タイムリーなブログ記事があるので紹介します。
ようちゃん、おすすめ記事。↓
Take4 さん」30代@男性
ーーーhideおじさんのコメントに。
http://chinachips.fc2web.com/argue/080312.html
ご意見、ありがとうございます。しかし残念ながら私には、私の
主張に対するあなたの誤解のすべてに答えられる時間が
ありません。
私が書いた文章に少なからず問題があることもあり、行間に
こめた含蓄を含む私のメッセージはほとんど伝わらなかった
ようです。私のブログと、そこからのリンクを一通り見ていただ
かないことには、知識体系の違いから議論は難しいと考え
られます。
日本の国家権力は、その上位に位置する権力によって支配
されています。日本の政治が自立していないことから簡単に
推測できます。日本は米国の属国ですが、支配構造は単純
ではないようですね。
この認識がない状態で国家云々を述べても無意味です。国家
というものに依存する姿勢は、上位権力の思う壺です。ただし
「気づき」を得る過程で国家というものの重要性を認識すること
は有益だと思います。
こうした見えない支配構造の存在を否定されるのなら、前提
条件が異なるため議論そのものが不可能です。これが、
あなたと私の主張がかみ合わない原因でしょう。ご自身で
アンテナを張って情報収集してみてください。そしてあなた
の身の回りに情報収集した情報を説明する事実を確認でき
れば、「気づき」を得たことになります。
得られなければ、それがその時のあなたにとっての認識です。
仰るとおり認識は多様です。そのため、あなたの意見も私に
とっては思考の種として、ありがたく頂戴いたします。
日によって得られた情報で主義主張が変わったりとあります
が、現在の私にはそのようなことはありません。基本的に
確固たる確信に近いものをいつも持っております。その中の
狭い範囲で前後しながら、確固たる自己を構築してきたつも
りです。
「日本国民の大別」の中で私の思考の大別が変化したとき
は、自分の実体験から物事を納得することによって、ある種
の「気づき」を得られたときです。
私は完璧を求めているのではありません。もともと存在し得な
いものを求めても仕方がない。目の前にある問題を解決する
にはどうあるべきか、について主張しているつもりです。目前
の問題を本質的に解決することにより、新たな問題が見えて
くると思います。そしてその問題を解決していく、この繰り返し
が真の成長だと思います。
完璧でないことが正解という認識は、私も同じで正しいと
思います。しかし、目前の問題に気が付いていて放置する事と
それは違います。ここに「完璧でないことが正解」という思考の
逃げを認めるわけにはいきません。「気づき」の範囲や段階が
各個人によって大きく異なります。
そもそも、問題が見えていない人も多い。もちろん私にも見え
ていない問題は多々あります。解決方法も千差万別ですが、
本質的に解決するものでなければならないと考えます。そう
でないと「歴史は繰り返す」からです。
前にも書いたとおり、人類が抱える本質的な問題に気づいた
人たちが少なからず世界中にいます。彼らの活動は、現時点
では異端であるため決して目立ちません。異端的な主張は、
自らアンテナを張らなければお目にかかれません。しかし、
近い将来に陽の目を見るときが来るでしょう。
私はここで、言葉遊びをするつもりも民主主義云々を議論する
つもりも毛頭ございません。無駄なことです。「機能してい
ない」ものは「機能していない」のが私の認識です。問題が
あるから「機能していない」のであり、次のステージに進む
ためにも解決を要すのです。
機能している部分もあるから現状維持でいいというお考え
でしょうか? 故意の迷走は、現状維持、現状依存からくる
ものだと考えます。大多数の国民も故意の迷走を許容して
いるのが現状です。過去の私は「無知の罪」もあり、許容
していましたが、現在は許容していません。
>教育に国が関与するなという主張がありますが、全くもって
間違いです。
このようなことはひと言も述べておりません。冗長であること
は申し訳ないがもう少し注意を払って文章を読んでいただき
たいと思います。
>米国は民主主義の代表国家のように・・憲法には国民主権
・・規定は存在
>世界に例の無い「国民主権」を謳っている日本なのですから、
>かのケインズでさえ、資本主義には欠点があると認めて
>あくまで「選挙」を通じて国民が選定した「支配者」です。
>「資本家と労働者」「支配者と被支配者」・・階級闘争と
変わりはない・・
このような表面上の話をしているのではありません。他にも
たくさんありますが、教科書的思考を感じました。書いてある
から、宣言しているから・・・だからどうなのでしょうか。
ここにそのような話を持ち出す意図が分かりません。一度、
頭の中を「意図して空にする」ことを試してみてください。現在
のあなたの思考の源泉はどこにあるのでしょうか。何がその
ように思わせているのでしょうか。それは、あなたの実体験に
よるものでしょうか?
