セルフ・ディフェンス時代・クライン孝子の日記・エプロンデモ4月26火13時水谷橋公園発 | 日本のお姉さん

セルフ・ディフェンス時代・クライン孝子の日記・エプロンデモ4月26火13時水谷橋公園発

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表上海!裏上海? ▽▼       by 半日半華人さん
☆ セルフ・ディフェンス時代 ―――2008/03/26
ニッポンは安全だった。しかし今では社会は危険が予想外の方向から。もはや己で己を守る自己防衛の時代(かも)。「食の安全」ーーーこれまでも危機はあった(チクロ・防腐剤その他)。

だがその多くは国産より輸入品の問題であり、まさか同胞が同胞を裏切る偽装・改ざん・混入などが起るとは思わぬニッポン人。しかし今日では大手・老舗・一流企業でも金の亡者はヤル。

何故か…行政処分が甘いから…多少血を流さなければならないが再開は可能。しかもマスコミ報道のお陰で「有名」にでもなれば、問題起すより好調だったりして・・・・このような世の中、いったい何を信じれば良いのか?…否!…何(も)信じてはならないのかも。

真に疑問に思う事…「残留農薬野菜」次々に、アレ駄目コレ駄目と続々発表…そして「輸入鰻に鉛」に至り、日本の水際対策の素晴らしさを知る。「完璧!これなら輸入食料も安全…」と誰もが思った筈、だが今回の冷凍餃子事件で明るみに出た抜け穴(道)の存在。当然、輸入業務の
プロ、事件関係商社は「知りませんでした」は通用しない。

残留農薬野菜で現場取材した報道関係者も、加工品の危険予知は為されていた筈。即ち、みんな事件になるまでは見て見ぬ振り(なのか?)を不思議に思う。二言目には国民の為…消費者の為…視聴者の為…聞き飽きた。ならば何故「危ないよ~」と注意報を出さないのか。他国のダンボール入り肉饅を笑う暇はなかった筈。

ともかく、こうした無責任時代にはセルフ・ディフェンス。しかし長年の安全環境に暮す者が急に簡単に危険察知力を高められるだろうか。そこで、

「(幸か不幸か)タメになる」我が危険生活体験を――――。
先ずはじめに「疑ってみる心」をもう一度学ぶ必要性。
(誤)固定概念は見て哀れ…(喩)「騙された!」異国在住邦人よりも日本語堪能な異国人を信用した結果とーーー同様の事態があなたの体内でも起っている。

臭覚・味覚・触覚がNO!でも、視覚・聴覚情報を過信=販売元・製造元・賞味期間、五感同士の争いは3対2ながら常識が加勢して後者の勝…「こんなもの」と飲み込んでしまう。

今までも軽微な被害経験は皆さんあった筈、しかし(ウ~ン唸声)軽症では学ぶまでには至らない。「手痛い思い」これが重要、私の場合は病院で点滴治療。日本持参ガイドブック紹介の有名レストラン、然も食材の上海蟹は自分で店内の水槽から選択した。まさかこれで食中毒とはニッポンの常識では思わない。

しかし「新鮮」である筈の茹でた上海蟹が…皿の上で手脚バラバラ?…しかもエラ部分が緑に変色????一瞬ためらったが有難く頂戴して30分後、グルグルグル~悲劇&悲惨、

点滴中に己の判断の甘さ=活蟹→死蟹すり替えじゃないか?ーーーと、疑うべきだったと後悔した。だが、私のようなブランド人間=文字や数字に依存)は日本人に珍しくない。例えば女性観光旅行客たちは、出来損ないの南翔小龍包でも「本場は美味しいワぁぁあ」

祖国日本の地だって、今はスーパーの西瓜コーナーで産地&糖分表示を信頼して購入しているようだが、昔だったら「どれが甘いの?」ポンポンと西瓜叩いて薀蓄教えてくれる八百屋さん。同じ畑から採れたスイカでも違いがある筈。知らず知らずのうちに情報を盲信する環境疑り方を忘れたニッポン人。
日本と異国の違いは買物時間にも現れる。
日本:信用社会ゆえ陳列棚から買い物篭へポイッ!
異国:「容器○・中身×」偽物天国では超慎重選択今や「純国産と思っても異国産」=視覚マジックの時代。~~~我が体験。

