軍事情報 (幕改編を提案する)斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.26
ようちゃん、おすすめ記事。↓
◎◎◎ 幕改編を提案する ◎◎◎
■生きた経験が不十分な政治家
石破大臣の会見でシビリアンコントロールの話が出ていましたが、最大の問題点は日本の政治家に軍事に関する生きた知識経験が不十分なことです。防衛官僚の側用人的な弊害は今回の事件で認識が深まりましたが、政治家も防衛官僚も視察や国会議論だけで軍事や安全保障問題が分かった気分になっているという意味では大同小異です。外国の政治家達の多くに軍務の経験があるのと大きな差です。
役人ではなく、若い政治家の皆さんに直接に各自衛隊の現場を担当して頂くことが、将来のために非常に大切ではないかと感じます。
■新統幕の誕生に伴う各幕の変質
一方、新統幕が実行動の計画、実行を一元的に担当するようになった結果、陸海空の幕僚監部(各幕)は『「いざ鎌倉」のときに必要な兵力を差し出すべく部隊の能力と態勢を維持管理する「各自衛隊の管理官庁」』に変質しました。
各幕を廃止して内局と合体させる案も大臣から出されているようですが、それでは各軍種の特質が失われて「角を矯めて牛を殺す」ことになる懸念があります。この際思い切って、次のように各幕を改編したらどうでしょうか。
■幕改編を提案する
「陸上(海上、航空)長官部」(仮称)を新設し、各自衛隊担当の政務官を増員して「陸上(海上、航空)長官」(仮称)を兼任させるのです。各幕僚長はトップではなく副長官的な立場になります。
しかし、責任ある政治家が直接に組織のトップになり、且つ官僚が介在しない体制ならば、シビリアンコントロールの実も上がり、幕僚長以下も今以上に建設的な仕事に邁進できるのではないか、と感じます。以上、ヨーソロの管見でした。
ーーーーーーー ようちゃんの記事は2回目。↓
★(私、ようちゃんより)世界の強豪国のトップ・首脳や大統領や総理は全て軍事経験がるか、無い場合」は理系のその国の最高学府や、有名な欧米系大学の理系出身者のなのです! 日本のような情緒や他人の意識を忖度する=調整役が適当な 文系出身者が国家の最高指導者の総理を務める 異常で稀なる歴史上でも気宇な 政権を日本は戦後60年以上継続しています。政治家も医師が出馬してる位で 理工学系統の大学院出身議員は皆無なのです。 自衛隊と居受けれど今の40歳代以上の幹部達は 防衛学校が理工系学部しか 存在して無い時代の卒業生だし女性の防衛大学生や文系学生( 何故募集を変えたのかは・・国内の災害発生時に 緊急出動する自衛隊の即応能力の為に、 地域国民の快適サービス提供というきめ細かい 住民の心や生活支援が重要視される 時代の要望で、定員500名入学者の枠内で20人から30人採用される時代の要請で 変更された。しかし、大半以上は理工系学生で、身体剛健、2世代前まで 家族に刑事罰犯罪者や精神異常者除く 調査をされて 3次試験で選ばれてる。その内容は 入試は勿論、普通に全国一斉共通1次試験も受けてるし 最終では面接・身体検査 ・身元調査も行われます。)防衛医科大学も同じですが、 若干身体検査の中の
視力検査が 眼鏡着用でも 基準が緩い。 コンタクト着用でも視力の検査も緩いし、身体の体重の豚も認められるし、身長の低いチビも採用されれば、 極度やせガイコツも許される。 要は防衛医科大学生は男としては 魅力的は無い、目が悪かったり、(眼鏡補正できる)身長がチビとか、体重のデブとか 体臭が少々匂う奴でも通るのです。
また 理工系学部学生は 癲癇や色盲は 全国どこの国立大学も 入学資格も無いのです! そして理工系大学は 国立系でも私立系でも文系とは 入学基準点数が 大幅上だし、入ってからも、真面目な学生なら、実験はあるしレポート提出が頻繁だし。企業と提携してる研究で教授の手伝いなど頼まれるだけの 将来収集な学生は、寝る暇も無い!