>私は違うと思います。・・要は国民が責任逃れしているだけ
ともみえます。
責任逃れでは全くないでしょう。問題提起です。そのように
一蹴してしまうことが問題解決を先送りし、故意の迷走を
助長すると考えます。マスメディアが大衆のマインドコント
ロールに少なからず関与していることは、世界的常識だと
思っています。
プロパガンダはあるという認識なら、その意図をもう少し
深く考えてみてはいかがでしょう。現状認識の重要性につい
ては前に触れました。適切な現状認識(問題認識)がなけれ
ば、適切なアクションができません。アクションを起こすための
問題提起なのです。
>支配層に迎合するマスメディアが日本にあるとは聞いた
ことがありません。
では、そのような情報を探してみてください。私のブログと
そこからのリンクや書籍も含めていくらでもあります。狡猾な
マインドコントロールがあるという認識に立たなければ、その
先には進めないでしょう。これについては、既にこれからどう
あるべきかを前のコメントで述べています。
あなたが、支配者によるマインドコントロールはないと思うこと
が、マインドコントロールかも知れないという疑いも持ってみて
ください。「気づき」というものは些細なことから得られるもの
です。
タイムリーなブログ記事があるので紹介します。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/a945a87773c443f052226fb5b2cdc834
----★わざわざ、原文には無いのですが、コピペします。
▼『洗脳支配』 苫米地英人:著 いまテレビは、明らかに
馬鹿な日本人をつくる(株式日記と経済展望)
◆洗脳支配―日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて
苫米地英人:著
◆洗脳支配 3月19日 ホンのひとくち
◆テレビの世界で起きている恐ろしい現実
いまテレビでは、明らかに馬鹿な日本人をつくるプロジェクトが
始まっています。テレビ局トップが相談して決めたのか、アメリ
カ大使館からそのような指令が飛んだのか、確認するすべは
ありません。ですが、トップクラスの意思決定が働いていると
しかいいようがないほど、その兆候がはっきりと現れている
のです。
その典型が、テレビ画面に、テロップや字幕ふうの活字
(スーパーインポーズ)を映すやり方です。最近のバラエティ
番組では、タレントのしゃべりにかぶせて、大きな活字で
その内容を採録したり、第三者的にツッコミのナレーションを
入れたりするようになりました。その活字が踊ったり、さらに
そこに効果音がかぶせられたりすることも、よく見受けられる
ようになりました。これこそが、人間のIQを下げるもっとも効果
的な方法だとされているのです。実際、過去に行なわれた
実験で、次のような結果が生まれることが証明されています。
その実験では、被験者に映像を見せながら、画面に映った
内容を表す擬態語など、抽象的な単語を次々と見せていくと
いうことが行なわれました。それを続けていくと、わずかな
時間で段階的に思考能力が失われました。そして、さらに
続けていくと、被験者の脳波が何も考えていない状態と
同じ波形になり、そのままそれが継続していきました。つまり、
そうした映像がついには見る側の思考そのものを止めて
しまったということです。人間は、そうした刺激を受けると、
能動的に思考を行なうことができなくなります。
これができなくなれば、物事を見て、感じとり、そこから抽象
的な思考をすすめていくこともできなくなるわけです。
抽象的な思考を行なうことは、人間の脳の前頭前野、もっとも
高度な部分における脳の働きなのですが、この働きをそっくり
失ってしまうのです。
テレビ局の人間は、一般の人々が想像する以上に、映像に
おける大衆操作についてよく学んでいます。
もちろん、制作会社のADさんがそうだといっているのではな
く、テレビ局のなかには、大衆操作の禁じ手など、テレビの
闇テクニックに通じた専門家がいるのです。
いま番組制作にあたっている主力世代の年齢は35歳から
