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ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼国会の空転は誰のせい? (外交と安全保障をクロフネが)
ちょっと前に産経の教育面を読んでいて、ある先生が非常に興味深いコラムを書いておられた。残念ながら記事をスクラップしておかなかったのでお名前を失念してしまったが、そのコラムの内容をかいつまんで言うと、日本人は法で禁止されていることと、日本民族の情緒・感情から形成された道徳的規範からやってはいけないことの区別がついていない、というものであった。多くの日本人はこの両者の区別が出来ておらず、しばしば混同してしまうというその先生のお話は非常に鋭いと思った。(ただ、これを混同してしまうのは日本人だけではないのではないか。日本人にそれらを混同する傾向が強いと言ったほうが適切なのかもしれない)法で禁止されていてやってはいけないことの代表例は殺人や窃盗などの犯罪であり、今さら解説の必要もないだろう。
それでは法で禁じられてはいないけれども日本人の情緒・感情からやってはいけないとされていることの一例として、高校野球連盟のトリックプレー禁止通達を取り上げたい。 禁止されているトリックプレーの種類もあやふやで、どこまでやって良いのかいろいろな説があるらしいのだが、例えば二塁に走者がいる場合、まず投手が二塁へ牽制球を投げるフリをし、セカンドやショートがボールを取り損なって後ろにそらす演技をする。
それを見た二塁ランナーがベースから飛び出したところで、ボールを持っている投手が本当の牽制球を投げアウトにするというトリックプレーが、高野連から「相手をだます、高校生らしくないプレー」として、それを禁じる通達が出されている。他にも、隠しダマで相手ランナーをアウトにするとか、ランナーが一・三塁で、投手がボールを投げる瞬間まず一塁ランナーがスタート、相手キャッチャーが盗塁を阻止するために二塁へボールを投げると、三塁ランナーがホームへスタートし、一点を取るという攻撃側のトリックプレーも「相手をだます、高校生らしくないプレー」として禁止されていたように思う。
私は合理主義者なので、ベースボールのルール(競技規則)を破っていない以上、こうしたトリックプレーをしたチームがごうごうたる非難を受けたり、そうしたプレーが高野連からの通達で禁止されるというのもおかしな話だと思う。もしそうしたトリックプレーが良くないというなら、ルールブックにハッキリと禁止すると書くべきだ。
でないと混乱のもとになる。
トリックプレーが「相手をだます、高校生らしくないプレー」というなら、直球と見せかけて打者の手元でストンと落ちて空振りを狙うフォークボールや、直球のようでいて右打者の外へ外へと逃げていくスライダーだって、「相手をだます高校生らしくないプレー」ということで禁止しなければならなくなる。相手をだますのがいけないというなら、いちいち投手が打者に向かって「次はカーブを外角低めのストライクゾーンいっぱいに投げます」とか「時速145kmのストレートを内角高めに投げてボールにします」などと正直に申告してから投げないといけなくなり、それを守れない投手にはペナルティを与えなければならなくなる。
「相手をだましたかどうか」という高野連の判断基準に照らせば、フォークボールで相手を空振りさせることが今も認められていて、高野連が禁止したトリックプレーだけがダメという合理的理由を説明できる人がいるだろうか。そもそも、そのような「相手をだまさない高校生らしいスポーツ」の一体どこが面白いのか?
