よみがえれ美しい日本
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◎塚本三郎の「今を斬る」 因果は巡る風車
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◎選挙はその時代の風向きによって、政党の勝敗が変化する、それが民主政治の宿命か。日本では、昨年の参議院選挙で民主党が圧勝した。まるで、その前の衆議院選挙で自民党が圧勝したのが嘘だったと思える程に勝敗が逆転した。
お隣の韓国も同様に、政権は金大中、盧武鉉政権から、野党ハンナラ党の李明博に変った。いや南の台湾も同様に、野党国民党の馬英九氏が圧勝した。そして今年秋の米国大統領選挙でさえ、ブッシュパパの八年、そして現ブッシュの八年、合計十六年、米国共和党政権は、漸く野党の民主党に移るであろうとの風向きとなった。
政権の交替が、その時代の風向きに振り回されると言えなくもない。
小沢は怨念の政治家だ。ゼニ丸こと金丸信を後ろ盾に、自民党幹事長として権勢を欲しいままにした。総裁の座を目前にしながら、金丸の逮捕・失脚で頓挫、あげく離党せざるを得なくなる。付き従った羽田孜、渡部恒三、石井一、鳩山由紀夫……民主党の現幹部は、いずれも経世会で、本来なら自民党内で一派をなすグループだ。それが民主党を名乗って、福田自民党と対峙する。その抗争は、本来なら自民党内の権力闘争のはずだった。ところがそれを国会の場に持ち出している。日切れ法案を参院で塩漬けにして、ひたすら嫌がらせをする。これをしも政権抗争といえるか。 九段靖之介 WiLL五月号参照
国民を人質の泥仕合。三十年前、大蔵省出身の福田赳夫を中心とする官僚群に対抗して、今太閤と評された、田中、金丸を頭とする経世会の面々の対立は、自民党内の抗争であったから、野党の我々にとっては、当時高みの見物と見過ごすことが出来た。
併し今度の抗争は、与党内ではなく国会内での抗争である。与党と野党の政権争奪であり、国民を人質にとっての、審議拒否の抗争と化している。その上、衆議院と参議院の院の権威をかけてのニラミアイでもある。そこには憲法及び過去の「法制の欠陥」を利用しての野党の攻めであり、過去の慣例を押し通さんとする与党の「官僚支配の惰性」とのぶつかり合いでもあるから、三十年前の抗争よりも一桁も大きな対立であり、国家の品位と信用をかなぐり捨てての抗争と化している。
◎ことの始まりは、小沢一郎が経世会の相当数を引き連れて自民党を脱党し、うまく風に乗った細川護熙の、日本新党と合流した細川政権からである。細川護熙はマスコミの風車に乗って、政権を担当し、その上再びマスコミの風車に乗せられて、小選挙区制を実現した。
欧米の民主主議政治の大部分が、ほど良く政権交替をする二大政党である。日本もほどよく与野党が政権交替をする為には、二大政党であることが望ましい。それには各国が実施している小選挙区制が土台であったからだ。
ゆえに小選挙区制を実現することが基本だと、マスコミも、政党人も勘違いした。欧米各国は、二大政党であるからこそ小選挙区制がふさわしい。それを逆に取り違えて、小選挙区にすれば、二大政党に収斂されると勘違いして、強引に小選挙区制度を強行したのが細川内閣であった。その後ろ盾が小沢一郎氏とみられる。自民党も、マスコミの風に吹かれて、やむなく小選挙区制に賛成せざるを得なかった。
選挙互助会の党
小選挙区制となれば政党は一区一人の当選だから、一党から複数の公認は出来ない。立候補の意志を持っていても公認を得られない候補者は、止むなく離党し、別の党を名乗って出る以外にない。かくして今日の各党の内情は、全く別々の思想と政策を持つ多党化の様相となってしまった。しかし、選挙の時の為に、一つにまとまる必要があるため、外面は一つの政党となっている。ゆえに各党共に「選挙互助会」とアダ名される。与党も野党も、政党としての体を為していない、党内はバラバラの多党化現象が実状である。
