なぜ、日本人は岡田中将の「明日への遺言」を実現できなかったのか
ようちゃん、おすすめ記事。↓4月3日の記事です。
▼なぜ、日本人は岡田中将の「明日への遺言」を実現できなかったのか (株式投資と市場研究の兜町通信 鈴田孝史 )
部下をかばい司令官として、一身で責を負い、「B級戦犯」として処刑された岡田資陸軍中将をモデルとした映画、「明日への遺言」が人気を博しているという。その潔い生き様、また、家族愛が見る人を感動させているという。映画の原作、大岡昇平著、「ながい旅」を読んでみた。
まだ、お読みでない方のために、簡単に粗筋を記せば、次のようになる。岡田中将は、昭和20年2月、第13方面軍・東海軍管区司令官に任命される。東海軍管区とは、本土決戦を想定した内地の再編成によって生まれたものだ。
その頃、東京、大阪などの大都市では、B29などによる無差別大空襲が連日のように繰り返された。名古屋もまた、度重なる大空襲で大きな被害を受けている。軍需工場とは無縁な民家まで、焼夷弾で焼き払う攻撃は、国際法上も違法なものであろう。
そのような状況下、日本側の攻撃により、被弾した米軍機からパラシュート脱出した米兵が、何人か日本側にとらわれている。そして、幾人かが、部下の手により処刑された。それが、問題化して、岡田中将は、B級戦犯として、軍事法廷の被告席に座らされることになる。その席で、岡田中将は、責任は司令官である自分であると主張するとともに、自らの主張を正々堂々と主張していくことになる。詳しくは、お読みいただくとして、だが、岡田中将は、後世の日本人に、あるいは、当時の若者たちに、何を伝えたかったのだろうか。また、製作した監督は、なぜ、映画のタイトルを「明日への遺言」としたのであろうか。
監督の意図は知らないが、それは、「ながい旅」の巻末に添えられている「岡田資遺稿集」の中にある言葉に集約されていると思う。それは、次のようなものだ。
「民族国家は大敗北を吃したのであります。此処数十年間、大任を受けて国家指導を御手伝して居た当局連中の、大敗北であることは勿論肯定します。
が大和民族が積極的に侵略に出たとか、戦争の原因は日本一国が背負ふべし等と脱線して、果ては日本と名のつくところ何物も残すべきものはない。一切御破算で、思想迄全部輸入品に切り換へるかの如き、戦後の脱線無気力振りには、つくづく情無くなります。然れども、我等に知らされる与論は、極めて皮相一方的なもののような気がします。或いは一時的な反動も多分に見えます。更に食料不足から生ずる変態もあります。でも灰を掻き回せば確かに火種は有りませう。又正しき民族の火を燃やし直すのです。絶対に徒らなる旧態への還元ではいけません」
果たして、岡田中将が「情けない」と嘆いた「一切御破算で、思想迄全部輸入品に切り換へるかの如き、戦後の脱線無気力振り」は、戦後の反動や食糧難を克服した日本において、「民族の火を燃やし直す」ことにより、軌道修正したのか。しかも、「旧態への還元」ではなく、新生日本の建設のための努力は、行われたのだろうか。早、戦後、60年以上が経過し、灰を掻き回しても、「火種」があるかどうかは、分からない。
それでも、多くの人が知らなかった岡田中将に脚光が浴びたこと自体、日本人の中に、何かが、生まれようとしているのかもしれない。少なくとも、そう期待したい。そしてまた、現下の株式市場の低迷は、さらに安値となれば、外人投資家が、大量保有することになるだろう。資本市場を「占拠」されれば、それは一企業の価値観が外人株主の要求する方向に転換されるだけでなく、日本全体の価値観の転換をも促進することになるだろう。それについては、当ブログでも触れてきた。
とはいえ、現下の惨憺たる株式市場の様相は、長年、株式持合いなどにより、議決権の行使は無意味となり、安定配当の名の元に低配当を続けるなど、歪んだ市場に安住してきたツケである。上場企業、証券会社、そして取引所も真剣に株式市場の改革に取り組んでこなかった。
日本橋「兜町」は、かつて「シマ」と呼ばれていた。それは、昔、兜町界隈が、川で挟まれて「シマ」の様相を呈していたからでもあるが、また、一般人が入り込むのは怖い、生き馬の眼を抜く世界だ、と見られていたからでもある。
今でこそ、証券マンやアナリストは、一流企業のエリートであるかのように扱われているが、それは、ほんのこの10年間ぐらいのことであろう。今でも、日本人の株式投資に対するアレルギーは消えない。金融資産に占める株式や投資信託の保有比率が、「貯蓄から投資へ」などと呼びかけても、それほど増加しないのは、それが一因でもある。岡田中将が嘆いた「情けない」状態は、まだまだ、続くのだろうか。
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ようちゃんの意見。↓
★これは名文です!素晴らしい。日本人はこうもマスコミにコントロールされる操り人形になったのでしょう・今はもっと進化して ロボット化されつつある。欧米資本主義は相変わらず 中国とインドを 手先にして 地球中の資源も富みも 食い漁るでしょう!