愛児が新生児の頃、嫁から粉ミルク托されスーパーマーケットへ。壁一面の粉ミルクから日本有名ブランド品選択し帰宅してみれば…「あなたは何を考えてるの!」(怒)→バシッ!体罰。
「なんで~(涙)」「ここ!」→老眼には厳しい小文字で「Made in China」「え~っ?」以前購入したときは原産地「日本」だったのに、、同じメーカー同じブランド同じ表示なのに、、ーーー騙された気分一杯。しかもその後、別の「第三国産」まで発見!1ブランド3生産地に呆れた。

さて、「残留農薬」と騒ぎつつ一括販売のニッポン、異国の外資スーパーでは~~~奇妙な光景の野菜売場。「島」と呼べばいいのか?売場は幾つも細分化されていて、、カートで進めばこちらの島にもアチラの島にも大根?とか同じ野菜が陳列されている。

しかし島毎の大根?…こっちは小振りで見栄えも悪く高額、あちらは立派ながら低額と差がある。当然、消費者は皆立派で低額に集中かと思えば→低所得者層が中心。かたや見栄え悪く高額には、高所得者層や外人達が群がっている。分類は「有機栽培」「無農薬野菜」「安全野菜」「表示なし」の4種…

これ即ち、「安全」とは立派な付加価値…無料保証ではない…共産国家ながら資本主義社会。(自由選択の下)安全はお金を出して購入するモノ、平等ではない。しかし、「貧乏人は死ね」と悲観的なものではなく、経済的な余裕がなくとも「生活の知恵」が生れる。ーーー私もこれで超貧乏時代を過ごした。

異国初訪中時、先ず驚いたことは、いろいろな部分で遅れている異国に、既に「野菜用洗剤」があったこと。さらに、それで洗浄後すぐに調理するのかと思えば…異国流下拵え…長時間流水で毒消しする習慣があった。しかも異国料理に「生食」はなく、全て加熱調理である。(用心の上にも用心)

ところが、体調不良を訴える邦人駐在家族は、頭隠して尻隠さずなのだ。家族に「新鮮」な物をと張切る奥様方は、一般市場へ食材調達に…ここまでは良い、しかし「下拵え」は日本風でやるから危険。その結果----恐いのは農薬のみならず…成長期の中年&巨乳小学生などとなる。だが最早「対岸の火事」ではなく祖国も危機、日本近海まで静かに忍び寄っているのでは?

己の五感を鍛えることこそ危機回避の道。ーーーしかし現在のニッポン人にはそれが可能であろうか?と、疑問に思う。
例えば、これまで下品とされてきた「一旦口にした物を吐出す」はどうでしょうか。異国人は何でも食べる…実は…口に入れても何でも飲込むわけではなく難を逃れてきているのです。「マナー守って病院送り」と「一時の恥」、果してあなたはドチラを選択するだろう。

異国レストランでの出来事、
娘達の訴えに、掌を突き出して「吐け!」と私、その横では邦人家族が周囲の体裁を気にして「無理矢理でも飲込め!」ーーー礼儀知らずと評価されようが「命が大事」と思うのだが…次に重要な判断能力、五感活用、しかし如何なる基準で識別するのだろうか。

○×判断のための臭覚・味覚・触覚には、比較対象するべき「本来の記憶=本物のデータ」が必要だが、現代社会は日々新製品。しかも変化は「徐々に」、月日が経てば最初と最後で驚くほど違っているので昨日と比較では解らない。

従って変な味…変な臭い…「変」の感覚も充分懸念される。異国嫁と私の旨味評価の違いを、当初は「食文化の違い?」と思ったが、それが誤りと悟る。…原味感覚…食事は「美味い」か「不味い」かの単純評価に限る。しかしこのままでは、食前にリトマス試験紙(毒素判定)の必要性?ーーーそうならぬことを祈ろう。= この稿おわり =
読者の広場 ▽▼
「hideおじさん」
「戦争が教育を再生する!」Take4 さんのコメントに。
http://chinachips.fc2web.com/argue/080312.html
Take4 さん、わざわざご回答いただけまして誠にありがとうございました。「日本国民の大別」も大変参考になり、また勉強させられました。