小選挙区制となって、従来の中選挙区を一区一人に細分化した。群馬県三区出身の中曽根、小渕、福田の三人のうち、福田康夫、小渕恵三の二人を小選挙区に位置し、中曽根康弘に、大勲位と呼ぶ最高位の叙勲を与え、ゆえに小選挙区ではなく、北関東比例第一位で当選を確約し、永久当選に祭り上げたのが、竹下元首相の苦肉の策であった。
小泉政権になって間もなく、自民党では、衆議院の公認候補者の定年制を実施することになり、七十三歳と決めた。ことの成り行きから、生涯一位の栄誉を担って居られた中曽根先輩も、定年の例外とは為し得ず、小泉首相は、心ならずも大先輩に次期衆議院選挙への辞退を言い渡さざるを得なかった。そのゆえか内閣改造の際、ご子息中曽根弘文を、文部大臣に任命して注目を集めた。中曽根大勲位への申し訳と解釈した人が多い。
郵政民営化法案は衆議院を通過した。しかし危惧された参議院は、最後の土壇場で、中曽根弘文議員が、数名と語らって反対に回った結果、参議院で否決となった。
中曽根大勲位の怨念ともみられる。小泉首相は、国民の意思を問うと言って、郵政民営化の法案に賛成したのに、衆議院の解散に打って出た。まるで八つ当たりのようだ。
衆議院選挙に際して、郵政民営化に反対した自民党議員は、党議違反として党公認を与えなかった。のみならず公認を外した旧自民党候補者に対して、知名度の高い人達と、美人の女性を党公認候補として対立せしめた。マスコミはこれを「刺客」と評した。
永年同志として苦楽を共にした仲間に対して、公認を外すことは政党として止むを得ない。だが刺客まで差し向ける仕打ちに対して、マスコミは嘲笑し、国民から顰蹙をかった。結果は、小泉政権の圧勝に終った。郵政事業が地域に果して来た効果と集票力は、過疎地域こそ大きい。それに加担した議員の多くが落選の悲運に泣いた。
◎間もなくおとずれた参議院選挙に際し、民主党代表小沢一郎は、田中角栄仕込みの選挙戦術を心得ている。郵政民営化による善、悪は別にして、当面、直接に被害を受けたのは過疎地域である。それは即小泉首相に対する怨念が重くのしかかっている地域である。
参議院選挙に際して小沢一郎は、過疎の一県一人区となっている地域で、集票に全力を注いだ。その結果、一人区のうち四分の三の県で勝利した。選挙史上特筆すべき勝利である。その結果、衆議院は自民・公明の連立与党で三分の二を超す勢力であり、参議院は民主党を中心とする野党が、過半数を十七議席上回った。衆議院の圧勝から僅か一年後に、民主党中心の野党が、参議院逆転の大勝利となり、ここからネジレ国会となってしまった。
参議院選挙で、なぜ自民党は大敗したのか、そして民主党はなぜ勝利を得たのか。勝者も、敗者も、その原因を究明する必要がある。理念か政策か或いは客観情勢か。勝ったから俺の言うことを聞け、と言わぬばかりの居丈高な野党と、負けたから仕方がない、という低姿勢の、双方の見苦しい姿と顔が、連日テレビに大写しである。双方の責任者の勝敗の原因を省みる姿勢は見受けられない。
◎参議院選挙は、日本国民が聡明な判断を下したと思う。自民党・小泉前総理の果した衆議院選挙は、余りにもヤリスギと国民はみてとった。自民党の一部の郵政反対議員は、決して小泉が憎いのではない。過疎地域の生活の拠り所は郵便局だ。その上、郵貯と呼ぶ世界一の巨大銀行が、やがて民間銀行となり、米国の要望通り開放されたら、国民の零細な貯金が危なくなる。そんな深慮から、小泉の執念にも似た郵政民営化にストップをかけた。
それに対抗して小泉首相は、衆議院の解散と反対者への刺客は、今迄の自民党にあらざる所業であった。この際、自民党そのものに「お灸をすえ」反省を求めるべきだ。これが参議院選挙の民意であると私は判断する。
