タイにインパール作戦で散った日本の英霊を顕彰する「グンユアム戦争
インパール作戦というのは、
インドシナで、日本軍が無茶な計画を実行して
インド独立を願うインド人たちと、ビルマ独立を願う
ビルマ人と一緒にギャングルの中を北に向かって、
インドにいるイギリス軍を倒そうとして失敗した作戦で、
生き残りの兵士の書いた本を読むと、悲惨すぎて、
本当に泣けてきます。食料も武器もいっさい、補充無しの
状態で、ジャングルを歩いてインドに向かったのですが、
イギリス軍は飛行機を使って食料の補充ができたが
日本軍には、何も無かったので、敵の食料が
飛行機から落とされたら、必死で、取りにいったそうです。
日本軍には使える飛行機がすでに無かったのです。
イギリス軍の兵士はみなインド人で、将校はイギリス人。
日本軍の赤十字や野戦病院は特にイギリス軍に狙われて、
攻撃されて病人ごと丸焼きにされた。生き残りの兵士に
よれば、「国際法もクソもあったもんじゃなかった」そうです。
逃げ遅れた日本人の病人は、生きたまま火炎放射器で
焼かれて殺された。インパール作戦が失敗して、南に
逃げていく際も、イギリス軍に攻撃されているので
戦いながら逃げる必要があった。そのため日本軍は、
日本から船で兵士を送ったが、途中でほとんどの船が
撃沈されて兵士たちは死んでしまった。それでも、ビルマに
たどり着いた兵士たちは、攻撃してくるイギリス軍と戦いながら
北に戻る部隊と合流して撤退を助けた。インパールの
ジャングルには、日本兵の死体が累々と横たわっていた
そうです。誰も弔うことも、墓を掘って死体を埋めることも
できなかったそうです。ケガをしたり病気になった日本兵は
仲間に担いでもらうのがすまないと思って次々と自殺して
いったそうです。ビルマの村人たちの中には、親切にも
食べ物を分けてくれたりする人たちもいて、かなり助けられた
ようですが北の方のビルマ人はイギリス軍の味方をして
日本兵を殺していたそうです。最後の方は、アウンサン
スーチーの父親のアウンサンも、日本軍を見限って、
イギリス軍の味方になって、日本を攻撃しましたが、ビルマ
独立のためには、仕方が無かったのでしょう。
インパール作戦の話は、古本屋で見つけたら直ぐに買うように
しています。このような悲しく恐ろしい出来事があったのに、なぜ、
教科書に書いていないのかな。ビルマの人は、このときに
日本軍がイギリス軍と戦ったおかげで、後にビルマが独立
できたきかっけとなったことを覚えていて、日本に好意的な
人が多いのです。ビルマ(現ミャンマー)のお年寄りの中には、
日本兵と一緒にイギリス軍と戦った人もいます。
物が無かったのに、よく戦ったと思ってくれているようです。
インパール作戦では、日本は大負けに負けたけれど、
長い目で見ると、インドもビルマも独立して、もう西洋人の
植民地ではない。タイは、元から独立国だった。ベトナムは、
当時日本はフランスと手を組んでいたので、ベトナム独立の
助けはしていません。ベトナムの王族の最後の生き残りは、
日本でベトナムの独立を見ることなく、死にました。
南北に分かれて戦っているベトナム人のことを最後まで
心配していたそうです。
タイでは、戦後、捕虜になった日本兵が全員、イギリス軍の
捕虜収容所に押し込められていたのですが、原住民の住む
山の中にたくさん、日本兵の残した物があったのでしょう。
(タイの原住民も日本兵に好意的だったのですね。)
by日本のお姉さん
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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成20年(2008年) 4月3日(木曜日)
通巻第2141号
広い世界にただひとつ、タイに親日歴史記念館。
タイ人の館長夫妻を招いて有志が立ち上がり東京での歓迎集会、大盛況
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タイにインパール作戦で散った日本の英霊を顕彰する「グンユアム戦争 記念館」がある。
主宰のチュウチャイ氏は、今上陛下のタイ御訪問の際に拝謁の栄に浴し、昨年は叙勲を受けた。
有志が集まって館長夫妻来日の資金をつくり、叙勲を併せて祝う会が急 速に組織され、このたび来日の運びとなった。
チューチャイ氏が日本兵の遺品を集めるきっかけは現地に警察署長とし て赴任したときに原住民が家の中に、旧日本兵の飯盒や水筒、刀剣、軍 帽などをお守りのように飾っているのをみたからで、それらを造った人 々の精神と、それを使っていた軍事の魂を、そこに感じて、収集する決 意をしたのだ、という。
同じような親日歴史館をタイ第2の都市・チェンマイにも開設する運動 も企画されており、賛同するひとびとが広がって、急速な転回をみせる に至った。歓迎記念講演会とパーティは、4月2日に九段会館で開催された。
改竄、捏造・偽造・歴史の書き換えを日常とする「反日」記念館なるも のが中国などにあまたあるなかで、タイ現地の人が日本の兵隊さんを慰 霊・顕彰している軍事博物館の存在が、しかし肝心の日本で殆ど知られ ていない。
「クンユアム戦争博物館」を紹介した『未帰還兵』が、産経新聞社より 2月に上梓され、瞬く間に32版を重ねたが、大手マスコミは当該歴史 観の紹介を避けている。
会はインパール作戦の俯瞰図と作戦概要を専門家から聞いたあと、直接 現地で戦った生き残り元日本兵・井上朝義(第53師団陸軍大尉)の証言 をうかがい、その後、歓迎の宴に移行した。
会場は立錐の余地なき満員となって熱気に溢れた。
まず境野哲秀副理事長が経過をのべ、武田浩一理事がこれまでの報告、 そのご、乾杯の音頭を兼ねて、実際に現地を尋ねて当該記念館を取材し てきたコラムニストの高山正之氏、チューチャイ氏の感謝の言葉のあと に『南京の真実』映画を作った水島総氏、作曲家のすぎやまこういち氏、西尾幹二氏、山本卓真氏らが挨拶。最後は藤井厳喜氏の三本締め。
世話役の比留間誠司氏がまとめの辞を述べ、最後に参加者全員で『海ゆ かば』を合唱した。
会場には発起人の加瀬英明、植田剛彦、花田紀凱、高池勝彦、阿羅健一、岩田温、小田村四郎、櫻井裕子、古賀俊昭、土屋たかゆきの各氏らも駆けつけ、大盛況となった。チューチャイ氏夫妻は5日まで滞在、靖国神社参拝などをおこなう。