もはやそれをベースボールと呼べるのか?まさに大混乱である。
どのプレーまでが高校生らしいフェアなものと考えるかは人それぞれであって、非常にあいまいなものだ。ある人にとっての「許されるべきでない、アンフェアなプレー」が他の人にとってはそうではないという問題が出てくる。高野連のように「高校生らしい」という非常にあいまいな基準で、いったんルールの例外規定を認めてしまうと、(つまりルールブックでは禁止されていないトリックプレーを根拠のあやふやな通達で禁止するということ)どこまで本来のルールを守れば良いのか、ルールを守る方も守らせる方も混乱するし、不公平感が残る。
投手がいちいち正直に球種とコースを申告してから投げるみたいに、ベースボールという競技そのものを歪めてしまいかねない。価値観や情緒・感情がそれぞれ異なる誰が読んでも、できるだけ違う解釈が起こらないように、ルールとして許されることと許されないことをはっきりと明記して、どういう理由であれルール破りの例外を認めないということが大事なのではないだろうか。
”インフィールドフライ”というルールが出来たのが良い例。
高野連が、どうしてこのように混乱しているかと言えば、冒頭で述べたように、法で禁止されていること(例えばピッチャープレートを踏まずに投手が投球すること)と、日本人の情緒・感情が生みだした道徳的規範(トリックプレーを高校生らしくないという理由で禁止すること)の区別がついていないからである。それではネタフリはここまでにして本題に移りたい。
今、日本の国会が空転しっぱなしだ。
いくつもの租税関連法案が宙吊り状態になっていて、日銀総裁も空席のままだ。日本経済の四月パニック説まで出ている。どうしてこんな事態になっているのかと言えば、まず昨年七月の参議院選挙で国民の多数が民主党に入れたからである。これによって、自民党多数の衆議院と民主党多数の参議院という、いわゆる”ねじれ国会”が生まれた。まずこの”ねじれ国会”を国民多数が望み、選択した結果生まれたものであることを忘れてはならない。
(私自身は参院選で民主党には入れなかったが)
だが日本国憲法に、”ねじれ国会”が生まれても国会が空転して日本という国がマヒ状態にならないような対策が明記されている。それが、参議院と衆議院の意見が食い違った時、衆議院の意見を尊重するという「衆議院の優越」という決まりである。本来ならば憲法59条から61条あるいは67条の第2項で認められている衆議院の優越規定によって、日本がマヒ状態になってしまうことは防げるはずなのだが、実際はそうなっていない。それはなぜかと言えば、参議院で多数を占める民主党を中心とする野党陣営が「衆議院の優越なんか認めない。多数派の横暴だ」と、堂々と憲法違反の主張をして、国会審議をボイコットしているからである。
(じゃあ、参議院で多数派を占める民主党は何なのか?)
例えば、自民多数の衆議院で可決された法案を民主多数の参議院で否決しても、もう一度衆議院で3分の2以上の多数で再可決すれば法律となり、
衆議院で可決された法案を参議院が受領後60日以内に議決しない場合、みなし否決として衆議院でもう一度多数決を取れることが憲法59条で認められている。しかし、民主党を中心とする野党はダダッ子のようにそれを認めないというのである。
憲法違反をしている民主党は国民から袋叩きにあいそうなものであるが、決して少なくない有権者が、憲法やぶりの民主党を支持し、憲法59条で認められている、参議院で否決された法案を衆議院の2/3以上の多数で再可決することに感情的な反発を見せている。これに対して衆議院で多数を占める自民党も、「民主党が憲法違反をしているから国会が空転して何も決められないのであり、国民も国会空転の原因となっている憲法違反の民主党を応援しないで欲しい」というふうに毅然と訴えれば良いものを、煮え切らない態度でグズグズ・グダグダやっている。