民主党の勝利に、小沢一郎がいみじくも連立政権の際言明した如く、未だ政権を担うには未熟な点が多い。せめて大連立によって、政権とは如何なるものかを、実際の政務を学ぶ天与の機会と受け止め、修練を重ねる必要がある。その見通しと信念は見事であった。
惜しむらくは、その言を旬日を経ずして、自ら否定してしまったことである。
民主政治を経ること既に六十余年を経験した日本国民は、衆議院と参議院の比重を知らないはずはない。小泉のやりすぎを、今のうちに修正させておきなさい。そんな期待こそ参議院選挙に於ける、民主党へ投票した民意と受け取るべきではないか。
それを、天下の権を渡せ、そのため直ちに衆議院を解散せよ。風向きの変わらないうちに。そんな民主党幹部の焦りの顔色がみえる。
解散の手段として、国民生活に必要な法案を人質にとって、与党を追い詰めている。目的の為には手段を選ばない。国民は、そんな荒っぽい手段を許すだろうか。
参議院は衆議院の「ゆきすぎ」及び「足りない点の補完」の為の任務であったはずだ。しかし、今日の民主党は、参議院が直近に示された、国民の民意だからとうぬぼれて、衆議院で採決された与党の法案の大半を阻止して、衆議院の無力さを国民に示してみせる。
法の不備を利用し、国会同意の人事案件まで支配している。日銀総裁の与党案を三度拒否した。野党は、国民を人質にとっての与党への逆襲ではないか。福田首相の対応もまた、余りにも拙劣であり、政権に対する執念に見えて見苦しい。見るに見兼ねた河野衆院議長と、江田参院議長の仲裁も功を奏しなかった。
両院議長の仲裁案を、与野党の代表が受諾しておきながら、即日、議長案を嘲笑するが如く、自民、民主の代表者が、百八十度異なった意味に受けとる、受諾声明を発表した。これは両議長をグロウする態度である。
ガソリン税の特別加算税の維持が打ち切られて、消費者に迎合した民主党は、大いなる支持層を得たとほくそ笑んでいるだろう。参議院選の勝利が、幸運をもたらした。だが参議院選挙をして、民主党の勝利をもたらした、郵政民営化反対の、自称被害者地域、即過疎地は、ガソリン税の削減によって、道路財源の相当数を打ち切られる。
それで泣くことになったのは、さきに郵政民営化で、腹立たしい思いを晴らす為に、小沢民主党支援に協力した過疎の県ではないか。その県知事や市長達が、今度は逆に、道路財源を守れと、民主党に対抗して自民に陳情している、これはマンガである。
何から何まで、あなた任せの風車の政局は、際限なく因果の裏表が繰り返されている。衆参のネジレ現象は、与、野党が国家と国民のために、真摯に話し合う天与の機会である。それをしも逆用する野党の無責任と、自らの信念を持たず、無能を暴露しつつある福田首相に、国民は、国家の前途を悲観し悲鳴をあげている。日本丸の迷走をいつまで続けるつもりなのか。
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◎松島悠佐の軍事のはなし(66)「防衛省の参事官制度」
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防衛省改革については、国際的な視点で進めて欲しいとの意見を度々書きましたが、不祥事が続いている防衛省では石破大臣の強い指導の下、省内の業務処理を主体にした改革が進められています。
大臣は、改革に当たって「防衛省の組織のあり方について」の指針を示していますが、その要旨は、おおむね次のようなものです。
・防衛省の組織は大臣にとって極めて使いにくい組織で、どこで誰が何を決めているのか分からない
・背広組と制服組がどのように業務分担すべきなのかを整理する必要がある
・参事官制度をどうするか、文官が制服の上位に立っている組織を見直す必要もある
・防衛力整備、運用、ならびに国会対策の3つの機能に分ける案もある
大臣は、これまで半世紀にわたって続いてきた防衛省の組織、即ち、「内局」「統合幕僚監部」「陸・海・空幕僚監部」の5つの幕僚組織を大きく組み替える案を考えているようです。