40歳くらいです。彼らは、上からの命令に何も疑問を持ちま
せん。すでに、抽象的な思考を抑制する番組制作にも慣ら
され、それをおかしいと問題にするようなことはありません。
当然、闇テクニックを知る上層部からの命令に疑問を持つ
ことなく、番組制作に邁進することでしょう。
彼らは、自分たちと同じ子羊をつくるために、日本人の抽象
的思考を無差別に大量破壊し始めるのかもしれません。
あたかも朝起きて神の声を聞き、用意した爆弾を車に積み
込み、人の集まる繁華街に突っ込んでいくテロリストのように
‥‥。人間は抽象的な思考ができるという能力を持っていま
す。たとえば、「弱肉強食で勝たなくても、まあいいや」とか
「自分のことはいいから、隣の人を助けてよ」というのがそれ
です。私たちが日常的に行なっているこうした思考こそが、
私たちが人間であることの本来の証ですが、支配者たちに
とっては、これをやられると困るのです。なぜでしょうか。
それは、人間のコントロールが効かなくなるのです。
支配者たちが人間をコントロールするためには、自分のこと
だけを考える人間の集まりであればあるほど都合がいい
のです。抽象的に物事を考えようとせず、それに与えられた
価値を疑わずに忠実に動いてくれれば動いてくれるほどいい
わけです。
◆消費コントロールという名の支配システム
テレビのホームコメディ番組を通じて、アメリカ流の生活様式
や思想が日本人の頭に深く刻みこまれるようになったのは、
1960年代のことです。戦後、GHQ(占領軍総司令部)が
日本人に罪の意識を植えつけるために、WGIP
(War Guilt Information Program)を徹底的に行ないました
が、それはテレビなどの番組制作にも色濃く反映されて
います。たとえば、NHKが1960年代に制作した数多くの
太平洋戦争ドキュメンタリーは、その典型的な例といえます。
戦争に担ぎ出された兵隊の人生や、戦争に巻き込まれた
婦女子の悲哀、大量の自決者を出した沖縄の悲劇、
ヒロシマ、ナガサキの原子爆弾の恐怖。こうしたドキュメンタ
リー番組は、左翼がつくったのではないかと疑うほど、
ひとつひとつの映像が日本軍部などに対する強烈な告発
意識で貫かれていました。
おそらく、GHQの意向を受けて、NHKが1960年代の番組
制作能力を総動員し、入念に撮影・編集したものと思われ
ます。私たちはこうした番組を見るたびに、「日本の軍部が
悪かった。日本人の選択こそ間違っていた」との意識を埋め
込まれたのです。 その洗脳の地ならしがあらかた出来上が
ると、今度はアメリカ流の生活様式や思想がいかに素晴らし
いものであるか、コメディーや西部劇といった番組を通じて
埋め込まれることになります。
アメリカ流の生活様式や価値観に対する憧れは、すぐに国民
的な消費に結びつきました。これが1950年代の白黒テレビ・
冷蔵庫・洗濯機という「三種の神器」から、60年代のカラー
テレビ・カー・クーラーという「3C」への、すさまじい消費熱を
呼ぶわけです。 私が前振りとしてこんな解説を述べたのは、
消費こそつねに支配者によって仕掛けられているものだから
です。資本主義のなかで支配者たちが行なっていることの
最大のものは、消費行動の徹底的なコントロールです。
なぜなら、私たちがお金を稼ぎ、そのお金を彼らのコント
ロールが利かないところで使われると、彼らの支配システム
が維持できなくなるからです。
たとえば、明治維新以来、日本に「洋モノがいい」というカル
チャーが根づきました。カルチャーというと、人々の間に自然
発生的に生まれたかのような印象を受けますが、これは支配
者たちによって意図的に仕掛けられたものといわざるを得ま
せん。原初的には、尖兵となった貿易商がヨーロッパの魅力
的な品々を手がかりに彼らの価値観を日本人に植えつける
ことから始まったということです。 その仕掛けは現代に継承され、
たとえばルイ・ヴィトンやグッチというブランドの隆盛となって
現れています。実際、これらのブランドのオーナーは、みな
ヨーロッパの支配階級です。互いに競合関係にあるブランド
ですが、オーナーはみな仲間内の人々といえます。
