「環境ファッショ」の風が吹く! | 日本のお姉さん

「環境ファッショ」の風が吹く!

「環境ファッショ」の風が吹く! (3)
                         中村 忠之
  今「リサイクル法」を考える

各種リサイクル法ならびに資源有効利用促進法等 同関連法案
  http://www.env.go.jp/recycle/recycling/
によると、現在施行されているリサイクル法は以下の通りである。
1.容器包装リサイクル関連
2.家電リサイクル関連
3.建設リサイクル関連
4.食品リサイクル関連
5.自動車リサイクル関連
6.資源有効利用促進関連
7.エコタウン関連
とある。詳しくは同サイトの閲覧願いたいが、こうした法案が矢継ぎ早に施行された背景として、バブル崩壊によってそれまでの経済積極路線の行き詰まりに対する反省から、たとえば「江戸時代」から続くリサイクル先進国という視点の見直しによって、「動脈産業から静脈産業」へという国家的路線の転換が大きく浮上したことがある。

経済成長の代償としてゴミ多発による産業廃棄物の埋め立て地の払底や、緊縮意識の向上などから、官民挙げて「リサイクル」に血道を上げてきた感があった。実際にはその流通量から見て比率は大きくないものの、その大きさから非常に目立つ廃車や廃タイヤの山がやり玉に挙げられた。その裏に、路上で放置された車を早急に排除出来る法整備の不備は依然として残されたままである。

そこで自動車リサイクル関連法案とか家電リサイクル関連法案によって、その廃棄に要する費用を製造メーカーが負担するというシステムが出来上がった。

ところがしがらくして、チャイナ(続いてインド)の経済成長が著しくなり、またロシアの経済事情の改善などもあって、グローバルな形で中古自動車・同家電それに古紙の需要が急進し、加えて国内での新車の需要減退も重なり、急速にリサイクル事情に変化がおとずれる。そうした事態に即応できる法体制出なかったことや、お役所の法運営の硬直性もあって、急速に「静脈産業」の前途に暗雲が立ち籠めることになった。

自動車メーカーのOBであるKさんは、リタイア後自動車リサイクル関連企業に再就職されたが、昨今のリユース・リサイクル車の急速な減少に頭を抱えているという。また先般来、某大型家電販売店が大型中古家電のリサイクルを行わず、横流ししていた(らしい)と報ぜられたこと、そしてまた年賀状に所定の古紙を加えなかったと言う偽装問題で製紙会社が糾弾されるという事件が相次いで発生した。

こうした問題は、法施行当時の経済環境と現在のそれとの間に、大きな変化が起きていることの証左なのだが、お上にはそれを咎め非難するだけで、法の改善や柔軟な適用によって、事態を改善しようという動きが見られないところに日本の悲劇がある。

なんでも国で使用するコピー紙は100%古紙使用という規定があったそうだが、結局それに対応できる製紙メーカーがないことと、新しいパルプでも間伐材を使用したものもあるということから、最近ようやくそうした基準を緩和すると言うことになったという。

いくらリサイクルが大切だと言っても、古紙・再生紙を使用したものの方が高く付くというのは不自然である。そうした点にも思いを及ばす必要があるだろう。

前回「赤福」問題の時にも述べたが、時代にそぐわぬ法規制を元に、一方的に企業サイドを責める姿勢は、まさに環境改善に名を借りたファッショであり、自由経済にそぐわぬ統制経済的足枷を嵌めるというという愚行だといえるだろう。しかもマスコミはそうしたところに一切メスを入れず、「環境」という錦の御旗を掲げる官庁サイドに立って、企業を非難する姿勢は許し難いものがある。

中部大学武田邦彦教授は、「都市のゴミ・リサイクルは無駄」だというセンセーショナルな発言で世間を驚かした。教授によると、猛毒性がいわれる(環境ホルモン)ダイオキシンにしても、日本で一人もその被害者が出ていないこと、イタリアで許容量の数百倍の汚染事故が発生した際も、実際にダイオキシンによる死亡例は皆無であったことを教えてくれた。

今では家庭用焼却炉とか、焚き火でさえもダイオキシン発生の危険性を理由に禁止されているが、その詳しい被害データの検証例はないのだという。いわば単なる噂を元に、あたかもそれが既成事実のように取り締まることはおかしいではないか。

もともとダイオキシンは、アメリカ軍がヴェトナム戦争で、除草剤の原料ダイオキシンを使用した薬剤により「枯れ葉作戦」を行ったもので、例のベトちゃん・ドクちゃんという奇形の原因だと言われたのが発端だが、現在ではその因果関係について確たるものを見いだせないで居るという。

こうした科学的根拠が曖昧なまま、結果だけが一人歩きすることを「ディファクト・スタンダード」と呼んでいるが、この先例として、草食動物であるウサギに与えて高コレステロール症を発生させたことが、いつしか「コレステロール悪者説」にすり替わって一人歩きしていることと同類だと言えよう。