又、学費も文系のように安い学費では無い! 教科書も参考書も非常に高価ですよ。-----詰まり文系のような知能程度とは最初から能力が違う事は世界中が知ってるのです! 今日本はこの理工系学部出身学生が 不足してるのです。 産業部門も、営業系でも 理工系学部の学生の知識が 翻訳部門でも 今は求められてます。まして世界のトップ・リーダーは理工系学部卒業の 軍事情報部出身と言う スーパー頭脳の連中が巨大国家を動かしてます。軍事戦略思考が出来る人材は世界では大事にされています。 日本だけが 自衛隊の防衛大学出や防衛医科大学出の疫学専門医師を小馬鹿にしてますが、 マラリアやペストと言う自然界 見えにくい形で繁殖し、野生生物を媒介としてるこの2つの人類の巨大悪魔の根治が出来ない現状で 温暖化に向かい蚊や蚤などの昆虫は絶滅出来ないし 普通の町医師の知識では 処置できないのです。人口が増大し飛行機で短時間で多数の国家を結んでる交通体系の、現在の地球では、 広域疫病対策やテロ対策など 普通の医療や警察では手に負えない事件が 何時起きるかも分からない 危険水域なのです。文系二世。三世お坊ちゃま国会議員の集合体の脳味噌で ハニートラップやや 臓器トラップやら 少女買い春やら、パチンコマネーに毒された 内政の主導権抗争に明け暮れる議会を 放任しておけないのです。世界は今 分岐点に来てます。 米中は 連鎖して崩壊する 可能性が大きいのです。
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斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」vol.26
□□ 宮中三殿改修による祭祀の簡素化 □□
このところ数回にわたって、宮内庁長官「苦言」騒動について、取り上げてきました。長官の「苦言」それ自体、異例ですが、皇太子殿下の「プライベート」発言も衝撃でした。古来、「絶対無私」のお立場に徹してこられたのが日本の皇室だからです。
メディアは今回の騒動を「宮中激震」「皇室の亀裂」とショッキングな見出しなどで伝えていましたが、当メルマガはあらためて歴史を振り返り、構造的な問題として、「公」を貫かれてきた日本の皇室が近代になり、「私」という相矛盾する価値をも追求する苦悩と葛藤のなかにおかれていること、プライバシー暴きに血道をあげ、騒動を導いたマスコミの挑発・誘導という外的要因が見落とされていることなどを指摘したつもりです。今号では騒動に関連して浮かび上がっている、気がかりな皇室祭祀の簡略化問題について、考えてみます。
▽宮内庁の反論
宮内庁は皇室に関するマスコミの誤報・虚報などが相次いでいることへの対策として、昨年末、抗議や反論などをホームページ上で公開するようになりました。
今回の報道に関しては、「文藝春秋」4月号の座談会「引き裂かれた平成皇室」について、3月21日付で、2点の指摘がされています。
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指摘はいずれも祭祀に関することでした。
記事では、ある大学教授が、皇后陛下が「祭祀に非常に熱心」であることの例として、「天皇と皇太子が出ればいい小祭」にも「一部」ながら出席していること、今上陛下の手術静養中には代わって祭祀に出席されたこと、を挙げました。これに対して、宮内庁は、「天皇陛下および皇太子殿下のみが御拝礼になる小祭は、歳旦祭、祈年祭、天長祭の3つ」である、などと反論しています。
参考までにいえば、宮内庁のホームページには皇族方のお出ましが一覧表になって掲載されています。
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▽「潔斎(けっさい)も要らない」?