こうした”ねじれ国会”が原因の日本のマヒ状態を解消するために、毅然として「衆議院の優越を定めた日本国憲法を守れ」と訴えるのではなく、自民党の古賀誠選対委員長や与謝野議員、それに民主党の小沢党首や読売新聞の渡辺主筆みたいに、自民・民主の候補が共存できるように中選挙区制に戻しての大連立などという、小手先のゴマカシでお茶を濁そうという人たちもいて、これが天下国家を考え国民を導く代議士・知識人なのかとあきれてモノが言えなくなる。
(中選挙区制は腐敗と汚職の原因として選挙制度改革によって、現在の小選挙区比例代表並立制に改められた)
ここでも多くの日本人が、法律で認められていること・禁止されていることと、日本人の情緒・感情が生み出した道徳的規範からしてやって良いこと・悪いことの区別が全くついていないことが良く分かる。「衆議院の優越」や「参議院で否決された法案を衆議院の2/3以上の多数で再可決すること」は法(憲法)で認められていることだが、それは日本人の情緒・感情からして許さない、だから憲法違反をしても良いという野党政治家・有権者が日本には少なくないのである。
どうして日本人にそのような感情が起こるのか、それは「少数者・弱者は無条件に善人に決まっている。多数者・強者は悪者に決まっている」という、何の根拠もないイメージ優先の感情(いわゆる判官びいき)のせいではないかと推測するが、ともかく多くの日本人は憲法よりも自分の情緒・感情を優先させるわけである。これでは法治国家ではなくて、人間が気まぐれに統治する人治国家である。
それが先進的な法治国家であるはずの日本の国会空転・国家の意思決定が何もできないというマヒ状態を生んでいるわけで、情けなくて仕方が無い。
日銀総裁のような国会同意人事では衆議院の優越という規定すらなく、衆議院と参議院の意見が完全に一致するまで、誰を総裁にするか決められないというのも、まず衆議院と参議院で意見が違っても両者が話し合えば必ず分かり合えて意見が一致するということが大前提となっていて、フェイルセーフという思想がすっぽり抜けた欠陥システムであろう。
我々日本人は法で禁止されていることと、日本民族の情緒・感情から形成された道徳的規範からやってはいけないことの区別をしっかりとつけて、絶対にやってはいけないことがあるなら憲法を改正してでもしっかり明記すべきだし、いったん憲法に明記したら全ての日本人がそれを守らなければならない。国会の空転を防ぐために、私はもっとハッキリとした参議院に対する優越を衆議院に与えて欲しいと思っている。
衆院と参院で意見が違ったら自動的に衆院の案が法律になるとか、みなし否決に必要とされる日数を減らすのはもちろん、国会同意人事も衆院の案に優先権を与えるといった具合にだ。衆議院で多数をとった政党にはこれを認めるのだから、自民党に有利とか民主党に不利といったことも無い。
それがまどろっこしいというなら、いっそ一院制にしてしまえば良い。財政が苦しい日本としては助かる。意志決定のスピードが速く、国際競争力のある強い日本をつくるためには、日本の国家システム・法治システムの信頼性をもっと上げる必要がある。そのためには、政治家・有権者の別なく日本国民全体の民度をもっと上げなければいけない。国民が、現在の国会の空転をぜんぶ政治家のせいにし、憲法違反をして国会審議から逃げつづける民主党を応援するようなら、この国の将来は暗い。
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福田首相が、ガソリン税の環境税化も念頭において、暫定税率はそのままに、道路特定財源の一般財源化を打ち出している。
国交省の官僚と古賀氏のような自民党道路族議員はしぶい顔をしているが、本当にそれができるなら画期的なことで、昼行灯首相と呼んだことは撤回しなければならないかもしれない。しかし、福田首相がそこまで民主党に歩み寄っているのに、民主党はそれを無視し、しつこく暫定税率を撤廃しろと言っている。
ここまで日本の財政が悪化するなか暫定税率撤廃は現実的ではないし、税収不足を見越して地方自治体の中には、ひび割れた道路の補修させ見合わせるところも出てきている。道路が陥没したり、老朽化した橋が落ちたりして国民に犠牲者が出たら民主党はどう責任を取るのか?