背広組と制服組の再編成を考えるのであれば、その目玉になるのが「参事官制度」です。と言うのは、制度に対する評価はいろいろありますが、防衛省の業務実行の根幹を決めているのがこの参事官制度だからです。
参事官制度のおさらいをしておきます。
「防衛省設置法」
第7条:防衛省に防衛参事官を置く。
2.防衛参事官は、命を受けて防衛省の所掌事務に関する基本的方針の策定について防衛大臣を補佐する。
3. 防衛参事官の定数は、政令で定める。
大臣を補佐する防衛官僚や制服幕僚長の官職の中で、「基本的方針の策定について大臣を補佐する」のは「防衛参事官」だけです。それ以外の官職は所掌事項について大臣を補佐することになっています。
平たく言えば、防衛省の職務の基本を決める最重要なポストが防衛参事官です。さらに、防衛参事官の配置について次のような決まりがあります。
第9条:本庁に長官官房と局を置く(抄)
2.官房長及び局長は、防衛参事官をもって充てる。
これによって、内局の官房長及び局長が参事官として、基本を決める立場に立つことになります。
そして同法第12条には、官房長及び局長が行なう大臣への補佐業務として、次のことを定めています。
・統幕ならびに各自衛隊に関する各般の方針及び基本的な実施計画の作成について大臣が行なう指示
・指示に基づいて各幕僚長が作成した方針及び実施計画について大臣が行なう承認
・統幕ならびに各自衛隊に関し大臣が行なう一般的監督
要するに、陸・海・空自衛隊、統幕で行なう業務の方針や基本的事項について、大臣の指示ならびに承認、さらには大臣の一般的監督まですべて内局の官房長及び局長の統制を受けることになっています。
他方、制服の長である各幕僚長は、最高の専門的助言者として、各自衛隊の隊努に関して大臣を補佐することに留まっています。(自衛隊法第9条)
このような一連の規則によって、背広組・文官が制服組・自衛官の上位にある基本的な体制が出来上がり、この文官統制システムをシビリアン・コントロールと勘違いしている人もたくさんいます。
ところが実際には、軍隊として必要な編成や装備を決めたり、防衛計画を作成したり、必要な訓練を実施したり、隊員を教育指導したりするほとんどすべての業務は、自衛官としての経験と訓練がないと出来ないことばかりであり、その経験のない文官では正しく業務統制が出来ないという問題が生じています。
そこで、実態が良く分かっている大臣は、軍事専門家としての制服と行政専門家としての文官を、うまく機能させながら使ってきたようです。石破大臣が感じている「極めて使いにくい組織」という感覚は、そのようなところから来ているのでしょう。
この参事官制度こそが、防衛庁創設の当初から、背広組と制服組の確執の種になってきたものですが、この制度を作ったそもそもの目的は、軍人が政治を牛耳った大東亜戦争当時の反省から、制服の権限を抑えるためのものでした。
この制度を是とする人は、これによってシビリアン・コントロールを確実に出来ると考えており、非とする人は、軍事の実態を知らない者が統制するところに無理があり、自衛隊の組織運用がおかしくなると考えています。
さて、石破大臣が指摘しているように、「背広組と制服組がどのように業務分担すべきなのかを整理する必要がある」とする問題意識だと、まさしくその目玉は「参事官制度」に手をつけることになるはずです。
この問題はしかし、私が承知しているだけでも、ずいぶん長い間、何度も蒸し返されてきた問題であり、そう簡単に決着がつく問題でもなさそうです。
そもそも軍隊を正しく管理し、適切に運用することは大変難しいことであり、旧軍の時代には、軍隊の編制や常備兵額を定める「編成大権」と、軍の用兵・作戦・指揮の権限である「統帥権」は、ともに憲法の定めによって天皇に直属のものでした。
