継はダライ・ラマが指名する。
しかし歴史的にみても屡々対立が起きる。
パンチョン・ラマ十世が本拠地のシガツェにあるタシルンポ寺で急死したのは、胡錦濤と会見した六日後。いまも暗殺説が根強く胡との関連を云々するチベット人がいる。
ダライラマは霊童ニマ少年を「パンチョンラマ十一世」と認定した。ところが北京は95年二月に突如、このニマ少年を拉致し、一方的にノルブ少年を後継者と指名した。

ノルブ少年は2002年7月5日に十三歳の儀式を中国政府公認で行い、「江沢民主席の教えに従い愛国の活き仏になります」と誓わされた。 
チベット仏教第三位の高僧カルマパ十三世は00年一月にインドへ亡命し、ダライラマ政府に身を寄せた。カルマパは中国が指名した経緯があるが、仏教の教えにそむく中国の「愛国虚言」には乗せられなかった。

経済的にチベット「援助」の実態は資源の搾取

2001年7月17日、胡錦涛国家副主席が率いる中国中央政府代表団がラサを訪問した。
これは1951年の「チベットの平和解放に関する協定」締結から50周年に当たるので、その「祝賀」行事に参加したものだ(「侵略支配」を「平和」と言い換える中国の図々しさ!)。

胡はチベット書記時代にラサ暴動を軍を出動させて鎮圧し、多くのチベット青年を拷問のすえ獄中死させた張本人だが、それ故に北京中央の「覚え」めでたく、異例の出世と遂げた。 
01年6月下旬に北京で開かれた第4回チベット工作会議で「チベットを現代化建設の前列に進ませる」方針が決まった。
あまりに開発の遅れたチベットを放置すればするほどに人心の荒廃が進むとの懼れからである。
中央政府は新たに312億元(約4500億円)をチベットに投資するとした。青海ー西蔵鉄道をはじめ、ゴルムトーーラサ間に鉄道を敷設(これだけで三億三千万元の予算)するなど合計117のプロジェクトを進めている。 

これは「チベット住民の生活向上」が目的とされるが、実際には工事のために夥しく入植する漢族、とくに独身の中国人達へのアパート建設などに投じられており、羊、やくの毛皮なども漢族の商売人が流通ルートを独占している。

とはいうもののダライ・ラマ14世の影響力は依然として絶対的なもので、漢族のいう「平和」とは「チベット侵略と支配の恒久化」でしかない、と多くのチベット民衆は認識している。
チベットの篤実な民が健忘症にかかり、北京に擦り寄って、長年の中国共産党への怨念、その暴力支配への恨みを物質的な文明プロジェクトで晴らすことが出来るなどと北京の考えることは、あまりに非精神的で、即物的過ぎる。

ただしロシアに「タタールのくびき」があるように、嘗て吐番(チベット)は現在の雲南、四川、青海から内モンゴルにかけて支配し、元と組んで漢族を挟み込み、西安を軍事陥落させた。漢族にはそのとき以来の「吐番のくびき」が潜在的メンタリティに内在するのは事実であろう。

実際に内モンゴルから寧夏回族自治区、青海省を連続的に歩いてみると、紛れもなくこれらは「チベット文化圏」である。
随所にラマ教寺院があり、黄みがかった茶色の僧衣をまとう若い僧らが、そこかしこで経を読んでいる。 
参詣客は絶え間なく続き、信仰は完全に蘇っている様を読みとれるのだ。

かように漢族のチベット族への支配は表向きの融和、事実上は巧妙な民族差別がある。
たとえばレストランへ入る。といっても観光客の入れるような清潔な店はラサ市内ですら、数えるほどしかない。
入り口は貧しい身なりのチベット人が楽器を弾いたり、土産を売りつけようと必死でまとわりついてくる。ポタラ宮では少女に足を捕まれ、ずっとまとわりつかれて苦笑いをする観光客が何人もいる。

食堂の経営実態はと言えば、季節的な漢族の経営者が内地から一族郎党をごっそりと引き連れて、観光シーズンだけの商売に来ている。
カフェも簡易旅館も、土産屋、民族舞踊館など、みなそうだ。

聞くと重慶、成都からの商売人が多く、食堂の味はチベット風味は少ない。どれもこれこれもなんとなく四川風だ。麻婆豆腐、キャベツの肉入り、小龍包、殆どがチベットらしからぬ辛さ。
もっとも土地の産物はじゃがいも、裸麦、菜の花くらいしかなく、野菜、牛肉などは中国内地からの「輸入」に依拠している。スイカまでそうだという。

▲漢族vsチベット民族との心理的溝、職業的差別

土産屋も大概が漢族の経営で、季節労働者がワンサカ、内地から押し寄せる。 
一方、チベット族の土産屋は国営なのか、売り子は客が入店してきても、一瞥するだけでまったく売る気がなく、客をそっちのけで賭けトランプに興じている。
従業員同士がカネをかけている。
絵画、仏画(タンカ)、仏像、絨毯などチベットの名産はところ狭しと並んでいる。絵はがきが隅っこに置かれている。いずれもなかなかの値段で、高価なタンカが無造作に飾られている風景に出くわすと他人事ながら万引きにあったらどうするのか、こちらが心配になる。

タクシーは九割方が漢族の運チャン、人力車は対照的に99%がチベット族と見受けられた。要するに就労チャンスは圧倒的に漢族が有利なシステムが作動しているようだ。
米国人相手のレストランやカフェが多いのは、それだけ欧米の観光客、それも長期滞在者が多いからで、アメリカ人女性が経営する名物料亭「DUNYA」では、店の名をプリントしたTシャツまで売っている。それも一枚68元! チベット人は手が出せない金額だ。 

ポタラ宮は写真でイメージしてきた印象より遙かに実物は高く、複雑な宮内となっていて、やはり所々にパンチェンラマの写真のみ。休憩室には江沢民の揮毫がかかっている。屋上にきて写真を撮るのは外国人だけで、チベットの巡礼者らは黙って経文を唱え、階段の脇をすり抜けてゆく。

途中、立入禁止ゾーンから扉が突如開かれて、なかから漢族の武警察がぬっと顔を出す。寺の所々は公安警察は悠然と、かつ公然と見張っているのである。
郊外にあるセラ寺へも行ったが、この河口恵海が留学したことで有名な名刹もパンチェンラマの写真だけだった。
ダライラマの瞑想した室が残るデプン寺はもっと郊外にあるが、台所に巨大な圧力釜があって写真を撮る場合は入場料とは別に十五元も要求される。観光ずれが甚だしいが、何処にもダライラマの肖像さえない。
こうして中国はチベットの正当な「歴史」を懸命に塗り替えた。 

(この紀行文は、近く写真を十数葉加えてHPに再録します)。

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