憲法を無視し国会審議から逃亡、日本経済四月危機発生の可能性をわかった上で、国民の生命や庶民生活を人質にとってまで政権を取ろうとする”自爆テロリスト”の民主党に、与党となる資格は無い。
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ちょっと前に産経の教育面を読んでいて、ある先生が非常に興味深いコラムを書いておられた。残念ながら記事をスクラップしておかなかったのでお名前を失念してしまったが、そのコラムの内容をかいつまんで言うと、日本人は法で禁止されていることと、日本民族の情緒・感情から形成された道徳的規範からやってはいけないことの区別がついていない、というものであった。多くの日本人はこの両者の区別が出来ておらず、しばしば混同してしまうというその先生のお話は非常に鋭いと思った。(ただ、これを混同してしまうのは日本人だけではないのではないか。日本人にそれらを混同する傾向が強いと言ったほうが適切なのかもしれない)法で禁止されていてやってはいけないことの代表例は殺人や窃盗などの犯罪であり、今さら解説の必要もないだろう。
それでは法で禁じられてはいないけれども日本人の情緒・感情からやってはいけないとされていることの一例として、高校野球連盟のトリックプレー禁止通達を取り上げたい。 禁止されているトリックプレーの種類もあやふやで、どこまでやって良いのかいろいろな説があるらしいのだが、例えば二塁に走者がいる場合、まず投手が二塁へ牽制球を投げるフリをし、セカンドやショートがボールを取り損なって後ろにそらす演技をする。
それを見た二塁ランナーがベースから飛び出したところで、ボールを持っている投手が本当の牽制球を投げアウトにするというトリックプレーが、高野連から「相手をだます、高校生らしくないプレー」として、それを禁じる通達が出されている。他にも、隠しダマで相手ランナーをアウトにするとか、ランナーが一・三塁で、投手がボールを投げる瞬間まず一塁ランナーがスタート、相手キャッチャーが盗塁を阻止するために二塁へボールを投げると、三塁ランナーがホームへスタートし、一点を取るという攻撃側のトリックプレーも「相手をだます、高校生らしくないプレー」として禁止されていたように思う。
私は合理主義者なので、ベースボールのルール(競技規則)を破っていない以上、こうしたトリックプレーをしたチームがごうごうたる非難を受けたり、そうしたプレーが高野連からの通達で禁止されるというのもおかしな話だと思う。もしそうしたトリックプレーが良くないというなら、ルールブックにハッキリと禁止すると書くべきだ。
でないと混乱のもとになる。
トリックプレーが「相手をだます、高校生らしくないプレー」というなら、直球と見せかけて打者の手元でストンと落ちて空振りを狙うフォークボールや、直球のようでいて右打者の外へ外へと逃げていくスライダーだって、「相手をだます高校生らしくないプレー」ということで禁止しなければならなくなる。相手をだますのがいけないというなら、いちいち投手が打者に向かって「次はカーブを外角低めのストライクゾーンいっぱいに投げます」とか「時速145kmのストレートを内角高めに投げてボールにします」などと正直に申告してから投げないといけなくなり、それを守れない投手にはペナルティを与えなければならなくなる。
「相手をだましたかどうか」という高野連の判断基準に照らせば、フォークボールで相手を空振りさせることが今も認められていて、高野連が禁止したトリックプレーだけがダメという合理的理由を説明できる人がいるだろうか。そもそも、そのような「相手をだまさない高校生らしいスポーツ」の一体どこが面白いのか?