1つの法案や定説(ディファクト・スタンダード)が出来ると、必ずそれによって利益を得るものが出る。「コレステロール悪者説」によって得をするのはどこか? それは医学界であり薬学界であり、ある種の食品業界である。私たちはこれからも、そうした視点でものを見、また考える習慣を身につけていく必要がある。<この項おわり>
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  「沖縄集団自決問題裁判」に欠けた視点
                          by おおなだ
「坂の上の雲」のあと、司馬遼太郎は社会科学の上でも重要な発言をしている。「歴史小説を書くには、その時代にわが身を置いて、その時代の雰囲気を知る必要がある」。これは明確なマルクスの階級闘争史観の否定でもある。

早速、司馬遼太郎に従って沖縄戦当時に身を置いてみよう。昭和19年10月米軍はフィリッピン奪還作戦を始めた。その3年前に日本軍により豪州に追い出された復讐戦でもあったから、マッカサー軍は日本人を見つけ次第殺した。それは徹底したもので捕虜は決して捕らなかった。次の戦場は沖縄であることは周知だったから、この戦闘経過は十分に沖縄県人には届いていたはずである。

そして米軍に見つかれば間違いなく陵辱され殺される。なら見つかる前に死のう。これが県民の常識となった。小生にこれを裏付ける資料は無い。しかし、あそこまで女子供が従順に自ら死を選んだからには、軍の命令以上の何かがあったと考えるのが本線だろう。

そもそも、戦後妙な神話がまかり通っている。それは日本軍は捕虜をとらず悪逆非道で米軍は捕虜をとったと。これは大きな間違いである。ハーグ陸戦条約では組織戦闘単位として停戦合意を得て捕虜となるのであって、そうでない限り手段を選ばずひたすら相手を殺し続けるのが戦争で、米軍もそうした。日本軍も米軍も特別な戦争をしたわけでは無い。

この集団自決に軍命令があったとする考えの背後には、米軍は優しい戦争をしたから、軍命令が無かったら沖縄県民は助かっただろうという錯覚がある。それがいかに間違っているかは、東京大空襲や広島長崎の被爆で十分に明らかだろう。

小生の見解はいずれ資料としても明になるだろう。裏づけ資料は意図的に隠されてると思う。マスコミがよくやる手段だから。
              
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パンドラの箱
塚本 昭

旧友出井数彦兄の東海村原子力研究所の研究室で見せられた、彼の研究成であるグラファイトの放射線損傷のin situ(そのままの状態で)の電子顕微鏡による動的観察のビデオ映像を恐怖を持って見たことを今でも忘れることが出来ない。それは、核融合反応実験条件でのArプラズマがグラファイトをブクブクと泡のように空孔(ボイド)にしていくさまである。将にそれは放射線が物質を破壊していく状況を目の当たりにしたことによる恐怖である。

 Arイオンビームと共に画像では、見えていないが、中性子線も係わっていることは実験条件から、当然推定できることなので、単にボイドが出来るだけでなく、原子核そのものも破壊されているわけで、我々が想像する物体の破壊とは違い、我々の究極構成要素である原子そのものの破壊であるから、その破片のなかには、我々の想像外の新しい「モノ」が創られて、どのような予期しない現象が現れてくるかわからないことは、最近の素粒子物理学が示しているところである。その恐ろしさは計り知れない。将にパンドラの箱を人間は空けてしまったのを認めざるを得ない。それを実感させる恐怖であった。

 彼のこの研究はノーベル賞検討委員会の目に留まり、招待講演を依頼され他の複数のノーベル賞受賞候補者と一緒にスエーデンで発表したものとのことであった。念の為彼の出身高校は芸陽観音高校定時制であり小生とは大学の同級生である。

 地球温暖化の原因としてCO2ガスがあげられ、それを排出しないから、原子力発電を推進しなければならないという議論が盛んになっている。工学的、産業的にみれば一見合理的なようだが、物理学的には、なんら安全である根拠は無いのである。ドイツでは、一時原子力発電を全廃したことがある。一にかかって安全性問題からである。

 CO2ガスと高レベル残留放射能廃棄物とどちらが、後処理が安全か、一寸考えれば誰でもすぐわかることである。

 CO2は人体に無害であるし、しかも比較的高い低温で固体化出来るので、その容積は飛躍的に小さく出来る。貯蔵も海底など低温の場所ではそのまま放置しても安定に保存できる。それに比して、原子炉から排出される放射性廃棄物は、プルトニウムは問題はあるが再利用の可能性を秘めているが、ウラン235から主に放出されるセシウムはその放射能の半減期が約30年で完全にゼロになるには気の遠くなるような年月を必要とする。

 NUMOといって地下貯蔵を実施しようとしている組織があり、色々な所で、問題を起こしているが、地震国である日本国内に果たして、絶対安全という場所があるとは思えない。その観点からは、原子力エネルギーよりは、古典的燃焼エネルギーの利用のほうが安全だと考えられる。