宮内庁の指摘通り、天皇の代理として皇后が祭祀に出席するということも聞きません。戦前は皇室祭祀令(明治41年)という成文法の定めがありました。天皇がみずから祭典を行うのが大祭で、小祭は天皇が拝礼し、掌典長が祭典を奉仕します。小祭について、「天皇喪ニ在リ其ノ他事故アルトキハ前項ノ拝礼ハ皇族又ハ侍従ヲシテ之ヲ行ハシム」と規定されていましたが、天皇の代拝を皇后がお務めになることはあり得ないでしょう。
あり得ない、といえば、座談会では次のような発言もありました。
「祭祀といっても、現在は宮中三殿が耐震補強中で、仮殿で行われていて簡略化されているし、潔斎も要らない」潔斎が不要? そんなことがあり得るのでしょうか。祭祀はみずからの罪穢れを祓い清めて神に近づき、神と一体化し、御神意を引き継ぐという意味があります。当メルマガで何度も引用してきたように、「およそ禁中の作法は神事を先にす」(順徳天皇「禁秘抄」1221年)です。祭祀最優先の皇室において、潔斎が要らないとは信じられません。
詳しい方にさっそく聞いてみましたが、案の定、「あり得ない」という言葉が返ってきました。だとすれば、なぜ宮内庁は抗議をHP上に掲載しないのでしょうか。
▽筋違を入れて補強
もっとも気がかりなことは、この発言にある、耐震改修に関わる祭祀の簡略化です。報道によると、宮中三殿の耐震工事は一昨年に始まりました。主要工事がほとんど完了したことから、先月25日には御霊代(みたましろ)をお遷しする奉遷の儀が執り行われました。
工事中は神事は仮殿で行われ、天皇陛下はモーニング、皇后陛下はロングドレス姿という洋装で、庭上から拝礼する形式がとられていたと伝えられます。明治21(1888)年に完成し、大正12(1923)年の関東大震災による破損修復以来となったといわれる今回の工事ですが、具体的には筋違(すじかい)を入れて床下を補強するなどの改修が行われたようです。
首都を壊滅させた関東大震災はマグニチュード7.9でしたが、宮中三殿はこれに耐えました。四竈(しかま)侍従武官の『日記』などによると、地震発生からほぼ一月後には「震災並びに帝都復興の事を御親告の儀」が荘重に行われています。
つまり現在地に遷座して以来、100年以上、いくたびかの地震に耐えてきたのはそれだけ高い耐震性をもつ建造物であることの証明ですが、今回は震度6強の地震で部分的破損の可能性があるとして工事が行われたといわれます。しかし、老朽化し、大地震で損壊のおそれがあるとしても、筋違を入れるという補強工事は妥当な選択だったのでしょうか。
▽「かえって危険」
以前、宗教専門紙に書きましたが、もともと日本の伝統的木造建築には筋違と呼ばれる斜材がありませんでした。日本の建築に導入されたのは明治以後で、大地震がきっかけでした。
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お雇い外国人のコンドルが、明治24年の濃尾地震の被災地調査のあと、「日本家屋が地震に弱いのは筋違がないのが原因」と指摘し、以来、日本の建築は基礎を固め、筋違で抵抗力を増し、金物で補強するというヨーロッパ風の「剛」構造路線をひた走ってきたのです。
しかし「柔」構造の伝統的木造建築には、太い柱自体に転倒復元力があり、木材の接合部には応力の吸収力があります。そこへ筋違を入れて建物を固めれば、力のバランスが崩れ、「構造上、かえって危険」と指摘する木造建築の専門家もいます。
最近では木造建築に関する科学的な研究も進んでいます。阪神大震災以後は建築基準法が大改正され、性能が証明されれば、かつては日陰者扱いだった木造建築が近代構法と同等に論じられるようになりました。逆に、霞ヶ関ビル以来、近代構法が「柔」構造を取り入れています。
しかし明治の洋風化の発想から脱却できない人たちがまだいるのでしょう。その結果、日本の伝統の核心部分であるはずの宮中三殿に、西洋風の筋違を入れるという改修工事の決断がなされ、そして皇室の祭祀は簡素化されたのです。
不要な改修、望まれざる近代構法導入に起因する祭祀の簡略化だったとしたら、見過ごされていいことではありません。改修された宮中三殿が「かえって危険」なら、なおのことです。杞憂であればいいのですが……。
□□ 話題「戦争と新聞」 □□
敗戦で豹変した大新聞─天孫降臨学術調査「誤報」騒動─
▼「神話は根拠なし」に住民激怒
