異聞シベリア抑留記 西へと驀進する列車 | 日本のお姉さん

異聞シベリア抑留記 西へと驀進する列車

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異聞シベリア抑留記 ▽▼           by 江藤一市さん
☆ 西へと驀進する列車 2008/03/31
――【帰還に疑念】
ブラゴエシチェンスクを出発したのは十月二十二日だった。

『さあこれで浦塩(ウラジオストック)に向かうんだ!そして

ニッポンの船に乗るんだと祖国への帰還を信じ、期待に

胸を膨らませた。

だが、その帰還に疑念を抱かせたのは、乗車して二日目の

朝だったーーー。

「おい少し変だぞ!この汽車は西に向かっているぞ!」と誰か

が言い出した。
成程、朝日が列車の後ろから上がっている。確かに西に

向かって走っているのは間違いない。しかし「列車が迂回

しているのかもしれない」とも話した。

しかし、一日中走って、翌朝も朝日は矢張り後ろから・・・。

まさかシベリアの太陽は西から上るのではあるまい。こう

なったら列車は進行方向を西にとっていることに間違いは

あるまいと話し合った。そして、

この列車がウラジオへ向かっているのではないという事実が

はっきり判ったのは、その日の午後、途中停車の時だった。

例の如く、殆ど全員が下車して用を足している時だった。

相変わらずマンドリンを肩に掛けた警備兵が、あちこちと

歩き回っていた。もう満州以来の長い道中なので、行動を共に

している警備兵の中には顔馴染みもできていた。

ウズベックとかタタールとかカザックとかの、東洋人種系

ソ連兵は皮膚の色も同じだし、顔立ちもよく似ているので、

ある種の親しみを覚えるものだった。

彼等もまた多少はそんな気持があったらしく、人当たりも柔ら

かだし、言葉が通じないので身振り手振りで意思の疎通を

図ろうとしているのがよく判った。煙草をやったり貰ったり、

時には黒パンを持ってきたりもしたものだった。

――【天国から地獄】

その警備兵の一人に「この汽車はいつウラジオに着くのか?」

と身振り手振りで尋ねた。すると彼は頭を横に賦って

『ニェィト、ニェィト』と言うばかり。
ーーー更に重ねて聞くと『カラカンダ』とか『ウーゴリ』とか言う。

何を言っているのかさっぱり判らないので、一人が通訳を呼び

に走った。入隊前、神戸でロシヤ人経営の洋服屋に居たという、

部隊で唯一人の通訳がやって来た。そしてその通訳の口から、

思いも掛けぬ言葉が飛び出した。

『この汽車はウラジオ行きではない。カザクスタンのカラカンダ

という炭坑のある町へ行く。そしてお前達は、そこで石炭掘り

をやるのだ』とのこと。まさか冗談や出鱈目ではあるまい。

それは瞬く間に部隊全員に広がり大騒ぎとなった。天国から

地獄へ急転直下とはこのことか。あちこちに集まっては評定、

しかしどう騒いでもどうなるものでもない――――。

群がっている連中を見つけると、直ぐ監視兵が駆けつけて

追い立てる。少しでも反抗の気配をみせようものなら、容赦なく

空へ向けて威嚇射撃「ダダダダッダダッ!」とすごい音。

弾薬不足で、極端に無駄弾を撃たせなかった日本軍とは

違って、ソ連兵は一向お構いなし。鳥が飛んでいても、野犬を

見つけても直ぐににブッ放す。なす術もなく銃に追い立てられ、

乗車するより他なかった。

――【苦難のドラマの序曲】 

十月のシベリアはもう、九州の真冬よりもっと寒い。

用意してあった防寒被服が渡された。乗車した九月はまだ

暑かったのに、防寒被服を積み込んだのを不審に思わな

かったのは、ただ一途に帰国することだけに心を奪われ、

そんなことを考えてもみなかったのは迂闊ーーーといえばそう
だったかもしれない。

奉天を出てからかれこれ二ヶ月、目的地のカラカンダに到着

したのは十一月も二十日頃だった。あたりは一面の銀世界

だった。約一ヶ月のシベリア鉄道の旅で、この国の想像もつか

ない広さをつくづく思い知らされた。

走っていても、二、三百キロおきに石炭と水の補給所はある

が、幾つかの大都会以外では、途中で人家らしいものは稀に

しか見ない。駅らしい駅を通過するのは一日に一度か二度。

ーーーただ草原と森林の中をひた走る。

――【初めてのバイカル湖】

一度などは、朝目が覚めると汽車が水辺を走っている。遙かな

水平線には汽船の浮かんでいるのが見えた。オヤッ?海に

出たのかなと思ったがそうでなかった。

巨大な湖であった。一日中その周りを走り日が暮れた。翌朝

目覚めたらやっぱり同じような景色。なんと、湖を半周したの

だった。警備兵が、バイカル湖だと教えてくれた。(現在では

中央部に橋が架けられていると聞いた)

着いたのはカザフ共和国(旧称)で、日本へ帰るよりネパールを

越えればインドのほうが近いというぐらいの遥遠の地。

全部が全部そうではないだろうが、我々の行ったあたりは

一帯が砂漠。といっても、アフリカやアラビヤの砂漠とは違い、

夏になると少しぐらいは草も生えるが、樹木は全くない。

原爆の実験に使われているような、

荒涼たる僻地であった――――。

――【カラカンダで初めてのショック】

いよいよカラカンダに着いて下車、駅前の巨大倉庫の何棟か

に分れて宿泊ということになった。薄暗い裸電球の下で、

防寒被服のまま毛布に包まって夜を明かした。

ーーーところが、この倉庫の中で実に異様な光景を目撃した。

詳しいことを書くのは憚られるが、生まれて初めての体験

だったので仰天!ものも言えないほどのショックを受けた。

~~~女、それも十七、十八と思われる若い娘が、警備の

兵隊に逢いに来たのである。

話している模様から以前からの知り合いでもないらしいが、

かといってそういう仕事の女とも見えない。実に不思議な光景

だった。

しかし、色々な経験をしたずっと後になってから、それが

この国の国民性・民族性か、とも思えるようになった―。