列国でも、ほとんどの国は軍隊運用の基本を憲法に定めているのが普通ですが、わが国では、自衛隊の保持そのものが憲法に定めがなく、基本法もなく、いきなり防衛省設置法・自衛隊法の個別法によって防衛省・自衛隊が作られましたので、縷々説明してきたような不明確な状態が出来上がってしまいました。
これを、あるべき姿に戻すことは何れしなければならないことですが、これは防衛省・自衛隊だけの問題では終わらないと思いますし、憲法の国防論議にまで踏み込むことになります。結局、自衛隊を「軍隊」とするのか、「軍隊らしきもの」に留めておくのかという問題になるはずです。
防衛省の「参事官制度」が問題を指摘されながらも、半世紀の間解決できずに引きずってきた背景には、このような問題の根の深さがあります。
今回の改革案の検討では、「省改革推進チーム」として文官・制服の15人が、現業兼務の状態で、しかも、組織を上げての検討ではなく、石破大臣の私的な研究会のような立場で、検討が行なわれるようですが、果たして可能性はあるのだろうかと危惧します。
今回の防衛省改革検討が、石破大臣のパフォーマンスに終わってしまわないかとの心配を以前にも書きましたが、やるなら腹を据えて、憲法改正を視野に入れ、組織を上げてやらないとできない問題ではないかと思います。中途半端なものが出来ると、かえって将来に禍根を残すことになりそうです。 (20・4・4記)
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2.奥山篤信
沖縄集団自決とマサダ要塞集団自決
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なぜ戦後日本人は先人たちの勇敢で名誉ある戦いや壮絶な死を、矮小化した形で評価するようになったのであろうか?生命だけが人間や人生の最大価値とする生命至上主義について、ここでとやかく議論するつもりはないが、かっての先人たちは、生命に代えても貴い価値があるという崇高な精神を備えもっていたのである。
こういう自己犠牲や国家存続のために命を捧げた方々に対して、現生の生命至上主義の価値観より、このような死に方を「犬死」と捉え、国家権力や軍隊が強制した気の毒で哀れな犠牲者として、彼らの死を勝手に判断するのである。
僕はいつも思う。こういう捉え方こそ、まさに崇高な精神で死を選んだ人々に対する侮辱であり、その霊への冒とくであると。崇高な理想、負けると分かっていても後世にその勇気と日本再興を託して、散っていった特攻部員の壮絶な死についての捉え方もしかりである。志願だといっても組織の立場上、特攻にならざるを得なかったという意味で強制があったと言う理屈である。言って置くが、特攻作戦ほど邪道で外道の作戦は断じて許すことはできない。この作戦を考えた大西瀧治郎などは、介錯なしの切腹をしようがしまいが、日本史上絶対に許されない極悪人である。
さて沖縄集団自決についてであるが、先だっての地裁判決の裁判長は「大江健三郎の沖縄ノートにある自決命令自体あったかどうか認定することは躊躇せざるを得ない。」と言いながら、証拠にもならない状況を並べたてて、本の販売の続行を認め原告の訴えを退けたのである。確たる証拠もなく原告は著しく名誉を傷つけられたわけで、日本の司法のお粗末さを物語る昨今の一例である。
実は、僕には集団自決問題を強制があったか否かで捉えることには、あまり関心がないのである。
当時のことなど神のみぞ知るであって、この問題はあまりに政治的に利用されていることである。政府補償も絡んでいるだろう。
米軍はまさに「鬼畜」のごとく原爆や大空襲により日本の民間人を大量虐殺したのである。それに沖縄戦のあと結果的に占領軍が日本全国で無法な狼藉・暴行などを繰り返したのは事実である。したがって当時沖縄住民が米軍による占領の後の事態に、恐怖におののいていたことは事実であろう。ちなみにソ連軍の不法侵略でサハリンの電話の交換手が最後まで任務を遂げ、全員投降せず自害した美談がある。それもソ連軍の凌辱を恐れてのことであった。