 ところで地球温暖化の原因としてCO2の大気中の増大が挙げられている。しかし統計的(疫学的)な例はあるが、厳密な理論的、定量的な例証は、見たことがない。IPCCなど地球環環境関係の論議がされるとき根拠とされる数値の学術的精度保障や、出典が明示されているものはほとんどない。にも拘わらずその結論はやたらに断定的である。

 京都議定書により、各国に対する温暖化ガス低減量の割り当てが提言されているが米国などはそれを利己的に拒否している。最近は多少状況が変わっているようであるが、その代わり排出量枠の商取引が云々されるようになってきている。これなど、温暖化という完全に、技術的問題の解決にまったく背を向けるものであって、机上の問題でことを済ますというまったくけしからん話である。例によって、役人や、現場を知らない経営者の物事を矮小化しようとする悪弊であるといわざるを得ない。

確かに、現在大気温の上昇は観測されているが、地球規模の長周期気候変動で見ると、過去何度か来ている氷河期が間もなく来る時期(例えば米国のペンタゴンレポートによるとここ10年くらいで再来)になると言われている。果たしてその時期を上回って、気温上昇が続くものか、慎重に観察しなければならない。目先の気温上昇を阻止するためにCO2ガスを減少させても、即気温が確実に下がるという保障はどこにもない。ましてや、対策としてこの機に乗じて原子炉の大幅増設を企てるなどは、問題の本質を経済的(営利的)問題にすりかえるもので、今まで考察したところとは論外の事になる。

確かに資源保護のために、森林伐採や、化石燃料を無制限に浪費することはやめねばならない。それと、大気温低下とは、直接に関係があると断定することは早計である。

むしろ、人間活動を根本的に見直して、温暖化が、問題視されるようになる以前のつましい生活に帰ることを、世界的規模で考え直すべきではないのか。

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   <中村のコメント>
 荒谷君は同期生、在学中はクラスが遠くて疎遠だったが、最近の同期会で親しくなった。長年勤務した塗料関係の会社の渉外事業で、外国訪問チャンスの多かった経験からの素直な感想である。
 昨今の離婚の多さが生む日本の母子家庭の不幸を云々する前に、軽率に結婚して、忍耐することなく気軽に離婚する昨今の風潮こそ問われるべきという思いがあった。
そうした意味で、一種のテスト婚である同棲を、無批判に非難するのがいいのかどうか。オランダという変わった国は、大麻を承認し、安楽死を認め、公娼制度を是認している。問題はそれで、この国がおかしくなったかどうか、犯罪が増えたかどうか、その結果から判断する必要もある。
いま日本中で、周辺に溢れかえった破婚の現実を直視する必要を痛感する次第。一案として、キリスト教による結婚式を廃止して神道式に復帰したらどうか、と言っても無駄だろうなあ。 

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日本のお姉さんの意見。↓

日本人の結婚式や、クリスマスは

教会とは関係ない場所でやっているただの

日本式イベントだから、日本人が教会を模倣した

専用結婚式上で結婚するのを禁止しても

クリスチャンには、何の影響も無いのだ!

ただ、クリスチャンが教会で礼拝することまで

いちゃもん、つけないでね。宗教の自由が無い国は

共産国みたいなものだ。チベット人も、チュウゴク人が

宗教を弾圧するから、嫌がっているのだ。

神道式で結婚式をあげても、離婚する人たちは

離婚するだろう!キリスト教式で結婚式をあげているから

離婚する人たちが多くなったと言うのは間違っている。
友達が言っていたが、10年付き合っても、

本性は分からないってよ。結婚は、賭けみたいなもので、

やってみないと分からないって言ってましたよ。

でも、やってみたら、意外と楽しいものなのでは?

直ぐ、殴られるとか、食費を入れてくれないとか、深刻な

問題がなければ、お互い我慢して仲良く死ぬまで一緒に

暮らせたらいいのでは?統計では独身者は早く死ぬらしい。

長生きする人の共通点は友達が多いことらしい。

結婚も、他人と人間関係がうまく築けるかどうかって

試されるようなところがあるから、他人と仲良くできる人は、

結婚もうまくいくのでは?他人にはやさしいが家では

恐い人もいるけど、自分の妻を愛する人は、自分を愛する

ことだって、聖書に書いてあります。妻に優しくしたら、妻は

幸せになって、夫にも優しくしてくれるってことです。

男は、金と権力を持つとすぐ愛人を作るから、作らせないように

妻が引き締めていないとダメみたい。

夫に愛されていないと感じている妻が幸せそうな顔になるわけが

ない。不機嫌そうな妻は愛情と人のぬくもりに飢えている。

愛人を作って、妻と子を省みない夫は、年を取ってから

しっぺ返しをくらう。相手が温かい家庭を作れる人かどうか、

結婚する前にしばらく一緒に住んでみたら分かるものなの

だろうか?愛が無い家庭に育った不幸な子供でも、結婚は

やってみないと分からないものだから、相手しだいで

以外に楽しいかもしれないので、チャンスがあれば結婚して

みてください。