この1、2、3の大別で強いて私を言うならば、「どれにも当てはまる」といえます。――――日和見といわれるかもしれませんが、一般的な国民は、日によって考えが変わったり、得られた情報で主義主張が都度変化したり、それが普通なのでは、と思います。

国際派と称している人でも、親アジアで反米であるけれども、天皇崇拝する人もいるでしょう。私は天皇制は尊重しますが、天皇個人を敬愛することはあるものの「崇拝」するつもりはありません。

また、日によっては享楽主義に陥ることもありますし、拝金主義なところもあるかもしれません。 自分のことを差し置いてこんなことをいうのも憚れますが、人間というのはそんなものなのではないでしょうか。

ただ、おおよそこのような分類傾向があるということは言えるというのが私の感想です。

人間だからこそ、共産主義にしても民主主義にしても完璧な思想になりえないのかもしれません。 民主主義とて、古代ギリシャからその思想がありながら結局多数決の論理から抜け出せないところがあります。そんな矛盾や欠点があるにも係らず、紆余曲折がありながら現代に存在しているのは、ある味一番人間的な思想だからかもしれません。

「日本の民主主義は名ばかりであり機能しておりません」
一面においてその通りでしょう。完璧な民主主義国家といえる国がどれだけ存在しているのかといえば、米国、英国、北欧、欧州、亜細亜、どこを見ても理想的な民主主義の国だといえるところはない、のではないでしょうか。

何を主とするのかで変わってくると思いますが、民主主義というのは、ともすれば大衆への迎合を招く惧れがあります。みんなが「戦争だ」と叫べばそのように動かざるを得ない事態を招く惧れがないとはいえません。

ですから、民主主義が理想的な国家体制ではないだけに、ある種の欠陥・矛盾を含めることで民主主義が暴走しないことを、時に権力者が抑制する必要もあると思います。完璧でないことが正解ということも世の中には存在するのではないでしょうか。

米国は民主主義の代表国家のようにいわれています。ーーーしかし、その憲法には国民主権などという規定は存在しておりません。また、基本的人権の尊重すら明確化されておりません。余談ですが、男女平等も憲法に規定されていません。

民主主義の輸出国である米国ですら、その思想に内包する矛盾を理解し、行き過ぎた国民主権にならないよう歯止めを掛けている部分があります。ある種の欠陥を含めることによる民主主義といえるでしょう。
日本とて同じことだと思います。

その国、その文化・風習によって考え方も変わってくるのですから、その国独自の民主主義があって当然でしょうし、矛盾・欠陥を含んだ民主主義というものがあってしかるべきだと思います。そこを「機能していない」ととるかどうかは意見の分かれるところだとは思います。

ここで間違ってはいけないのは、国民の都合の良い政治をすることが「政治」ではないということです。また、民主主義だからといって、国民の考えのみを汲み取ることは、えてして衆愚政治になりかねない危険性を孕んでいる以上、支配者は国民に対するコントロールも必要でしょう。また、偽りも時には必要になるかもしれません。ただ、それは最終的に国民の利益に結びつけば許容されることだと思います。

私は、ある程度のコントロールは必要、という観点から、日本の民主主義は不十分ではあるものの、政治システムを見ても「機能していない」と断言するのはどうかな?と思います。完璧な社会体制というのもないことからも、日本の民主主義というのは非常にファジーでいい加減なところがあるけれど、日本らしいといえば、日本らしいものかもしれません。

では、さらに日本を見ると、国民主権という、憲法に規定されている文言を金科玉条のように唱えることによって国民をコントロールしているといわれればそうかもしれません。理想に近づけるために、さらに統制されるという矛盾なのかもしれません。

しかし、どんな主義主張があっても、人が集まっているコミュニティー、村、町、そして国家においては、なんでも自由であって良いわけではありません。そこには「ルール」が存在しなければなりません。

それはある意味不自由を招き、民主主義とは反することがあるかもしれませんが、全体として考えた場合、ルールというある種の「コントロール」は必要になるのではないでしょうか。

権力側がメディアなどを通じて民意をコントロールする、ということは事実あるだろうと思います。それはルール(法律)というものとは掛け離れた「プロパガンダ」でのコントロールということをTake4 さんは仰りたいのではないかと想像します。大本営発表なども、米国のリメンバー・パールハーバーなどもその例かもしれません。しかし、良い意味でのプロパガンダが日本には無さ過ぎると私は思います。