沖縄戦は陸軍の牛島満将軍、長勇将軍、八原博通大佐以下が勇敢に壮絶な戦いを展開した。さらに日本は当時総力戦であったわけで、沖縄住民も日本を守るために命がけで支え戦ったのである。
そのなかで米軍を恐れ集団自決した民間人の死は悲劇であることは間違いない。
しかし彼らの死は、日本を防衛するために戦った崇高な死であって、「ひめゆり」と同列に僕たちは受け止めねばならない。もちろん、二度とこの悲劇を繰り返してはならないが、それは特攻隊員と同様「犬死」であってはならない。それはユダヤ人の民族の誇りとしてのマサダ要塞の壮絶な死と同様、僕たち日本人は未来永劫その勇気を賞讃せねばならない。
そうすることによってこそ、初めて集団自決した人々の霊が報われるのである。
そのことを忘れ、勝手に彼らの心の中に入り込み、それは強制されたものだとかいう推測は、霊に対する冒とくでしかないのである。
大江健三郎さん、貴殿は日本の文化勲章を拒絶されましたね!そしてノーベル賞を喜んで受賞されましたね!中国その他各国で日本への反日の罵詈雑言を吐いていらっしゃる方ですよね!御苦労さまです。
ここでマサダのユダヤ人全滅の悲劇について簡単に述べたい。
AC66年に開始されたローマ軍とのユダヤ戦争は、70年にエルサレムが陥落した後、ユダヤ人936人がエルアザル・ベン・ヤイルに率いられてマサダ要塞に立てこもり、ローマ軍15000人がこれを包囲した。ユダヤ人たちは2年近く抵抗したが、73年についにローマ軍による陥落直前にユダヤ人たちは、投降して捕虜やローマの奴隷や虐殺されるよりは名誉の死をと、全員が集団自決したという。これによってユダヤ戦争は完全に終結した。
あのイスラエルの片目の将軍ダヤン国防相以来、イスラエルの新参兵士がTironut (国防軍の基礎訓練)を終了した際、かっての勇者の辿った夜間悪路を通りマサドに行進、巡礼し松明をバックに"Masada shall never fall again."との誓いをマサダ頂上で行わせしめ、国家への忠誠をたたき込む。それほどマサダの悲劇はユダヤ人の民族魂の原点としての記念碑となっているのである。これを見ても自虐的な広島の「過ちを繰り返さない。」ではなく「二度と戦争に負けてはならない」それが世界の常識なのであることも付け加える。
現代日本人ほど国家の「物語」をないがしろにする民族は世界で皆無である。それはすべて現在の「私である生活」が最も優先する課題となり、国家権力はそれを妨げていると決めつける基本的被害者意識が根底にあるからだ。過去 現在 未来の日本を尊ぶ気持ちがいささかもないという事からくる。
ついでに言うが、民族にはそれぞれ物語があり、歴史認識などが当然自国の誇りと栄誉のための物語であって良いのである。トラファルガー海戦でもイギリスとフランスの歴史認識は異なるのである。大東亜戦争の評価にあたって日中や日韓での有識者会議などとあるが噴飯ものである。中国や韓国が自らの歴史的位置付を変更するわけがない。従って日本は日本としての歴史認識に基づいて教科書を作れば良いだけのことである。それをヘイコラと中国や韓国の言いなりになってきた政治家や文部省が悪いのであって、それこそ日本民族の栄誉を汚している「売国奴の群」である。
沖縄戦こそがわが日本人のマサダ要塞の戦いとして位置付け、僕たちはその果敢なる戦いと死、そしてその悲劇を永遠に感謝と尊敬の念をもって記憶すべき民族の記念碑なのである。集団自決された方々のご冥福を、感謝を籠めて、ここにお祈りする。(脚注)筆者は一切大江健三郎著「沖縄ノート」並びに曽野綾子「ある神話の背景」「集団自決の真実」を読んでいない。一切の先入観なしに上記を書いたもの。