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▼映画「明日への遺言」 (佐藤 守)
昨日、久々に家内と二人で映画「明日への遺言」を鑑賞した。もっと早く行く予定だったが、体調不良で通院したため、結局一ヶ月遅れてしまった。
平日のお昼とあって観客は少なかったが、春休みのせいか子供達が目立ったのは嬉しかった。最初に支那事変で「日本軍の爆撃跡で泣き叫ぶ幼児」という、米誌「ライフ」の1937年10月4日号に掲載された、当時ハースト系通信社の上海支局長であった中国系アメリカ人・H・S・ワン(王小亭)が取った宣伝映画が流れたのでがっかりしたのだが、主役の藤田まことの演技はなかなか味があってよかった。主任弁護士と主任検察官を演じた米国人俳優もうまかった。何よりも、淡々と事実にもとづいて話が進んでいく構成に好感が持てた。
東海軍司令官・岡田資中将はこの法廷闘争を「法戦」と名づけて、部下を守るために堂々と戦ったのだが、岡田中将は陸士第23期卒、陸大第34期卒(大正11年)だから、参謀次長の河辺虎四郎中将(24期)や武藤章中将(25期)よりも先輩である。
陸大教育の特色と功罪については、エリート教育、武徳の養成、戦術教育、戦史教育、参謀教育、大部隊の作戦用兵、戦術教育など、陸軍の最高学府としての教育は充実していたというものの、人事面での待遇、議論のための議論、戦術教育の独走、一般教養の不足、技術関係の教育不足、知的偏重に流れて実践能力が養われないことを恐れ、鍛錬主義・精神主義に徹したことなどが戦後批判されたが、最大の難関である受験合格を目指すため、将校たちに最高度の研鑽を必要としたこともまた事実であった。
そんな中で、岡田中将が戦場におけるいわゆる一般的な専門分野である「実戦」以外に、「法戦」と名づけた戦いを最後まで継続したことは特筆に価する。つまり、戦いは「砲を撃ち合う」だけではなく、「情報戦」「諜報戦」「謀略戦」など、「火薬を使わない戦い」が重要であって、その意味では「広報戦」や「法戦」は近代戦等において無視できない必須のものといえるであろう。
ベトナムに圧倒的な戦力で乗り込んだ米軍は、ベトナム側の見事な情報戦、広報戦、政治戦に破れて敗北を喫した。つまり、広大な原野での「大会戦」を陸大で叩き込まれた卒業生には不得手であったと思われる、戦後の法廷という「法戦の場」での戦いに、彼は見事に勝ったのである。
それを支えたものが何であったのか?勿論知識と体験、創造力であったろうが、幅広い人間性が大きく作用したのではなかったか?つまり、自分(司令官)の「命令」に命をかけている部下達に対する「愛情」と「責任感」である。映画はそれを「座禅」で示していたように思う。
映画のパンフレットの最後には「岡田資中将が命を懸けてまでも伝えたかったこと守り抜いたものとは何だったのか――」とあるが、それは軍人としての誇りであり品格であり、人間としての愛情であり責任感であったと私は思う。
翻って、個人的体験だけから見ても、戦後自衛隊の各種教育から生まれる守るべき価値観とは何か?防大はじめ、3自衛隊の各種学校、いわば「陸大」などでの教育が求めているものは何か?「日本人として命を懸けてまでも守るべきもの」が教えられているのだろうか?と、ふと気になった。
昨年来続いてきた防衛省・自衛隊の不祥事の根源には、案外そこが抜けているのではないか?と思わされたのである。淡々と演じられるこの映画は、いわば「裁判劇」だから、傍聴席で見守る役を演じた役者さんたちにとっては苦労が大きかったことだろう。しかし、岡田夫人・温子を演じる富司純子はじめ出演者たちの状況に応じた豊かな表情は、この映画を側面から盛り上げていたと思う。産経新聞などが大々的にバックアップしているから、この映画の反響は大きいと思うが、水島監督が製作した「南京の真実」もあわせご覧になることをお勧めしたい。