もはやそれをベースボールと呼べるのか?まさに大混乱である。
どのプレーまでが高校生らしいフェアなものと考えるかは人それぞれであって、非常にあいまいなものだ。ある人にとっての「許されるべきでない、アンフェアなプレー」が他の人にとってはそうではないという問題が出てくる。高野連のように「高校生らしい」という非常にあいまいな基準で、いったんルールの例外規定を認めてしまうと、(つまりルールブックでは禁止されていないトリックプレーを根拠のあやふやな通達で禁止するということ)どこまで本来のルールを守れば良いのか、ルールを守る方も守らせる方も混乱するし、不公平感が残る。
投手がいちいち正直に球種とコースを申告してから投げるみたいに、ベースボールという競技そのものを歪めてしまいかねない。価値観や情緒・感情がそれぞれ異なる誰が読んでも、できるだけ違う解釈が起こらないように、ルールとして許されることと許されないことをはっきりと明記して、どういう理由であれルール破りの例外を認めないということが大事なのではないだろうか。
”インフィールドフライ”というルールが出来たのが良い例。
高野連が、どうしてこのように混乱しているかと言えば、冒頭で述べたように、法で禁止されていること(例えばピッチャープレートを踏まずに投手が投球すること)と、日本人の情緒・感情が生みだした道徳的規範(トリックプレーを高校生らしくないという理由で禁止すること)の区別がついていないからである。それではネタフリはここまでにして本題に移りたい。
今、日本の国会が空転しっぱなしだ。
いくつもの租税関連法案が宙吊り状態になっていて、日銀総裁も空席のままだ。日本経済の四月パニック説まで出ている。どうしてこんな事態になっているのかと言えば、まず昨年七月の参議院選挙で国民の多数が民主党に入れたからである。これによって、自民党多数の衆議院と民主党多数の参議院という、いわゆる”ねじれ国会”が生まれた。まずこの”ねじれ国会”を国民多数が望み、選択した結果生まれたものであることを忘れてはならない。
(私自身は参院選で民主党には入れなかったが)
だが日本国憲法に、”ねじれ国会”が生まれても国会が空転して日本という国がマヒ状態にならないような対策が明記されている。それが、参議院と衆議院の意見が食い違った時、衆議院の意見を尊重するという「衆議院の優越」という決まりである。本来ならば憲法59条から61条あるいは67条の第2項で認められている衆議院の優越規定によって、日本がマヒ状態になってしまうことは防げるはずなのだが、実際はそうなっていない。それはなぜかと言えば、参議院で多数を占める民主党を中心とする野党陣営が「衆議院の優越なんか認めない。多数派の横暴だ」と、堂々と憲法違反の主張をして、国会審議をボイコットしているからである。
(じゃあ、参議院で多数派を占める民主党は何なのか?)
例えば、自民多数の衆議院で可決された法案を民主多数の参議院で否決しても、もう一度衆議院で3分の2以上の多数で再可決すれば法律となり、
衆議院で可決された法案を参議院が受領後60日以内に議決しない場合、みなし否決として衆議院でもう一度多数決を取れることが憲法59条で認められている。しかし、民主党を中心とする野党はダダッ子のようにそれを認めないというのである。
憲法違反をしている民主党は国民から袋叩きにあいそうなものであるが、決して少なくない有権者が、憲法やぶりの民主党を支持し、憲法59条で認められている、参議院で否決された法案を衆議院の2/3以上の多数で再可決することに感情的な反発を見せている。これに対して衆議院で多数を占める自民党も、「民主党が憲法違反をしているから国会が空転して何も決められないのであり、国民も国会空転の原因となっている憲法違反の民主党を応援しないで欲しい」というふうに毅然と訴えれば良いものを、煮え切らない態度でグズグズ・グダグダやっている。
こうした”ねじれ国会”が原因の日本のマヒ状態を解消するために、毅然として「衆議院の優越を定めた日本国憲法を守れ」と訴えるのではなく、自民党の古賀誠選対委員長や与謝野議員、それに民主党の小沢党首や読売新聞の渡辺主筆みたいに、自民・民主の候補が共存できるように中選挙区制に戻しての大連立などという、小手先のゴマカシでお茶を濁そうという人たちもいて、これが天下国家を考え国民を導く代議士・知識人なのかとあきれてモノが言えなくなる。