「日本はどうあるべきか」「国際社会での日本はどう進むべきか」等々、国としての方向性を国民に明確に示していないことが問題ではないかと思っています。「何も示さない」ことのほうが重大です。今さえ良ければ、という現状維持にばかり汲々としていて、自分たちの利権及びその団体にのみ視線がいっていることへの批判を巧妙に騙している、これがTake4 さんの仰りたいことだと思いますが、これは権力者が有権者でる国民を軽く見ている証左かもしれません。さて、ここで私が疑問に思うことは、「支配者たち」ということです。

これは誰を指しているのか分かりません。Take4 さんのお話の中でも疑問は晴れませんでしたが、よく「支配者たち」と「被支配者」という言葉を耳にします。そして、同じく「国家権力」とは何でしょうか?
支配者というのは、法律を制定する権利を有している人たち、警察・軍隊、官僚を独占的に保有している政治権力、所謂「統治権」を有している人たちのことをいうのだと想像しますが、この統治権が国家権力と同義語だとすれば、私はTake4 さんのご意見に「??」が出てきます。

ここでいう支配者とは、誰が選んだ人たちなのでしょう。日本支配者の場合、独断でこの権力を持った訳ではありません。 まして国民の意思を無視して、力ずくで奪ったものでもありません。国民を自分の意向でコントロールするというような、ある意味物理的な強制力を伴う政治権力は日本においては正当性を確保できません。被治者からの、支配に対する自発的な同意と服従を得る必要があります。それが「選挙」です。

そこを考えないと、「資本家と労働者」「支配者と被支配者」という共産主義の階級闘争となんら変わりはないように思えます。国民と支配者が全く掛け離れたものとして存在するのではなく、あくまで「選
挙」を通じて国民が選定した「支配者」です。
それは、私たちの権利と主張をその支配者に授けていることに他なりません
一方で、そうした中で選ばれた支配者層が、国民を故意に欺き、税金を無駄遣いしたり、国益に反することをしているのも事実です。選ばれた途端、そのことを忘れ、自分が所属している団体や個人のことが優先されることは、非常に憂慮されることであり、厳しく断じねばなりません。しかし、国民が支配者の都合の良いようにコントロールされてきたということならば、その人を選挙で選んだ私たちは「天に唾している」のと変わりないことです。

それとも、ずっとマインドコントロールされてきたから、そうせざるを得ないことになったというのでしょうか。本当にそうなのでしょうか?支配者のコントロールでこのような国民になったのでしょうか?私は違うと思います。「支配者」の恣意によってコントロールされてきたとす
るなら、それは自らの責任を支配者という別な人間に振り替えているだけ、要は国民が責任逃れしているだけともみえます。

戦後の教育において、自由と人権、そして民主主義が重要視されてきましたがその反面「公共」または、国家への「責任」ということが非常に疎かにされてきたと思います。結局、自分のことしか考えない国民になってきて、当然選ばれる統治者も国への責任が希釈になっているのではないでしょうか。「国の為に働く」という認識が非常に薄れてきている結果が、利権に振り回され、国民の税金も無駄に使ってしまう。高給の民間会社に就職する学生が増えている一方、国家公務員になる人間が少なくなっていることにも現れているのではないでしょうか。

「国」という意識を、教育において極端にセーブしてきたことが、国の為=国民の為)に働くという意識を持てなくしているのではないでしょうか。これでは、国民に対して「将来のビジョン」を示せといっても無理でしょう。国が国民に明確なビジョンを示せないから、お茶を濁すことにしたり、言い訳したり、論点をすりかえようとしてしまう。

国が国民をコントロールするというより、コントロールしようとしていない、ともいえないでしょうか。 国家というものをちゃんと認識できないということは、他国への理解もできなくなります。「人を知るにもまず自ずから」というように、国民自体が自分の国を知る必要があります。さて、このコントロール(統制)についてですが、「日本のマスメディアが権力によって支配されている」云々、