スポーツブランドのアディダスやプーマにしても、オーナーは
兄弟なのです。
彼らの消費コントロールは、じつに圧倒的な力で私たちを支配
しています。たとえば、マイクロソフトのビル・ゲイツは巨万の
富を築きましたが、ジーンズとTシャツという格好をしています
が、日本の若い女の子は、わずかな月収にもかかわらず、
ルイ・ヴィトンのバッグを提げて歩いている。なぜこのような
馬鹿げたことが起こっているかといえば、仕掛けられた消費
コントロールの力以外にありません。金持ちの支配層は、
すでに世界の富の99.99パーセントを押さえていますから、
それ以上の富を我が物にすることを目指しているわけでは
ありません。彼らは消費行動をコントロールし、彼らが世界に
敷いたシステムを維持するために、人間の思考そのものを
支配下に置きたいのです。
このように、支配は消費行動をコントロールすることで決まり
ます。逆にいえば、支配されないために私たちがとり得る
一番の手段は、自分の消費を自分でコントロールすること
です。とくに、もっとも抽象度の低い自分の行動をコントロール
することでしょう。たとえば、食べ物。グルメ雑誌があったら
すぐ捨てる。このレストランが美味しいと聞いたらすぐ疑う。
うまいものは食わない。グルメ番組は見ない、などなど。
これはとても重要なことです。
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(私のコメント)
政治権力がいかにマスコミ報道にナーバスになるかは、
チベット暴動における中国政府の規制を見ればわかります。
しかし先進国では報道の自由が守られて、中立公正な
報道が行なわれていると思われています。しかし政治権力
は見えないように巧妙な洗脳報道を行なって国民をコント
ロールしています。テレビそのものが国民に対する洗脳
装置のようなもので、テレビが登場してから大宅壮一氏が
言ったように一億総白痴化が進んでいる。
テレビはただ見ているだけで画像と音声が送られてくるから
わかりやすい。本を読むときのような「読む」という作業が
省かれるから頭の働きが衰えてきてしまう。
ブログを毎日書いているのですが、読むことよりも書くことの
ほうが何倍も頭を使うようになる。読むのは1分で出来ます
が、それを書くには1時間以上も時間がかかる。つまり
少なくとも60倍以上もの頭を使っている事になり、非常に
頭を酷使する事になる。これはボケ防止には非常に効果が
あるだろう。学生時代には音楽を聴きながら勉強などをして
いましたが、テレビを見ながら勉強する事は無理だ。テレビ
を見ながら他の事を考えることは無理であり、テレビを見る
時間が多ければ勉強はそれだけ疎かになる。耳から聞こ
える音楽と考える事は脳の分野が連動しないが、テレビを
見る事と考える事は脳がダブルからテレビを見ている限り
思考力が落ちてしまう。
ブログを書いているときは思考力を100%働かせているから、
耳から入る音も目から入るパソコンの画面も見えてはいるが、
思考中は頭に浮かぶ文章に意識はいってしまっている。
そして頭に浮かぶ文章をすばやくキーボードに打ち込んで
いく。ブログを書いているときはその繰り返しであり、精神
集中力を必要とする。
テレビを長時間見ていると目は開いているが、テレビで何を
やっているのかも分からない様な時がある。半分寝ている
ような状況になり、テレビを見ながら寝てしまうことも多い。
思考力が停止してテレビの印象だけが頭に残るから洗脳
されやすくなってしまう。だからテレビを見るときは洗脳され
ないようにと意識ながら見る事が必要だ。
一時期、消費者金融のコマーシャルが数多く流されて、借金
する事もにも抵抗がなくなってしまう人が増えて問題になった
事があった。何度も繰り返してコマーシャルを流されると、
若い女性のCMタレントだけの印象が残って借金がかっこ
いい事のように思えてしまう。
実際に借金をした事がある人ならば分かりますが、借金は
返せなければ厳しい取立てにあって自殺する人が後を
絶たない。しかし若いチャーミングなCMタレントに印象で
騙されてしまう。借金がテレビによって印象だけで騙されて