(中選挙区制は腐敗と汚職の原因として選挙制度改革によって、現在の小選挙区比例代表並立制に改められた)
ここでも多くの日本人が、法律で認められていること・禁止されていることと、日本人の情緒・感情が生み出した道徳的規範からしてやって良いこと・悪いことの区別が全くついていないことが良く分かる。「衆議院の優越」や「参議院で否決された法案を衆議院の2/3以上の多数で再可決すること」は法(憲法)で認められていることだが、それは日本人の情緒・感情からして許さない、だから憲法違反をしても良いという野党政治家・有権者が日本には少なくないのである。
どうして日本人にそのような感情が起こるのか、それは「少数者・弱者は無条件に善人に決まっている。多数者・強者は悪者に決まっている」という、何の根拠もないイメージ優先の感情(いわゆる判官びいき)のせいではないかと推測するが、ともかく多くの日本人は憲法よりも自分の情緒・感情を優先させるわけである。これでは法治国家ではなくて、人間が気まぐれに統治する人治国家である。
それが先進的な法治国家であるはずの日本の国会空転・国家の意思決定が何もできないというマヒ状態を生んでいるわけで、情けなくて仕方が無い。
日銀総裁のような国会同意人事では衆議院の優越という規定すらなく、衆議院と参議院の意見が完全に一致するまで、誰を総裁にするか決められないというのも、まず衆議院と参議院で意見が違っても両者が話し合えば必ず分かり合えて意見が一致するということが大前提となっていて、フェイルセーフという思想がすっぽり抜けた欠陥システムであろう。
我々日本人は法で禁止されていることと、日本民族の情緒・感情から形成された道徳的規範からやってはいけないことの区別をしっかりとつけて、絶対にやってはいけないことがあるなら憲法を改正してでもしっかり明記すべきだし、いったん憲法に明記したら全ての日本人がそれを守らなければならない。国会の空転を防ぐために、私はもっとハッキリとした参議院に対する優越を衆議院に与えて欲しいと思っている。
衆院と参院で意見が違ったら自動的に衆院の案が法律になるとか、みなし否決に必要とされる日数を減らすのはもちろん、国会同意人事も衆院の案に優先権を与えるといった具合にだ。衆議院で多数をとった政党にはこれを認めるのだから、自民党に有利とか民主党に不利といったことも無い。
それがまどろっこしいというなら、いっそ一院制にしてしまえば良い。財政が苦しい日本としては助かる。意志決定のスピードが速く、国際競争力のある強い日本をつくるためには、日本の国家システム・法治システムの信頼性をもっと上げる必要がある。そのためには、政治家・有権者の別なく日本国民全体の民度をもっと上げなければいけない。国民が、現在の国会の空転をぜんぶ政治家のせいにし、憲法違反をして国会審議から逃げつづける民主党を応援するようなら、この国の将来は暗い。
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福田首相が、ガソリン税の環境税化も念頭において、暫定税率はそのままに、道路特定財源の一般財源化を打ち出している。
国交省の官僚と古賀氏のような自民党道路族議員はしぶい顔をしているが、本当にそれができるなら画期的なことで、昼行灯首相と呼んだことは撤回しなければならないかもしれない。しかし、福田首相がそこまで民主党に歩み寄っているのに、民主党はそれを無視し、しつこく暫定税率を撤廃しろと言っている。
ここまで日本の財政が悪化するなか暫定税率撤廃は現実的ではないし、税収不足を見越して地方自治体の中には、ひび割れた道路の補修させ見合わせるところも出てきている。道路が陥没したり、老朽化した橋が落ちたりして国民に犠牲者が出たら民主党はどう責任を取るのか?
憲法を無視し国会審議から逃亡、日本経済四月危機発生の可能性をわかった上で、国民の生命や庶民生活を人質にとってまで政権を取ろうとする”自爆テロリスト”の民主党に、与党となる資格は無い。
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ようちゃんの意見。↓
★見事な理路整然とした名文ですね♪ 速やかに国民も声を挙げなければ この世界経済が急変する分水嶺の時に 世界の潮流に乗れず 溺れ死にします!
★見事な理路整然とした名文ですね♪ 速やかに国民も声を挙げなければ この世界経済が急変する分水嶺の時に 世界の潮流に乗れず 溺れ死にします!