この点は、私と全く認識が異なります。先に述べましたように、ひとつの人間集団があれば(この場合国家)、そこにはルールが存在しなければ規律が守られず、個人個人の権利も阻害されてしまう惧れがあります。
マスコミも同様で、その団体に所属しているのであれば、その団体のルールに則るのが当たり前だと考えます。どの国家であっても、マスコミを「ルール」によってコントロールしている部分はあります。それは間違っているとは思いません。一方、日本のマスコミを見ると、賛否はあるものの、このルールを守っているとは思えないケースが多々見受けられます。本来ならば、異なった意見があれば、できる限り両論を紹介するとしながらも、どちらか一方の意見のみを取り上げるケース。

国益に反することにはならないとされながらも、北朝鮮拉致問題などに対して国益、国民意見に反する言動があったり、フェアとはとても思えないケースがあります。これなど、現支配者層にコントロールされているとは到底思えません。また、支配層に迎合するマスメディアが日本にあるとは聞いたことがありません。何かと批判したりするのはいいけれど、具体的な方策は語らない、言うだけ言って責任を取ろうとする姿勢がみられない。中には「どこの国のマスコミだ」というようなケースもあります。それも全て支配者層にコントロールされているとは到底思えません。逆に、日本のルールを守る意思があるのか、と疑いたくなるケースのほうが多いのではないでしょうか。

現教育にしても、政府関係各所は、日教組の意向を無視できず、今回の教育法改正においても、相当部分骨抜きしてしまいました。これは必要以上に日教組に迎合した結果です。教育に国が関与するなという主張がありますが、全くもって間違いです。国という集合体に所属している以上、そのルールも遵守しその国のためになる教育を施すこと、これは国の責任でもあります。それは、コントロールとは全く別次元のものです。そして、その教育が、自分勝手な間違った方向に向かわないように、常に注視しなければならない、それも国民の義務です。縁あって日本に生まれた以上、そのルールをつくり、自ら守っていくことは当然ではないでしょうか。マスコミにしても同様、その支配者の意向が国民の意に沿わないものであれば国民はいつでも変えられる権力を持っているのです。世界に例の無い「国民主権」を謳っている日本なのですから、国民ひとりひとりが政治と自分たちと国への関りをちゃんと認識して、責任を持つことが重要だと思います。

コントロール云々を言う前に、国民自身が意識改革できるかどうか、ではないでしょうか。最後になりますが、ポスト資本主義については、難しいと思います。かのケインズでさえ、資本主義には欠点があると認めております。その為に共産主義が生まれてきたといっても過言ではないでしょうが、その共産主義も結局、現実的には失敗でした。その次に来るものといったら、世界中が同じ価値観を共有できないとなかなか難しいのではないかと思います。やはり、資本主義の欠陥を補う形での修正資本主義というのがまあ考えられるものかな?とは思います。

世の中に完璧なものが無いように、私たちの主義主張も完璧ではありません。だからこそいろいろな意見が生まれ、試行錯誤していくことが発展に繋がっていくのだと思います。ただ、人間が完璧ではない以上、世界中が同じ物差しで物事を判断できるようになるとは思いません。悲惨な大戦を2度も経験した世界でも、思想や国益での紛争は絶えません。人間が人間である以上、私利私欲というものは払拭できないのかもしれません。

いろいろな国があり、いろいろな文化、風習がある。 Take4 さんと私のように、異なった考えの人間も多数いる。そのそれぞれの存在を認めることが一番大切なことではないかと思います。国は違うといえども、みなが共有できる「価値観」もあるはずです、それをどのように見出し、広めていくか、その為には自分が国の為に何ができるのか常に問う姿勢が重要になってくると私は思います。
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クライン孝子の日記
■2008/03/26 (水) 今日のチャンネル桜の報道ワイドは?
■2008/03/26 (水) 毒ギョーザ反対エプロンデモ開催、

今日のチャンネル桜の報道ワイドは?
http://www.ch-sakura.jp/hodo/election.html?id=514
2008年3月26日(水)20:00 - 21:30
1) 本日の新聞・ニュースから

◆ VTR : チベット人への弾圧・虐殺に対する抗議書提出
(H20.3.26 / 中華人民共和国大使館)
VTRを交えながら、松浦芳子氏にお話を伺います。

2)「南京問題」特集

http://www.nankinnoshinjitsu.com/
◆ VTR : 南京攻略戦参戦兵士による証言インタビュー
(製作:「映画「南京の真実」製作委員会)

◆ VTR : 「THE BATTLE OF CHINA」からの抜粋とその検証

3)テレビ電話で “Guten Tag !”
クライン孝子時事放談は?