およそ50年前の昭和31年7、8月、財団法人神道文化会は、国学院大学の滝川政次郎教授(法制史)を団長とする総勢30余名の調査団を、天孫降臨神話で知られる九州の高千穂・阿蘇に派遣し、学際的調査を実施しました。その目的は記紀神話に描かれた天孫降臨の実証研究にありました。報告書『高千穂・阿蘇』に教授が書いた序文によると、皇祖発祥の地は、戦前は九州説が有力だったが、戦後は大和説が有力になった。戦前は政府が九州説以外を許さず、異説を弾圧した。そのことへの反感が戦後の大和説に力を与えた。けれども歴史は実証的でなければならない、というので、現地調査が企画されたのだといいます。
朝日新聞は7月下旬、これを記事に取り上げました。ところが、「高千穂天孫降臨は根拠なし」「天孫降臨は山伏の作り話」などと書きたてたことから、「誤報」騒動に発展しました。記事は、高千穂にある岩戸神社の古代文字(神代文字)は江戸時代の製造で、高千穂周辺の古墳は年代が新しい。したがって「天孫降臨の地としての高千穂は影が薄く、神話は神話でしかなかった、という結論を見出さざるを得なくなった」と伝えました。これは調査員の片言隻句を専門家の見解とした報道のようでしたが、記事を読んだ住民は事実と信じ込み、教授らの調査に猛反発します。
▼相変わらず「虚偽の報道」にご執心
調査団にとっては濡れ衣で、誤解を解くための現地講演会が開催されました。──古墳を根拠に天孫降臨を実証できないのは明らかだが、だからといって高千穂が天孫降臨の地でないとは断定できない。記事は途方もない飛躍で、中傷に過ぎない。
調査団は新聞報道の非を鳴らし、文化会は事実を歪曲して報道した責任を問う抗議声明を発表しました。けれども、当時の調査員によると、朝日側は梨の礫(つぶて)だったといいます。それどころではありません。「マスコミ大親分」の異名をとる大宅壮一を押し立てて記者団を送り込み、「天孫降臨てんやわんや──復活しそこねた神話」と題する記事を「週刊朝日」に載せました。
週刊誌は、調査団の意図は神武天皇の実在証明で、紀元節の復活にも通じる。敗戦でご破算になったかに見えた「神話」が復活しつつあるようだ、と揶揄(やゆ)し、果ては憲法改正運動ともつながっている、と中傷して、宮崎・鹿児島両県の「高千穂」の本家争いは観光合戦だ、とからかったのでした。
滝川教授は、報告書の序文に悲痛とも聞こえる批判を載せています。
──戦時中、検察官や憲兵は「危険思想」のリストに載せられた人間の罪状をでっち上げた。戦後は新聞記者が事実の捏造や虚偽の報道という卑劣な手段で弾圧者を演じている。戦前・戦中の扇動家が敗戦を境にまんまと平和主義者に豹変した事例は少なくないようですが、じつは大新聞こそ、その代表なのでした。しかも相も変わらず「虚偽の報道」に血道を上げている。
▼「社会の公器」という「神話」
戦時中、大新聞が「大本営発表」を垂れ流しにし、国民の戦意をあおり、戦争の狂気に駆り立てたことは否定しようがないでしょう。
たとえば東京朝日新聞は国民の戦意を高揚させるイベントをいくつも手がけています。最近はきびしい靖国批判を浴びせている朝日新聞が昭和14年1月には陸軍省の後援を得て、なんと靖国神社の境内を主な会場とする「戦車大展覧会」を主催したという知られざる歴史もあります。150台の戦車が東京市中をパレードする「戦車大行進」、新聞社幹部を講師とする「大講演会」も同時に開かれ、展覧会の模様は連日のように紙面に取り上げられました。
ところが、これまた興味深いことに、平成になってまとめられた『社史』全4巻には「戦車展」の記載は見当たりません。しかも、画期的といわれる新聞連載「戦後50年 メディアの検証」でさえ、言論統制下の新聞の実態を時代への「迎合」と書き、一昨年の連載「歴史と向き合う」は「右翼の圧力があった」とさらに踏み込んだものの、被害者という位置づけは変わりません。
しかし大新聞が時代の犠牲者ではあり得ません。新聞ビジネスにとっては、戦争は時の氏神であり、部数は右肩上がりで増え続け、「経理面の黄金時代」(『七十年小史』)を築いたのです。
敗戦後、みずから責任をとって歴史に幕を閉じた報道機関は国策通信社の同盟通信以外にはないといいます。しかしその同盟ですら、実態は共同通信と時事通信に分離独立したに過ぎません。
これら報道機関に天孫降臨神話を作り話などと批判する資格はありません。「社会の公器」「社会の木鐸」という新聞の理念こそ「神話」なのです。