しまう事で問題になって、ゴールデンタイムの消費者金融の
CMは自粛されるようになりましたが、テレビCMにはこの
ように印象だけで物事を判断させてしまう魔力がある。
さらにはナレーションやコメントがつけばそれに誘導されて
しまう。
「洗脳支配」という本はまだ読んではいないのですが、
テレビでは最近になって話している人の映像だけではなく
てテロップも同時に流される事が多くなりました。
別の音声が不鮮明でないにもかかわらず、話している事と
同じテロップが流れるのは一種の洗脳テクニックなの
だろう。著書ではそうする事によって思考力が奪われていく
事を述べています。テレビを見ていると抽象的思考能力が
無くなるのは確かだろう。テレビを見ている限り目と耳から
情報が次々入ってくるのだからそれに追われて、考える
時がなくなってしまう。それが長い事続くと思考能力が
なくなってしまう。
私がブログを書き始めた頃もそうだったのですが、まったく
文章が浮かび上がってこなくて30分かかって2,3行の
文章を書くことがやっとだった。それから10年以上もやって
いると考えるコツもわかってきて、考えながら文章を組み立て
て行く事が楽にできるようになった。2ちゃんねるや阿修羅
などの掲示板を見ると、非常に文章が短く、文章表現力の
ない事に驚きますが、これでは掲示板における論戦など
とても無理だと思った。私のブログへのコメントを見ても
2ちゃんねる的で、論理的展開力のある文章が書かれる
のは希だ。感情的な反発を一行足らずの文章で反論され
ても論戦にはならない。
思考力を伸ばすには学校でも作文などをたくさん書かせて、
大学においてもレポートをたくさん書く訓練が必要だ。
教師たちも採点が面倒だから○×テストがほとんどとなり
記述式のテストが少なくなった。本当の実力を試すには論文
を書かせる事であり、記憶力だけでできる○×テストは
思考力がなくても出来る。
携帯電話も一種のネットなのでしょうが、あれもテレビや
ゲーム機に似て思考力を奪ってしまう道具かもしれない。
携帯電話のメールで抽象的な思考を書くということはまず
ないだろう。決まりきった定型的なメールのやり取りで時間
を潰してしまって、テレビ中毒と似た症状を示す。例えば
携帯電話を忘れてしまうと女性などはパニック状態になって
しまうのではないだろうか?
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もっと柔軟な思考を持って頂かないと、私の主張は分かりにく
いと思います。
ポスト資本主義については、難しいと思うのは結構ですが、
私にはあなたがこの件に関しては思考を停止するという宣言
をここでしているように受け取れます。
>自分が国の為に何ができるのかを常に問う姿勢が重要に
なってくると私は思 います。
国のためも大切ですが、人類のために、地球のためにという
思考も同時にしてみてください。そうすることで国のために
できることが変わってくると思います。
あまり物事を難しく考え過ぎると何が本質かが見えにくくなり
ます。常識にとらわれることなく、創造的に物事を考えること
が必要な局面だと判断しています。その意味で「ゼロベース
思考」という言葉を使いました。
ところであなたが仰る国家への「責任」って何でしょうか?
また、あなたが理想だと考える社会はどのようなものでしょう
か? それがいまいち理解できません。
国は違うといえども、みなが共有できる「価値観」があると思
うなら、あなたもあなたにできることを考えて実行すればいい
だけです。前述した通り、準備をしている方々は国内外問わず
多々いらっしゃいます。世界中にいる彼らの主張に、いつでも
インターネットで耳を傾けることができる、すばらしい時代で
す。彼らの主張はいずれ異端ではなくなるでしょう。
そういえば、岡崎溪子さんの記事の中に、インドのラダック
地方という文字を見つけて、丁度、昨日見たばかりの動画の
ことを思い出しました。日本語字幕版では「懐かしい未来」と
いうタイトルでした。この製作に関わっている方々も「気づき」
を得た人たちだと思います。