チベットの二の舞いになるなということで、
外国人地方参政権付与法について、
一部この法案に反対を唱えながら特例を認める識者がいるが、
これは間違いだとその危険性を、口すっぱく
欧州の例をもとに、お話しました。

例えば、
25日だったかな、某所にて
政治家を交えたシンポジューム
が開催され、
席上、

【提言】として
 1.国政選挙、地方選挙を問わず、参政権行使は日本国籍者に
限定されるべきである。
 2.昭和20年以前より引き続き日本に在留する者とその子孫
である特別永住者への配慮は、外国人参政権を認めることではなく、
特例帰化制度導入でなされるべきである。

が出されたらしいですが、
1.OK
2.? (特例は作るべきでない)
と私は思います。

日本人は甘い!
すぐ、お人好しを丸出しにして、挙句足をすくわれる。
チベットは武力で占領されてしまったが、
日本はこうした法案を日本人の手で作ることで、、
「ヒト」という武器によって占領される可能性がある。、


その意味ではこの法案は日本の安全保障とも
密接に関わっています。

なのに、そのことになぜ日本人は、とりわけ、政治家や
この法案に反対している保守の言論人でさえ、
気が付かないのだろう。
これでは日本人総ノー天気=平和ボケと嘲笑されても

仕方がない。

とりわけ法案に反対しながら特例容認の発言するなど、
不可解極まりなし。
日本人は権威に弱いから、著名な先生方からそういう発言が
あると、即、同意しがち。
今少し冷静になって、こんな法案、直ちに破棄すべき!

こうお話したら、
キャスターの鈴木邦子さんたら、すばやく
「そうなの、日本人はブランドに弱いからなあ」だって。

■2008/03/26 (水) 毒ギョーザ反対エプロンデモ開催、

岡本明子氏より
素晴らしい企画が実施されます。
ぜひご参加くださいな。

<<チベット問題、オリンピック問題等々、
中国に関する問題については、憤懣やるかたなく、
先日も、チャンネル桜、草莽全国地方議員の会等が主催された
「チベット人の独立・自由を支援する緊急抗議行動」
http://jp.youtube.com/watch?v=uQRSnynAvII&feature=related

に参加させて頂きましたが、今後も各方面で、
抗議集会や行動も企画されているようです。

その中で私共が、特に毒入りギョーザ問題について抗議する

デモを 企画しましたのは、子供や家族の健康を守る立場の、

私達主婦に とっては、この問題が身近な食と命に関係する

ことだからです。
中国政府からは謝罪もなく、真相解明をする気配もなく、
福田首相は中国に抗議するどころか日本側に問題のある

ような 発言や、中国に「配慮」した発言を繰り返し、
中国製品を扱う企業の姿勢も、問題のあったものだけを対象と
するだけで、衣食住に対する安全意識が欠如したまま、
国民の生活を危険にさらしているような状態です。

ー略ー

この問題を、このまま有耶無耶にしてはいけない、
許しておいてはいけない、声をあげずに済ませてはならない。
そして、これは女性が中心になってやらなければならな
いという思いを持つ女性の方々が集まって、5月の胡錦濤来日
直前の4月26日、銀座で、毒入りギョーザに抗議する声を
あげるというデモを企画しました。

★家族の命をあずかる女性が中心、ということで、
エプロンをつけてデモを行ないます
(各自、普段使っておられるエプロンをご持参下さい)
★勿論、男性にも、是非ぜひ、ご参加いただきたい!!
と思っております。
エプロンはつけなくても結構です^^

チラシを添付しておりますが、
主催は、毒ギョーザに抗議するエプロンデモ実行委員会
代表は、小池賢子さんと、私、岡本明子です。

日時 平成20年4月26日(土) 13時集合 13時半出発
集合場所 水谷橋公園(中央区銀座1-12-6)
コース 水谷橋公園から、数寄屋橋を通過して、日比谷公園で解散

皆様、お忙しいとは存じますが、どうか、ご参加くださいますよう、
宜しくお願い申し上げます。
また、このメールを転送して下さいますよう、お願いいたします。
岡本明子 >>