ところで、今朝の産経一面トップに、「北京五輪開会式」「皇族の出席見送り」とあった。日本政府は、「中国製ギョーザ中毒事件や膠着状態の東シナ海のス田共同開発問題に加え、チベット騒乱など不安定要因が多く、時期尚早と判断した」という。当然である。米下院ではペロシ議長が、米大統領も開会式出席について「ボイコットを検討すべきだ」と発言したという。ヒトラーに政治利用されたベルリン大会の二の舞を演じてはなるまい。
産経25面のスポーツ面の「甘口辛口」欄に、今村記者が「31日に北京に着いた聖火歓迎式典のクライマックスで、「聖火台に点火したのが胡錦濤国家主席だったのも、五輪の政治化どころか政治そのものに見えた。点火は普通開催都市の市長あたりの役どころだろう。しかし、胡主席のほか共産党幹部が多数出席し北京市長は司会役だったという。中国の大国化の象徴となる北京五輪。・・・なにやら、ユダヤ人差別で批判されながらも、ヒトラーがナチスドイツの力を誇示するために開いた1936年ベルリン五輪を思い出してしまう。聖火リレーはそのベルリン五輪から行われ、第二次世界大戦が始まると、ナチス軍は聖火リレーが下調べになったかのように、そっくり反対のコースで侵略を続けた。・・・今回、聖火はチベットの象徴である世界最高峰エベレストに登る。チベットが中国の一部であることを世界に印象付けるつもりか、最大級の政治利用だが、こんなに国際的なイメージが悪くなっては労多くして功少なしの感もある。・・・頼まれてもこの五輪だけは行きたくない」と書いた。
多分、胡錦濤主席の率いる共産党政権は、政治生命が五輪にかかっているので、彼としては起死回生のつもりであろう。国内の反胡錦濤派を封じるためにも、何としてでも成功させねばならない。そんなこんなで5月訪日は多分キャンセルされるに違いない。絶好のチャンス!その間に、一日も早く我が国の政治が正常化することを期待したいのだが・・・
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ようちゃんの意見。↓
★軍人らしい簡潔で要諦を外さず 正確さだけを追求する、自己の感情を殺した報告文体に徹してる 佐藤閣下のブログには敬意を払っています。文章は読むと人柄が滲み出て来て 私・ようちゃんにとっては 懐かしい祖父の言葉を彷彿とさせられます。私は祖父母によって養育されました。両親は二束草鞋で稼ぎまわる事に 集中した守銭奴としか認識してない状態が長く 続きました。我が兄弟も同じでしょう。今は説明出来るのは 両親は相続税問題を抱えていた。伝統芸能継承家庭なので・・・」農業のように優遇制度が無く、家屋敷と 過去の遺産である伝統芸能の能衣装などが時価算定されて 課税されるので、この伝統文化を残すので必死だったのです。 私達兄弟など眼中には無かったのです。正に必死・命がけで 昼夜二速草鞋で 稼いでいたのです。 寡黙で自分に責を科す、男性らしい生き方をした父も目に浮かぶのです!
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日本のお姉さんの意見。↓
だから、相続税がキツイと、日本の伝統ある
文化や文物が残っていかないから、困るのよ。
そんでもって、調べてみたら、外国人が
土地を自分名義で買える国って、アジアでも、
西洋でも、あんまり無いよ。いや、ほとんど無い!
日本は、外国人に甘い。
このままだと、相続税が払えなくなった
日本家屋や伝統芸能を受け継ぐ家族が
滅びて、跡地を、チュウゴク人などの
不正と汚職でおもいっきり儲けて金持ちに
なった外国人が日本にしばらく住んで帰化して
土地を買いあさられちゃうよ。
日本の大きな家屋が消えていくと思うよ。
相続税が大変だもの。
せめて、伝統芸能や、伝統の工芸品を作っている
日本人には、相続税を課すなよ。
日本の政治家は何をしている。
まともな法案を作って日本の家と文化を守って
ほしいです。農家ばっかり保護して、、、。