おすすめ記事2 | 日本のお姉さん

おすすめ記事2

ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼中国のチベット侵略を教えない教科書が、
ありもしない南京大虐殺や強制連行を教えるという不合理。
(worldwalker's weblog )
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★強制連行で連れてこられたと思い込む理由
呉善花:在日の人たちにしても、植民地時代に自分の意志で積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。

崔吉城:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかかわらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も植民地のときに強制的につれてこられたのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉善花:なるほど、意識と実際は違うということですね。

崔吉城:実際は強制されてきたのではなくても、我々は強制されてきたんだという、そういう物語をつくってそれを自分の意識としてもつんです。ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合のかなり大きなポイントです。(中略)それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。

呉善花:なんのために教えるんですか

崔吉城:民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。

呉善花、崔吉城『これでは困る韓国』1997年
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「日帝は土地を奪うため」という観点からすれば、その「収奪」はとてつもなく過酷なものではなくてはならない。
とすれば、朝鮮総督府の資料に基づいて知られる「朝鮮総督府が接収した農地は全耕作地の3パーセント」という数字はあまりにも少なすぎるため、到底採用できない。採用すれば観点そのものが破綻をきたすことになるからだ。そこで教科書では40パーセントとしているが、この数字は「日帝は土地を奪う」という観点との適合性をもたせるための数字で、なんらの科学的根拠を持っていない。したがって、数字の出所や計算方法はまったく示されることがないのである。
韓国人から見た北朝鮮―独裁国家のルーツ (PHP新書)/呉 善花 より
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戦後の日本でやりたい放題の朝鮮民族!
「大きな駅に着いた時、大変なことが始まった。第三国人の連盟の腕章を巻いた、あまり風体のよくない若者が、窓から無理やり乗り込んできた。周囲の人たちを押し退け、突き飛ばして場所をとり、氷が溶けて水の流れ出る臭い魚の箱を沢山積み込んだのである。総勢七人のその連中はまったく言語道断で、座っている者を追い立てて、全員が座り込んだ。 (中略)それから少しして連中の一人が、「さあ、寝るとしようか」と言って立ち上がった。どうするのか見ていると、網棚の上の荷物を払い落し始めた。棚の上に寝るつもりである。立っている人間の方を踏み台にして、棚にはい上がったその男は、まだ場所が十分でないのか、足元の荷物を蹴り落した。ところがその荷物が運悪く、子供を抱いていた婦人の上に落ち、子供に当たったので、火のついたように、泣き出してしまった。 それまで辛抱に辛抱を重ねていた私は、とうとう我慢できなくなり、つい無意識のうちに「無茶をするな」と大声で怒鳴ってしまった」
「秘伝少林寺拳法」  宗道臣 著
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◎引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐 (正論 11月号)
(一部抜粋) 「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。  北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、ついで 朝鮮人の保安隊 に引き渡されて さらに散々に強姦されたうえ、虐殺されている光景であった。  (中略) 「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。みなソ連兵を 朝鮮人が 案内したのだった。-
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日本人はなぜ朝鮮人が嫌いか、差別されるには朝鮮人の方にもそれなりの原因がある、という筆者の論は決して間違っていないと思ふ。 例えばあの有名な朝鮮人詩人の金素雲氏は、その自伝の中で次のように書いている。日本人所有の家を借りたなら、家賃は一切払わなくてもよいというのが、その当時(昭和の初期―筆者注)同胞の間では常識化していた風習だった。   「お前らは国まで盗んでいったじゃないか。家賃ぐらい何だ!」 ――こちらにはこんな腹があったが、引っかけられた日本人の側では恨み骨髄にならざるを得なかった。 家賃をもらうどころか5,6ヵ月分の家賃に当たる金を<立退料>という名目で払わなければならなかった。 こんなとき、その仲介の役割を果たすのが、いうなれば叔父の職分だった。 (同胞が集団居住する町には、こんなブローカーが必ず何人かいた)
1、2年ただで住んでは<立退料>をせしめて家を空けてやることもあったが、時には引っ越した次の日に大家から立退料を取ってまた引っ越していく、そんな場合もあった。その立退料の半分ぐらいにあたる金が叔父のようなブローカーの懐に入ってくる。もちろんこれは4、50年前の昔話ではあるが、こんなやり口がその後長い間い年月を通じて、大多数の日本人の生活感情の底に<チョーセンジン>を敬遠し蔑視する後遺症の種となったことも事実である。
                  
中村 粲   文武新論 平成5年7月10日

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◎動画 強制連行されたと言っている朝鮮人の99.999%はウソ

◎動画「ヤクザの6割が同和、3割が在日」

◎動画 南京大虐殺はなかった

◎動画 ヤクザの3割が在日だと思ってましたが4割でした

◎動画 朝日新聞へ抗議活動ノリミツ・オオニシ、若宮啓文出て来い!

◎動画 戦後の日本における三国人たちの蛮行

◎【日本国歌】君が代

私はいかにして「日本信徒」となったか (PHP文庫)/呉 善花